求める君の星の名は










ACT 39











<修学旅行初日・深夜・村田家離れ茶室>



「カタン・・・ッ」

もう深夜も近いというのに、裏木戸の戸が開いた

小脇に抱えた、黒塗りの菓子器
片手に下げた、竹で編まれた一輪挿しの籠花入(かごはないれ)

音がしないよう用心深く裏木戸を閉じた村田紀之が、庭先に灯る灯篭の明かりを頼りに飛び石を渡る
籠花入の中に咲く、”鉄線”という名の真っ白な花がその足取りにあわせて揺れ、闇夜の中でその存在を主張した

見上げた夜空に月影は無く
煌く星と天の川が鮮やかにその夜空を彩っている

スル・・ッと茶室独特の狭い木戸を開け、先に菓子器と籠花入を室内に押し入れる
その後に続いて、ス・・ッと音も無く滑らかに膝を進めた紀之が、背中越しに滑らかな動きで木戸を閉めた

さて・・・と、腰を上げようとした紀之が、ギクリ・・ッとその動きを止めた

ひしひしと感じる、注がれる視線
顔を上げ、確認しなくても分かる・・・薄闇の中で爛々と輝く獣そのものの双眸
捕らえられたら最後、魅入られて、身体の自由さえ奪われる・・・その視線


「・・・ほう、”鉄線”か。花の時期は一時、冬には葉も枯れ落ち、まさに鉄線の如き黒い蔦(つた)のみが残るのみ・・・まるで俺にあつらえた様な選択だな?」


不意に注がれた・・・笑いを含んだ低く響く声音
どんなに忘れたくても、決して忘れる事など出来ない・・・その声の持ち主・・!


「っ、ま・・さか、響(ひびき)にい・・さん・・っ!?」


驚愕の声と表情になった紀之が、弾かれたように顔を上げた

その紀之の視線の先

一段高い、大きく取った格子窓・・・そこに、いつもと変わらず唐突に
庭から射す灯篭の明かり越しにその整った容貌を見せ付けて、座す男

最後に見たのは10年前のはずなのに、まるで時に置き去りにされたかのように、昔のままの容貌で

紀之が兄と呼ぶ、村田響(むらたひびき)が、そこに居た


「どうした?まるで幽霊でも見たような顔だな?」

「あ・・たりまえや!この10年もの間、一体どこで、何を・・・!?」


実際、
紀之は、もう、響は死んだものと思っていた
貴也が出奔した年、今と同じくフラリ・・・とこの茶室に現われ、それっきりぷっつりと姿を消していた

それまでは、少なくとも数年に一度・・・貴也が生まれてからは1年に一度は必ず、こんな風に唐突に紀之の前に姿を現していたというのに

貴也の出奔から一年が経ち、同時に響も丸一年、姿を見せなかった
その事実は、紀之の中に深い絶望の影を落とす


・・・・・・・・・見捨てられた


そんな思い

一番憎むべき存在
一番愛すべき存在

その両方を、同時に、失った
失うと同時に知った、自分の中の生き甲斐、生きる理由

年に一度でも良い・・・その人に会いたいがために
自分の手の中にあった存在を・・・かつて恋焦がれつつも決して手に入れられなかった存在そのものに育て上げるために

ただ

そのためだけに生き
そのためだけに茶の世界に身を置いた

そしてそれを失い、それでも捨てられなかった僅かな希望・・・”また、帰ってくるかもしれない”

そのかすかな望みにかけて、紀之は「宗和」の名を継いだ
ただ、その日を待つためだけに

そして今、その待ち焦がれた存在が、唐突に、けれど当たり前のように


ここに、居る


まるで昔見たビデオのように、響が以前と寸分違わぬ動きで格子窓を開け放ち、取り出した煙草に火をつけて、紫煙を上げる


「・・・・・自分の子が、自分そっくりになっていく気分は、どうだ?紀之?」


ゆっくりと紫煙を吐きながら、響が紀之の問いなど無視して問い返す

響の言う”自分の子”が沙耶であり、”自分そっくりになっていく”というのが、あの、瞳に宿る色の事だと、見据える響の獣の双眸が、明確に紀之に告げていた


「っ!?何を・・急に・・・っ」

「俺は・・・お前に感謝しているよ」

「は・・・っ?」


唐突に言い放たれた言葉に、紀之がその言葉の意味を理解できずに目を瞬く


「こんなにも自分の子が可愛いものだとは、知らなかった。可愛くて可愛くて・・・二度と這い上がれないどん底へ突き落としたくなる」

「な・・・っ!?」

「俺と同じ顔、同じ髪の色、同じ目の色・・・この世に二つとない最高のオモチャだ・・・そうだろう?」


クック・・・と肩を揺らした響が、驚愕の表情になった紀之に見惚れるような笑みを返す
人の心を虜にし、その笑みを得られる為なら、何をも差し出す・・・そんな悪魔のような笑み


