求める君の星の名は
ACT 47
<修学旅行3日目・村田家・別邸茶室>
「・・・ご無沙汰いたしております・・・と言いたいところなのですが、そちらの方々とは、そんな言葉をかけられほどの間は空いていませんわね?」
ニッコリと微笑んでいるその佐保子の表情は、視線を釘付けにするほど柔和で穏やかなのに、言い放たれた言葉には遠慮のない毒気が含まれている
ハッとしたように、紀之が佐保子の言う”そちらの方々”である親族の面々へと振り返った
そこにある蒼ざめた表情が、明らかに佐保子の登場に怯えている
「・・・どういうことですか?」
その面々に対し、紀之が戸惑った表情で聞く
「それに関しては、私の方で代わってご説明差し上げたいのですが、よろしいかしら?」
「え・・・!?」
聞き覚えのあるその声に、紀之を筆頭に親族の面々が一斉に驚きの声を上げた
「華山様!?」
「浅倉!?」
大勢の声にかき消されつつも、舵がその声の持ち主と供に現われた男の名を呼ぶ
佐保子の背後から、美月と供に七星と、そして、仁までもが居心地悪げに現われた
突然の美月と見慣れぬ青年の出現に驚きつつも、紀之が冷静に美月に向かって問いかける
「では、この状況の説明をお聞かせいただけますか?華山様」
「至極簡単、単純明快な話よ?事業の資金繰りに窮したそちらの方々は、昔この家から追い出した相手に恥も外聞もなくお金を借りまくっていたって事。
そして佐保子さんにその資金を提供していたのがこの私・・・というより、華山グループね。そろそろ返済してくれないかしら?と思って乗り込んできた・・・というわけ」
「な・・・っ!?」
驚愕の表情になった紀之が、唖然として親族の面々をねめつける
今にも込み上げてきそうな怒りを何とか押し留め、美月に向かって深々と頭をたれた
「・・・申し訳ありません。当主でありながらそこまで把握し切れていませんでした。
いったい、どれほどの金額に・・・?」
「そうね、利子を含めて軽く数億・・・というところかしら?」
「そんなに!?」
絶句した紀之に、美月が意味ありげに微笑みかける
「・・・もっとも、古い付き合いのある村田家と華山家ですから、条件次第ではこちらで投資した事業の建て直しをして、そこから負債額を徴収する・・・っていう手もないわけじゃないわよ?」
「え・・・!?」
目を瞬いた紀之よりも先に、我先にと親族の面々が美月に向かって『どんな条件ですか!?』と、目を輝かせて言い募る
そんな面々に絶対零度の冷ややかな視線を送りつつ、美月が思わせぶりに言った
「少し込み入った話になるので、私よりもこの場に相応しい人間・・・華山グループ次期総帥にこの場を譲らせていただくわ」
「っ!?次期総帥・・・!?」
一斉に息を呑んだ気配と供に、その人間を求めて美月が注ぐ視線の先へと全員の視線が集まる
美月の視線が動いたその先
まだ年若く、どう見ても10代にしか見えない青年・・・七星が、ス・・ッと美月の前へ歩みでた
「はじめまして、華山七星と申します。叔母である社長に代わってお話させていただいてよろしいですか?」
凛と響く、張りのある声音
見据えられると視線が外せなくなる・・・不思議な妖艶さを滲ませる整った容貌
物怖じすることのない真っ直ぐな視線には、相手を圧倒する輝きが宿っていた
だが、見た目はどうしても、まだ10代の若者
七星に向かって注がれた視線には、あからさまにその年若さをバカにする悪意がヒシヒシと感じられる
「・・・いいでしょう。そのお話、詳しくお聞かせ願いたい」
紀之もまた、七星の度量を試すかのように、挑戦的な口調で問いかけていた
その背後で堪らず腰を浮かしそうになった舵に美月が鋭い一瞥を送り、視線で『黙って見ていなさい』と叱咤する
その美月の視線に・・・舵が再び座りなおした
そんな二人のやり取りを目の端に捉えつつ、紀之の挑戦的なもの言いに気圧される事もなく、七星が口を開く
「失礼かとは思いましたが、村田家の資産状況を調べさせていただきました。このまま野放しにしていては、現在抱えている事業負債の返済と次の遺産相続で村田の資産はほとんど残らないどころかマイナスになる。
