求める君の星の名は
ACT 16
ブチ・・・ッ!
放課後
職員室のデスクの上、書きかけの書類の上で、何度響かせたか知れない・・・シャーペンの芯の砕ける音が舵の手を止める
「・・・・・っ、クソ・・・ッ」
小さくした打ちした舵が、カチカチカチ・・・・と忙しなく芯を出し、出し過ぎてはイラただしげに引っ込める・・・そんな動作を何度も繰り返していた
「・・・・・舵センセ?イラついてます?」
不意に頭上から落とされた聞き覚えのある声に、舵がハッと顔を上げる
同じ3年担任で数学専任の金子が、舵にお茶を差し出しながら笑いかけていた
「っ、あ・・・どうも、すみません」
慌てて笑顔を繕いながら、舵が差し出されたお茶をありがたく受け取る
バレー部の顧問もしている金子は、引き締まったスポーツマン体形の爽やかな男前で背も高く、舵と並んで生徒間の人気を二分していた
世界史の山下と並んで舵と年齢も近く、桜ヶ丘での教師歴も長い
面倒見のいい性格なのか、まだ赴任して2年目の舵をいつもこんな風にさりげなく気遣ってくれる
「・・・・察するに・・・例の噂話ですか?」
「・・・・っ、ええ、まぁ」
都合よく空いていた、向かいのデスクの椅子の背もたれを抱き抱えるように腰掛けた金子が、自分用のお茶を一口すする
「でも、あれですね。3−Aの連中が一番落ち着いてませんでした?当事者の浅倉がいるってのに・・・」
金子が感心しきり・・・と言った風に問いかける
実際、七星の噂は学校中に知れ渡っていて・・・どの教室に行ってもその噂話で持ちきり
図らずもそれは、今まで派手な他の弟達の影になっているかのように思われていた、七星の思わぬ人気振りをも露呈する結果になっていた
当然その噂話は教師間でも話題になっていて・・・職員会議の後、舵は教頭から七星に厳重注意をしておくよう言い含められたばかりだ
「・・・・・・朝の内に何か・・あったみたいで。HRに行ったら、クラスの雰囲気がなんだかガラリと変わってて・・・なんて言うんでしょうね?浅倉に対する他の生徒の態度が・・・一目置く・・・っていうか。噂話をするような生徒も全然居なくて・・・」
舵が戸惑いながら朝の様子を話して聞かせる
はっきり言って、その噂話を聞いた時、舵はそのまま大吾の所まで行って一発殴ってやりたい衝動に駆られた
その衝動を何とか押し殺して向かったはずの教室には、いつもと何ら変わらない態度と表情の七星がいて
その上、きっと針のむしろなんじゃないか・・・?と危惧していた教室の雰囲気も、なんだか妙に落ち着いていた
その上更に、クラス委員長として七星がHRの最後に修学旅行関連の提出物の催促をした時など、一種異様な・・・畏敬とも畏怖とも取れる、七星に対して一目置いたような雰囲気が漂ったのだ
「ああ、それじゃあきっと浅倉を怒らすようなことを誰かが言ったんでしょうね。浅倉が怒った時の迫力は並じゃありませんから」
納得がいった・・!という雰囲気で言った金子に、舵が眉根を寄せる
「・・・それは、今までも似たようなことが?」
「ええ。ほら、舵センセが来る前の生物・科学の専任だった人とね。飼ってた魚を餓死させたことで怒ったんですよ。俺、1年の時担任だったから仲介に入ったんですが、ちょっと大人でも太刀打ちできないような迫力と、ぐうの音も出ないだろう・・・っていう論法で。あれやられたら、誰だって一目置きますよ、浅倉には」
あの専任もかわいそうにね・・・と、口では言いながら金子の顔は笑っている
案外と喰えない性格なのか、それともその専任がよっぽどの人物だったのか・・・?
