求める君の星の名は
ACT 4
「今日の日直・・・浅倉と伊原か。じゃ、浅倉、悪いけど職員室の机の上に名簿を忘れてきたんだ、取ってきてくれないか?」
朝のホームルームを始めるために教壇に立った舵が、開口一番、七星にいつもの教師としての笑顔を向けて、そう言った
「あ、はい」
ガタン・・ッと、こちらも生徒としてのいつもの無表情さで立ち上がった七星が、舵に視線を合わせることもなく、教室を出て行く
その背後で「それと、伊原!前に出てクラス役員選出の司会頼むぞ!」という舵の声と、「へーい、了解〜」と間延びした伊原の如何にも気安い声が交わされている
いつもと変わらない・・・舵の態度
それは、七星と付き合い始める以前から、何一つ変わっていない
ただし、その態度は教師と生徒・・というしがらみのある時の事
週末に舵の部屋に行って2人きりで過ごす時、舵は七星を恋人として扱う
その、大人としての分別のあるケジメと、確固とした切り替えの落差と徹底した態度のおかげで、七星も気恥ずかしさを感じることなく気持ちを切り替えられていた
週末の金曜日、屋上で天文部の部活である天体観測を行った後、舵のマンションで一緒に過ごし終電で自宅に帰る・・・2年の夏休みの終わり頃から、いつの間にか二人の間での決まりごとになったそれは、ずっと今でも続いている
舵の家で恋人として肌を合わせてセックスしても、泊まることなく終電で自宅に帰る・・・それは七星が自分で決めた決め事だ
何より家族としての絆を一番大切にする七星にとって、それは自然な成り行きで・・・未だに破ったことのない決め事でもある
そして
今日はその金曜日・・・
部活のない春休みは、そのまま触れ合っていない期間でもあったのだ
(・・・・今日は2人きりで会えるな)
職員室に向かいながら心の中で呟いた七星の耳朶が、薄っすらと朱に染まる
春休み最後の日、初めて自分から濃厚なキスをしたものの・・・まさかそこでそのまま事に至れるわけもなく、その場はキスだけに留まった
帰りの車の中で舵が誘ってくるかと思っていたのに、なぜか舵はそんな話題には一切触れず、違う話ばかりに終始し、七星を家に送り届けて帰っていった
拍子抜け・・・すると同時に駆け抜けた一抹の不安
山桜を見つめていた、舵の視線
あれはただ単に桜を見ている眼差しではなかった
桜の向こうに居る、誰か・・・
何か・・・を見ていた
それを咎めた途端、向けられた笑顔・・・
あの笑顔は舵の本心からの笑顔ではない・・・そう、感じた
父である北斗が、意にそぐわない客の相手をしている時に見せる、自分の意思を完全に殺して貼り付ける、仮面の笑顔
それと同じ笑顔だと、直感した
北斗も何か違う事を考えている時に声を掛けられると、時々無意識にその笑顔が出ることがあった
つまり
舵もまた何かしらの理由で、そんな仮面の笑顔を貼り付けていた時期があった・・・ということ
七星の知りえない、舵の過去の中で・・・
「・・・失礼します」
そんな事を悶々と考えながら、七星が礼儀正しく一礼をして職員室の舵の机に向かう
舵の机の上は几帳面に片づけられていて、その真ん中に、黒皮表紙の名簿が置いてあった
忘れてきた・・・というよりは、置いていった・・・そんな置き方で
「・・・・・これ、だよな?」
訝しげにその名簿を持ち上げると、その下に・・・・
『本日の日直へ』・・・と書かれた、事務用茶封筒が一つ
どう考えても、それは舵から七星に宛てたもの・・・だ
名簿と一緒にその封書を手にした七星が、入ってきた時同様、礼儀正しく職員室を後にした
どこの教室でも既にホームルームが始まっていて、人気のない廊下を歩きながら七星が封書の中身を取り出す
『・・・・カツン』
手紙らしき一枚のメモと・・・廊下に滑り落ちた銀色の輝き
「え・・・!?」
慌てて拾い上げたそれは・・・
「か・・ぎ?」
見覚えのあるその鍵に、七星の心臓がドクンと鳴った
ハ・・ッと、一緒に入っていたメモを見ると
今日は部活はなし。
その代わり、少し遠出がしたいので、もしも一緒に行く気があったら
部屋で待ってて。ひょっとしたら泊まりになるかもしれないので
それを覚悟で。じゃ。
手紙の内容を読み終えた七星が、ギュ・・・と手の中にある硬質な鍵を握りこむ
「・・・やっぱ、舵の部屋の・・・!」
いつも舵の部屋に行く時は、天体観測を終えて舵と一緒に行っている
だから合鍵をもらう必要もなかったのだ
なのに、どうして急に?