「なに・・を、何を言って・・・っ!?貴也は・・・っ」
「そうだ、お前の物じゃない」


紀之の言葉を遮って、響が冷たく言い放つ


「あれは、俺の物だ」
「っ!!」


薄笑いを浮かべた・・・壮絶な笑み
背筋をゾ・・ッと震撼させ、それでも視線をそらす事を許さない獣の双眸


「言ったはずだ・・・お前には何も与えないと。お前はただ俺を憎んでいればいい。寝ても覚めても尽きる事のない憎悪・・・それが俺の望みだと。お前は一生俺に囚われたまま生きろ」

「そ・・・んな、」


苦悶の表情になった紀之に、響が一転してこの上なく優しい笑みを注ぐ


「・・・茶を点てろよ、紀之。飲んでやるから」

「・・・ぁ、」


小さく息を呑んだ紀之が、その、自分以外にに注がれる事のない笑みを凝視する


「言っただろう?俺はお前が点てた茶以外、飲まない。お前が茶を点てる姿を見るのが好きなんだ」

「・・・・っ」


今までの背筋を震撼させる冷たさは見る影も無く
ただ、柔らかく、優しい笑みと言葉が、紀之に惜しげもなく注がれる

紀之以外、他の誰にも注がれることのない、その笑みと言葉


「・・・わかり・・ました」


真の礼を返した紀之が、風炉の前に座す


改めて、自覚する
自分が何故、茶を始め、今まで続けてきたのか


それは、ただ、この一瞬の時間を得るがため


兄として、この男が点てる茶に惹かれ
そして、自分よりも兄が興味を持っていた茶に嫉妬し、その茶を真似た
ただ、兄の関心を引き、兄の視線が注がれる事に、一喜一憂した

紀之が点てる茶は、全て、この兄を模倣し、兄のためだけに、舞う舞だ


月影すらない、朔の夜に
紀之が立てる茶筅の音色が、静かに星の瞬きを誘うように響き渡った










「・・・・・あら、今夜は朔の夜やったんやねぇ」

寝付かれずに庭に出た村田沙耶が、月影がないせいで一際輝きを増した星空を見上げている


もう、日付は変わったはずだから
明日には貴也がこの家に戻ってくる


そう思うと嬉しくて
早く時間が経てば良いのに・・・!そんな事ばかり考えて目が冴えてしまったのだ


「・・・・・ほんまに、どうして貴也なんやろ」


ポツリ・・・と言った沙耶の表情が曇り、見上げていた夜空から目の前にあった池へと視線を落とす

庭先を照らす灯篭の明かりが映りこみ、項垂れた沙耶の姿を鏡のように映し出していた


身勝手な母親が家を捨てた時から、沙耶が母親代わりになって弟である貴也の面倒をずっと見てきた
小さい頃から神童と騒がれた自慢の弟は、成長するにつれ・・・母親がなぜ家を捨て出て行かざるえなかったのか・・・その理由を沙耶に知らしめていく

小さい頃からずっと疑問に思っていた・・・弟が髪を染めさせられる理由

その本当の髪色が、父親である紀之と母親である佐保子のどちらにもないはずの明るい栗色だと気が付いたのはいつだっただろうか

成長するにつれ、父親とかけ離れていく、まるで異国の血でも混ざっているのでは・・・?と思わせる彫りの深い目鼻立ち、親戚連中の誰にも似ても似つかない・・・その整った端整な容貌

口さがない者達によって囁かれる・・・噂話


・・・・・・・・貴也は、母親の不貞によって生まれた子供・・・!?


それが真実だと気が付いた時から、沙耶の中で貴也は、弟から一人の男になっていた

例え父親は違っても、母親は同じ
姉弟という血の繋がりは、決して消えることはない
でも、それを示してくれるはずの母親は、既に沙耶の中でその存在意義を失っていた

身勝手な母親を責め、母親と認めたくない・・・という感情
元々あったその感情に新たに”不貞”という決定的な嫌悪の感情が植えつけられる
それは日々大きくなり、禁忌という感覚を失わせていくには十分で
どんどん弟である貴也に惹かれていく自分を、止める術が沙耶にはなかった


