求める君の星の名は
ACT 28
「うーーーーー・・・・!会議の後のコーヒーはやっぱ美味いなぁ・・・」
オレンジ色の夕日に照らされた準備室で、湯気のたつマグカップを持ったまま、舵が大きく伸びをした
ついさっきまで、職員室で修学旅行の最終日程調整と確認会議だったのだ
ここ連日、旅行のこまごまとした話し合いが長引き、この準備室でこうしてコーヒーを入れて飲むのも随分と久しぶりになる
「・・・・・いよいよ・・・か」
フ・・・っと一瞬、厳しい顔つきになった舵が、校舎と校舎の隙間から垣間見える紅色の夕日に目を眇める
実家である、村田の家に連絡を入れたのは一度だけ
ちょうど旅行の自由行動の日に行われる、立夏から芒種までの茶趣であり、茶の湯の一年においての節目の行事「祭礼月会」
それに絡んで5年ごとに行われる、村田家親族揃っての、顔合わせ茶事
その茶事に出席する、直前にまた連絡を入れるから・・・と、だけ告げて電話を切った
その一度だけの電話で、沙耶が舵の居場所をつきとめ、学校に現われた時には心底驚きはしたが、ふと思い出したある人物との約束でその疑問は解けていた
・・・・・『・・・協力してもらった礼だ、5年くらいは行方を終えないよう手を廻してやるよ』・・・・・
そう言った人物・・・・大吾が巻き込まれた事件で知り合った、ICPOの刑事・高城 海斗
知り合った・・・というより、無理やり協力させられた・・・と言った方が正確だが、その協力の見返りに、5年間、自分の居場所が実家(というより沙耶)に探られないよう、手を廻して貰う約束を交わした
おかげでこの5年、日本国内いても舵は村田の家から逃げおおせる事が出来ていた・・・わけだが、高城が本当に約束を守っていたのだと思うと驚きだ
あれから既に5年は過ぎ、約束もタイムリミット・・・
もうじき6年になるんだった・・・と、すっかり忘れかけていたその事を、舵が今更ながらに思い出していた
実家には何も言わず、何も知らせず・・・密かに大学を受験し、高校卒業とともに家出同然で渡英した
学費は奨学金で賄い、生活費はバイトと貯めていた貯金で何とかなった
そのバイト先で偶然知り合ったのが、大吾
日本人で同じ出身地域・・・意気投合するのにそう時間はかからなかった
その後に知り合ったのが真一で・・・真一は最初、舵を違う誰かと勘違いして声をかけてきたのだ
・・・・『生きてたんだ・・・!』・・・・
街中で、急にそんな言葉を言われながら抱きつかれ、その後すぐに勘違いだと気が付いて目の前で泣かれたら・・・放っておくわけにもいかない
たまたまバイト先であるホテルのレストランの使いに出た帰りだったので、そのままホテルまで連れて行き、大吾にお茶を入れてもらって泣き続ける真一を落ち着かせ・・・ソムリエの職を探しているのだという話を聞いた
すると世話好きの大吾が、「ちょっと待っとけ」と言ったかと思うと、上の人間に話を通し、真一をソムリエ見習いとしてそのホテルのレストランに就かせてしまったのだ
当時から、大吾は派手な見た目とは裏腹に人情家で世話好きだと言っていい
だから
大吾が当時から携帯番号を変えていなくて繋がった時には、変わってないな・・・!と、驚くより先に笑いが込み上げてきた
副料理長まで張っていたあのレストランを結局辞め、杏奈との約束どおりに帰国して、店を始めたこともまた、大吾らしい選択だと嬉しくなった
その大吾と、喧嘩別れ・・・をしたあの日から、その状態のまま、まだ連絡を取っていない
何度か電話しようか・・・メールだけでも・・・と思いはしたが、その度に七星の上にのしかかっていた・・・あの時の映像が甦ってきて、指先が止まってしまう
ワザとああしたのだ・・・ということぐらい舵だって重々承知だ
けれど
酒の入っていない大吾が、一瞬でも七星に本気になっていた・・・という事がどうしても引っかかる
それは、大吾自身が七星を気に入っている・・・という事
そして、七星もまた、大吾を強く拒否できていなかった・・・以前襲われた時のような嫌悪感も抱いていなかった・・・という事
単なるみっともない嫉妬だと、分かっている
大吾が、二人と居ない大事な親友だと言うことも
それでも
もう二度と七星を、あんな風に他の誰かに触れさせたくない・・・!
そんな独占欲が渦巻いて、素直に大吾と連絡を取れないでいる
イタズラに七星を傷つけた真一に対しても、同じ思いだ
自分が振り回される分には、どうという事はない
だが、七星を傷つける行為だけは、許す事ができない
しかし、あれっきり真一は舵の前にも七星の前にも現われない
もうそれ以上気にしなければいい・・・はずなのだが
何か・・・気にかかる
何か・・・釈然としない
それともう一つ
七星の叔母、華山 美月の存在・・・
桜ヶ丘に赴任した時から、理事長が華山グループの女社長だ・・・という認識はあった
だが、その女社長と”美月”が同一人物だとは思ってもいなかったのだ
舵の中の”美月”は、母親である佐保子の門下生の一人だった・・・という記憶程度で、顔すらよく覚えてはいない・・・
なのに
なぜか妙に心が騒ぐ
何か・・・とても大事な事を忘れているような・・・そんな気がしてならない
「・・・なんだっけなぁ・・・?」
眉間にシワを寄せ、思案気に考え込んだ舵の思考を邪魔するように、不意に着ていた実験用白衣のポケットの中で、携帯が鳴った
「っ!」
何も思い出せないままの不快な顔つきで取り出した携帯の表示には、見慣れない番号が表示されていた
一瞬、間違い電話かな・・・?
