求める君の星の名は







ACT 40









<修学旅行初日・深夜・京都Rホテル内>



「え・・・と、エレベーターは・・・?と!あ、こっちか!」

部屋から出た昴が、来た時の記憶を便りにエレベーターホールへと向かう

最上階より一つ下のこのフロアは、最上階と同じく少し入り組んだ構造になっていて、道順さえ間違わなければ、各個室からエレベーターホールまで、他の客室の人間と顔を合わさないですむ作りになっていた

・・・はずが

やはり、そこは昴である

キッチリと道順を間違えたようで・・・前方の角から、何か重いものを運んでいるような物音と人影が、近付いてくる

「え・・!う、うわ、どうしよう・・・!」

別にうろたえる必要もないのだが、何しろ今の昴は正規の宿泊客というわけではない
おまけにこの階の、このフロアは、いわゆるセレブな人間達が使う場所で・・・一般人でまだ中学生の昴が一人で居ていいような場所でもない

姿を見られて怪しまれて・・・警察に突き出されたって文句は言えないのだ

そんな思考に捕らわれた昴が、たまたま廊下の曲がり角に置かれていた、花の飾られた大きな花瓶の影に身を隠す

小柄な容姿が幸いし、その花瓶は、すっぽりと昴の存在を覆い隠してくれた

同時に廊下の角から姿を見せた人物・・・!
その人物の顔に、昴が思わず息を呑んだ


・・・・・・・・神谷!なんで・・!?あ、そうか片桐和也も会議に出席するって・・・!


花瓶の陰に隠れた昴の存在など全く気がついていない様で、神谷は大きなスーツケースを押して、ジュニアスィートと書かれた部屋へと入っていく


・・・・・・・・げっ、ジュニアスィートかよ!さすが片桐!
       ・・・にしても、なんだ?あの荷物?妙に重そう・・・


訝しげな表情でそんな事を思いつつ・・・神谷が出てこないうちに・・・!とばかりに、素早く花瓶の裏から抜け出た昴がエレベーターホールに向かう

廊下に敷かれたフカフカで足毛の深い絨毯の毛並・・・その中にクッキリと残された神谷が押していたスーツケースのコマの跡
あまりにクッキリと残されたその跡に、思わず昴が手を伸ばしてその跡に触れた

「なんだ・・・これ?よっぽど重たい物でも入ってたのか?一体何が・・・?」

呟いた昴の頭上で、エレベーターが到着した事を教える『ポンッ』という軽やかな音が響き渡る

その音に促されるようにエレベーターに乗り込んだ昴が、扉が閉まる直前まで、その・・・真っ直ぐに残されたコマの跡を、眉間にシワを寄せて見つめていた







「えっ!?もう終わっちゃったの!?」

一階のバイキングスタイルのレストランに到着した昴が、その入り口でホテルオリジナルのケーキやパンなどの販売をしている売り子の女の子に言い募っている

麗が言っていたとおり、もうバイキングスタイルのレストランは閉まっていて、残されていたのは、ガラスケースの中の小さなケーキと甘そうなデニッシュが数個のみ・・・

「うそー・・・こんなんじゃお腹の足しにもならないじゃん・・・!」

今にも泣き出しそうな顔つきになった昴は、その可愛らしい容姿と相まって母性本能をひどくくすぐる
『・・・少しお待ちいただけますか?』と、気の毒そうな顔つき全開になった売り子の女の子が、店のバックヤードの方へ駆け込んで行った

「・・・・?」

小首を傾げつつ待っていると
先ほどの女の子と供に、山高帽子に白いコック服姿の男が現われた

「お、ボーズ、腹へってるんやったら特別に食わせたってもええで?」

まるで子供のような屈託のない笑顔を浮かべた男が、ベタな関西弁で昴に向かってそう言った

「えっ!?ほんとに!?」
「おう、ただし!条件がある。ちょっとばかし仕事の手伝いして欲しいねんけど・・・どぅや?」

「や、やる!やります!!なんでもします!!」
「お、ええ返事やな。よっしゃ、ほな、こっち入ってきてんか」

男に促されるままにショーケースの横から店のバックヤード・・・レストランの厨房の方へ入った昴に、男が簡素なパイプイスを広げて座らせた

イスに座った昴の目の前には、初めて目の当たりにする銀色に輝く厨房器具の数々・・・と、それらを慣れた手つきで繰る男の指先

「残りモンであり合わせにはなるけど、美味いもん食わせたるからちょっと待っとってな!」

屈託のない笑顔で陽気に言い放った男が、まさに神業とも言うべき手際の良さであっという間に料理を仕上げていく

「そら、いっちょあがり!クルミ入りの人参ジュースのピラフにマーマレード風味のボイルドポーク、キャベツのビネガー風ホットサラダにキャラメルポテト添え!どや!?」

一気にまくし立てられたメニュー内容は、半分ほども昴の耳には届いていない
それより何より、視覚と嗅覚から得る美味しそうな見た目と香りに・・・「いただきます!!」と叫ぶやいなや、あっと言う間に食べ切ってしまった

