求める君の星の名は











ACT 10










「・・・・・お取り込み中だったかしら?」

悪戯っぽく笑って問いかけた佐保子に、美月が七星の問いと不機嫌さを一掃させて微笑みかける

「全然。それより早くお茶にしましょう!今日は佐保子さんのお茶を飲ませたくて、七星を呼んだんだから」

そう言って素早くノートパソコンを閉じた美月が、側に置いてあった書類の束もろともサイドテーブルに片付けた

何もなくなったテーブルの上に’矢筈(やはず)’の敷板が置かれ、’胡銅(こどう)’の花入れに活けられた白玉椿と山吹が飾られた

ワゴンに載せられている銀製の水差しにはお湯が入っているらしく、アルコールランプで冷めない配慮がされている

「え・・・テーブルと椅子のままで?」

お茶・・・といえば畳に着物、正座に何やらこまごまとした決まり事
堅苦しくて面倒臭い・・・そんなイメージしかなかった七星が、目を瞬いて美月を見る

「ふふふ。今はサロン形式のお茶だってちゃんとあるのよ。外国人にいきなり正座に作法に・・・なんて敬遠されるだけでしょ?」

「へ・・ぇ、じゃあ、こちらの先生は・・・」

問いかけた七星に、佐保子がニッコリと微笑み返す

「先生なんてとんでもない・・・佐保子で結構です。私も七星さん・・とお呼びしてよろしいかしら?」

ふんわりと笑み返すその表情は、かなり年上のはずなのに、どこか少女めいてすら見えた

最初に感じた既視感が甦る・・・それは七星の中の母親である宙だという事に気が付いて・・・知らず笑顔が浮かんだ
こんな風に穏やかに宙の事を思い出せるようになった事が、何よりも嬉しい

「・・・はい。じゃあ、佐保子さんはこういうお茶を・・?」

「特にそういうわけではないんですけど、商品の買い付けに外国に行くことが多くて・・・。ちょっとしたパーティーに呼ばれた時に、こんな感じでお茶を紹介したら好評だったものですから。本家の茶事からしたら邪道だとお叱りを受けかねませんわね・・・」

「あら、そんなことないわ!本家の茶事だって、佐保子さんより出来る人居ないんだから!」

憤然と言い募った美月に、佐保子が笑みに陰りを見せて首を振る

「・・・・買いかぶり過ぎですわ。もう本家とはずい分疎遠ですし・・・あら、いけない!お客様を立たせたままで・・!さあ、どうぞお座りになって」

美月と七星を席に座らせた佐保子が、白磁に桜の花びらを散らした柄の銘々皿に菓子を取り分けて、それぞれに置いた

「わ、かわいい!こんなお菓子はじめて見たわ・・!」

「・・・・よく出来てる・・!」

2人同時に感嘆の声をあげ、置かれた菓子に目を見張る
それはウグイスをかたどり、挽茶色と白色の錬切で作られた可愛らしいもので
そのウグイスの羽の色合いを見事に再現し、丸っこく愛らしい風情に仕上げられ菓子は、年季の入った職人技ならでは・・・の出来だ

「”春告げ鳥”というお菓子なんです。華山様に是非召し上がっていただきたくて・・・。毎年お花見をされている暇もないと、おっしゃっておられましたから」

そう言ってふんわりと笑んだ佐保子の長い髪を、柔らかい風が揺らす
桜の花を愛でる時期はすっかり終わってしまったというのに
ふわ・・・と香った春の香りと共に、一瞬ウグイスのさえずり声まで聞こえたような・・・そんな春そのものを感じさせる暖かな何か

