ACT 5
「…ふふ、いくつに見える?」
美園が再び悪戯っ子のような顔つきで、みことを見つめる。
「…えっと、23か24…くらい、ですか?」
みことが恐る恐る見たままの年齢を言う。
すると突然、ケラケラ…といかにも楽しそうな笑い声を上げて、美園がテーブルを叩いて笑い出した。
「あはははは…!ああ、おっかしい!!ごめんね。年齢の事なんて聞かれたの、本当に久しぶりで、つい…!」
そう言って、再び堪えきれなくなったようにテーブルの上につっぷする。
「桜杜様、美園様はもう90 歳を越えておられるのです」
笑いすぎて答えられそうにない美園に代わって、御崎が穏やかに答えを返した。
「えっっ!?90歳を越えてる!?」
みことが銀色の瞳をまん丸にして、笑い続ける美園を唖然と見つめ言い募った。
「だ、だって!どう見たってそんな年齢に見えないじゃないですかっ!」
まるで責めるように御崎を見返したみことが、あまりに素直な問いをぶつける。
「疑問に思われるのも当然です。まあ、これから巽様と一緒に仕事をされていけばご理解いただけるとは思いますが…美園様は体の中に”白辰孤王菩薩(はくしんこおうぼさつ)”、俗に言う”九尾の狐”を取り込んでいらっしゃいます。
そのせいで、若さを保つ事が出来るのです。最も、それを保ち続けるためには代償も必要ですが…」
「え!?”白辰孤王菩薩”?それって、確か…!」
みことの頭の中に、この家に来てから巽達と一緒に勉強してきた事が甦る。
”白辰孤王菩薩”…元を辿れば仏教の”茶吉尼天(だきにてん)”である。その予知能力の素晴らしさから平安時代から信仰を集め、民間においても”白辰孤王菩薩”・”貴孤天王(きこてんのう)”として信仰された。
後に、”稲荷神”として習合されていったため”九尾の狐”とも呼ばれるようになっていった。
みことが、ハッとしたように巽の顔を見つめた。
「あれ?ひょっとして巽さん、勉強っていうのは…」
「…いきなり聞き慣れない用語で説明されても分からないだろう?だから、それなりの予備知識を絡めて教えてきたんだ」
巽が憮然とした表情で答える。
よく考えてみると、確かにみことは普通の内容とは違った事まで覚えさせられていた。
今まで覚えるのに必死で、不思議と疑問にも思わずやっていたのだが。
「この一ヶ月ほどの猶予期間は無駄ではなかったようですね?」
御崎が巽に向って微笑みかける。
「御崎さんっ!!」
巽が、キッと厳しい表情で御崎を睨みつけた。
「お…と、これは失礼致しました」
御崎が慌てたように恐縮し、巽に一礼を返す。
「…え!?」
みことが疑問を口にするより早く、美園が真面目な、ちょっと厳しい口調で宣言した。
「じゃ、本来の目的…今回の仕事について説明するわ!」
御園が御崎に視線を送り、御崎が黒いアタッシュケースを取り出して説明を始めた。
「今回の依頼は、深夜に起こる怪現象の原因究明と、その解決です」
アタッシュケースから取り出した数枚の写真と地図を広げる。
「場所は、青山の高級ブティックなどが軒を連ねる一画に新しくオープンする予定の会員制ショットバーです。見ての通り、店のつくりはオーナーの趣味が反映されたイタリア調の高級感あふれたものになっています。
店の開店時間は夜の6時から朝方の5時まで…の予定だったのですが、オープンを間近に控えたこの一週間ほど前から、怪現象が起き始めたらしいのです」
一息ついた御崎に、みことが問う。
「怪現象…って?」
「…はい。実はちょっと口で説明しても信じられないような事であるらしく…とりあえず、実際に来てくれれば分かるから…と、そればかりでして。申し訳ありません」
御崎が恐縮したように頭を下げる。
「…つまり、そのオーナーってのは結構な実力者ってことか。店のオープン前に妙な噂は厳禁…その事を知っている人間もほんの一握り、しかも厳重に口止めされてるってわけか…」
巽が面白くもなさそうに呟く。
「ご理解いただけて助かります。ただ、この怪現象は深夜だけで起きるらしく、昼間の開店準備には何ら支障はないらしいのです。ですから、オープン予定の4日後までに解決願いたいと…!」
「4日!?」
巽が灰青色の瞳を見開く。
「また随分と切羽詰った依頼だな、オープン予定を延ばせないのか?」
「それが…オープン予定の日が、オーナーの最重要顧客の誕生日に合わせてあるらしく、どうしても延期は出来ないの一点張りでして…」
御崎がいかにも困ったように肩を落とす。
