求める君の星の名は
ACT 3
「でも驚きましたね。舵先生がオックスフォードのご出身なんて」
「ほんと!じゃ、あれでしょ?英語もペラペラなんじゃないんですか?」
職員室に帰った途端、舵のデスクの周りに明らかに舵狙いと思しき女教師たちがひっきりなしにやって来ては、芸のない同じ言葉を吐き出していく
「ええ・・」とか「まあ・・」とか、舵がうんざり顔でおざなりに返事を返していると
「舵先生、学年会議始まりますよ」
と、舵と同じく今年3年担任になった数学教師、金子が声を掛けてきた
「あ、はい。今行きます」
渡りに船・・・とばかりに舵がそそくさと立ち上がり、まだ何事か喋り足りなさそうな女教師たちに、にこやかな笑みで会釈を返す
職員室の片隅で3年担任ばかりが集まって、簡単な挨拶と共に、進路指導の進め方と修学旅行をメインにした話し合いが、小1時間ほど行われた
3年担任の中で、舵が一番若い上に新参者、おまけに派手な学歴・・・だ
本来なら敬遠されて疎まれるのがオチ・・・なのだが、その3年担任の顔ぶれは、よく準備室にお茶しに顔を出していた教師ばかり
世界史の山下と、先ほど声を掛けてきた数学の金子も舵についで若く、3学年の担任にしては近来になく平均年齢も若かった
そんなこともあり、終始和やかに話し合いは進み、舵はすんなりと3学年担任に受け入れられたのだ
本来ならば、生徒達が噂していたように、赴任2年目の舵が3年学年担任になる事は、まずありえない
それを可能にしたのは、ひとえに舵の「お茶会戦略」による顔売りと、地道なコネ作りだった
七星の隣にずっと居てやれるために
上に向かって伸びていく七星のために
自分の腕の中で眠る七星を手に入れたあの日に、舵は決めたのだ
七星の側に居るために、今の自分に出来る最大限の事をしようと
この桜ヶ丘学園に来る以前、舵はそのどうやっても目立つ学歴と端整な容姿、面倒見のよさが災いし、私情絡みの問題で点々学校を変えざる得ない状態だった
私情絡みといっても、舵が実際に手を出したり・・・というわけではなく、しつこく言い寄られたり、生徒から押しかけられたり・・・で、逃げ出したというのが実情だ
そんな噂はすぐに広がるのが世の常・・・というもので
舵の学歴を買って・・・という学校しか転任先が得られず、同じ事の繰り返し
だから、学歴を公表しないという異例の希望で転任先を探し、唯一この桜ヶ丘学園だけがそれを受け入れてくれ、赴任してきた
そして・・・七星と出会ったのだ
3年の担任になりたいという希望を学園長に持ちかけた時、海外の大学への進路指導をする・・・という条件を提示された
それを呑めば、再びあの煩わしさに付きまとわれる事になる上、進路指導となれば恐らくは・・・今までずっと接触を避けてきた自分の過去と向き合わざる得なくなる
もう二度と関わりたくないと、逃げ出したものと
それでも
それは海外の大学へ進路を定めた七星に、一番必要で不可欠なものだといえた
だから舵はその条件を受け入れ、七星の担任になるという希望を叶えられたのだ
そのためにお茶会と称して、地道に教師間の信頼やコネ作りをし、スムーズにそれが叶えられるための努力も惜しまなかった
そこに、かつて自分が身に付けた才が、生かされていたとしても
七星の側に居られるためなら、舵に迷いはなかったのだ
「・・・・で、やっぱ何の反応もなし・・・か」
手にした携帯の表示を見た舵の口から、ため息が漏れる
一応・・・と思って準備室まで様子を見に行ったが、そこに既に七星の姿はなかった
律儀に餌をやった形跡があったことから、七星がここに来たことは疑いようがない
ただ本当に・・・餌をやっただけで帰ってしまった・・・という事実だけを残して
「・・・・少しは期待してたんだけどなぁ」
昨日の出来事に思いを馳せた舵の口の端が、フ・・・ッと一瞬嬉しげに上がる
初めてだった
七星の方から、自分を求められたのは
あの時、あのまま七星がぶつけてきた感情を受け止めてやれていたなら・・・
そうしたらきっと、舵の期待通り七星の方から、今日、何かしら連絡があったかもしれない
けれど
舵はそれをはぐらかして、七星があの時感じていたであろう感情を、自覚させてやる事が出来なかった
初めて・・・七星が嫉妬心を剥き出しにしてくれていたというのに
