求める君の星の名は
ACT 9
「沙耶(さや)!?」
思わず叫んだ舵が、目を丸くして職員室の窓越しに目の前に居る女を見つめた
「・・・・・やっと見つけた」
自分の名前を呼ばれた事で確信を得たように、沙耶の表情にホッと安堵の色が浮かぶ
「驚いた・・・全然印象が変わってるんだもの。声を掛けるのに勇気がいったわ」
「・・・・とりあえず、そっちに行くから話はその後で・・・」
ハァ・・・と、ため息を吐いた舵が、背後に感じる他の教師達の興味津々・・といった視線も感じて、更に肩を落としつつ職員室を後にする
ほとんど人気のない正門辺りまで来た舵が、ようやく足を止めて振り返った
「・・・こっちから行くと言ったのに」
「・・・ようそんな事!何年ぶりや思うてるの?」
不意に言葉を切り替えた沙耶に、舵が苦笑を返す
「沙耶らしいね、周りに気を使ってくれてたんだ」
「周りやないわ・・・!私の知ってる貴也やないから・・・!」
憤ったように言い募り、沙耶がソッと手を伸ばして舵の頬に触れる
「本気やの・・・?」
舵の真意を問うように、沙耶がその一言に全てを込める
「言ったはずだろ?今の俺は舵 貴也だ。もう、あの家には戻らない」
言い放った舵が、頬に触れていた沙耶の手をやんわりと解く
やわらかいけれど、毅然とした態度で解かれたその手に、沙耶が一瞬息を呑んだ
「・・っ、だ・・れやの?」
低く問いかけた沙耶に、舵が眉間にシワを刻む
「なに・・・?」
「おかしい思たわ。いくら髪の色や雰囲気が変わったいうても、声かけるのを迷うやなんて・・!貴也に家は捨てられても、私らまで捨てられへん!誰のため?誰がそんな風に変えたん!?」
顔色を変え、まるで舵を詰問する様に沙耶がにじり寄る
女の勘というのは侮れないな・・・と、軽く息を呑んだ舵がフゥ・・ッと肩を落とした
「・・・沙耶、例えそうでも、沙耶が口出すことじゃない」
「っ、やっぱり!いい!?本気で家を捨てる・・・言うんなら、私は絶対そんなん認めへん!その相手にも、その事を分からせて上げるから、そのつもりで・・・!」
舵の胸元に指を突きつけて捨て台詞を言い放った沙耶が、きびすを返して正門を出たかと思うと、すぐ側に停めてあった黒塗りの車に乗り込んで走り去っていった
「・・・・・やっぱ、そう来たか」
消えた車の先を見つめながら、舵が眉間に深いシワを寄せる
「・・・・・相手、突き止めないと納得しないだろうなぁ・・・」
深い溜め息を吐いて天を仰いだ舵が、しばらく逡巡するように目を閉じて・・・その目を開けた
同時に鳴った昼休みの終わりを告げるチャイムに、手元に視線を落としながら携帯を開いて歩き出す
「・・・・あ、ごめん、俺だけど・・・。・・・・今日、会えるかな?」
チャイムの合間に、そんな舵の言葉が漏れ聞こえていた
「・・・・・・・・・・ここ?」
呟いた七星が、茫然と目の前に立つお洒落なブティックを見つめている
学校から戻ってさっそく美月に連絡を入れたところ、少し離れた場所にあった、この高級ブランドショップが立ち並ぶ一画に来るよう言い渡されたのだ
その中でも、一際センスの良い店構えだと思えるその店の中を覗き込んだ七星が、その店内に美月の姿がないことを確認して、途方にくれた顔つきになる
どう見ても女物の服しか置いていない雰囲気
連れ合いもなく一人で男が入っていくのには、かなり勇気がいる
もう一度美月に電話をかけて・・・そう思って、七星がポケットの携帯に手を伸ばした時
「あら、何かお探しかしら?」
不意にかけられた声に、七星が振り返る
品の良い声音そのままに、上品で落ち着いた感じの女が、この界隈でも有名な菓匠の紋入りの包みを持って立っていた
毛先を軽くカールさせた長い黒髪を古風な着物地の布地で後ろ手にくくった、清楚な美人
その物腰と雰囲気から、年齢的にはかなり上だろう・・・と思えたのだが、見た目だけでは年齢不詳だ
「あ・・・・、い、いえ・・・ここへ来るように言われて・・・」
「ここへ・・・?」
艶めかしげに小首を傾げて七星を上目使いに見上げる仕草には、どこかしら夜の雰囲気が感じられる
そして
ふと思いついたように目を輝かせ、微笑んだその笑みは、まるで柔らかい春の日差しのように七星の心を包み込んでいた
「ああ・・!華山様のお客様ね。ごめんなさい、気が付かなくて。華山様のお連れ様にしては珍しくお若い方だったものだから・・・。どうぞ、ご案内いたします」
そう言って、女が七星の腕をとって店の中へエスコートする
「あ・・あの・・・!?」
まるで旧知の連れ合いのような仕草に、七星が耳朶を染めつつ困惑気味に問いかける
「華山様も意地が悪いわね。あなたみたいな人を何の予備知識もなしにこんな所に来させるなんて。ああ・・・それとも、恋人なのかしら?」
腕を取ったまま店の奥へ歩く女が、楽しげにそんな事を聞いてくる
「な・・・っ!?ち、違います!!俺は・・・!」
言いかけて、その先をどう言ったら良いものか分からなくて・・・七星が口ごもる
「あら、違うの?凄くお似合いなのに・・・!」
そんな会話を交わす2人を、店内にいた数人のマネキンが笑顔で迎え「お帰りなさいませ」と会釈を返してくる
どうやら
この女はこの店のオーナーかなにか・・のようだ
奥にあったエレベーターに乗り、2階へと案内されてみると・・・