とも思いつつ、取り出したついでに舵が電話に出る
「・・・はい?」
『やあ、久しぶり。元気にしてた?』
「え・・・?」
どこかで聞いた記憶のある声音
たった今、思い出していたその人物とその声音が重なり、舵が驚いたようにその名を呼んだ
「っ!?まさか・・・高城さん!?」
『あ、覚えててくれた?なら話は早いな。君、最近どこかで「エフ」に関わった?』
「え・・・っ!?」
思わず舵が息を呑む
「エフ」は、この高城と知り合い、協力することになった・・・直接の原因
だが、その「エフ」は、確か・・・!
「「エフ」に関わるったって、もう、あのクスリは・・・!」
『そう、君があの薬の成分を分析したんだから一番よく知ってるよね?製造不可能なんだよ、”完璧な「エフ」”はね。
たった一つ、特定できない植物の抽出物が原因で。おまけにそれらの資料はあの時、この世から消されてる・・・製造に関わった全ての人間ごと・・・ね』
言い放った高城が、電話の向こうでギリ・・ッと歯噛みをしたのが伝わってくる
確か・・・
あの時、高城は潜入捜査していた同僚を一人、失っている
いや、正確には遺体が見つからず・・・行方不明ということらしいが
「じゃ、なんで・・・!?」
『その「エフ」を語る偽物が出回ってるんだけど、最近、俺の携帯の履歴を辿った形跡があってね・・。俺が誰と連絡を取ったか調べたらしき痕跡があるんだ。
どうにもそんな事をする人間の意図が見えなくてね・・・君、何か心当たりない?』
「・・・っ」
一瞬、舵の脳裏を駆け抜けた・・・七星の顔
舵の事を色々調べた・・・と言っていた
その中で、高城とあの事件の事に行き着いていたとしたら・・・
「・・・・いえ、全然」
『・・・・ふぅ・・・ん?』
明らかに訝しげな高城の声音
だがここで七星を巻き込む気など、舵には毛頭ない
だが、意外にも高城はそれ以上追求しようとはしなかった
『・・・・ま、いいや。ところで君、修学旅行で京都に来るついでに、実家の茶事に出るそうだね?あんなに逃げ回っていたのに、どういう心境の変化?』
「っ!?高城さん、何でその事・・・!?」
『こっちにも色々情報網があるんだよ。でもま、ようやく君が遺伝子工学なんて専攻して渡英までした成果が活かされるわけだ・・・』
その高城の言葉に、ス・・・ッと舵の顔色が変わる
「・・・あなたにそんな事まで口出しされる言われはないはずですが・・・?」
『俺も口出す気なんて、なかったんだけどね・・・』
含みを持たせた高城の言い方に、舵が眉根を寄せる
「・・・どういう意味ですか?」
『俺もこの5年遊んでたわけじゃない・・・ってこと。色々と分かった事があってね・・・。ま、君の家の事情が片付いてからにするよ。
ただでさえ、今回の事は君にとっては辛い選択だろうから』
「っ、余計なお世話です。それに俺はもうあの事件とは関係ないはずです。これ以上関わり合いになりたくないんですが」
『つれないなぁ・・・。多分そうも行かなくなるだろうとは思うんだけど・・・とりあえず今は止めとくよ。じゃ、また』
そう言って、唐突に電話は切れた
「・・・・・ったく、変わってないな、この人は!けど・・・どういう意味だ?」
切れた携帯を見つめながら、舵が訝しげに呟く
高城が、「エフ」の資料とそれに関わった全ての人間ごと、この世から消された・・・と言った通り、あの時「エフ」を密造していた場所は、ICPOが踏み入る直前その製薬会社の建物ごと爆破された
それが誰の仕業によるものか・・・未だ特定できていない
当時舵が協力したのは
「エフ」という名の最新型錠剤麻薬の成分分析
爆破によって犠牲になった人間のDNA鑑定による身元確認・・・だった
当時その製薬会社は最新鋭のセキュリティも導入しており、内部に出入りする人間は全てDNA登録されていた
その記録は爆破された建物とは別の、セキュリティシステム棟内に保管されており、犠牲になった全員の記録が残されていた
遺体の損傷の激しい状態だったため、身元確認は全てDNA鑑定を余儀なくされたのだ
その中で、遺体の確認できなかった人間が二人居た
一人は高城の同僚で潜入捜査していたICPOの刑事
そしてもう一人、身元も何もかも登録されていなかった・・・謎の男
その確認作業は多大な時間と労力を要するものだった
当時遺伝子工学を専攻していた舵は、高城に乞われて一緒にその作業を手伝い・・・その作業の合間に高城の誘導尋問的会話によって、家の事情や遺伝子工学を専攻した理由・・・などを吐露させられていたのだ
おかげで、行方を追えない様に手を廻してもらう・・・という協力に対する見返りをもらえたわけだが、逆に言えばその間、ずっと高城の監視下にあった・・・とも言える
居場所をつかめないように手を廻す・・・ということは、要するに舵を捜索するように依頼された探偵所に裏から圧力を掛けて結果報告させない・・・という事だ
往々にしてそういった職業は警察OBやその関係者が関わっている
持ちつ持たれつ・・・とはいえ、それを可能にする高城もただ者ではない
「・・・あの人と関わるとロクな事にならないんだけどな・・・」
盛大なため息を吐いた舵が、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した