「ごちそうさま!凄く美味しかったです!お腹もいっぱい!!」

満足げに言い放った昴が、キチンと椅子から立ち上がり『ありがとうございました!』と、ペコリと頭を下げて礼を言う
その礼儀正しい様子に、男がウンウン・・と実に楽しげに頷き返しながら、おもむろに昴に真っ白な厨房服を差し出した

「ええなぁ、その礼儀正しさ!その分やったら大丈夫やな。ちょっとこれ着て手伝ってくれるか?」

もともと手伝う・・のが条件でご飯を食べさせてもらった昴である
『ハイッ!』と、お腹も満たされ元気なったそのままの勢いで返事を返し、差し出された厨房服に袖を通す

昴の見た目である程度サイズも見越して持ってきたのだろう・・・着てみるとちょうど良い感じだ
さすがにソムリエエプロン風のサロンは長すぎて、何度か腰の部分で折り返して巻くはめになり、それがかえって細い腰と華奢な体つきを強調した格好になる
更に白い山高帽子に髪の毛をキッチリと入れ込んでしまうと・・・その可愛らしい女顔が一層引き立って、小柄な女の子のコック見習い・・・のようしか見えない

「・・・・お前、男やんな?」

その昴の姿をシゲシゲ・・と見つめた男がまるで確認するかのように聞く

「男です!!」

慣れているとはいえ、少しムッとしたように言い返した昴に、不意に男が手を伸ばし、その小柄な身体を抱き寄せた

「っ!?えっ!?」

驚いて硬直した昴だったが、反射的に身体が反応し、抱き抱えられた腕の中で身体を沈ませ相手の腕を取ろうとした・・・が、その動きを見越したかのように腕を掴まれ、腰を引き寄せられて反撃を封じられてしまう

「っ!?な・・・っ!?」
「・・・ふ・・ん、合気道・・・か。無駄な筋肉が一切無い、実戦仕様の鍛え方やな」

間近に昴の顔を見下ろした男が一瞬、まじめな顔つきでそう言ったかと思うと次の瞬間、ニコッと破顔して屈託無く笑み返す

「おま・・・っ!?ひ・・・ぃっ!?」

ハッと警戒心を露わにし、昴が男の腕から逃れようと本気で技を仕掛けよう・・とした瞬間、腰を引き寄せていた男の手が不意にその下にあった尻を揉みしだく

「うっわ、ええ感じに引き締まった小尻な上、手の平にジャストフィット!杏奈ちゃんに匹敵するええ尻や♪」

「どわぁっ!!な、なにしやがる・・っ!?」

思い切り男の身体を突き飛ばした昴が、真っ赤になって男を睨みつけ、臨戦態勢をとった
そんな昴からきっちり間合いを取った男が、ちっちっち・・・!とばかりに指先を振って笑顔で言い放つ

「青いなぁ。ちょっとムッとしたくらいで闘気醸し出してしもうたら、せっかくそれだけ相手を騙せる容姿やのに無駄にするだけやで?分かる奴は相手が発散する”気”の流れだけで、その器量と度量を判断できる・・・気ぃつけな、な?」

「え・・・・」

ついさっき、『男やんな?』と聞かれてムッとした瞬間、確かに昴は一瞬、過去の不愉快な思いから闘気・・ともいえる感情を滲ませていた
その僅かな気配をこの男は察知して、昴の度量が如何程のものか・・・仕掛けてきたらしい

だが、それが出来る・・・という事は、この男、相当に場数を踏んでいる
なのに今、昴を見返すその表情は屈託のない子供の笑みそのもので、ただちょっと確めただけでやりあう気など一切ない・・・と語っていた

「・・・なに・・・?あんた、何者・・・?」

それでも警戒心を崩せずに、昴が用心深く問いかける

「あ、俺?臨時雇われコックで杏奈ちゃん一筋の妻帯者。んで、時間外やけどセレブな部屋からルームサービスの依頼があって、行きたないけど行かなあかん。そこで、ただ飯食わせた礼に手伝って欲しいなぁーなんて思うてる・・・セクハラ大好きおにーさん♪なんやけど?」

「は・・・?」

その陽気な物言いと気の抜ける軽い雰囲気・・・に、昴が唖然として男を見つめ返す
昴だって十分怪しい奴だというのに、そんな事は気にもかけていないらしい
それに、昴の方から望んで手伝う・・という条件のもと、ただ飯を食わせてもらった後である
食べた分働くのは、道理だし、あれだけ美味い飯が作れる奴に悪い奴など居ない・・・!