そこにいるだけでその場の雰囲気を作り変え、それぞれの人が持つ思い出の中の聴覚や嗅覚を思い出させてしまう・・・

もてなす相手を心から気遣い、大切に思っているからこそ出来る・・・心安らぐ一時

「ふふ・・・だからどんなに忙しくてもここへ来ちゃうのよね」

心底嬉しそうに・・・七星が今まで見たことのなかった穏やかな笑みを浮かべて、美月が微笑んでいる

本当は

ここにまで仕事なんか持ち込みたくはないのだろうに・・・!
ハッとした七星が、悔しそうに唇を噛んで視線を落とす

「・・・・・すみません。俺、まだ自分の事で手一杯で何の役にも立てなくて・・・」

そう言った七星に、美月が陽気に言い放つ

「あーら、少なくとも私のストレス発散の役には立ってるわよ?若い男を自分好みに育てられるなんて、こんなチャンス滅多にないんだし!」

神妙に言ったつもりだったのに軽くかわされた上、暗に’今ではなく先を見なさい’と励まされたことに気付き・・・七星が「敵わないな・・・」と苦笑を浮かべる

そんな二人の前に、いつの間に立てたのか・・・柔らかでおもしろい曲線を描く織部茶碗に入れられた薄茶が差し出された

話している時には引きこまれるような存在感を示すくせに、一度客同士の会話が始まると、まるで空気のようにその存在感を消す・・・

その姿勢の美しさや動きの一つ一つを意識してみれば、思わず見惚れてしまうほどなのに、それを感じさせない、あまりに自然で流れるような佐保子の立ち居振る舞いには驚かされる

その感覚に・・・七星がふと眉根を寄せた

・・・・・・どこかで・・・似たような感覚を覚えた事がなかったか・・・?

そう思って思い浮かんだのが、舵の仕草だった
何の違和感もなく自然と触れてくる指先や、タバコを吸う仕草、一緒にご飯を食べている時に感じた箸使いや、歩いている時の姿勢の美しさ・・・

あまりに自然で当たり前のようにこなされる仕草だったから、今まで気が付かなかったが、時々視線が釘付けになって見惚れてしまっていたのは、そのせいだ

「・・・そう・・だ、美月さん、電話で聞いたこと・・・!」

思い浮かんだその顔に、七星がここへ来た目的を思い出して再び問いかける

「ああ、協力者がどうの・・・って私が言ってたってことね。あれ、別に深い意味はないわよ?ただ単に留学情報が豊富そうな人材を採用するように指示を出しただけで・・・いちいち教師の採用・不採用に口出しするほど暇でもないし。なに?なにかあった?」

「・・・・・そうですか、だったら別に・・・・」

どうやら舵の経歴まで詳しく調べていたわけではなさそうな雰囲気に、七星があからさまに落胆の色を浮かべる

「・・・・それとも、逆?協力者だったら良かったのに・・・って思えるような良い人材にでも、出会えたのかしら?」

「・・・・・・・・・・・多分」

美月の鋭い指摘に、七星が戸惑いながらも正直に答えを返す
どの道、美月に嘘をついても無駄なだけなのだ

「へぇ・・。名前は?」

「・・・・・・舵。今度担任になったオックスフォード出の、理系の先生」

「あなたの進路希望先とも合うわけね。じゃ、これだけは言っておくわ。協力者なんて与えられて得られるものじゃないのよ?欲しければ、自分の力で作りなさい。あなた自身で相手を観察して、本当に信用できる人間かどうか・・・自分の目で判断しなさい。
どれだけの協力者が得られるか・・・それがあなたの価値そのものになるんだから」

