求める君の星の名は









ACT 11










「麗!」

美月のもとから家に戻った七星が、「ただいま」を言う間も惜しんでダイニングと連なったリビングのドアを開け放つ

もう既に夕食の終わる時間帯で、麗・流・昴の3人がテーブルの上の空になったお重を片付けている所だった

今日の夕食は、担当になっていた麗が京都の友人・成田 仁から送らせたお重入りの懐石弁当で、麗が担当の日はたいてい仁が作った懐石弁当になる

「あ、おかえり、七星!七星の分、置いてあるよ」

そう言って、麗が電動ポットから急須に、食後のお茶用のお湯を注いでいる

「・・・麗、また成田の所から取り寄せたのか?いい加減向こうも迷惑だろうし、たまには料理したらどうだ?」

豪華な黒塗りのお重を前にして、七星が思わずため息を吐く

「だって、仁が勝手に送って来るんだよ?味見して欲しいって。七星だって料理の良い勉強になるって言ってただろ?」

成田 仁は、京都の老舗料理旅館にして国内のホテル・レストラン業界のトップを行く成田グループの次期後継者だ
麗とは、成田グループと片桐コーポレーションが提携して作ったホテルで偶然知り合い、以来、その料理の腕を麗に気に入られての、まるで専属料理人のような付き合いが続いている

「そりゃ・・・言ったけど・・・」

「ちゃんと味の感想は電話で伝えてるし。持ちつ持たれつ・・・!仁もそれで喜んでるんだから、気にしなくて良いよ」

ニッコリと、天使の笑みで微笑む麗を前にしてみれば・・・成田 仁の無償の奉仕っぷりにも納得がいく・・・というものだ
何しろ麗には、他にも数人の信者・・・ともいうべき”貢ぎ人”が居る
その天使の笑みと、怜悧な魅惑の眼差しに騙されないのは、浅倉家の人間くらいなもの・・・なのだから

「いーんじゃねーの?あっちは麗の気が引きたいだけなんだろうし、こっちは美味いもん食えるわけだし」
「さんせーい!麗が作るっつったらお湯を注ぐだけ〜なんだもん!」

そう言った流と昴が、正にお湯を注いだだけ・・のお茶を飲み干して、リビングでテレビ観賞を始めた

「七星もお茶いる?」

自分もお茶を一口飲んだ麗が、七星に問いかける

「いや、いい。それよりちょっと力を貸してほしいんだけど・・・」

「?七星が、俺に?珍しいね、何?」

「ちょっと・・・パソコンでハッキングしてほしいんだ」

「・・・へ!?」

思わずお茶を飲んでいた麗の手が止まる
麗がWeb上で「ホープ」と「キャッツ」のハンドルネームを使い分け、株式投資と企業コンサルタントをやっている事を七星が知ったのは、「AROS」に関わると決めた去年の夏前

以前から不審に思っていた、一般人が扱うには、あまりに不釣合いなパソコンの周辺機器の数々・・・

麗が陰で何かやっている・・・という事には薄々勘付いていた七星だっただけに、美月からそれを知らされた時も、「やっぱり・・・」という程度の認識しかなかった
合法的なそれらの行為に関しては七星も了承し、麗に習ってその勉強もしている

ただ

非合法的な・・・犯罪にも繋がるハッキングに関しては、今まであまりいい顔はしたことがなかったのだ

それなのに・・・!?