そんな疑問がよぎりはしたものの、今、自分の手の中に確かに在る銀色の輝きが、舵との目に見えない繋がりを形にしてくれているようで、七星の口からホゥ・・ッと安堵の吐息が溢れ出る
手の中に握りこめるほどの、ただの小さな鍵
それがこんなにも気持ちを軽くしてくれる・・・!
思わず緩みそうになる顔を引き締め、ソッと鍵をポケットの奥深くに突っ込んだ七星が、読み終えたメモと封筒をグシャと潰してダストボックスに放り込む
再び教室のドアを引き開けて舵に名簿を手渡した時、一瞬交し合った視線で鍵の享受を確かに確認しあう
七星が席に戻ったのを確認した伊原が、クラス役員選出方法に決定した、くじ引きを始めた
「えーと、じゃ、全員揃った所でくじを引きたいと思います。さっきも言ったけど役に当たった人は必ずやる事!嫌なら自分で代わりの人を見つけるように!」
そう言って、全員の出席番号の書かれたくじの入った袋に手を突っ込むと、図書委員・清掃委員、広報委員・・・・と、引き宛てた番号の名前を黒板に版書していく
教室中がその書き出される名前にざわついて、当たったものはあきらめ顔に
まだの者は当たりませんように・・・!と手を合わせたりしている
最後に、クラス委員長を引いた伊原の口元が、ニヤリ・・と微かに上がった
「じゃ、最後にクラス委員長!・・・浅倉 七星君〜〜!」
「・・・えっ!?」
呼ばれた名前に、七星が驚いて弾かれたように顔を上げた
「ひゃー!浅倉かー!いいじゃーん、頼んだぜー!」
「いよっ!委員長〜〜!」
「がんばれよ〜〜!」
一気に沸き立った教室中のあちこちから、七星に向かって歓声が上がる
「ちょ・・と、ま・・・」
焦ったように立ち上がって言いかけた七星の言葉を、伊原が躊躇なく遮った
「以上!決まった者に拒否権はありません!どうしても嫌なら、他の誰かに代わってもらうように!終了〜〜」
「っ!!」
思わず言葉を失った七星が、集まる視線と伊原のいかにも楽しげな笑顔に、力なく椅子の上にへたり込む
それと同時にチャイムが鳴り響き、HR終了を告げた
板書した役員名を日直日誌のノートに書き写している伊原の横に立った舵が、伝達事項を告げる
「よーし!じゃ各自与えられた役目をしっかりこなす事!それと・・・クラス委員長!後で修学旅行のアンケート集めておけ!放課後、集計して持ってくること。あと、進路希望調査も月曜日が締め切りだから、忘れず提出するように。以上」
舵の言葉と共に次の教室移動の授業に向けて、ザワザワと生徒達が動き始める
ノートに板書を書き写し終えて顔を上げようとした伊原の頭を、舵がグイッと押さえつけた
「っ!?ちょ・・っ」
「何が目的なのかな?伊原君は?」
傍目には、写し終えた板書内容を確認している風に装いながら、舵が伊原に鋭い視線を注いでいる
「げ・・・さすが舵。やっぱ、ばれてた?」
「当たり前だ。理由次第によってはやり直しさせるぞ」
「・・・・浅倉のためだって言っても?」
上目遣いに意味ありげにそう言った伊原に、舵が押さえ込んでいた手を解く
「浅倉のため・・・?」
訝しげな表情の舵に、顔を上げ、視線を合わせた伊原が頷き返す
「あいつさ、こうでもしないとクラスとか学校の行事に参加しねぇんだもん」
「・・・そうなのか?」
「修学旅行だって、小・中と行ってないんだぜ、あいつ」
伊原の継げた言葉に、舵が思わず目を見開いた
「なんで・・・?!」
「家の事とか、父親の仕事絡みのこととか、いろいろ・・・。だからさ、舵も協力してくれよ。俺達の浅倉との思い出作りにさ」
「俺達・・・?」
「そ。ちなみに何回やり直したって結果は同じだぜ?クラスの大半が望んでる結果だからな」
「!」
絶句した舵の胸元に日直日誌と書かれたノートを押し付けた伊原が、意味ありげに、二ヤリ・・・と口角を上げる
「2年の後半くらいから、浅倉変わっただろ?それ、結構大きいと思うぜ。だろ?せ・ん・せ?」
