求める君の星の名は
ACT 29
昼休み、人気のない図書館の奥まったテーブルで、七星が一人、読書する風を装って耳に付けたイヤホンから聞こえる会話に耳を済ませていた
昨夜からずっと、七星は授業の合間など可能な限りその音を聞き続けている
あれから神谷は、ポケットのライターの事など忘れてしまっているようで・・・釈放された後もどうやらそのまま持ち歩いているらしい
今までの会話を聞く限り、新井組のバックについている人物は、”先生”と呼ばれるだけで、さすがに具体的な名前はなかなか出てこない
だが
今から出迎えに行くという”先生”の重要な客・・・として挙がった名前に、思わず七星がイヤホンの音に神経を集中した
「・・・・・イスハーク・サウード・・・!?」
復唱したその名前に・・・七星が眉根を寄せる
どう考えても、それはアラブ地域の人種の名前としか思えない
それに
”サウード”・・・その名前を以前、どこかで・・・確かに聞いた
確かあちらの名前は、自分の名前の次に父親の名前をつけて呼ぶ・・・とか聞いた記憶がある
「・・・・サウード・・・・あっ!?」
思わず上げてしまった大きな声に、慌てて口を押さえて周囲を見渡したが、幸い、七星以外周囲には誰も居ない
遠くの貸し出し受付付近から、その声をいさめるように司書の咳払いが聞こえてきたのみ・・・だ
見る見るうちに驚愕の表情になった七星が、必死に過去の記憶を辿り始める
初めてファハド国王達と会った時巻き込まれた、ハサン王子の誘拐事件・・・!
あの事件の首謀者が、たしかファハド国王の義弟、サウード!
確かあの時、ファハド国王はこう言ってなかったか
・・・・・『・・・明日の継承の儀で、自分の息子を指名しろ、と言ってきた』・・・・
と・・・!
あの時、サウードはアルによって消されたはず
だが、その息子は?
あの時、息子に関することは何も・・・誰も語らなかった
もしもあの時、ファハド国王の追っ手を振り切って生きていたとしたら・・・!
その後に起こったという、サウードの資金源だった製薬会社での麻薬密輸事件
その製薬会社を買収したのが、片桐と関わりの深い、アゾット製薬・・・!
そして片桐と繋がる新井組のバックに居る者の、重要な客・・・!
当時の最大の資金源だった、今では幻とまで言われている錠剤型麻薬「エフ」
その「エフ」の効果を確めているかのような・・・掲示板での書き込み
”キョウ”という人物をあぶり出そうとしているかのような・・・神谷の言動
考えられる可能性として・・・!
今、出回っている「エフ」は、完璧なクスリではない
だから、普通なら絶対しないだろうという方法でクスリをばら撒き、人体実験でその効能を確めている
そして
その”キョウ”という人物が、完璧な「エフ」を作るうえで、重要な人物
だから、神谷はわざわざ警察に”キョウ”の名前を言い、その行方を追わそうとしている
そう考えるのが妥当だ
重要な客を出迎えに行くという神谷が、地下駐車場かどこか電波の届かない場所へ行ったのだろう・・・雑音しか入らなくなったイヤホンを、七星が取り払う
「・・・・このこと、ハサン王子やファハド国王は知ってるのか・・・?」
思わず漏れた呟きに、七星の眉間に深いシワが刻まれていた
「・・・・・へぇ、趣味は良さそうだ・・・」
呟いた麗が、シックで落ち着いた雰囲気のバーのカウンター席に座った
よく使い込まれた古びた木製の扉を開けて入ってみると、正面斜め横に一枚板の重厚なバーカウンターが置かれていた
今時珍しいその一枚板のカウンターは、どっしりとしていてグラスを置かれてもその音さえほとんどしなかった
触れると肌にしっくりと来る柔らかな木肌の温もり
そのカウンターの向かい側には、その雰囲気に似つかわしい静かな瞳とサムソンスタイルといわれる、長めの髪をオールバックで後手に一つに括った・・・今ひとつ年齢不詳なバーテンダーが佇んでいる
バーテンダーの背後に設置された棚には、グラスと様々な酒が整然と並び、そのグラスの選別と置かれた酒の種類から、そのバーテンダーの趣味の良さが窺えた
恐らくは、このバーテンダーがこの店のオーナーでもあるのだろう
店員はバーテンダー以外に若いウェイターが一人
店内に置かれた椅子やテーブル、調度品に至るまで、全てがその一枚板のカウンターが醸し出す雰囲気を引き立たせる物ばかりだった
照明も程よい暗さで、古き良き時代のモダンジャズが流れている