驚いたことに、2階はまるでどこかの一流ホテルのロビーかサロン・・・といった豪華な装いになっていて、置かれた商品も服から装飾品まで、1階の品揃えとは全く異なる一点物の最高級品が並べられている
しかも
よくよく見てみれば・・・
それらの服や装飾品は、どこかで見たような感じがするものばかり
「・・・っ!これ、美月さんがいつも着てる・・・!?」
「ええ。ここはお得意様専用のお部屋だから・・・今日は華山様のお気に召しそうな物で揃えているの」
今日は・・・という事は、違う客の時には恐らく全ての商品が入れ替えられているという事なのだろう
「どうぞ、こちらです」
ニッコリと華やかに笑んだ女の顔に、以前どこかで感じた気がする既視感が七星の脳裏を駆け抜ける
それがなんなのか分からないまま、七星が勧められるままに更に奥にあったドアの中へ入り込んだ
そこは、外のベランダが全て開け放たれる作りの部屋で
かなり広めのそのベランダには、飛び石や小さな灯篭、川を模して作った水の流れに獅子脅し・・・植えられた趣のある緑に思わず心和んでしまう・・・そんな小庭園が設えてあった
その手前には自然の木目を活かした、優しい色合いのテーブルと椅子が置かれ、庭が一番よく見渡せる位置に美月が座していた
「あら、意外に早かったわね。もっと時間がかかるだろうと思ってたのに」
顔を上げ、テーブルの上に置かれたノートパソコンのキーボードを見事なブラインドタッチで叩く美月が、女と七星に意味ありげに微笑み掛けてくる
その笑みに応えるように、女がいかにもすまなそうに軽く頭を下げた
「申し訳ありません・・あんまり素敵な方だったものですから、つい、お声をお掛けしてしまって・・・」
「まあ、佐保子(さほこ)さんが!?運がいいのと無自覚にナンパされるのは誰かさん譲りね!」
佐保子と呼ばれた先ほどの女がクスクス・・と笑いながら、「それでは後ほど・・・」と言い残して部屋を後にする
「・・・・美月さん、父さんネタで俺を虐めるのは止めて下さいって言ってるでしょう!?」
うんざり顔でため息を落とした七星に、美月が悪びれた風もなく楽しげに言い返す
「あら、ごめんなさい、その顔を見てるとつい・・ね」
言うだけ無駄か・・・と思い直した七星が、一転、真面目な表情になって問いかける
「それより・・・ここ、いったい何なんですか?」
「見てのとおり、私の行きつけのブティックよ」
「・・・・・・普通、ブティックでそんな会社の重要機密、開けないでしょう?」
美月の横で、開かれたパソコン画面をチラリと盗み見た七星が言い募る
そこには、今、美月が秘密裏に進めている片桐コーポレーションを傘下に引き入れるための、株の売買情報が表示されていた
ふふ・・・と笑った美月が七星を上目遣いに見上げる
「ここ、どう?なかなか良い感じの場所だと思わない?」
「え・・!?あ・・はい、思いますけど・・・?」
「良い雰囲気と美味しいお茶があるとね、人間、心に余裕が持てるものなのよ」
意味ありげにそう言った美月に、七星が思わず強く頷き返す
放課後、舵と一緒に過ごしたお茶の時間・・・それは頑なだった七星の心をゆっくりと癒してくれた
舵の笑顔と、その日の気分で舵が淹れてくれる、七星の好みを熟知したお茶
それは他の何より、居心地の良い一時だったのだから
「・・・・・・つまり、おおっぴらに会えない人ともここで会って、和やかに話が進む・・・と、そういうことですか?」
見た目はお洒落な高級ブティックだ・・・そんな場所でまさか日本を代表する大企業・華山グループのトップが、重要な商談をしているなどグループ内の役員ですら思いもしないだろう
「さぁ・・・?私はただ、お気に入りのお店でお茶してるだけよ?佐保子さんの淹れてくれるお茶とお菓子は最高なんだから!」
「佐保子さん・・・って、さっきの・・・?」
「そ。美人でしょ?私のお茶の先生でもあるのよ」
「お茶・・って、茶道の!?美月さんが!?」
美月のイメージとはかけ離れた言葉に、七星が思わず聞き返す
「失礼ね!うちは元華族の一族よ?お茶にお花にお料理・・!どれを取ったってその辺の輩より完璧にこなせるわ!お嬢様育ちをなめるんじゃないわよ!」
確かに・・・!
華山家といえば、日本屈指に数えられる名家で元華族
その直系の跡取り・・・といえば、お嬢様中のお嬢様!以外の何者でもない
ただ・・・美月の普段の口調と態度が、あまりにお嬢様らしくなさ過ぎて・・・ついつい、そんなとんでもない育ちである事を失念してしまうのだが
「・・・・・・・っって言われても・・・その口調じゃぁ・・・・」
七星の顔に苦笑いが浮かぶ
「あーら、悪かったわね。金と権力の塊連中ばっかり相手にしてるとね、悪態が口癖になるものなのよ!」
その言葉に、思わず・・・口癖というよりもともとの性格なのでは?・・・と言いそうになった七星の心情を見透かしたように、美月の片眉が僅かに上がった
「な・に・か?」と言って立ち上がり、詰め寄ってくる美月に七星が降参ポーズで後ずさる
「わ、分かりました!あの、それで電話した事なんですが・・・!」
下手に機嫌を損ねない内に・・・!とばかりに七星がここへ来た目的へと話題を変える
それとほぼ同時にドアがノックされ、佐保子がアンティークなワゴンに茶器とお菓子を載せて部屋ににこやかに入ってきた