そう思ってようやく臨戦態勢を解いた昴に、男が『素直で聞き分けの良い子やなぁ』と、ニヤリ・・・と笑み返す

「俺は大吾や。よろしくな。そっちは?」
「あ・・おれ、昴って言います。よろしく」

互いにその器量を計りあうように、ふふ・・・と笑み返した途端

「ほな、そこの銀食器これでぴっかぴかに磨いてんか!」

と、今までと打って変わって、大吾の料理人としての厳しい口調が厨房内に響き渡った











<同時刻・Rホテル・最上階スィートルーム>



「・・・・では、この新薬のこれまでの研究データを買い取りたいと・・・?」

「ええ、そうです」

「ですが、先ほどの会議でも承認されたとおり、この新薬は副作用である”記憶障害”と”奇異反応”の頻度が高い為、今後一切の開発・研究と資金援助の禁止が決定されました。それを承知の上で?」

「はい。そちらとしてももう、破棄するだけのデータのはずです。お金に変えて他の新薬開発に当てた方が賢明なのではありませんか?」


スィートルームの室内にある小会議用のテーブルで、アゾット製薬の招待客・イスハークと、ゲノムファーマシー代表・アルフレッドが相対し、秘密裏に商談が行われている真っ最中だ

イスハークの背後には背の高いサングラスをかけた男が、アルフレッドの背後には秘書官らしきインド風な様相の若い男が、それぞれ佇んでいる


「実にありがたい申し出なのですが、国際規約を破るわけにはいきません。残念ですが、この商談はなかったことに・・・」

「先ほどの金額の倍出すと言ってもですか?」

「お金の問題ではありませんので・・・」


一瞬、アルフレッドとイスハークの間に青い火花のような視線が交錯し合う


「・・・・そうですか、残念です。ところでいつ帰国予定で・・・?」

「明日寄港予定の”シルバー・ネプチューン”と我が社はパートナーシップを結んでいます。船内の医療システムの点検も兼ね乗船し、帰国するつもりです」

「ああ、あの豪華客船の?分かりました。今回は大変残念なのですが、あきらめます。どうぞ良い船旅を・・・」

「ありがとうございます。では、失礼いたします」


互いにそれ以上視線を合わすこともなく、アルフレッドが秘書官を伴って部屋を後にした


「・・・・飛(フェイ)、どう思う?」


窮屈そうに着ていたスーツの襟元とネクタイを緩めた黒い艶やかな長髪に褐色の肌の青年・・・イスハークが、背後に立つ長身痩躯に見合ったダークスーツに黒髪のサングラスの男・・・飛(フェイ)を見上げて問いかけた


「・・・・会議場で発表になったデータでは、確かに『エフ』と酷似した構造ですね。それに副作用の”記憶障害”・・・確か『エフ』の製造初期段階でも同じ副作用があったとか?」

「ああ、そうだ。確かにあった・・・」


呟くように言ったイスハークが、開け放たれた部屋のドアの外側で見張り番よろしく立つボディーガードの方をチラリと見やる

その微動だにせず忠実に任務を遂行する男から視線を戻したイスハークが、緩やかに後手にくくっていた長い黒髪の戒めを解き、ふわり・・・とその髪を揺らした

少年・・・というには成熟した妖艶ささえ漂わせる雰囲気
青年・・・というには線の細い、女と見まごうばかりの整った容貌

艶やかな波打つ長い黒髪と漆黒の双眸、褐色の肌
実年齢はまだ10代後半なのだが、仕立ての良いスーツを着こなした今のイスハークは、20代前半の新進気鋭の実業家・・・のようにも見える

そして飛(フェイ)もまた、素顔はサングラスで秘されているが、精悍で整った顔立ちである事は隠しようがない
イスハークよりも若干年齢は上のようで、裏の社会に属するの人間独特の鋭さと抜け目のなさが窺えた


「株取引の裏情報で出回っていた噂は、どうやら本当だったようですね。改良を進めれば、今、我々が持っている『エフ』と匹敵するクスリに化ける可能性がある」

「・・ッチ、あの時全てのデータごと吹き飛ばしてやったのに・・・!後続でこんなクスリが開発されるとはな。所詮は無駄骨だったか」

「まあ、”彼”とキョウのように運良く生き残った者もいるくらいですから・・・想定外の事はいかなる時でも起こりうるものです」


低い声音で如何にも悔しげに言い放ったイスハークをなだめる様に言った飛(フェイ)もまた、サングラス越しにボディーガードの方へ視線を移す


「ロウ!もうじき頼んだルームサービスが来るはずだ。受け取っておいてくれ」


飛(フェイ)の言葉に、ロウと呼ばれたその男が返事代わりに片手を挙げ、セキュリティの厳重な部屋の玄関の方へと向かう
片手を上下に動かした拍子に垣間見えた首筋には、大きなケガの痕らしき引き攣れた皮膚の起伏があった