「…全く!!無理難題は必ずこちらに廻ってくるようにしか思えませんね?おばあ様っ!」
面白そうに御崎の説明を聞いている美園を、巽が不機嫌そうに睨みつける。
「大丈夫よ。心強い助っ人もできた事だし?今回は海人(ひろと)も同行させるから…」
美園が楽しげに、チラッとみことに視線を投げる。
「御崎さんも!?」
巽が驚いたように美園を見つめ、言葉を続けた。
「それはつまり、御崎さんの能力が必要になる…という事ですか?」
美園が『ふふ…』と意味深に笑う。
「そうなるかもね。ついでに着替え、持っていっといた方がいいわよ?風邪、引きたくなかったらね…」
意味ありげな微笑みを浮かべたまま、美園が巽を見返す瞳に力をこめる。
「それに、巽に断る権利はないでしょ?私に借りを作っておいて、ただですむとでも思って!?絶対、4日以内に解決しなさいっ!!」
「う…っ!!」
と、巽が絶句する。
「借り…って?」
みことが美園に問いかけ、美園が口を開こうとした瞬間、
「おばあ様!ちょっとお話しがあります!!」
そう言って立ち上がった巽が、美園の腕を掴んで庭の奥のほうへ連れ立って行ってしまった。
ポカン…とした表情で二人の後姿を見つめていたみことに、御崎が声を掛ける。
「桜杜様、お茶のお替りはいかがですか?」
「え!?あ、はい、いただきます…!で、あの…御崎さん?その、桜杜様っていうの、やめてもらえますか?みことでいいです…」
”桜杜様”と呼ばれるたびに恐縮するみことが、困った顔つきで、上目遣いに御崎を見つめる
「これは…気がつきませんでした、申し訳ありません。それでは、みこと様と、呼ばせていただきます。よろしいです?」
有無を言わせぬ迫力でお茶を出されたみことが、受け取りながら思わず頷き返していた。
(…本当は、”様”って言うのも止めて欲しいんだけど…この人きっと、呼び捨てとか絶対しないんだろうなぁ…)
深いため息をついてお茶を一口飲むと、さっきから山ほどたまった聞きたい事を問いかけた。
「あの…!さっき美園さんが言ってた”借り”って、なんですか!?」
「それは…」
御崎が巽と美園の方へ視線を投げる。
二人は何事か、穏やかに語らっているように見えた
「…私が言ったという事は秘密にしていただけますか?巽様は決してみこと様におっしゃらないでしょうし…。でも、それではみこと様の心のもやもやが晴れないでしょうから…」
みことがウンウン…ッ!と、何度も頷く。
「みこと様がこの家に来られてから約一ヶ月、こういった仕事の依頼はなかったでしょう?それは、巽様のほうから出来れば依頼は廻さないで欲しい…というご要望があったからなのです」
「…え!?」
みことが目を見開いて御崎の顔を凝視する。
だが御崎の表情は黒いサングラスで遮られ、みことはただその黒いガラスに映る自分の姿を見つめる以外なかった。
「おそらくは、みこと様が新しい環境に慣れるためと、仕事をしていく上での必要な知識…そういったものを踏まえての事だと思われます。…ですが、この時期は鳳家のほうでもいろいろと表立った仕事から裏の仕事まで…依頼が立て込む時期でして、本来なら巽様も借り出されているはずなのです。
それが出来ないとなりましたので、美園さま自ら動かれて、八方手を尽くした…というわけです。本当にお珍しい事なんですよ?巽様のほうからそんなご要望があるなんて。美園様もとても驚いていらっしゃいました」
みことは答える言葉が見つからず、御崎のサングラスに映った自分の…今にも泣き出しそうな顔を唇を噛み締めて見つめている。
「みこと様…あなたは今、私が言った事は秘密にしてくださると約束なさいましたね?一度交わした約束は、決して破ってはいけません。この世界で生きていく為にはとても大切な事なのです。ですから、そんな顔はなさらないで下さい。巽様のご好意を無にするような事をなさってはいけません。お分かりいただけますね?」
ギュッと両手を握り締め、うつむいていたみことが、次の瞬間キ…ッと御崎を真剣な表情で見返し、自分に言い聞かせるように言った。
「分かりました!僕、約束は守ります!巽さんには、ちゃんと仕事の中で僕なりのお返しが出来るように頑張ります!!間違ってませんよね!?」
御崎が口元を緩めて頷き返した。
みことは安心したように笑顔を浮かべ、もう一つ気になっていた事を口にした。
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