求める君の星の名は
ACT 37
<修学旅行2日目・成田屋本店内>
朝の8時にバスに乗り込んだ一行は、二条城、金閣寺と見学して廻り・・昼食のため京都でも一番の老舗”成田屋”本店へと到着した
今ではホテル・レストラン業界の最大手”成田屋”として、全国にチェーン店展開している大企業だが、この本店はそんな大企業になる以前、一介の料理屋として歩み始めた頃の町家造りそのままだ
如何にも京都らしい趣と、歴史を感じさせる店構え・・・を残しつつ店舗を拡張し、みやげ物屋も併設してある
大きな暖簾がかかった格子模様の引き戸の向こうにある土間と、磨きこまれ黒光りする板張りの廊下
ひんやりとした心地良さと、足滑りの良い木の感触を楽しみながら行った先にある中庭
その中庭を囲むようにして、客席が設けられ
どの位置に座っても緑豊かな風情のある庭を眺めながら会食出来る造りになっていた
さすがにその歴史を感じる雰囲気と、無造作に置かれた、まさに芸術品ともいうべき家具や調度品の数々
中で働く従業員の腰の低さや、そのハンナリとした受け答え
普段は騒々しい高校生達だが、さすがに場の雰囲気を察してか、騒ぎ出すものも居ない
それぞれの前に懐石風のお重弁当が置かれ、食事が始まると、たちまちにぎやかな話し声と華やかな雰囲気に包まれたが、終始穏やかで和やかな昼食タイムになった
そんな中
早々に食事を終わらせた七星が、トイレに立つ振りをして店の奥・・・厨房近くに居た初老の従業員に声をかけた
「あの・・・すみません。こちらに成田 仁さんは・・・」
言いかけた七星の言葉を遮るように、初老の男が「ああ!」と一気に相好を崩し、ニコニコと七星に会釈を返した
「浅倉七星様ですね?ようこそおいで下さいました。私、ここの番頭頭で若松いいます。仁坊ちゃんからお話は伺っておりますので・・・さ、どうぞ」
そう言って、若松が店の更に奥へと廊下を案内し・・・横の壁にあった引き戸を引いた
一瞬、納戸か何かか?と思ったその壁の中には、2階へと続いているらしき階段が隠されていた
「え・・・!?こんなところに!?」
「ここは古いお屋敷ですよってな、昔、お武家はんとかお殿はんとか・・・まあ、内々な話し合いをするための部屋やら、店の中から逃げ出す仕掛けやら、ぎょうさんあるんですわ。ほな、足元に気ぃつけて」
事も無げに言った若松について急な勾配の階段を登ると、そこには更に引き戸があり引き開けるてみると、どうやら座敷の押入れのようだった
普通は2段に分かれている押入れだが、その階段の為なのだろう・・納戸のようにガランとしてなにもない
大昔なら真っ暗だったろうその場所には、階段と同じく足元を照らす淡い感知式フットライトが付けられていた
ガラリ・・ッと若松が戸を引き開けると、眩しい光とともに座敷の机の上で何やら書きモノをしていたらしき若い男の姿が、七星の視界の中に飛び込んでくる
「仁坊ちゃん、お客様がお越しです」
座敷に居た若い男に向かって声を掛けた若松が、眩しげに目を細めている七星の横で会釈を返し、「ほな、ごゆっくり・・・」と言い残してもと来た階段を戻って行った
「浅倉七星さんですね?初めまして。成田 仁、言います。どうぞよろしゅう・・・」
机の上でやりかけていた作業を手早く片付け、立ち上がった仁が七星に向かって笑み返し、ペコリ・・と頭を下げた
店の手伝いでもしていたのだろう・・・その服装は清潔感溢れる白い厨房着だ
こざっぱりと短く刈り揃えられた黒々とした髪
その下にある黒い双眸は、屈託なく細められ笑ってはいるが、キリリと釣りあがった太めの眉が、その笑みの下に隠された意志の強さを伺わせた