「・・・・・一体何事?七星からそんな言葉が出るなんて」

目を見張って言いつつも、麗の中では大方の察しはついている
七星がそんな風に麗に言ってくること・・・となると、担任でもある理系の教師絡み・・・以外考えられない
ただでさえ、最近ボウ・・・ッと考え事をしていることが多くなっていたのだから

「・・・・・ちょっと、経歴を調べたい人がいるんだ」

「・・・・・舵先生?」

「っ、・・・・ぁ、まぁ、そう・・なんだけど」

いきなり核心を突かれた七星の耳朶が、一瞬、カァ・・ッと染まる
そんな七星の素振りを見て見ぬ振りをして立ち上がった麗が、「じゃ、早速やってみようか」と自室へと向かった

既に立ち上げてあったらしく、テニスボールがユーモラスに飛び跳ねるスクリーンセイバーが、3台あるパソコンの画面上にそれぞれに表示されている
そのうちの、麗本人として使用しているパソコンのキーを叩き、あるフォルダを開いた麗が七星を振り返った

「怒らないでね。実は以前から舵先生について、少し調べてたんだ。浅倉家に、これからいろいろと関わってくる事になるだろう?だけど・・・経歴追っても、渡英する以前のものが見つからないんだよね」

悪びれた風もなく言った麗に、七星がため息を吐く

その可能性も無きにしも非ず・・・だな、と思ってはいた
家族を守るために、共にマスコミや関わってくる人間全てに注意を払ってきた麗である
七星とつきあっている舵の事を、手放しで見ているはずもない

だが、今問題なのはそんな事ではなくて、舵の経歴が追えない・・・という事のほうだ

「・・・ま、話が早くていいけど・・・。でも、なんで渡英以前の経歴が見つからないんだ?麗くらいのハッキング技量なら、だいたいの所なら入り込めるだろう?」

「んーーー・・・そうなんだけど、舵貴也っていう名前だけではそれ以前のものに何も引っかからないんだよね。考えられる可能性としては、両親の離婚かなんかで姓の方が変わったか・・・なんかだと思うんだ。さすがに戸籍に関する場所まで入り込むとヤバいから、そこまでやってないし・・・」

やってない・・ということは出来るって事か・・・と、違う論点で頭を痛めながら、七星が画面を覗き込んで、そこに整理されて見やすくまとめられた舵の経歴に目を通す

渡英して帰国した後、オックスフォードと交流の深い大学に留学・・・という形ですぐに教員資格をとり、その後は私立の学校を点々と渡り歩いている
一番長くて2年弱、後は臨時教師として半年とか数ヶ月単位だ

「・・・でも、不思議な人だね、舵先生って。オックスフォードで遺伝子工学なんてやってたくせに、何だってわざわざ高校で教師なんてやってるんだろう?そう思わない?七星?」

七星にパソコン画面の前を譲り、キャスターつきの椅子に逆向きに座って背もたれに腕を置き、その上に顎を乗せた麗が七星の背中越しに問いかける



・・・・・・・確かに、言われてみればそうだ



調べ上げられた経歴の中でも、在学中に発表した論文はかなり高い評価を受けている
大学の教授と共同で行っていたらしい研究も、ちゃんと企業からのスポンサーが付いていた
わざわざ帰国して高校の教師をする必要など、ないだろうに
舵の取る行動全てが、七星の理解の範疇を超えている

舵の事が知りたくて
少しでも舵に近付きたくて

そう思って調べ始めたというのに、ますますその存在が遠くなっていくような気がする
確かにその存在はあるのに、気まぐれに、曖昧にしかその位置を見せない
本当の姿をなかなか見つけることが出来ない



・・・・・・・・確か、そんな星があったよな



ふと、そんな事を思った七星がその星の名前を思い出せなくて眉根を寄せた

「・・・・・・・なんて言ったっけな」

遠い目つきで洩らした独り言に、麗がその顔を覗き込んでくる

「七星・・・?聞いてる?人の話?」

「え・・・、あぁ、ごめん。なに?」

どうやら考え込んでいる間に麗が何か話しかけていたらしい
舵の事となるといつもこれだ・・・!と少しムッとした麗だったが、とりあえずもう一度繰り返した

「・・・だから、こないだ会ったって言ってた、舵先生の大学時代の友人なら、その辺の理由とか知ってるんじゃないの?って、言ったんだよ」

「っ!」

思わず今考えていた星の事など吹き飛んで、七星の思考がクリアになる

渡英以前の事が追えないとなると、とりあえずその帰国するに及んだ経緯から調べていけば、何か手がかりがつかめるかもしれない
その唯一の情報源になりそうなのが、大吾と真一だ
七星にしては珍しい事に、初対面だったにもかかわらず携帯番号とメアドの交換までしている
それを使わない手はないだろう

