ACT 4





そんな二人を唖然とした表情で見送っていたみことが、ハッと我に返って巽に詰め寄った。

「た、巽さん!今の人、誰ですか!?しかも”おばあ様”って言ってませんでした!?」

 ほほに残された口紅をパジャマの裾で拭き取り、はだけられた胸元をきっちりと直しながら…巽が不機嫌そうに答えを返す。

「…鳳家の現当主、鳳 美園(おおとり みその)おばあ様。俺の祖母だ。もう一人の男の方がそのお守り役の御崎 海人さん」

 その答えに、みことが素っ頓狂な声をあげた。

「そ、祖母っ!?で、でも!どう見たって巽さんと同じくらいか、逆に若いくらいの年にしか見えませんでしたよ!?」

 巽が苦笑を浮かべながら、みことの額に掛かる柔らかい銀色の髪をふんわりと右手でかきあげる。
 もう、前回の事件で負傷した肩のケガはすっかり治っているようで、みことの表情にも一瞬、ホッとしたような顔色が伺えた。

「まあ、話すと長くなるから…後でゆっくり説明してやるよ。それより、お前も顔を洗ってこなきゃな。派手につけられてるぞ?キスマーク…!」

「…アッ!」

 慌ててみことが自分の額を撫でると、紅い口紅が指先にペットリと絡みついてくる。
 先ほどの妖艶な美園の瞳を思い出し、再びみことの顔が真っ赤に染まった。

「あの程度でそんな反応返していたら、面白がられてオモチャにされるのがオチだぞ?それに…」

 言いかけた巽が、みことの額に残る口紅をパジャマの裾で不機嫌そうに拭き取りながら、みことの顔をジ…ッと見つめた。
 その巽の視線に更に熱くなる顔を抑えられずに、みことが慌てて視線を反らして俯いてしまう。
 そんなみことの頭をポンポンと撫でつけ、巽が軽くため息をつきつつ言った。

「おばあ様から見てもお前はよっぽど子供っぽく見えたんだろうな。額にキス程度で済んだのはあの人にしたら奇跡に近い。良かったな、みこと」

 その巽の言葉と半分からかっているかの様な巽の眼差しに、みことがムッとして言い返す。

「むうっ!僕は子供じゃありませんってば!何回言ったら分かるんですか!?巽さん!!」

 鼻を膨らませ、どう見ても幼い顔つきで言い張るみことに、巽がこみ上げる笑いを耐えるように肩を震わす。

「もうッ!先に顔洗ってきます!!」

 プンプンと肩を怒らせながら、みことが洗面所に向かって歩いていった。
 一足先にリビングに降りたみことが、キッチンを覗き込んで怪訝な表情になった。

「…あれ?前鬼ってばどこに行ったんだろう?いつもなら、きっちり片付けてから居なくなるのに…」

 朝食の準備はすっかり整っていたものの、後片付けをほっぽり出したまま前鬼の姿がない。
 そこに、顔を洗い着替えを済ませた巽が入ってきた。

「どうした…?ああ、前鬼か。あいつのことだ、おばあ様の声を聞いた途端逃げ出したんだろう。あの人にかかれば前鬼も後鬼もオモチャ同然だからな」

「ゲッ…!そうなんだ!」

 みことが納得しつつ、改めて”美園おばあ様”の脅威をヒシヒシと感じ始めていた。

「朝早くから押しかけて、本当に申し訳ございません。美園様がどうしても…!と、聞き入れていただけなかった物ですから…。朝食もまだでしょうから、どうぞ先に召し上がって下さい。美園様は外で私がお相手しておりますので…」

 キッチンとリビングの間にあるカウンター越しに、御崎が恐縮するように一礼し、二人の様子を伺っている。
 浅くため息をもらした巽が、御崎に同情するように言った。

「あなたのせいじゃありませんよ、御崎さん。おばあ様の性格はよく分かっていますしね。それに、今日はただ遊びに来たわけじゃあないんでしょう…?」

 巽が探るような視線を御崎に向ける。
 御崎がサングラス越しに二ヤッ…と笑い、頷き返す。

「さすが巽様。後ほど詳細は説明いたしますので…」

 そう言って、御崎は再び二人に向って一礼し、外へ出て行った。
 リビングから出てすぐの庭先に、いつの間にかテーブルがセッティングされ、白いクロスが掛けられたテーブルの上には紅茶と焼き菓子のセットが並べられていた。
 美園は庭をゆっくりと散策するように長い艶やかな黒髪を優雅に風に躍らせて、のんびりと歩いている。

「う…わ!いつの間にあんなテーブルセットを!?」

 みことが感嘆の声を上げる。
 時間にしてほんの数分の間しかなかったはずだ。

「ん?ああ、あれか。御崎さんの七つ道具の一つだな。おばあ様のお守り役だ、あれくらい出来ないと役に立たない」

「うっそ!?すごい…!!」

 みことが賞賛と同情の入り混じった視線を御崎に向けた。

「それより、早いとこ食べておかないとご飯どころじゃなくなるぞ?」

 巽が、前鬼の用意した純和風朝食をテーブルの上に並べた。

「え!?うそっ!?食べますっ!!」

 まだまだ食べ盛りのみことがパクパクとキレイに皿を空にしていく横で、巽は新聞を広げ、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる。

「あーーー、もうっ!また新聞読んでる!!ちゃんとご飯食べなきゃダメだって言ってるでしょう!?」

 バサッとみことがほぼ習慣と化した気配の漂う動きで、新聞を取り上げる。
 みことがこの家に来るまで、朝はたいていコーヒーとたまにトーストをかじるくらいだった巽にとって、新聞が朝食代わり…と言って過言ではない。