その瞳から続く、日本人離れした高く通った鼻梁、長い手足・・・・
どこか異国の血が混ざっていることを伺わせるに十分な、すっきりと整った容貌だ
・・・・・・・・京都でも一番の老舗・成田屋にして初のハーフの後継ぎ・・・か
確か双子で・・・成田仁は弟の方だったな
麗から事前に聞いていた事実を再確認しつつ、七星も仁の人当たりの良さに緊張を解き、笑み返した
「こちらこそ、いつも麗がご迷惑をおかけして申し訳ありません。一度キチンとお礼を言いたくて・・・」
「迷惑やなんて、そんな!俺が勝手に送りつけてるだけなんです。麗さんの意見、結構厳しいて・・ええ勉強させてもうてます」
軽く会釈を返した七星に、とんでもない!とばかりに言い募った仁が向かいの席を七星に勧め、自らも再び腰を降ろす
すぐ横に置いてあったお茶と急須のセットでお茶を淹れ、七星の前へと差し出した
季節がら、新茶なのだろう・・・その清々しい香りに七星がホッと息を付く
「ほな、あんまり時間もないことですし。さっそく、明日の段取りを・・・」
そう言った仁が、先ほどまで机の上に広げていた書き物の中から、数枚の紙を取り出して七星の眼前に並べた
麗から仁に連絡を取ってもらうとき、茶に興味があり滅多に見られない正式な茶懐石というものを、一度見てみたいから・・・という事にしてもらっている
そこには、明日の茶懐石が行われる離れらしき建物の簡単な見取り図、膳の配置場所、懐石料理の順番・・・などが分かりやすく図解付きで記されていた
飯・汁・向付(折敷膳)から始まり、酒一献、飯器・汁替、煮物碗、焼物鉢、進肴・・・・と、出される料理の名前と説明まで、全くの素人である七星が見ても、キチンと理解できるよう配慮されているのが分かる
「これ・・・!成田さんが!?」
その細やかな心遣いに驚いた七星が、目を見開いて仁を見つめ返す
「あ、俺の方が歳も下やし、仁でええです。一応分かり易う書いたつもりなんですけど・・・どないですか?大体の流れ・・・みたいなん、分かりはりますか?」
「大体・・・なんてものじゃない。凄く良く分かります。それにしても・・・凄いですね。茶懐石って、こんなにたくさん決まり事が・・・?」
思わず七星の口からそんな言葉が流れ出るほど、茶懐石の作法には、実に事細かな決まり事・・・がある
亭主と正客(しょうきゃく)の挨拶から始まり、連客(れんきゃく)との連携
亭主は給仕に徹し、客と会食することはないし
客は食べた後の食器を簡単に清めることも特徴の一つだ
そこには、にぎやかで楽しい雰囲気は欠片もない・・・と言って良い
だが
それが、伝統的な茶懐石の有り様だ
「基本、亭主が料理の運び出しをしますんで、浅倉さんは下げられた膳の後片付けを手伝ってもらうことになります。ほな、膳の下げられる場所の説明から・・・」
顔を付き合わせた七星と仁が、細かい打ち合わせを始めた
その頃
急に姿の見えなくなった七星を探して、舵がさりげなく店内に視線を彷徨わせていた
白石と伊原も七星を探しているようで・・・
キョロキョロ・・と周囲に気を配りながらも、土産物売り場を物色している
「・・・・まさか、店の中から出るわけはないし・・・」
舵が思案気に眉根を寄せる
今は料理屋のみ・・・の経営だが、昔は旅館としても使われていた店である
店の中に立派な中庭がある事からも分かるように、店内はかなり広い
今はほとんど使われていないが、2階にもいくつか座敷がある
ひょっとして、そちらの方へ入り込んだのか?
