ACT 26
『・・ッ!?巽様!?』
海蛇に投げ飛ばされていた御崎が巽の姿に気づき、驚愕の表情で近づく
ゆっくりと御崎の方を振り向いた巽が、フ・・ッと薄い笑みを浮かべる
『・・・久しいな、紫水(しすい)・・・』
『ッ!?』
紫水と呼びかけられた御崎が、これ以上ないほどの驚きの表情を浮かべ、凍りついたようにその動きを止めた
『・・・どうした?紫水?・・この名をお前に与えた私の顔を、まさか見忘れたわけではあるまい・・?』
妖艶な笑みを浮かべた、その・・わずかに細められた瞳の色が、紫水晶の輝きを放っている
御崎が目を見開いてその姿を凝視する
『ま・・さか!?しかし、その名で私を呼ぶのはあの方だけ・・!それに・・その瞳の色は・・!あなたは・・柳・・様!?』
まだ凍りついたように動けないでいる御崎の背後に、はるか彼方へ吹き飛ばされた海蛇が再び迫ってきた
ハッと振り向いた御崎より早く、巽が片手で軽々と海蛇の首に生えた黄金色の毛を掴み上げていた・・!
『海蛇か・・。こやつごとき下等な生き物に手こずるとは・・紫水、ほんの千年の間にお前の腕も鈍ったか?』
海蛇を掴んだ巽の手から、蒼い閃光が迸る
その蒼い閃光に吹き飛ばされた海蛇が、痙攣したように全身を震わせ、のたうっている
圧倒的な力の差と威厳を見せ付ける巽の姿に、御崎がス・・ッと膝を落としてひざまずいた
『・・・まさしく、あなたは柳様・・。しかし、いったいどうして・・!?』
御崎を振り返った巽の顔は、以前とは雰囲気が全く違う
妖しく妖艶な・・艶めいた表情と笑みを浮かべている
『忘れたか・・?千年後に再び会い見えようと言った事を。本当ならもう少し時間がかかるはずだったが、この海蛇のおかげで早まったようだな・・』
クク・・と見とれるほどの妖しい美しさで笑う柳の言葉に、ビクンッと御崎の身体が震えた
『・・思い・・出しました。あの時のあの言葉は、こういう意味だったのですね・・。それに、やはり私は・・あの時、みこと様に会っている・・!』
スル・・ッと御崎の横をすり抜けた柳が、みことの身体を抱き上げる
みことはまだ身体を縮こまらせたまま、眠ったように動かない
『忘れていて当然だ。私がお前の記憶を封じたのだから・・。再び私と出会うまで思い出さないように・・・』
『なぜです!?柳様!?いったい何をなさるおつもりで・・?』
柳に抱き上げられたみことが、意識のないまま・・うわ言のように呟いた
『・・巽・・さん・・助けなきゃ・・巽さん・・・』
そのみことの言葉に、柳の顔が激しく歪む
巽の名を呼ばれたその身体が、それに呼応するように・・柳の意思に反して震える
目覚めようとする巽の意識を、柳が必死になって押さえ込むかのように膝をつき、胸を押さえて苦しげに荒い息を吐いた
『柳様!?』
御崎が驚いて近づいたが、柳のもらす低い笑い声にその動きを止めた
『・・ククッ・・!なかなか・・しぶといな。もっとも、まだ機は熟していない・・。もう少し時間を掛ける必要がありそうだ・・・』
柳と御崎の周りを遠巻きにゆっくりと海蛇が様子を伺うように回遊している
その海蛇に視線を移した柳が、抱き抱えたままのみことの頬を優しくなでて、話しかける
『みこと・・あの海蛇をどうしたい?一度はお前を死の直前まで追いやった奴だ。ここで殺してやろうか?』
その柳の呼びかけに答えるように、みことがかすかに首を振る
『・・だ・・め。帰して・・あげなきゃ・・この水も・・一緒に・・・』
柳がみことの手から貝を優しく取り上げ、みことの額に口づけて囁く
『お前がそれを望むなら、叶えてやろう・・。もうじきお前は私と出会う。待っているぞ、お前が私の元へ来るのを・・千年の時の彼方で・・!』
ス・・ッとみことを降ろして立ち上がった柳が、御崎の前で立ち止まる