「・・・・・・可哀相に、何をそんなに悩んでるのかな?」

「えっ!?」


不意に注がれた声に、沙耶がハッと顔を上げた

池の対岸に佇む、背の高いロングコートの男・・・!
その男の真横にあった灯篭が、クッキリとその男の顔を沙耶に認識させる


「っ!?貴也!?」


思わず沙耶が見間違ってしまうほど・・・その男の顔は、貴也と酷似していた


「似てるよねぇ?自分でも笑えるくらいそっくりなんで、驚いたくらいだ」

「あ・・なた、誰!?」


クックック・・・とさも可笑しそうに肩を揺らす男に、沙耶が警戒の声を上げる


「・・・・・・・分からない?」


池の対岸に佇んでいた男が、沙耶と視線を合わせたまま、ゆっくりと沙耶の方へと歩き出した


「・・っ、」


軽く息を呑んだ沙耶が、その男の持つ獣の輝きを放つ双眸に捕らえられ、その動きを封じられる


「可哀相に・・・君はずっと勘違いしてるんだよ。気が付いた時から・・・」


ゆっくりと、確実に
その男が沙耶の方へ歩み寄る


「いい目をしているね・・・紀之と同じ目だ。好きだよ・・・その目。絶対に手に入れられないものが、欲しくて欲しくてたまらない目・・・」


ついに沙耶の目の前に立った男が、目を見開いたまま固まっているその顔に指先を伸ばし、肩に掛かった沙耶の長い髪を絡めとリ、その目の前で弄ぶ


「・・・いい女になったねぇ?君が立てる茶はどんなにか美味しいだろうね・・・」

「っ、あ・・なた、まさか・・・貴也の・・・!?」

「そう、君の伯父さん・・・と言いたいところなんだけど、残念ながら赤の他人。
戸籍上は実子になっているんだけど、俺の中に村田の血は一滴だって流れてやしない。君が欲しがっている血の繋がりのない、ただの男・・・。君が心の奥底で求めていたのは、俺の方なんだよ。君は、あの、紀之の血を引いたただ一人の子供なんだから」


フフ・・・と男が思わず見惚れるような笑みを沙耶に注ぐ

途端

沙耶の背筋をゾクリ・・・と、なんとも言えない感覚が駆け抜ける

人を虜にする術を知り尽くした男の眼差し
人を死に至らしめるほどの強い毒だけれど、それを承知で味わいたいと思ってしまうほどの・・・甘い毒


貴也が潜在的に持ちつつもそれを本能的に封じているのと裏腹に、惜しげもなくなくその毒を誇示し自在に扱うのが、この男


「・・・君も欲しいだろう?どうやったって手に入れられないモノと同じモノが・・・。あれは決して君に与えてはくれないよ?何しろあれは君が自分に対してどんな感情を持っているか知っている・・・それを知った時から、あれは女を抱けなくなった。そう、真一が言ったろう?」

「なっ!?何であなたが、そんな事・・・!?」


沙耶が驚愕の表情で間近にある男の顔を凝視する
確かに、野上真一に貴也と別れるよう話しに行った時、まるで蔑むような目で沙耶を見据え、真一もそう言った

・・・『貴也さんが男と寝るようになったのは、あなたがそうさせたからだ』と・・・

そう言われて、沙耶は反論できなかった
貴也に近付く女はことごとく排除して、誰も近づけさせなかった・・・それは真実
そのうちに相手が男になってくると・・・それに対しては見て見ぬ振りをした

最初の頃は遊びでなら、芸者や舞妓はまだ許容範囲だった
けれど、そのうちにそれすら許せなくなっていった

男なら見て見ぬ振りが出来るのに、女に対しては出来なかった・・・その理由
それはひとえに、もしも子供が出来た時、その子供に、他の女の血が混ざる事が許せなかったから

村田の家を継ぐのは貴也であり、その貴也の後を継ぐに相応しい子は、村田の家の血を最も濃く受け継いだ・・・自分と貴也の血を継ぐ子・・・!

決して叶わない、どんなに欲しくても、決して手に入れられないモノ
だからこそ、心の奥底で、ずっと、欲しくて欲しくてたまらなかったモノ


「どうして知っているかって?君が紀之とあの女の血を継いだ子供だからだよ・・・。
あの女は紀之が欲しがっているものを知って、それをあいつに与えてやったんだ。
そうしなければ、決して紀之が手に入れられないモノだったから。

君が一番良く分かるだろう?欲しくてたまらないモノを手に入れたいと思う気持ち。
俺なら、君に与えて上げられるよ?君が一番欲しがってるモノ・・・
一生、自分だけのモノにできる自分だけのお人形・・・だ」

「・・・一生、自分だけのモノにできる・・・お人形?」

「そう、可愛くて可愛くて仕方のない・・・自分だけのお人形・・・欲しくないのかい?」


沙耶の心の奥底を見透かすように、男が沙耶の顔を覗き込む

甘い誘惑
甘い毒

まるでくもの糸に絡め取られていくように、その男の言葉から抜け出せない

見惚れるような優しげな笑み
奥底に獣の輝きを宿した、視線をそらす事を許さない栗色の双眸


「・・・・欲しい・・わ」


瞬きすら忘れ、夢の中を彷徨う者の顔つきで、沙耶が言う


「・・・素直な良い子だねぇ。そういう子は大好きだよ・・・」


ゆっくりとその身体を抱き寄せ、沙耶の長い漆黒の髪に顔を埋めた男の口元に、壮絶な薄笑いが浮かんでいた




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