ふと思いついた舵が、迷いのない足取りで七星が案内されて行った、あの、厨房横の店の更に奥へと続く廊下の方へ向かって歩いていく
すると
「・・・あの、お客様!申し訳ありません、そこから奥は従業員専用になっておりますよって・・・」
不意に舵の背後から掛けられた声に、舵が振り返る
その、舵の顔を見た途端
初老の番頭頭・・・若松が、魅入られたように舵の顔を凝視した
「・・・ひ・・びき・・はん?」
「え・・・?」
呼ばれた名に舵が眉根を寄せ、その名を呼んだはずの若松がフルフル・・と頭を振った
「いや、まさかそんなはず・・!えらいすんません。お人違いでしたわ。あんまりよう似てはったもんやから・・・」
慌ててペコリ・・と頭を下げた若松に、舵が聞く
「ひびき・・?今、確かそう言いましたよね?そんなに似てるんですか?」
「はあ、昔の上得意さんに居はった・・若い頃の響(ひびき)はん言うお人とよう似て・・・・」
言いかけた若松が、ふと、怪訝な顔つきになって舵を見据えた
「・・・お客様、失礼ですが・・・以前どこかで・・・?」
そう問いかけた若松に、舵がフ・・ッと笑って七星が入って行った引き戸を振り返る
「あそこから上がった部屋、一番好きだったんですよ?一人になりたい時に良く使わせてもらった・・・」
「え・・・っ!?」
「松さんに分からないくらいだ・・・俺はずい分と変わってしまったってことかな?」
苦笑を浮かべた舵の、”松さん”と呼んだ名に、若松の表情がゆっくりと驚愕の顔つきに変わっていく
「っ!?ま・・さか!若・・坊ちゃん!?村田の・・・!?」
「黒く染めてた髪を地毛の色に戻しただけなんだけどなぁ?でも、あれからもう十年近くたつし・・・そんなに変わった?」
今は明るい栗色の髪を、舵が無造作にかき上げる
その・・・何気ない仕草に、若松が目を見張った
「髪を染めて・・・!?そうでっしゃろな・・・そんだけ似てはったら・・・」
言いかけて、ハッと口を噤んだ若松に・・舵の顔から笑みが消えた
「・・・松さん、村田の家にも良く出入りしてたもんね・・・そう、そんなに似てるんだ。その・・響って言う人と。じゃぁ、明日の茶事に俺が行ったら、村田の親戚筋の顔が見ものってことだな」
「え・・・若坊ちゃん・・・?」
「明日・・出るんだ、村田の茶懐石に・・・。はっきりケジメをつけようと思ってね。で、松さん、その響って言う人の事詳しく聞かせてくれないかな?」
「・・・ケジメを・・・そうどすか・・・。せやったら、直に宗和(そうわ)はんに聞かはった方がええでっしゃろ。私ら使用人は、噂でしか知りしません。若坊ちゃんがお知りになりたいんは、そういう噂やないんでしょう?」
「相変わらず手厳しいなぁ・・・。そうだね、そのために俺はここに帰ってきたんだし・・・そうするよ。あ、そうだ。こっちにうちの生徒こなかったかな?」
「生徒はん・・・?いえ、こちらには誰も・・・」
「そう・・・こっちじゃないのか・・・。じゃ、他を当たってみるよ、松さんが元気で安心した。仁君も元気にやってる?大きくなってるだろうね」
「へえ、おかげさんで・・・仁坊ちゃんも元気でやってはります」
「ケジメをつけたらまた来るよ。仁君にもよろしく言っといて」
「へえ、お伝えしておきます。若坊ちゃんも、おきばりやす」
そう言って深々と頭を下げた若松に、舵が『じゃあ、また・・・』と言ってきびすを返す
その後姿が見えなくなるまで見送った若松が、盛大なため息を吐き出した
「ほんまに・・・あないに似てはったんどすなぁ・・。おまけに仕草までよう似てはる・・・宗和はんには、ほんに、お辛いことでっしゃろ・・・」
さて、仕事へ戻ろか・・・とばかりに引き戸の前を通りがかった若松が、ふと、その足を止めた
仁に来客中でなかったら、引き合わせたのに・・・と思いつつ、さっき舵が言った『うちの生徒・・』が先ほどの客人の事だったか・・・?と引き戸を見上げる
まあ、どのみちここを出るまでには用事を済ませるだろう・・・と思い直して歩き出そうとした若松が、ハッとした様にその足を止めた
「・・・そうや・・・若い頃の響はんが映った写真、一枚だけ仁坊ちゃんにお渡しした茶懐石の資料の中に・・・!」
呟いて、慌てて振り返ったものの・・・もうそこに舵の姿はない
「・・・・まあ、今更やろし・・・。ほんに、あんじょうおきばりやす、若坊ちゃん・・・」
もう一度、既にそこに居ない舵に向かい、若松がふかぶかと頭を下げた
「・・・ほな、明日の段取りはこんなもんです。さすが麗さんのお兄さんだけありますね。呑み込みがはようてビックリですわ」
机の上に広げていた資料をトントン・・とまとめ、仁がそれを七星の前に差し出した
それをありがたく受け取った七星が笑み返す