『紫水、今回はあきらめるが・・じきに私はこの体を手に入れる。それまで、お前の記憶は封じておく。私の計画を邪魔されては敵わないからな』
『柳様?!それは一体どういう・・・』
御崎が言葉を言い終わらぬうちに、柳の指先がその額に触れ、ビクンッと御崎の身体が止まってしまった
『・・・終わるまで眠っているが良い。目覚めたら全てが終わっている。安心しろ・・・』
回遊を続ける海蛇に向き直った柳が、冷ややかな口調で言い放つ
『哀れだな。かつては広い海原を自由に生きていたものがこんな所で縛られているとは・・!お前など、縛られたまま消されるのが相応しいとは思うのだがな、みことの願いだ・・お前の帰るべき場所に導いてやろう。本当に帰りたくば自らの力でそこへ向え・・!!』
柳が手にした貝を前にかざし、呟く
『お前の名は・・”蜃”か。みことらしいな。”蜃”よ、お前に名を与えた者の願いだ・・叶えてやれ・・!』
柳の紫水晶の瞳が妖しく冷たい蒼い光を放つ
すると・・ゆっくりと貝の口が大きく開き、全ての”水”と海蛇を、その口の中へ吸い込み始めた
濡れていたみことや柳の服に滲みこんでいた”水”も吸い込んで、貝が徐々に大きくなる
その場にあった全てを吸い込んで、片手に余るほどの大きさになると、カチッとその口を閉じて蒼く妖しい輝きを放ち、柳の手の中でその動きを止める
水の中であったはずの周りの景色が一変し、大理石に囲まれた・・あの店の中に戻っていた
変わっていたのは、壁に掛けられた大きな振り子時計にはめ込まれていたはずの真珠がなくなり、大理石の中に含まれていた太古の化石たちの姿がなくなっていたことであった
貝を握った柳の身体がグラ・・ッと揺れて、崩れ落ちるように膝をついた
『・・本当に・・しぶといな。もっとも、これくらいでなければ面白くない・・!せいぜい抗うがいい・・巽・・!』
ガタ・・ッと床に倒れこんだ柳の身体が、一瞬蒼く輝き・・その光を失った
『・・・うっ・・!』
低い呻き声を上げて起き上がった御崎が、軽い頭痛に頭を振る
『・・・一体・・何がどうなったんだか・・・』
巽とみことの身体が水の中に投げ出されたのは覚えている・・
けれど、その後の記憶がはっきりしないのだ
目の前に、身を縮こまらせたままの状態で横たわっているみことに気づき、御崎が揺り起こす
『みこと様!大丈夫ですか!?みこと様!』
ハッと目を開けたみことが、手にしていたはずの貝がないことに気づき、慌てたように自分の周りを探し回る
『あれ!?確かに握っていたのに・・!どこへ行っちゃったんだろう?』
視線をあちこちに走らせていたみことが、薄暗い店の中の少し離れた所で倒れている巽の姿に気が付いた
『あっ!!巽さん!!』
御崎を押しのけるように、慌てて巽に駆け寄ったみことが巽の体を抱え起こす
『巽さんっ!巽さん!!生きてますよね!?起きて下さい!ね、巽さん!!』
『巽様!?』
みことの反対側に回りこんだ御崎が、巽の握っている貝の存在に気がついた
『・・・貝!?』
再びキリ・・ッと軽い頭痛に襲われた御崎が、思わず顔をしかめる
『・・・うっ・・・』
意識を取り戻した巽がボンヤリと目を開く
『巽さん!?良かった・・!ちゃんと生きてる・・!』
みことが安心したように床にへたりこむ
『・・・ここは?あの”水”は!?それに・・海蛇・・!』
起き上がろうと手をついた巽が、自分の握っている貝に気がついた
『これ・・?!』
その貝を見た途端、巽の背筋に悪寒が駆け抜け、冷たい汗が吹き出てきた
(・・ちょっと・・待て!みことを庇って、弾き飛ばされて・・それから・・?それからあれだ・・あの、蒼くて冷たい気配・・!あれは、一体なんだ!?それに、何でこの貝が俺の手の中に・・?!)