「・・・相変わらず無愛想な奴だな」

「仕方がないだろう、”彼”はあの”事故”とクスリの後遺症で記憶を失くし、喋ることにも興味を失ったんだから」


クスクス・・・とイスハークが意味ありげに笑う


「・・・いいんですか?野放しにしておいて?」

「ただの迷い犬か、キツネの皮を被った狼か・・・そんな番犬を飼うのも面白いじゃないか。第一、射撃の腕はピカイチだ。捨てるには惜しい」

「・・・あなたも大概、面倒がお好きな方だ・・・ま、キョウほどではありませんがね」

「キョウか・・・あの時、データのすり替えをやったのは、やはりあの男なんだろうな・・・」

「こちらが奴を捨てることに勘付いていたんでしょう・・・一番肝心の副作用を抑える科学公式は、奴の頭の中に残っているのみ・・・如何にもキョウらしい用意周到な仕返しだ。こちらが安易に手を出せないように仕組んである」


フ・・・ッと冷えた笑いを口元に浮べたイスハークが、楽しげに言った


「まあ、いい。追った所で捕まえられるような奴じゃない。こっちが奴を探してる事は示しておいた。そのうち退屈してきたら、またフラリと現われるだろ・・・元々『エフ』もキョウが退屈しのぎに作った、奴のオモチャの一つでしかない代物だ」

「・・・・一度あの毒気に当てられたら、まぁ、そう思うでしょうね・・・」


飛(フェイ)の口元にも、冷えた苦笑が浮かんでいた








コンコン・・・・

ドアをノックする音とモニターに写った映像に、ロウが用心深くドアを開けた


「お待たせしました。遅くなって申し訳ありません」


キッチリと一礼し、ルームサービスが乗ったワゴン車の向こうで、大吾が山高帽を被った頭を上げる

目の前に、大吾と同じくらい背の高い、サングラスにダークスーツ姿のロウが立っている
ロウが無言で一歩引き、顎で中に入れるよう、指示を出した



・・・・・・・・うわ、なんや偉そうなやっちゃな



そんな事を心の中で思いつつ、大吾もまた自分の横で礼儀正しく指示を待っている昴に、視線でワゴン車を押すように指示を出した

ガタンッ・・ゴロゴロ・・・とドアの段差を抜け、昴が緊張した面持ちでワゴン車を部屋の中へ押し入れていく

その後を追って部屋に入った大吾が、背後に居たロウに受け取り確認のサインをしてもらうべく、ペンと用紙を差し出した


「申し訳ありません。受け取り確認のサインをお願いできますか?」

「・・・・・・・」


ロウが無言でそれを受け取り、照明の配置で手元に影が落ちたせいだろう・・・一瞬、サングラスを押し上げて用紙の内容を確認した
それを見た大吾の中で、『・・・ア・・・レ?』という疑問符が湧き起こる



・・・・・・・・今の・・・こいつの目、灰色・・・?



まさかマジマジと覗き込むわけにもいかない・・・はっきりと見たわけではない
でも、サングラスをかけていても分かる、日本人離れした彫りの深い目鼻立ち
一瞬、垣間見えたその素顔は、精悍なシベリアンハスキー犬を大吾に連想させた

サインをしたロウが、再び無言で大吾にそれを差し出し、受け取った大吾がセッティングをするべくワゴン車の方へ歩み寄った

途端


「・・・ああ、後はこちらでやるから引き上げてくれ」


不意に部屋の奥から聞こえた・・・声音

その声に、大吾は確かに聞き覚えがあった

その声の主から見えない位置でピタ・・ッと足を止めた大吾が、こちらを確認するように振り返った昴に、頷き返す
それを受けた昴が、声の主だろう・・・部屋の奥の方に向かって頭を下げ、大吾の方へ戻って来た


「・・・終わりましたらドアの外にお出し下さい。では、失礼致します」


大吾と昴、二人揃って礼儀正しく頭を下げ、ドアの外へ出る
その背後でバタン・・カチャッとドアが施錠された音が響き渡った


「・・・う・・・わー・・・緊張したぁ・・・・」


エレベーターの方へと歩き出し、今にもへたり込みそうな勢いで安堵のため息を吐いた昴に、大吾が笑み返す


「サンキュー、助かった。んじゃ、ま、ちょっとこれから絶世の美女の寝込みでも襲いに行こか?」

「は・・?絶世の美女・・・?寝込み・・・?」

「おう、結構目の保養にはなるで?性格は史上最悪やけどな」


バンバン・・とその華奢な肩を陽気に叩きながら、大吾がエレベーターの中へ昴を押しやった




トップ

モドル

ススム