「いや、仁君の方こそ、その年でこんな茶懐石を仕切れるなんて・・・凄いな。さすが老舗・成田の後継ぎだけの事はある」
「後継ぎやなんて・・・とんでもない!成田を継ぐんは兄の方ですよって・・・」
「え・・・?」
意外そうに目を見張った七星に、仁が慌てて言い繕う
「あ・・!すんません。こないな内内の話・・・。俺はただ料理つくるんが好きで、その仕事に携われるだけでええんです。ホテル経営とか・・俺には分かりませんし、兄みたいに社交的な性格とも違いますし・・・」
「・・・っ、俺も料理は好きなんです。仁君が送ってくれる弁当は、凄く斬新なアイデアと味付けで・・・いつも感心させられてる」
仁の沈んだ声音とその雰囲気に、七星がもうその事には触れずに違う話題に振る
麗から事前に聞かされてはいたが、やはり、成田の内部もいろいろあるらしい
ホテル部門と料理部門・・・いつの間にか枝分かれしていった成田の内部構造が、たまたま生まれたハーフの双子・・・によって、はっきりとその方向性を異なるものにしつつあるようだ
「あ、麗さんからよう話聞かせられてます。プロ顔負けの腕前や・・いうて。いつも自慢話を・・・!」
「え!?とんでもない・・・!麗の奴、そんな事を!?」
「ええ、それはもう、自慢どころやないくらいに・・・!でも、お会いしてよう分かりましたわ。ほんまによう勉強されてはる・・・!せや、先代の作った懐石料理で珍しいもんがあるんです。確か、こっちに写真が・・・」
互いに料理好き・・・だと分かって一気に打ち解けた感のある仁が、片付けていた資料の中からファイリングされた写真を広げた
興味津々・・とばかりに覗き込んだ七星が、仁の熱のこもった説明に聞き入りながらその写真に目を通していて・・・そのうちの一枚に視線が釘付けになる
それは
膳の配置を少し離れた所から撮影したもので、その膳の横に居た人物も一緒に映りこんでいるものだった
その、映った人物の横顔に、七星が思わず目を見張った
「ッ!?この・・人・・は!?」
七星の驚いた表情に、仁もその指先で示された写真の人物に視線を落とす
「このお人は・・・村田の家の方やと思います。先代の時代ですから・・・30年くらい前になりますね。このお人が何か・・・?」
「30年!?じゃ、この人が村田の家元?」
「いいえ、違います。このお人は・・・誰やろう・・・?すんません、昔の写真やし俺にもさっぱり・・・」
「え・・!?家元じゃない?こんなに・・・」
『そっくりなのに!?』そう言いかけた言葉を、七星が何とか呑み込んだ
そこに映った横顔は、あまりにも舵の横顔と酷似していた
ただ、違うのは、その瞳に宿る人を寄せ付けない冷たさ
その写真に写った横顔と、その瞳に・・・七星の背筋にゾクリ・・と悪寒にも似たものがせり上がってくる
・・・・・・この、目・・・どこかで・・・?
湧き上がった既視感
ハッと七星が目を見張る
・・・・・・そ・・うだ!あの、月蝕の日の・・・!
去年の夏
「AROS」の事業発足パーティー
赤銅色の”病める月”
あの月を見上げていた、男・・・!
サングラスで隠されて素顔は見えなかったが、その滲む雰囲気に浮かんだのが・・・舵の顔だった
あの時の男と良く似た目を持つ、写真の中の男・・・
その男が、村田の家の人間!?
しかも
こんなにも舵と酷似した容貌なのに、家元じゃない・・・
七星の中で、舵が家を出た理由・・・の輪郭がおぼろげに浮かぶ
もしも
もしも七星の直感が当たっていて、月蝕の男と写真の中の男が同一人物なら
・・・・・・あの男が、舵の・・・!?
そこまで思って、七星が出来あがりつつあった理由の輪郭に蓋をする
全ては憶測
ただの勘
それに、あの月蝕の男と舵が関わっていて欲しくなどない
あんな・・・
よりにもよって、あの、アルと似たゾッとするような冷たさを放った・・・あの男となど!
「あのぅ・・・浅倉さん?このお人がどないかしたんですか?」
ジ・・・ッと瞬きも忘れてその写真を見入っていた七星に、仁が怪訝そうに問いかける
「あ・・・、いえ、すみません。知っている人と良く似ていたので、ちょっと驚いて。でも30年も前なら全然人違いですね」
「そうですか・・・っと!時間!もうそろそろ集合時間ですよって、バスの所に戻らんと・・・!」
「えっ!?」
仁の言葉に、慌てて腕時計を見やった七星が、集合時間まで後数分・・・!という事に気がついて腰を浮かす
「すみません、それじゃ明日はよろしくお願いします!」
「はい。お待ちしております」
仁に用意してもらった資料を抱え、来た時と同じく押入れの襖を開けた七星が軽く会釈を返しつつ・・・最後にもう一度あの写真に視線を落とす
そこに写った、その顔を脳裏に焼き付けながら七星が襖の戸を閉め、遅刻ギリギリで集合場所に姿を見せた