求める君の星の名は  






ACT 2









・・・・バンッ!

ホームルームと大掃除が終わり、その日の授業が終わった途端、七星が一階上の生物科学準備室の扉を勢いよく引きあける

いつもの見慣れた部屋の中に、舵の姿がない

いつも「待ってたよ、浅倉」と言って、笑って迎えてくれる舵の笑顔が

それもそのはず・・・ついさっき、教室を出際に舵に呼び止められ、「職員会議で遅くなるから、魚の餌やり頼むな」と、言い渡されたばかり・・・

他の生徒に向けられるのと同じ笑顔で

・・・・バシンッ!

七星が舵の机の上に、たいして荷物も入っていない学生鞄を思い切り叩き付ける

今日は始業式だけなので、天文部の部活・・・と称したお茶会もない

職員会議で遅くなる・・・ということは、家事で早く帰らねばならない七星とも会えないという事

それなのに、舵は七星に特に告げる事は何もない・・・という態度と笑みをとったのだ

担任の事も、最終学歴の事も、七星にしてみれば問いただしたい事ばかりだというのに

「・・・・っ、なんで、俺に一言も・・・何も言わなかった!?」

叩き付けた鞄の上に押し付けた拳を、七星がギュッと握り締める






昨日

春休み最後だからデートしよう・・・と、訳の分からない理由で呼び出され、ドライブに付き合わされた

いったいどこでそんな情報を仕入れてきたのか・・・

あまり人気のない、正に穴場的お花見スポットといえる場所

車で1時間ほど行った山の中、細い山道を少し登った先にあった、山桜の群生地帯に案内された

深緑の中に混じり合うように咲いているせいで、山桜の可憐な色合いが一層際立って・・・とても綺麗だった

桜だけが競い合って咲き誇っているのも迫力があって、心騒がされずにはいられない美しさがあるけれど、こんな風に周りの緑と溶け合って咲く桜は心を落ち着かせてくれる

「‘花は野にあるように‘・・・俺はこういう場所で咲いてる桜の方が好きなんだけど、浅倉はどう?」

そう言って振り返った舵は、思わず魅入ってしまうほど柔らかで優しい笑みを浮かべていた

他の誰に向けることのない、七星だけへの笑み

返事も忘れて、その桜と共にまるで一枚の風景画のように写る舵を見惚れていたら・・・なぜだか急に不安になった

フ・・・ッと七星から視線を外して山桜に注がれる舵の視線・・・

それはここじゃない、どこか遠くを・・・何か違う物を見ている様な、舵がスゥ・・・っと遠くへ行ってしまったかのような・・・そんな不安

「っ、舵・・・っ」

そんな不安と、思わず手を伸ばしたくなった衝動を押し殺して、その名を呼んだ

なのに

不意に吹き抜けた風が木々を揺らし、その声は舵の耳に届かなかったようで

舵の視線は七星の存在を忘れたかのごとく山桜を見つめ、その存在は今にも風景の中に溶けて入ってしまいそうに見えた

「・・・っ、舵!」

七星が堪らず叫んで舵の腕を掴んでいた

「え・・・!?」

思わぬ七星の力強さと、その焦った声音に、舵が驚いたように振り返る

でもそれもほんの一瞬で、その驚いた表情もすぐさま包み込むような優しい笑みに変わる

「!」

その瞬間、七星の中に駆け抜けた言い知れぬ違和感

今までと同じ笑みのはずなのに、今、笑っているこの笑みは、何かが違う

「どうした・・・?あさく・・・」

その笑みを浮かべたまま問いかけた舵の言葉を、聞きたくないとばかりに七星が舵の唇を塞ぐ

初めての・・・七星からの行為に、舵が心底驚いて目を見張った

けれど、ただ言葉を奪っただけのキスはすぐに解かれて、七星が舵を見据えて言い募る

「あんた・・・っ、今、どこを見て、何考えてた・・・!?」

「・・・っ、」

七星の言葉に、舵がハッとした様にほんの一瞬、顔色を変えた

「・・・なに・・・考えてたんだよ?」

その、ほんの僅かな表情の変化に、七星が更に言い募る

「・・・七星のこと」

「っ、うそ・・つけ!」

「ほんと。初めて自分からキスしてくれた、七星のこと」

「!?、ご、ごまかすな!」

言われて初めて、そういえば・・・と先ほどの自分の衝動的行為に、七星の顔が真っ赤に変わる

「ごまかしてるのは、七星のほう」

すっかり主旨をすり替えて、舵が挑むように七星の顔を覗き込む

「だ、誰が、何をごまかしてるって!?」

「春休みに入って一度も会ってなかったのに、七星はちっとも甘えてくれない」

「な・・・っ」

そう、春休みに入ってからというもの、七星は麗と流の片桐インターナショナル・アカデミー入学準備で忙しく、舵とはこの2週間一度も会っていない

今まではずっと、毎週末の金曜日、天文部の天体観測を学校の屋上で行い、そのまま舵のマンションへ・・・

つまり週に一度は2人きりで会っていたのだ

「・・・会いたいとか、思ってくれなかった?」

覗き込んで問いかけてくる舵の栗色の瞳が、妙に艶っぽい

ずるい・・・!と、七星が心の中で叫ぶ

会いたくなければここに居るはずもないのに・・・!分かってて、そんな風に

「・・・電話・・・とか、メール・・・してたし・・・っ」

「でも、一度も七星からは掛かってこなかった」

「・・・・・それは、あんたが・・・」

「うん、そう・・・俺が我慢できなくて掛けてばっかり」

七星が、認めざる得ない紛れもない真実に、言い訳すら思いつかずに視線を落とす

「今日電話して、もしも七星に断られたら、本気で家に押しかけて拉致るつもりでした」

「は!?」

思わず顔を上げた七星の目の前に、舵の艶っぽい笑み

その笑みは、2人きりで会う時の・・・それだ