巽が握った貝を目の前に持ち上げて、訝しげに見つめている
その貝を見たみことが叫んだ
『あーーーーっ!!その貝!どうして巽さんが持ってるんです!?』
巽の持っている貝に、みことが触れた途端
『・・・あれ?』
みことが不可思議そうに首を傾げる
『・・・どうした?』
『え・・と。なんか、この貝、海に帰さなきゃいけないような気がする。この中に海蛇もあの”水”も全部入ってるような・・』
『・・・!』
みことの言葉に巽が絶句する
みことと同じ事を、この貝を見た時思ったのだ
御崎も巽と同じであったらしく、同じように絶句して貝を見つめていた
『どうやら・・その中に封じられたのは間違いないようです。見てください。真珠がなくなっていますし、大理石の中にあった化石も全てなくなっています』
御崎が天井の大理石を見つめながら呟く
振り子時計の方を振り向いた巽とみことも、顔を見合わせて頷いた
『・・・でも、一体誰が?』
巽の眉間にシワがより、険しい顔になっている
『え・・?何言ってるんですか!巽さんがやったに決まってるでしょう!僕に海蛇をどうしたい?って、聞いたじゃありませんか!』
みことが不思議そうに巽を見つめる
『俺が?!そんなはず・・・』
言いかけた巽が口を噤む
(いや・・言ったような気もする。あの貝を手にして・・何か言っていたような・・。水と海蛇をこの貝に封じ込めたような・・気が・・・する・・・!)
ボンヤリと、途切れ途切れにしか覚えていないが、確かに・・貝に封じたのは自分だと感じていた
『私も・・巽様だと思うのですが・・。私に、全て終わるから安心しろ・・とおっしゃられたような気がするのです・・』
3人の記憶は途切れ途切れではっきりとしない
けれど、巽がやらなければ他にできる者もいなかったわけで・・・
不可思議な顔つきで、3人が貝を見つめていると
『・・あら。やだ、もう解決しちゃったの?』
気抜けしたような美園の声が店の中に響き渡った
『美園さま!』
驚いて立ち上がった御崎が、店の入り口に佇む美園のほうへ向う
その御崎を視線で追いかけつつ、巽がみことに問いかけた
『みこと、お前に聞いたのは本当に俺だったのか?』
『え!?絶対、巽さんでしたよ!他に誰も居ないじゃありませんか!』
みことが自信たっぷりに言い切った
『あ・・でも、ちょっといつもの巽さんより怖かったかも・・。最後に「海蛇をここで殺してやろうか?」なんて言うから・・』
みことが巽の言った一言一言を思い起こすように、目を閉じて呟くように言った
『・・殺す・・て!?俺が?そう言ったのか?!』
巽は思わずみことの腕を掴んで詰め寄った
『あ・・た、多分・・はっきりとは覚えてないけど・・』
巽の険しい雰囲気に押されてみことが口ごもる
巽は再び冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた
戦っている時に、殺さなければ殺される・・そう感じてはいた
だが
それをみことに聞いたという事が信じられなかったのだ
(絶対、俺はみことにそんな事聞いたりしない・・!聞いたって返ってくる答えは分かりきってるんだから。それじゃあ、一体誰がみことに聞いたっていうんだ?!)
意識を失う直前、体の中から何か、とても冷たいものが湧き上がってきたのは覚えている
蒼くて、冷たい存在・・・
あれは一体何なのか?
巽は無意識に両手で身体を抱え込んで身震いしていた
『巽さん?大丈夫ですか?あの・・僕、何か変なこと言ったのなら気にしないで下さい。あんまり・・はっきり覚えてないし、僕の勘違いかもしれないから・・・』
今にも泣き出しそうな顔で巽の顔を覗き込むみことに、きまり悪げに苦笑を浮かべた巽がみことの頭を軽くなでる
『悪い、気にするな。お前のせいじゃない・・多分、俺のほうの勘違いだろう・・』
『やーねー、何もめてるの?それよりさっさと仕事を片付けちゃいなさい!その貝、海に帰さなきゃいけないんでしょう?』
巽の頭上から美園の明るい声が降り注ぐ
その明るさに、その笑顔に・・・巽が御崎から聞いた事を頭から振り払い、ホッとした様な笑みを浮かべて貝を美園に手渡した
『分かりましたよ。さっさと終わらせましょう・・!』
立ち上がろうとした巽の体がグラ・・ッと傾く
その巽の体を支えた美園が巽の耳元で囁いた
『・・こんな世話の焼ける孫がいたんじゃ、そうそう簡単に死ねやしないわね。あなたは先に帰って休んでなさい!力を使い果たしてボロボロなんだから・・。貝は私とみこと君で帰してくるから安心なさい!これは命令よ、従ってもらいますからね!』
有無を言わさぬ口調で言った美園が巽を御崎に押しやり、巽を心配そうに振り返るみことを引きずるようにして外へ出て行ってしまった
『・・・まったく・・おばあ様には敵わないな・・』
御崎の肩を借りて立つ巽が苦笑する
『・・・はい。それに、おっしゃることも正論です。巽様は早くお休みになった方がよろしいかと・・。参りますよ・・!』
巽の体を支えた御崎と巽の二人の姿が、フィ・・と闇に溶けるように掻き消えた
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