七星があまりに正確に、その嫉妬の対象を捉えてしまっていたから・・・舵は、逃げざる得なかったのだ
あの時、不覚にも思い出してしまった・・・逃げ出したものへの未練
それを隠すために、とっさに作り笑いが浮かんだ
昔・・・常に張り付かせていた、そのままの笑みが
「・・・・浅倉に対してまで、無意識に俺は・・・最低だな」
今となっては嫌悪感しか感じない、その偽り笑いを向けてしまった
そしてそれに、七星は気が付いた
それが何なのか分かっていなくても、その笑みが嘘だと、本能的に察知して
今まで誰も・・・舵自身でさえ、その時は無意識で気が付いていなかった嘘を・・・見逃さずに突きつけて
本当は
昨日、担任になった事や学歴の事、今まで点々と学校を渡り歩いてきた経緯、それに関連しての自分の過去・・・
全て七星に話すつもりでデートに誘ったのだ
なのに、ほんの少し思い出してしまっただけで・・・七星にあんな不安そうな顔をさせてしまった
自分の中できっちりと未練の欠片もなく、思い出に変わっている・・・わけじゃないと思い知らされて、話すことを躊躇してしまった
今の気持ちのまま七星に昔の自分の事を話しても、きっと七星は舵の中にあるそんな思いを見透かしてしまう
それは、ただ七星を不安にさせるだけだ
「・・・まずは外堀から埋めてみるか・・・な」
ふぅ・・・と浅いため息を吐いた舵の指先が、もう何年も掛けることをしなかった名前と番号を携帯の画面に表示させていた
「・・・・から、今年は行っておいでよ?七星」
「え?」
夕飯の後、リビングで見るともなしにテレビを見ていた七星が、ハッとしたように目を見開いた
目の前に、自分の顔を覗き込む金髪碧眼・・・毎日見ていても見飽きる事のない美貌の持ち主・・・の麗が居た
「・・・・七星、人の話聞いてなかっただろ?」
「あ・・・・ごめん、なんだっけ?」
麗が七星に気付かれないように、微かに眉根を寄せる
こんな風に七星が物思いにふけっているということは、原因は舵!・・・以外にない
けれど、舵は七星の担任になったはずで・・・状況的にはむしろ喜ばしい事なはずなのだが・・・?
そんな思惑を巡らせながら、麗がもう一度さっき言った言葉を七星に告げる
「だから、修学旅行だよ。七星、小学・中学と行かなかっただろう?せめて高校ぐらいは行ってきたら?って。家の事は俺達3人でどうにかなるし」
「修学・・・旅行・・・?」
七星がそれってなに?な勢いで、聞き返してくる
「七星、ほんとに自分の事に無頓着過ぎだってば。確か、6月のはじめ頃にあるはずだろ・・・?」
「ああ・・・!そういえばそんなプリントもらってたっけ・・・」
過去、七星は家の家事全般や、たまたま時期を同じくして催された、父親であるマジシャン・北斗の日本公演などによるマスコミの騒ぎがあって、旅行に参加していない
けれどそれは仕方のない状況だったし、行かなかったからといって、同級生と齟齬が生じるような事でもない
有り体に言えば、七星の中では大して気にも留めない、ただの学校行事の一つに過ぎなかったのだ
「七星、来年からは海外だろ?最後だよ?こっちの友達と一緒に行ける旅行なんて。高校生活最後なんだし、北斗も大きな公演の予定ないし・・・だから行っときなよ」
「・・・・・なに?何でそんなに俺を行かせたいわけ?」
不思議そうに問う七星に、麗が苦笑を返す
「・・・行かせたいっていうより、行ってもらわないと困るんだよ」
「・・・?行ってもらわないと困る・・・って?」
ますます不可思議そうな顔付きになった七星に、リビングの床で昴と一緒に筋トレに勤しんでいた流が振り返って言った
「七星はさー、あれだよな、自分が誰かに大事に思われてるっていう自覚が無さ過ぎっつーか、自分の価値が分かってないっつーか」
「そうそう!白石先輩とか伊原先輩にもこないだ言われたもん。七星は今度の修学旅行、行けるのか?って」
流に同調した昴の言葉に、七星が驚いたように目を瞬いた
「え?白石と伊原が?なんで?」
「・・・言っとくけど、言われたのその先輩達だけじゃないから」
七星の驚き顔に、あきれたように麗が言い募る
「え?どういう・・・・」