客は麗の他にテーブル席に数名・・・で、目立つ容姿の麗に一瞬視線を向けはしたものの、その後に特にあからさまな視線を送るような無粋な客は居なかった
その雰囲気に満足げな笑みを浮べつつ・・・麗がプリペイド式携帯を取り出して時刻を確認する
葛西組に関して送った情報は、持ち主が特定されないよう、全てこのプリペイド式携帯から送っている
秋月真哉から送られてきたアドレスも、携帯アドレスだった
麗が「エフ」の画像を添付して送ったメールに対し、秋月は、この「ジョーカー」という名のバーの名前と場所・PM10時・・・というメールを送り返してきた
いつ・・・とも、ここに来い・・・とも、そこに居る・・・とも記されてはいない
麗がただ画像添付のメール送った意趣返し・・・だ
その反応が、麗はいたく気に入った
それに、送られてきた真哉の携帯アドレス・・・これに絡んで麗には打算があった
どんな状況に陥ったとしても、恐らくは悪いようにはならない・・・という打算
その結果
そのメールを受け取った次の日、相手のテリトリーであろうこの場所に、麗は記されていた時間の10分前に来た
ゆっくりと、出されたキールを麗が飲み干す
時刻は、ちょうど記されていたPM10時・・・
カタン・・・と席を立った麗が、バーテンダーに視線を向ける
それは、いくらだ?と勘定を促す動きだ
すると、バーテンダーが薄い笑みを浮べて新しいカクテル・・・マティーニを差し出して来る
「え・・・?」
「・・・どうぞ」
低く静かなその声音と向けられた視線には、先ほどまでの物静かな雰囲気を漂わせていた人物とは程遠い、受け取りを拒む事を許さない・・・およそ堅気ではない雰囲気が滲んでいる
・・・・・・・なるほど、そういうことか
心の中で呟き、小さく嘆息した麗が再び椅子に座りなおした
それと同時にバーの扉が開かれて、誰かが入ってくる気配
近付いてきた足音が、麗の座るカウンターの横でピタリ・・・と止まった
振り返って確認するまでもない・・・・秋月真哉・・・だ
「・・・誰かと待ち合わせですか?」
聞こえてきた声音は、落ち着いた大人の男を感じさせる
振り向いた麗の口元には、にこやかな笑みが浮かんでいた
「・・・ええ、このカクテルの進呈者と」
薄暗い照明と遠目だったせいだろう・・・
染めているものとばかり思っていた金色の髪が、その青い瞳と併せて地の物だと気がついたようで
麗の美貌を間近に目の当たりにした真哉が、一瞬、目を見張る
「っ、これは・・・驚いたな。今日ばかりは自分のカンを誉めてやりたい気分だ」
「へぇ・・・?どんなカンですか?」
軽く小首を傾げた麗が、見た者を魅了せずにはいられない微笑を浮べた
「今日会う相手が、この店とそのカクテルに似合う相手だろう・・・というカンです。座ってもよろしいですか?」
麗の美貌とその雰囲気に・・・真哉が微妙に言葉使いを変える
まさに狩るべき獲物だと認識した、雄の自然な本能
どうやら相手がどのレベルの存在か・・・見極める確かな目を持っているようだ
その真哉の態度に、にこやかな笑みを浮べて「どうぞ」と答えた麗の青い瞳にも、油断のならない輝きが宿る
秋月真哉・・・年は35歳なはずだが、実際はそれよりも若く見えた
まさに脂の乗り切った何もかもが順風満帆な勢いのある、男
自信にあふれた瞳と、それに見合った精悍で整った容貌、自分の存在価値を知らしめることを知る者の、ブランド選抜と着こなし、装飾品
麗でさえ滅多に出会わない、上質な男だと言って良かった
「・・・マティーニがお好きなんですか?」
真哉が座ると同時に差し出された、自分に出されたものと同じマティーニに、麗が問いかける
「この透明感とドライで辛口なところがね・・・。どうやら君もそういう性質らしいし・・・」
フ・・・ッと意味ありげに笑った真哉が、バーテンダーをチラリと見返す
その視線の意味を瞬時に解し、バーテンダーを見つめた麗が問いを重ねる
「へぇ・・・そんな性質に見えるんですか?」
問われたバーテンダーが、グラスを丹念に磨き上げつつ静かに、しかし必要最小限の言葉で答えを返す
「・・・色味でいうならギムレットだと思ったんですが、口当たりではマティーニ以外ないと思ったものですから」
ギムレットは、薄緑色をしたジンとライムジュースをシェイクしたドライな口当たりの爽やかなカクテルだ
対してマティーニは同じくジンベースでベルモットで割ったもの
ドライで辛口という点では、マティーニの方が数段上だ
・・・・・・赤に薄緑か、まるであの人の言う所のアレクサンドライトだな・・・!