 巽がムッとした表情でみことの手から新聞を奪い返そうとするが、みこともギュッと握ったまま離そうとしない。

「…みこと、お前のそういうとこ、うるさい小姑みたいだぞ?」

 巽がため息と共に新聞をあきらめて、手を離す。

「うるさくても、小姑でもいいです!ご飯はちゃんと食べてくださいっ!」

 みことがニコニコと新聞を折りたたみ、カウンターの上に置いた。
 その新聞を未練がましく視線で追いながら、シブシブといった動作で巽が朝食を食べ始めた。

 みことが来てからというもの、ほぼ毎日のように繰り返されている朝の風景…だ。
 そんな巽をニコニコと見やりつつ、みことがご飯を頬張っている。

「…お前、いつ見ても美味しそうに食べてるな」

 巽がニコニコ顔のみことを横目で眺めつつ、呟いた。

「だって美味しいし、それに、誰かと一緒にご飯食べられるのって嬉しいじゃないですか!」

「…相手が俺でもか?」

 巽がフッと箸を止めて、真面目な顔つきで問いかける。

「当たり前でしょう!僕は相手が巽さんだから、新聞なんて読まずに一緒にご飯食べて欲しいんです!!」

 みことが、何を今更?と、言いたげな顔つきで言い放ち、ご飯のお代わりに立ち上がる。
 そのみことの後姿を見つめる巽の顔が、一瞬、この上なく嬉しそうな照れ笑いを浮かべたのを、またもみことは見過ごしてしまったのだ。





 食べ終えた皿をキッチンの流しにつけ込んで二人が庭に出ると、御崎がちょうど二人分のミルクティーを入れているところだった。

「おっそ−−い!あっ、みこと君はこっちに座ってね!」

 美園が有無を言わせぬ雰囲気で自分の横の椅子を引く。
 みことは一瞬躊躇しつつも、その逆らう事を許さない美園の笑顔に、シブシブその位置に座った。
 そして、美園の正面になる位置に巽が座り、その巽の横で御崎が立ってお茶を入れている。
 見とれるほどの優雅な動きでお茶を入れ終えた御崎が、おもむろにみことに向き直った。

「…早速ですが、こちらが桜杜様の通帳とご印鑑、キャッシュカードです。勝手とは思いましたが、こちらで全て用意させていただきました。どうぞご確認のうえ、お納め下さい」

 御崎が隙のない動作で、みことの前に封筒を置く。

「えっ!?僕の通帳!?」

 みことがビックリ顔で、御崎の表情の読めないサングラスを掛けた顔を見つめた。

「はい。先月の鬼封じの仕事に対する報酬です。巽様から桜杜様の能力(ちから)がなければ解決できなかった…と、報告を受けておりますので。その仕事分の報酬と思っていただければ」

 みことが更にビックリ顔になって、巽を見つめ返す。

「お前が受け取るべき報酬だ、受け取っておけ。自分がこれから何かをしたいと思ったとき、先立つ物は金だろうしな」

 巽がちゃんと中身を確認しろ!といった目つきで封筒に視線を流す。
 その視線に促されて、みことが封筒の中に目を通す。

「…えっ!?これ!?この、金額…って!?」

 通帳に印字された金額の位を、一、十、百、千…みことが目で一つ一つ追いながら数えていく。

「…さ、三百万!?」

 みことが思わず上ずった声で叫ぶ。

「こ、こんなに!?どうして!?」

 信じられない!!といった顔つきで、みことが巽を見つめた。

「あーーら、それくらい別に驚くほどの額じゃないわ。なんたって、前回の仕事は高野山からきた依頼よ?それでも安いくらいだわ!」

 巽に代わって美園が答えを返す。
 美園の顔は、先ほどまでのワガママ娘の顔から一変し、真面目な、迫力と威厳に満ちた顔つきになっていた。

「いい?みこと君?私達の扱ってる仕事ってのは、大半が表沙汰にはされたくない事が多いの。だからそこに動くお金って言うのも、表向きには存在しないお金…ってこと。だから金額も大きいし、その分危険も付きまとう」

 みことを見つめる美園の目に、更に言い知れぬ迫力が増していく。

「…つまり、その仕事を請け負った人間もまた、表向きには存在しないって事。その人間が死のうがケガをしようが誰もそんな事気にしないわ。どう?それでもこの仕事、巽と一緒にやっていく覚悟…あって?」

 美園が上目遣いにまるで試すように、みことの銀色の瞳を見つめてくる。
 けれど、みこともまた、その美園の瞳に挑むように見つめ返していた。

 この家へ…巽の側に居ると決めた時から、ここ以外自分の居場所はない!と、心に決めて来たみことである。
 その気持ちだけは、誰にも負けないという自負があった。

「やりますっ!ちゃんと自分で決めてここへ来たんです!!やらせてください!!」

 迷いのない輝く瞳で美園の瞳を真っ直ぐに見つめ返して言うみことに、美園が眩しい笑顔を見せた。

「…いい目をしてるわ、気に入った。私の大事な孫と一緒に仕事をするんですもの、いい加減な奴だったら叩きだしてやろうと思ってきたんだけどね。どうやら取り越し苦労だったようね、安心したわ!」

「おばあ様、そんなこと考えてたんですか!?」

 巽がうんざり…!といった表情で美園を睨みつける。

「あらっ!当然でしょう?変な虫でも付いたら、それこそ那月(なつき)に顔向けできないじゃない…!」

「変な虫…って、いい加減、孫離れしたらどうなんです?いつまでたっても子ども扱いなんですから!」

 苦虫を潰したような表情で言う巽と、憤慨したように言い放つ美園のやり取りを聞いていたみことが、堪らず口を挟んだ。

「…あ、あの!美薗さんって、一体、おいくつなんですか?」

 その言葉に、全員の視線が美園に注がれた。







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