「拉致られたくなかったら、もう一度キスしなさい。浅倉七星くん」

どこまでも甘い命令口調で

鼻先が触れ合うほど間近で

七星に、最初にキスを仕掛けた理由を忘れさせる

「・・・なんだよ、その命令口調は」

「ん?本気で拉致る気満々だという決意表明」

「拉致られてたまるか、バカ・・・・」

フ・・・ッと笑った七星が、ふわりと舵の唇に触れた

意地悪く、何の反応も返してこない舵に、七星が本格的に一番深く合わさる角度を模索するように、その口内を探る

やがてそれは、なかなか言葉に出来ない七星の想いを伝えるように、今迄で一番長くて熱いキスへと変わっていく

その時感じた不安の種が、舵にとって主旨をすり替えざる得ないものであり、それだけ七星の行為を煽っていたのだと・・・気付かないまま








握り締めた拳を見つめながら、その時の事を思い出した七星の顔が瞬く間に朱に染まり、それを払拭するかのようにブンブンと頭を振る

「と、とにかく、餌やっとかなきゃ・・・!」

ここに来た目的を思い出した七星が、机の片隅に置いてあった魚の餌入りの瓶を掴んで水槽の前に立つ

キラキラと陽射しを受けて輝く水面

半透明な水槽の影

沈んでいく餌と、それを追う小さな魚・・・

七星の脳裏に、ちょうど一年前の今日の出来事が鮮やかに甦り、その思い出を辿る自分の顔が写りこんだ水槽のガラスに、ハッとした

そこに写りこんでいた、自分の顔

その表情は、昨日の舵の表情と似通っていなかったか?

「・・・・あれ・・は、何かを思い出していた・・・ってことか?舵の・・・昔の思い出・・・?」

そういえば・・・と七星の眉間にシワが刻まれる

舵は今まで、自分自身の昔の事を話してくれた事がない

舵の部屋にも、アルバムといえるようなものは皆無だった

これまで七星自身も、自分の過去を他人に話すことをしなかった

写真も過去にあったトラウマのせいで、ほとんど撮っていない

それは七星にとって、過去の思い出が辛いものであり、思い出したくない事ばかりだったから・・・

だから舵の過去にも詮索は一切しなかったし、思い出の類が一切見当たらなくても、特に不審に思ったりはしなかった

けれど

それは七星が特殊な環境で育ってきたからで・・・

それが舵にも通じる部分があるという事は、舵もまた思い出したくない、何か特殊な過去を抱えているからだと、考えられなくもない

それに絡んで、舵の過去の恋人も・・・きっと

今の七星に対して向けられている優しい笑みを・・・舵は今まで一体何人に対して注いできたのだろう・・・?

七星を抱いた時の手慣れた感じから言っても、女だけじゃなく男とも経験があるということは容易に察せられる

「・・・・そりゃ当然だよな。あの容姿に面倒見のよさ・・・誘いの手合いは引く手数多だったろうし。今だって、生徒間の人気投票でダントツ1位・・・だし・・・」

言いながら、七星の声がだんだん小さくなり、唇を噛み締める

もともと恋愛感情・・・というより、感情そのものが希釈な七星にとって、それはただそれだけの事・・・なはずだった

だが実際はそうじゃない・・・という事を昨日と今日の出来事で初めて思い知ったのだ

昨日の舵の、どこか遠くを見つめる視線・・・

七星と一緒に居るのに、七星を忘れてしまったかのような・・・視線

担任になって、他の生徒を見るときと同じ笑みを浮かべて七星を見る・・・視線

なぜだか、無性に腹が立った

どうして自分を見ないのか

どうして他人を見るのと同じ視線で、自分を見るのか

どう考えても子供じみた・・・嫉妬心・・・だ

その上、今は見ず知らずの舵の昔の恋人にまで、嫉妬している

「・・・・バカみてぇ・・こんなの、ただの性質の悪いガキと一緒じゃん」

湧き上がったその感情を、七星がそんな言葉でフタをする

自分から舵に電話やメールをしたり、会いに行ったり出来ないのも、そうやって自分の中に湧き上がる感情にフタをしてしまうから・・・

魚の餌を机の上に戻した七星が、内ポケットに入れておいた携帯を取り出す

今日はまだ誰からも着信はなかった

舵に聞きたい事があるのなら、電話かメールで一言「聞きたいことがある」といえばいい

家の用事を済ませてから舵の家に直接行って、問いただせばいい

そう、頭の中では考えているのだ

だけど、それを実行する事が出来ない

七星には今まで散々、マスコミに追い回されて質問攻めにされたり、しつこく追いまわされたり・・・辟易したトラウマがある

もしも舵が、かつて自分が感じたのと同じ嫌悪感をもったとしたら・・・?

舵に・・・嫌われたら・・・?

そんな想いが先立って、どうしても自分から舵に何か求める事が出来ないでいる

ちっとも甘えてくれない・・・舵は昨日そう言った

だがそれは微妙にニュアンスが違う

七星は甘えたくても出来ないのだ

物心ついたときから既にお兄ちゃんで、甘える・・・という経験をしたことがなく、どうすれば良いのか分からない・・・のだから

ハァ・・・と溜め息をついた七星が、結局何の操作もしないまま携帯を再びしまいこんだ

フ・・・と視線が泳いで、舵がいつも座っている椅子に注がれる

「・・・・なぁ?あんた、こんな可愛げのない俺の一体どこが気に入ったんだ?」

主が居ないからこそ溢れ出た呟き・・・

その呟きこそが、不安の種そのものなのだということに、七星はまだ気が付いてはいなかった




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