ハッとした様に七星が美月を見つめ返す

「’今’のあなたに一番足らない物は、欲しいと思ったものは何が何でも手に入れるっていう、欲望よ。欲しいなら、手に入れなさい」

そう言い切った瞳の力強さには、生半可な経験で言った言葉ではないことが伺える

「み・・つきさん・・・」

喘ぐようにその名を呼んだ七星に、佐保子に淹れてもらった薄茶をゆっくりと飲み干した美月が、その碗の曲線を楽しむように指先でなぞりながら告げる

「いい?悔やんでも悔やみきれない事っていうのは、やってしまった後悔じゃないの。どうして何もしなかったんだろう・・・っていう方の後悔よ」

「っ!」

それはあまりにも、舵に対する七星の態度を言い表している

「・・・さ、私もそろそろ仕事に戻らなきゃ。確かもうすぐ修学旅行よね?高校生活最後なんだし、後悔のないように楽しんできなさいね!」

暗に帰れ・・と促され、七星が腰を上げた

「はい・・・じゃ、そろそろ失礼します。お茶、誘っていただいてありがとうございました」

席を立った七星を、佐保子が「じゃ、お送りして・・・」と立ち上がりかけたが、七星がそれを丁寧に断って店を後にした

夕闇が迫る道に長く伸びた七星の影が、他の影を追い越して行く

おそらく

美月が言った事は半分嘘で半分真実

あの美月が七星と関わる事になるだろう教師の事を、調べていないわけがない

その上で、「欲しければ手に入れろ」と、そう言ったのだ

何もかも美月にばかり頼っていた七星の中の甘えを、容赦なく突きつけて・・・








「・・・・・・驚かせちゃったかしら?」

七星が去った部屋の中で、美月が佐保子を見つめてそう言った

「・・・・・・意地が・・・悪いですわ」

伏目がちに視線を落としたままの佐保子の声が、微かに震えている

「ごめんなさい・・知ってるでしょ?私、欲張りなの。欲しい物は何が何でも手に入れる主義だから・・・」

「でも・・まさか、こんな近く・・桜ヶ丘に居るなんて・・・」

「そうね、私立の学校ばかり点々としていたようだから、なかなか所在が掴めなくて・・・。結構苦労したのよ」

ふふふ・・・と、美月が悪戯に成功した子供のように笑み返す

「協力者・・・っておっしゃってましたけど、それじゃぁ、まさか・・・」

「そのまさかよ。七星がああいう風に言って来たって事は、きっとケジメをつける気になったんでしょう。そうしやすいように、わざわざ修学旅行先を京都にしてあげたんだから・・・!」

「っ!?華山様・・・!」

佐保子が驚いたように目を見開き、やがてそれは穏やかな笑みへと変わった

「・・・・・そうだったんですか・・・。それなら、私もケジメをつけなければいけませんわね」

「ふふ・・・佐保子さんのそういうしたたかな所、大好きよ」

「華山様には敵いませんけれど」

「あら、言ってくれるじゃなーい」

クスクス・・・と顔を見合わせて笑いあった後、美月と佐保子が意を決したように頷き合う

「それでは私も、影ながら協力できるように配慮いたしますわ」

「ええ、よろしくね。じゃあ、また・・・京都で」

「はい。お待ちしております」

美月が立ち上がると同時に、今までどこで気配を絶っていたのか・・・

部屋の隅から黒いスレンダーなパンツスーツに黒いサングラスの出で立ちの女が現れて、七星たちが入ってきたドアとは反対側の裏口らしきドアを開ける

美月の警護に当たるボディーガード・・・元は警視庁の敏腕刑事だった高城 直子(たかじょうなおこ)で、今は要人警護派遣会社”アンタレス”の社員

その奔放な性格が災いし、なかなか一定のSPが付かなかった美月にあって、既に3年の付き合いがある男顔負けのプロフェッショナルだ
その付き合いの長さを物語るように、美月は直子の事をナオと呼んでいる

店の裏口に停めてあった黒塗りのベンツを滑るように発進させたナオに、美月がバックミラー越しに問いかけた

「ナオ、学園内の方はどう?何か連絡あった?」

「”ケイロン”に女が一人接触してきたそうです」

「女・・・?ああ、きっとあの人ね。みっともない女の嫉妬なんて見聞きしたくもないけど、一応気をつけておいて」

「・・・了解」

短く返した直ナオが、胸元から伸ばした超小型のマイクに向かって何事か小声で指示を出した

”アンタレス”では警護に付く対象を隠語で呼ぶ
先ほど直子が言った”ケイロン”は舵の事で、”南の舵星・南斗六星”である射手座のモデル・ギリシャ神話の賢人ケイロンから付けられている

ちなみに美月はその名前と性格から、月の女神であり軍神でもある”アルテミス”
七星は北斗の息子である事から、小熊座の神話の由来、大熊になったニンフ、カリストの息子”アルカス”だ

「”アルカス”も問題なく帰宅しているとのことです」

指示を出したマイクから繋がるイヤホンからもたらされた情報を、ナオが即座に美月に告げる

「そう・・・次、なんだっけ?」

「先ほどの茶会でスケジュールが押していますので、これからの予定は駆け足になります。次の顧客との打ち合わせ場所まで10分ほど・・・それまで少しお休み下さい。お起こし致しますので」

「・・・・ごめんなさいね。無理やり茶会をねじ込んだりして」

「いえ、あちらに行かれる用事でしたらいつでもおっしゃって下さい。スケジュール調整はどうとでもなりますので・・・」

暗に休息の時間の必要性を説くナオに、美月がフワリ・・と笑み返す

「ふふ・・・ナオ?」

「はい?」

「大好きよ」

「っ、・・・・はぃ」

やがて訪れた沈黙に、美月の安心しきった寝顔をナオがバックミラー越しに確認する

軍神とまで揶揄される華山グループ社長としての片鱗すら伺えない、穏やかな寝顔

何を労してでもこの一時を、一分一秒でも長く・・・!と、黒いサングラスの下で、ナオの瞳がミラー越しに美月を見つめていた




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