「その手があったな・・・今の所それしか思いつかないし、連絡とってみる。ありがとう、麗」

「どーいたしまして。それよりご飯食べてきたら?今日の”アナゴのアスパラ巻き銀アンかけ”、絶品だったよ」

「・・・珍しい組み合わせだな」

「だろ?ぜひとも七星のレパートリーに加えて欲しいね」

「お前な・・・」

自分で作ろうとか、そういう思考は微塵もないわけか・・・と肩を落としつつ部屋を出かけた七星が、ドアを閉める直前に言った

「・・・あ、麗!修学旅行、京都だろ?出来たら御礼言いがてら仁君の所に寄りたいんだけど、向こうの都合聞いておいてくれないか?」

「分かった。聞いておくよ」

にこやかな麗の笑みが七星に向けられる

だが

部屋のドアが閉まった途端、その笑みは不敵な薄い笑みへと変わっていた
麗の指先がキーを滑るように叩き、パスワードつきのフォルダを開く

「・・・・聞かれたのは舵先生の方だけだもんね。聞かなかった七星が悪い」

楽しげに呟いた麗の視線の先に、川崎大吾と野上真一の経歴が表示されていた
七星が舵と遠出して一泊した日、麗は帰ってきた七星から2人の名前を聞きだしていたのだ

これまで調べ上げた2人の経歴に、特に目立って不審な点はない
大吾の方が舵より1つ年下で、真一は3つ年下だが2人とも中卒くらいの年齢でフランスに渡っている

大吾は料理を学ぶため、真一はソムリエの勉強をするためなのだろう・・・無名な所から名の知れた所まで、フランス・イタリア・イギリス・・・と様々なレストランを遍歴している

舵と共に大吾と真一の接点が繋がるのが、イギリスでも伝統と格式のある一流ホテルの、3つ星レストランで・・・だ
大吾はその店で若くして副料理長を勤め、真一はソムリエ見習いとして働いていた

だが

舵が帰国する直前、2人は一時的にその店を解雇され・・・すぐにまた再雇用されている節があった
不審に感じた麗が、当時のゴシップ記事や新聞を検索した結果

麗の勘に引っかかった記事が二つ・・・あった

一つはその頃摘発された麻薬密輸事件の記事
もう一つは、その一流ホテルで開催されたパーティーを取材した記事

密輸摘発はICPO(国際刑事警察委員会)を通じて日本の警察も関わっており、パーティーの取材記事も日本の伝統芸能に関するもの・・・
同時期・同地域で日本人が関わったと思われるもの・・・だったからだ