麗が心の中で嘆息する
あの人・・・とは、麗の本質を一番知り尽くしそれを宝石で表現した、ファハド国王の事だ
最初に飲んだキールも、このバーテンダーにお任せしたものだ
白ワインにカシス・リキュールを加えた物で、赤い色みの甘めのカクテルだった
まさに一見の客に出すに相応しい、一番麗の外見の容貌に似合った、無難な選択だと思っていたのだが・・・
どうやらこのバーテンダーは人の本質を一目で感じ取れるらしい
もともと店に入った瞬間から、ああ、はめられたな・・・と言う思いはあった
棚に並んだキープらしき中身の減ったボトルには、名前や番号らしき物が付けられていない
並ぶグラスも普通の店にはない、多少クセのあるものが多い
これは来る客がほとんど常連ばかりである事を意味している
一見の客は、滅多に来ない・・・そんな店
ならば
どんな手段でこちらに声をかけてくるのか・・・?
麗がそのままこの店に入り、一杯だけカクテルを飲んだ理由はそこだ
でもまさか、このバーテンダーに自分の本質を見抜かれ、酒でそれを真哉に示されるとは、さすがの麗も思いもしなかった
クスクスクス・・・と肩を揺らした麗が、その抜け目のなさとバーテンダーの心眼に素直な賛辞を贈る
「凄いですね。まさかお酒でこられるとは思わなかったな。でも、なぜ俺がその待ち人だと分かったんです?」
指定した時間に偶然、他の一見の客が来る可能性がないわけではない
なのに、このバーテンダーは麗が店に入った瞬間から確信していた・・・としか思えない
「・・・ただのカンです」
その雰囲気からして普段からそんなに喋る方ではないのだろう・・・麗の問いにそんな一言で返し、バーテンダーは黙々とグラスを磨いている
言う気はないわけか・・・と、肩をすくめた麗が、その問いを持って真哉に視線を向けた
真哉がクック・・・と肩で笑いながらその麗の問いに答えを返す
「・・・米良(めら)はね、もの凄く鼻が利くんだ。その客が危険かどうか見極め、大体の酒の好みから懐具合まで分かってしまうぐらい、嗅覚が異常に発達してる」
どうやらこのバーテンダーは米良という名前らしい
「・・・鼻?」
その説明では今ひとつ合点がいかない・・・と言いたげに麗が真哉に問い直す
「そう、相手の持ち物・・・例えば持っている金やカードの種類、銃器や刃物、そして・・・持っている薬の薬剤成分の匂いまでもね」
「っ!?」
麗が驚いて米良を見返す
では、この米良という男は麗が持っている「エフ」の匂いを嗅ぎつけていたことになる
だから、確信を持って麗に接したのだ
「・・・・でも、その「エフ」は私の知っている「エフ」とは違います」
フ・・ッとグラスを拭く手を止めた米良が、「エフ」を忍ばせている麗のジャケットの内ポケットを見つめながらそう言った
「え?」
「・・・・一つだけ成分が抜けている。偽造品です」
真哉に視線を合わせ、きっぱりと米良が言い切った