「まったく!ほんと、七星は自覚が足らないな!七星にとってはどうでもいい事でも、周りの人間にとってはどうでもよくない事なんだってこと!もしも俺が七星の同級生だったとしたら、きっと同じ事を言ってきたと思う・・・七星と一緒に旅行に行って、思い出作りたいんだって」
「・・・・は?何で俺と?」
再び目を瞬いた七星の顔は、何をバカな事を・・・!と言わんばかり
その七星の言葉と表情に、3人が同時に深いため息を吐いた
「・・・・その無自覚さは天然記念物なみじゃねーか・・・?」」
「うん・・何であんな風に先輩達が言ってきたのか、よく分かったよ・・・」
「・・・・分かっていたつもりだったけど、ここまでとはね・・・」
流、昴、麗が、口々に七星の周りの人間達に対する同情の言葉を口にする
七星はまるで気が付いていないのだ
自分が北斗の・・有名人の息子だから・・・という理由など関係なく、常に学園人気投票で1位になっている事実を
裏で売りさばかれる写真の値段も、他の者とは比べ物にならないほどの高値が付いている事実を
麗、流、昴に向けられるミーハーな騒ぎとは一線を画す何かを持つが故に、表立って騒ぐ事をさせない何かを、周りに与えているのだという事実を
言ってみれば七星は、一過性で騒がれる性質のものとは違う、いつの間にか視界に入り、いつの間にか目で追ってしまう・・・そんな、心をざわつかせる存在
そしてその姿を追ううちに、見てしまうのだ
普段ほとんど無表情でストイックな七星が時折見せる笑顔や、触れ合う仕草を
あんな笑顔を向けられてみたい・・・
あんな風に髪を撫で付けられてみたい・・・
一度でいいから話してみたい・・・
そんな風な思いを他人に抱かせる・・・一種のカリスマ性
それは、なぜなのか・・・などという理由すら必要ない、生まれ持った天性の資質だ
同じくそれを持って生まれた父・北斗が、それを遺憾なく発揮して世界的なマジシャンへとのし上がっていったのとは、裏腹に・・・
故に
「・・・・俺みたいな奴と一緒に旅行に行ったって、つまんないだけだろ」
およそ事実とはかけ離れた言葉を吐き、七星は自分を無下に扱う
今までずっと、自分を犠牲にすることでしか何かを得られなかった七星にとって、自分がそこに居るだけで何かを人に与えているなど、思いつきもしないのだから
「・・・・そこまで言う?じゃ、この際、七星の考えは無視!旅行には、絶対参加すること!」
「おー!大賛成〜!」
「異議なーし!」
3人が揃って気勢を上げる
「・・・・なんなんだ?その人の意見を無視した決定事項は!?」
憤慨したように言い返す七星を、麗が苦笑交じりに見つめた
「七星、これは俺達のためでもあるんだ。今まで俺達は七星が居ない状況に慣れてないだろ?ちょうどいい予行練習なんだよ」
「・・・っ!」
その言葉に、七星がハッとする
そうなのだ
高校生活最後の一年・・・それは同時にこの家で4兄弟として過ごす、最後の1年でもある
七星は自分の意思で華山家と・・「AROS」と関わる事を決めた
その決意は、今も七星の中で揺らぐ事はない
だが
今、自分が居るこの場所を・・・常に一緒に居て離れることのなかった弟達と過ごす時間を・・・手放さなければならなくなる・・・という事実の認識が欠けていた事に、この時、初めて七星は気が付いたのだ
「・・・七星?」
一瞬、茫然とした七星の顔を、麗が訝しげに覗きこんでくる
「あ、いや、なんでもない。分かった、行くよ、旅行。じゃ、忘れないうちに今日もらった旅行のアンケート、書いてくる」
徐々に広がっていく動揺を押し隠しながら立ち上がった七星が、リビングを出て自室へと続く階段を上がっていく
部屋のドアを開け、中に入った途端
七星が倒れこむように、ベッドの上に身体を投げた
「・・・・はっ、何で・・・気が付かなかった?舵、あんたとも・・・この1年しか・・・!」
その先の言葉を口にする事が出来なくて、七星がシーツに額を押し付けて唇を噛み締める
最後の1年・・・そう思った時、弟達の顔と同時に浮かんだのが、舵の顔だった
・・・・・七星にとって何より大事な家族と同じ位置に、舵が居た
いつの間にかこんなにも近くに、何の違和感もなく思い浮かべるほどに・・・
舵の存在が自分の中で大きくなってしまっている・・・!
突きつけられて、認めざる得ないその事実に、七星が更にきつく唇を噛み締めていた