このまま伝統ある村田の茶道が消える事になるのはあまりに惜しいと思うのです。
華山から融資したものはもちろんの事、それ以外の事業負債と相続で生じる相続税、華山グループで立て替えさせては頂けないでしょうか?」
「それは・・・つまり、華山グループが村田の文化と伝統を買い上げる・・と、そういうことでしょうか?」
一瞬、剣呑な雰囲気を滲ませて、紀之が七星を見据える
だが、
「いいえ、違います」
はっきりと、明確な意思を滲ませた瞳で、七星がその問いを否定した
「文化や伝統はお金で買えるものではないと思っています。ですが、それを活かし残す為にはそれを支える人間が必要です。その役をこちらで担わせていただきたいのです」
「上手い言い方ですね。ですが、まさか何の代償もなしにそれを担う気はないのでしょう?その役に見合うだけの物が今の村田にあるとは思えませんが?」
七星の提案は、今の村田にとってこれ以上ない申し出だ
だが、まだ若い七星に、事業家としてどれだけの力量があるものなのか?
それを試すかのように、紀之がはんなりと問い返す
「あります。どんな企業が得たくても得られない、お金では決して買えない貴重な財産が村田にはあります。それを代償としてお借りしたいのです」
「お金で買えない・・財産?」
「はい。長年培われてきた人と人との繋がり、人をもてなす心です。村田が所有する古い家屋や土地の中には、いくつか魅力的な物があります。
今、華山グループは『AROS』のアジア開発の一つとして、もてなしと料理にこだわったリゾートホテル事業を展開中なのです。
その日本でのこだわりの一邸を成田との提携事業として進めていきたい・・・そのために、村田が培ってきた人脈とその名前が持つ権威が必要不可欠になってくる。
それがこちらが認める村田の財産です。いかがでしょうか?」
「成田とのホテル提携!?しかしもう成田は片桐と・・・!」
思わず紀之が驚いたように声を上げた
成田は片桐と既にホテル事業で提携を結んでいる
そこへもって、華山との同じ事業での提携は、通常ありえない
だが、七星の表情には意味深な笑みが浮かんでいた
「はい。ですが同じホテル事業でもこちらが提携したいのは、成田の料理部門です。茶事を通して村田は成田との料理部門との関わりが深い。
全く縁のない華山との提携ではなく、村田のもてなしの伝統と文化を生かした料理での提携・・なら、成田も無下には出来ないでしょう?
こちらとしても任せる以上、その部門に関して口出しは一切しません。成田にとっても悪い話ではないと思っています」
一か八か・・・そんな賭けになるかもしれない
けれど、仁と話したときに感じた、成田内部の枝分かれしつつある状況
麗の情報から得た、片桐と成田の微妙な力関係
このまま片桐と成田が順調に提携を進めていく事は、華山にとって歓迎すべきことではない
突付くなら、今が最上の時期
それが、七星が感じていた美月の思惑
華山七星としての七星がだした、結論
去年の夏から七星が手がけていた新規事業・・それがこのこだわりのリゾートホテル事業でもあったのだ
静かな瞳で淡々と澱みなく答えを返す七星の態度を見ていれば、それがただのお仕着せの付け刃ではない事は容易に知れる
この若さでよくもまぁ・・・と、紀之が小さく嘆息しつつ、七星の背後で小さくなっている仁に声をかけた
「・・・仁君、君がそこに居るということは、この話、成田も承認したものと思って構わないのかな?」
「えっ!?あ、はい、僕の一存で決められる事ではありませんのではっきりとは・・・。
ですが、僕個人の意見として言わせて頂けるなら、このお話、是非やらせて頂きたいと思ぅてます!」
不意に話を振られて動揺しつつも、根はしっかりとした仁である
時間はかかったとしても、この事業を実現させるだろう・・・ということを裏付ける瞳の輝きで紀之を見つめ返してくる
古い付き合いで成田の内部抗争をもよく知る紀之だけに、このままでは成田の味が危うい事も感じ取っていた
これ以上願ったりな話が他にあるだろうか?