いかにも楽しげに顔を覗き込んできた伊原に、舵がおもむろに押し付けられたノートでその顔面を叩き返す
「無駄口きいてないでとっとと行け!次、教室移動だろうが!」
「いってー!へいへい、じゃ、そおいうことで!あとはよろしく〜〜」
「・・・ったく!」
へへへ・・・といかにも伊原らしいニヤついた笑みを軽く睨み返しながら、舵が教室を出て行った
教室移動の準備に伊原が席へと戻ると、その一つ前の席の七星が、ムッとしたような顔つきでまだそこに座っていた
「あれ?どしたの?浅倉?もう行かねーと遅刻だぜ?」
「・・・・なに、話してた?」
「・・・・へ?」
「・・・・なに、話してたんだよ?」
ムッとした表情のまま、七星が剣呑とした目つきで聞いてくる
その七星の表情と態度に、伊原が目を丸くして七星を見つめ返した
「・・・・・なんだよ?」
答えを返さずに、唖然とした顔つきで自分を見つめている伊原に、七星が堪らず問い返す
「・・・あー・・・いや、白石が前に言ってたことはこの事かと・・・・」
そう言った伊原が「なるほどねぇ・・・」と、マジマジと七星のその顔を凝視した
恐らくは、舵とも、自分とも気心の知れた存在である伊原だったからこそ出たのだろう・・・七星の嫉妬心丸出しとしか思えない、その声音、その表情・・・・
以前、舵が七星をパパラッチから守ろうとして暴行を受け、入院した事を告げに言った白石が見た、七星の激昂した表情と行動・・・
『あんなもん見せられたら、そりゃあ・・・』そう言って、肩を落とした親友の言葉の意味を、伊原はようやく理解出来たのだ
「・・・白石がなんだって?」
だんだんとニヤニヤ笑いになっていく伊原の表情に、七星が更に不機嫌口調になって聞く
「あのさ、浅倉って、今自分がどんな顔してるか分かってねーだろ?」
「・・・なんだそれ?」
「仕方ないなー、教えてあげましょう!」
そう言った伊原が、不意に七星の耳元に口を寄せ、早口に告げる
「舵が俺と仲良さそうに話してるのが、ものすっごく気に入りませんでした!って顔してるっつってんの!」
「っ!?」
目を見開いた七星の耳朶が、見る見るうちに朱に染まっていく
そのあまりに素直な反応に、さしもの伊原もガックリと肩を落とした
「・・・んな素直に反応返すなよ・・・こっちが恥かしくなってくるだろ」
「し、知るか!勝手に言ってろ!!」
言い捨てた七星が教科書を掴んで立ち上がり、教室移動のために早足で歩き出す
「うわ、ちょっと待てよ!一緒に行こうぜ!浅倉く〜〜ん」
始業開始のチャイムを聞きながら、慌てて後を追って教室を出た伊原を、七星が廊下の曲がり角で立ち止まって待っていた
先に行っていれば遅刻しなくてすむというのに
七星は、自分を食い物にしようとする者達や、害を為す者達に対しては徹底して情け容赦ない厳しい態度を取る
だが、半面
クラスの友人達や、いったん関わり合いになった者達・・・
そういった身近で意図的に害を為すことが無い者達に対しては、いつも、誰に対してでも、こんな風に優しい
だから
一度でもその七星の優しさに触れた者達は、もう一度その優しさに触れたいと
いつか・・ごくごく親しい者達にしか見せない笑顔を向けられてみたいと
家族に対して振舞うように、その手で触れられてみたいと
そんな思いを抱かずには居られなくなるのだ
七星のクラスメイトになった者達の大半が、そう思っているように
そして今までは、表立ってその意思表示をすることを七星が放つ雰囲気が躊躇させていた
それが、パパラッチ事件のあった高2の後半から急激にその雰囲気が払拭されていったのだ
よく笑うようになり、写真を撮られることも嫌がらなくなった
そして、なにより・・・
そこに居るだけでつい、視線が吸い寄せられる艶っぽさ・・・が新たに加わった
「・・・・そういうの、きっと凄いことなんだぜ?・・・自覚ねーんだろうけど」
小さく呟きながら、伊原が嬉しげに、待っている七星に駆け寄っていった