だが
その魚の事があったからこそ、舵は七星と知り合えたのだ
今の舵にとっては、礼の一つでも言ってやりたい人物ともいえる
「結構あったんですか?そういうの?」
それは舵の知らない七星・・・身勝手だとは思いつつも、それを知る金子につい嫉妬心が湧き起こって口調が固くなる
「いえいえ、あの時くらいなもんです。まあ、担任だった経験から言えば、浅倉の場合怒る基準が自分じゃなくて自分以外のもの・・・っていう所が凄いな、とは思いますよ。反面、それが命取りにならなきゃいいな・・・っていう危惧もあるんですがね」
「命取り・・・?」
「ええ。浅倉は自分以外のもの・・・それが大事であればあるほど、それを守るためになら、多分、自分がどうなっても構わない・・・そんなタイプなんですよ。だから・・・」
言いかけた金子に、職員室の窓越しにバレー部員が「早く来て下さいよー」と手招きしながら呼びかけた
「あ、今行く!」と、答えて立ち上がった金子が、立ち去り際に舵の耳元でさっきの言葉の続きを告げた
「だから・・・守ってあげてくださいね、舵センセ?」
「え・・・・!?」
意味深な言葉に、舵が弾かれたように顔を上げたが、もう既に金子は窓の外で待つ部員の方へ早足で行ってしまっていた
「・・・・・・・今の・・・・知られてる?まさかね・・・ただの担任としての心積もり・・・だよな・・・?」
一瞬、ヒヤッとしつつも外から窓越しにニコニコと手を振って来た金子に、・・・思い過ごしだよな?・・・と、一抹の不安を覚えつつ舵が笑み返していた
「・・・あっ、こんにちは」
不意に背後からかけられた声音に、学校帰りに買い物をしていた七星の背筋を、ゾク・・ッと悪寒にも似た何かが駆け上る
・・・・・・・なに?これ・・・?
まるで・・・何かザラザラしたものに神経を撫でられたような・・・そんな得体の知れない感触
今まであまり感じた事のない・・・その初めてともいえる感触と、出来るなら振り返りたくはない聞き覚えのあるその声に、仕方なく七星がゆっくりと振り返った
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんにちは」
返すまでに間が空いたのは、そこに居た人物が予想どうりだった事と
以前と同じラフな格好で、買い物カゴを手にして微笑んでいる事
思わずそれに、同じく手にしていた買い物カゴを持つ手に力がこもったから
そこに居たのは、野上真一
振り返って七星の視界に入ったその端整な顔には、先ほど感じた感触とは180度違う、にこやかな笑みが浮かんでいた
「奇遇だね、浅倉君も夕食の買い物?」
その言葉に、七星が眉根を寄せる
「も」という事は真一も同じ・・・ということ
”恋人役”をやっているのだ・・・それは分かる話だ
だが
なぜ、わざわざ
舵の家から遠いこの場所へ
七星が買い物に来るだろう・・・この時間帯に
真一が居て、微笑みかけてくるのか?
まったく悪びれた風でもなく、むしろ満足そうな顔つきで
「・・・・・・・・・真一さんは、なんでここに?」
七星が真一の本心を探るように、用心深く問いかける
「あ、やっぱりワザとらしいよね?こんな所でこんな時間に居るなんて。実は浅倉君に相談したいことがあって・・・それで待ち伏せしてたんだ」
七星の心情を見透かすようにそう言うと、スーパーの中の雑貨を扱う付近を指差して「ちょっと付き合って?」と、七星を先導していく
真一が案内した場所は、陶器やコップ、鍋などが置かれた場所
そのうちのマグカップ等の充実した棚付近で、真一が振り返った
「ごめん!」
「え?」
不意に告げられた言葉と、カゴを置き両手を眼前で合わせての謝罪のポーズ
「割っちゃったんだ・・・君が使ってたマグカップ。貴也さんの所って、必要最小限の物しかないから、他に使えるカップがなくて困っちゃって。勝手に買い足すのもどうかと思って・・・それで浅倉君に選んでもらおうかと・・・」
思わず七星がグ・・ッと指先を握りこむ
七星が使っていたマグカップ・・・それは舵が七星用に、と買って来てくれたものだ
シンプルな柄も重さも大きさも・・・まるで七星の好みを知り尽くしていたかのように、しっくりと手に馴染む素焼きのカップで・・・七星自身も気に入っていた
それが、割れてしまった・・・
それもショックではあったけれど、それより何よりショックだった事は
そのカップを、どう考えても真一が使っていたらしい事
舵が、真一が使うことを許していた・・・という事!
「・・・・・・・・・そんなの、気にしなくていいですよ。カップもなくて不便でしょうから、真一さんの好きな物を選んでください」
上手く・・・笑えていたかどうか・・・自信はない
それでも、吐きだした言葉は震えていなかったはず・・・
なぜだか・・・真一には心の動揺を見せてはいけない様な、そんな警戒心が七星の中に生まれていた
「本当に!?良かった・・・。じゃ、遠慮なく」
華やかに笑ってそう言った真一が手に取ったのは、丈夫そうなステンレス素材のごくごくシンプルな・・・けれどどこか冷たい感じのするペアカップ
自分が使うだけなのに、何でペア・・・!?