「・・・分かりました。では、このお話お願いしたいと思います。そちらの条件はなんでしょうか?」
どんな条件を持ち出されたとしても、呑まなければ・・・!
そんな決意を秘めた顔つきで、紀之が七星を見つめ返す
「はい。まずは『宗和』の名を受け継いでいく事を。そのためにも、後継者は男女を問わない事。子が出来なかった場合、血筋を問わず当主が認めた人物にする事。村田側の事業の建て直しはここに居る佐保子さんと御当主でその任に当たる事。全ての事業は華山グループの傘下に入る事。それと・・・」
言いかけた七星が、一瞬、その言葉を詰まらせた
「それと・・・なんでしょう?」
紀之に先を促され、七星が真剣な眼差しで真っ直ぐに紀之を見つめ返す
「・・・『宗栄』から茶号を剥奪せず、華山家専属の茶人として、華山にいただきたい」
「貴也を!?」
「な・・っ!?」
「ッ!?」
紀之と沙耶、舵、それぞれが唖然として七星を見上げている
その舵と、七星がしっかりと視線を合わせ笑み返した
「村田と成田と供に事業展開していくためには、茶の世界を知っておく必要があります。若輩者ですがご指導願えますか?『宗栄』さん?」
七星が周囲に違和感を感じさせる事無く、舵を手に入れるために、完璧な罠を仕掛けてくる
村田の人間として持ちうる全ての権利を放棄したとしても、その条件のもとであれば舵は村田の名を失うことなくそのしがらみから開放され、七星の側に堂々と居る事が出来る
舵が村田から離れる事を決して承知しないであろう沙耶であっても、村田家の存続・・・と言う大義名分を前にしてはこの条件を呑まざる得ない
同時にそれは、舵が村田家を継ぐ事を沙耶に断念させることでもあり、示された条件の下、村田の後を継ぐのは沙耶である・・・という事をも決定付けていた
・・・・・・・・まいったなぁ
心の中で舵が深く、深く、嘆息する
どこまでこの、まだ若干18歳の青年は自分を虜にすれば気が済むのだろうか
どうして、例え一瞬でも、側に居る事をあきらめよう・・などと思えたのだろうか
どうして、七星が思うより自分の方が七星の事を考え、思っている・・などと考えていたのだろうか
あまりの自分のおこがましさに
自分の身勝手さに
笑いすら込み上げてくる
決して手が届かないはずの・・・星
七星はそんな程度のものじゃない
常に動かず
星空の中心に位置するもの
父親である北斗が大熊座の北斗七星なら、その子供である七星は背中合わせにある小熊座の尻尾の先
真北の地軸、”北極星”
常に動じず、どこに居てもその存在を指し示す天の中心
本当に、
どうして今まで気が付かなかったのだろう
その星から逃れる事も、見失う事も不可能なのだと言う事に
もう既に七星の手中に囚われていて、逃れる事すら許されていないのだという事に
フ・・・と微かに笑みを浮べた舵が、静かに七星にその答えを返す
「・・・茶の世界は奥が深い、一生かけても教授できるかどうか定かではありません。それでもよろしいですか?」
「望む所です」
捕らえられ、囚われたのは、いったいどちらなのか
七星の表情にも、微かな笑みが浮かんでいた
「・・・『宗栄』が承知したのでしたら、その条件、全てお受けいたします」
凛とした『宗和』の声が、未練を滲ませて噛み締めていた沙耶の口元から、あきらめの深い溜め息を誘う
「では早速ですが、次の『宗和』はこの沙耶が引き継ぐ・・という事で、ご異存ありませんね?」
居並ぶ親族の面々に向かって問われた紀之の問いに、異議を唱えるものは誰一人居ない
そして
「・・・沙耶、承知してくれるね?」
「・・・分かりました」
頭を垂れて、沙耶が紀之と親族に承諾の意を表す
ス・・・ッと顔を上げた沙耶の表情には、今までとは違う、したたかな女を感じさせる何かが加わっていた