「・・・さて。どっちからいった方が正解かな・・・?」

麗の青い瞳がいかにも楽しげに細まり、リンク先をクリックしようとした瞬間、すぐ側に置いてあった携帯が耳慣れた着信音を響かせた

「・・・ッチ!」と小さく舌打ちしながらも、その着信音に・・・ちょうど良いか・・・と思い直して携帯に手を伸ばす

出た途端、響き渡る独特のイントネーション

『あ、お忙しい時にすんません。仁です。今日の、無事に着きましたでしょうか?』

仁から掛かってくるいつもの定期電話だが、今日はいつもより時間が早かった

「ちゃんと着いたよ。ありがとう。ところでどうしたの?いつもより時間が早いじゃない?」

『あ、すんません。今大丈夫でしたか?あれやったらもう一回・・・』

「いや、大丈夫。ちょうどこっちも聞きたいことがあってね。6月の頭頃って、空いてる日、ある?」

『・・・え!?あの、俺もその頃の事で今電話を・・・』

「え・・?なに?」

『実は6月の頭にある予定の国際会議と、茶事、両方でお出しする料理をうちが請け負う事になったんです。それで、その頃はちょっと弁当作る暇がのうなりそうで・・・』

「・・・・ちょっと待って。茶事の方は話が分かるけど、国際会議ってなに?今までそんなの、成田が請け負ったりした事なかったと思うけど?」

『・・・・・ぁ・・・・それは・・・その・・・・・』

言葉を濁した仁に、麗の指先が素早くキーを叩き連続して画面を開いていく

「・・・・・ああ、あった。IDPC(国際薬物プロファイリング会議)・・・!?なるほど、片桐からの依頼じゃ、成田も無下に断るわけにもいかない・・・ってとこ?」

麗の言葉に、電話の向こうで仁が盛大なため息を吐いた

『・・・・・ほんまに、かなんなぁ・・・麗さんには。片桐コーポレーションいうたら製薬会社が基礎になっとうから、そういうプロファイリングの要請もあるらしいんですわ。で、うちと提携したんを利用して・・・・まあ、その・・・成田のホテルを・・・』

言葉にするのを躊躇する仁に、麗が吐き捨てるようにその先の言葉を代わって言い募る

「よーするに!割安料金で斡旋、誘致・・・。薬剤輸入関連での便宜を図ってもらうための、布石ってわけか。なんだかんだ言って、いいように利用されてるね・・・片桐に」

『麗さん、そういう言い方は・・・!和也だって必死で・・・』

その言葉に、麗が眉根を寄せる

「和也・・・?玲の方じゃなく?」

片桐和也といえば、片桐コーポレーションの後継者・片桐玲の弟で、麗と同じく片桐インターナショナル・スクールの同期生だ
だが、文武両道に秀で早くから後継者としての資質を見せ付けた兄・玲の影に隠れ、その存在感はかなり薄い

片桐家の伝統であるテニスの腕前も大したことはなく、麗にも全敗
兄に比べて凡庸な容貌と才能・・・
麗の中でも歯牙にも掛からない、大したことのない人物・・・として認識されている

『ええ、玲さんはテニスの国際試合があって・・・それで和也が代わりに』

「・・・・ふぅ・・・ん」

麗の眉間に更に深いシワが刻まれる
いくら玲が不在だとはいえ、片桐には他の重役連中がひしめいているはず
その連中を差し置いて、あの存在感の薄い和也が玲の代役・・・
どうしても、麗の中の和也像とその役割が合致しない

・・・・・・違和感が残る

『あ、そういえば空いてる日・・・言うてましたけど、何かあるんですか?』

「・・・え?ああ、俺の兄が修学旅行でその時期に京都に行くんだ。仁にお礼がてら挨拶したいって言ってたもんでね」

『兄・・・?ああ!浅倉七星さん!玲さんが噂してはりましたわ。北斗にそっくりや・・・言うて、えらい嬉しそうに・・・』

「・・・・・・・・・・・・へぇ」

麗の瞳に冴え冴えとした冷たい色が宿る
どうりで麗が片桐インターナショナルに入学しても、何もちょっかいを出してこないはずだ
麗よりも七星の方が、玲の好みだったらしい

・・・・・・・・七星が玲なんかにどうこうされる筈はないけど
       用心するに越した事はないな・・・

やっかいな・・・!とばかりに舌打した麗の思惑など知らぬげに、仁がそれなら是非会いたいと、融通の利きそうな日時を麗に告げ、電話を切った

パチンッと手の中で閉じた携帯を、麗が刻まれたシワを解くことなく、見つめている

「・・・・・・・・なんだ?この胸騒ぎは・・・」

麗の第六感とも言うべき何かが、何かに、警鐘を鳴らしていた




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