ノドモトまででかかった言葉を、何とか七星が飲み下す
どっちにしたって、それは舵の趣味と合いそうにない・・・そう思えた
・・・が、
「これ、昔貴也さんと使ってたのとよく似てるんだよね」
真一の口から出た言葉に、七星が思わずその顔を凝視した
「・・・・え?」
「相変わらず起き抜けにタバコは吸うし、朝ご飯はコーヒーだけだし・・・ああいう癖、治ってなくて笑っちゃったな」
「っ!?」
息を呑んだ七星の表情に、真一が意外そうな瞳を向ける
「あ・・・れ?貴也さんから聞いてなかった?この間会った時もあんな風にドライな態度だったから、てっきり・・・」
そうじゃないかとは・・・薄々感じていた
だけど、こうもあからさまに面と向かって言われると・・・言葉が出ない
思わず視線を落とした七星の顔を、真一が覗き込む
「・・・ね?聞いていい?」
「・・・え」
「知らなくてあの態度で、カップの事でも怒りもしない。君は本当に貴也さんの事が好きなの?」
「・・・っ!?」
一瞬、七星が息を呑む
覗き込んできた真一の瞳とその声音には、その七星の態度を楽しんでいるかのような色合いが滲んでいた
「・・・さっきね、沙耶さんが訊ねてきたんだ」
「っ!?沙耶って、舵の・・・!?」
「そう。でね、ご丁寧に僕の過去の経歴を洗いざらい調べ上げてくれて、僕がいかに貴也さんに相応しくないか、微に入り細に入り説明してくれたよ。最後には分厚い手切れ金まで出してきて、別れろ・・・・って」
「な・・・・っ」
過去の経歴まで!?
どうして舵がここまで徹底して七星を遠ざけたのか・・・その理由がはっきりとした
七星が過去、そういったことで傷つき続けてきたのを、舵は知っている
再び舵自身の問題で七星にそんな思いをさせないためには、こうするしかなかったのだ
「・・・真一さん、あの・・・」
本来なら七星が受けるべ物を代わって受けた真一に、七星の中に罪悪感が込み上げてくる
その表情を見て取った真一が、七星の言葉を遮った
「ああ、ストップ!別に君に謝ってほしいわけじゃないから。それに・・・本当はね、この役、貴也さんは大吾さんに頼んできたんだ」
「え!?大吾さん・・に!?」
「そ。それを無理やり僕が押しかけてその役に居座たってわけ」
無理やり押しかけて・・・?
では、沙耶が現われたあの日に舵と駐車場で待ち合わせしていたのではなく、大吾の所へ向かおうとしていた舵を、真一が、待ち伏せして・・・!?
だから大吾のメールにも、真一が急に休みになって・・・と・・・
不意に
再び七星の神経を、ザワリ・・・と何かが不快に撫で付けていく
ゴクリ・・とカラカラに乾いた喉を潤すように七星が唾を飲み込んだ
「・・・な・・んで?」
掠れた声音で問いかけた七星に、真一がニッコリと微笑んで言った
「忘れられなかったんだ。去年の夏、大学の教授の所に貴也さんが来てたって聞いて、教授から恋人が居るらしくて家も捨てる気だって話を聞いた。それを聞いたら居ても立ってもいられなくなって・・・こっちに帰ってきた。大吾さんの所に居ればきっと会えるだろう・・・と思って」
去年の夏・・・!
確かに、舵はその時期、旅行がてら恩師に会いに行った・・・と言っていた
あの時から、もう・・・!?
「沙耶さんの事は聞いて知ってたし、家を捨てるんなら絶対恋人の存在を隠すだろうって思ってた。だから待ってたんだ・・・貴也さんの側にいける機会と、つけ込む隙を」
顔色を失っていく七星を見つめる真一の笑みが、一層、深くなる
「君には礼を言わなくちゃね。部屋の前で会った時の君の態度に、貴也さん可哀相な位落ち込んでたよ?おかげで付け入る隙ができたんだから」
「っえ!?」
思わず凝視した真一の瞳には、勝ち誇ったような艶が滲んでいた
「でも、だからって君に貴也さんを責める権利はないと思うよ?そんな隙を作ったのは君が原因だしね。それに・・・」
意味ありげに言葉を切った真一が、ス・・・ッと顔を寄せた
「君って、あの北斗の息子なんでしょ?世界中を公演して廻ってて滅多に帰国もしない超有名人の父親・・・。ね?君が貴也さんに求めてる物ってさ、ただ単に庇護してくれて守ってくれる父親の代わりなんじゃないの?」
「っ!?そんな事・・・!」
「ないって言い切れる?僕には君が、ただ貴也さんの優しさに甘えてるだけの子供にしか見えなかった」
言い切られた真一の言葉に、七星が絶句する
それは、七星自身が感じていた事・・・!
「・・・・・君は、本当に人を好きになったことがあるの?」
突かれた真実に、返す言葉が見つからない
舵以外、そんな感情を持ったことがない
その感情が好きなのかと問われたら、他に比べる物がないから分からなくなる
「・・・・・・僕には君が貴也さんを好きだとは、とても見えないよ」
最後に耳元で囁くようにそう言った真一が、クス・・・と笑って七星の横を擦り抜けていった