求める君の星の名は
ACT 48
別邸茶室での大まかな今後の話し合いを終え、親族一同が帰途につくと、女同士で話があるから・・・と、佐保子と美月が沙耶を連れ立ってどこかへ行ってしまった
仁は店の手伝いがあるから・・と早々に引き上げている
残されたのが、七星・舵・紀之の面々
その七星に向かい、紀之がにこやかに問いかけた
「よろしければ、薄茶を差し上げたいのですが・・・いかがですか?」
その申し出を快く受けた七星が、正客の位置に座し、改めて紀之の顔を間近に見つめた
舵の彫りの深い顔立ちとは全くと言っていいほど違う・・・サラリとした純日本人風とでも言えばいいだろうか
アクのない、優しげで理知的な薄く笑んでいるかのような・・・柔和な表情
けれどどこかピンッと一本と筋が通っているかのような、清冽な凛々しさ
程よく年輪を感じさせるシワが、更にそこに重厚さと風格を刻み込んでいた
見つめた七星に静かに笑み返し、続いて舵へとその視線を流す
「宗栄・・いや、貴也、お前が茶を点てなさい。お前がこちらの方にお出ししたいと思う茶を」
間近で聞くと、はっきりと分かる・・・舵のそれとよく似た喋り方、そこに滲む雰囲気
はっきりと、二人の間に供にあった時間・・・というものが伝わってくる
「・・・はい」
不意に響いた・・・舵の凛とした声音
それと同時に紀之が七星の横へと、移動する
その動きと供に舵がス・・ッと立ち上がった
続いて流れるような裾さばきで炉の前に座し、一礼を返した舵の表情は、思わず見惚れるほどに凛々しく、涼やかで・・・そして、七星の緊張を解くかのようなフワリ・・とした温かな笑みが注がれていた
まるで囚われたかのように視線が、外せない
舵の視線に誘われるままに、その指先へと七星の視線が移動する
もう10年以上この世界から遠ざかっていたはずなのに、その動きには澱みや迷いが全く感じられない
流れるように、自然な動きで
まるで舞いでも舞っているかのように優雅に
その動きを見つめる七星の身体から、少しずつ緊張が解けていく
茶筅が点てる音色が心地良く、気持ちを落ち着かせていく
ただの技術の習得なら、努力を重ねれば得る事が出来る
だがそれが色褪せることなくいつまでも輝きを失わないのは、そこに心が込められているからだ
相手を大事に思えば、思うほど
それはその動きに艶と輝きを与え、隠しようのない真実になる
「・・・どうやら、貴也が先ほど私に言った”他の何よりも大切な人”というのは、あなたのようですね」
差し出された薄茶を飲み終えた七星に向かって、紀之がそう言った
「え!?」
不意に言い放たれた紀之の言葉に、七星が驚いて振り返る
そこには、どこか愁いを帯びた紀之の静かな笑みがあった
父である紀之と久々に対面した舵は、ただ一言”『宗和』を継ぐ資格は自分には無い”・・・と、だけ告げた
対面し、舵の顔を見た紀之は、その顔に動揺の色一つ滲ませなかった
先ほどの親戚連中は、その顔を見た途端、あんなにもあからさまに動揺したというのに
それはつまり、紀之がそうなる事を既に承知していた・・・ということ
だからこそ、幼い頃からずっと舵は髪を黒く染めさせられていたのだ
成長するにつれ面影を色濃く写し出していくその印象から、目を反らさせる為に
ゆえに、紀之は舵が出奔し今まで音信不通にしていた事を責め立てすることも、今どこでなにをして居るのか・・・ということも聞きはしなかった
ただ・・・”なぜ、わざわざそれを言いに戻ったのか?”とだけ、一言、聞いた
その紀之に対する舵の答えが、”他の何よりも大切な人が出来たから”だった
その相手が誰なのか?という問いかけを許さない、確固たる意志の輝きをその栗色の双眸に滲ませて
「それを承知の上で、先ほどの条件を提示された・・・と思ってよろしいですか?」
「・・・はい」
薄っすらと耳朶を染めつつもはっきりと頷いた七星が、舵のそれと同じ意志を滲ませて紀之を見つめた
「姑息だと思われても、最低だと罵られても構いません。
でも、ただ手をこまねいて何も出来なかった・・・という後悔だけは絶対したくなかったんです。
その人を得られるためなら、なんだってします。同じ後悔なら、できる事を全てやってからだって遅くないはずですから」
七星のその言葉に、紀之が寂しげに笑み返す
「・・・私にもその強さがあれば」
そう言って項垂れた紀之に、舵が意を決したように聞いた
「・・・、どうしてもお聞きしたい事があります。村田響というのは、いったいどんな人なんですか?」
舵のその問いに、項垂れたままの紀之の両膝の上に置かれていた手が、グ・・ッと硬く握りしめられた
七星もまた、ハッとした様に舵に視線を向ける
その七星の視線に軽く頷き返した舵が、『大丈夫だから・・・』と言葉の無い言葉を伝えてくる
村田響・・・恐らくはそれが舵の本当の父であり、あの写真に写っていた男なんだろう・・・と、七星の直感が告げていた
ス・・ッと顔を上げた紀之が七星に、そして舵に、陰のある表情を向けた
「貴也と貴也をお預けする華山様には、お話ししておかなければなりませんね。
村田響は、戸籍上は私の腹違いの兄になっていますが、実際は、村田とは血の繋がりが一切無い人物です」
「その人が、俺の・・・父親ですか?」
静かに問いかけた舵に、紀之が無言で頷き返す
一瞬、グ・・ッと唇を噛み締めた舵が、疑問をぶつけるように問いかけた
「でも、血の繋がりがないと分かっていながら、どうして戸籍に?」
「先代が心底惚れこんだ芸者が、まさに魔性を絵に描いたような女だったそうだ。
誰の手にも落ちないので有名だったその人を、先代が愛人として囲った。
その時には既に兄を身ごもっていて、その誰の子かも分からない兄を認知し、村田の戸籍に入れること・・・それが愛人になる事を承諾した条件だったらしい。
けれど、その人は兄を産むとすぐに姿を消し、それきり消息不明になった。
その頃私の母との間にまだ子供が居なかった事、生まれた子が男の子だった事、その子を先代が溺愛した事・・・それらが重なって戸籍から外される事もなく村田の家で育てられた。
兄は、母親だったその人の性格と容姿をそっくり受け継いでいたらしい。私が生まれるまでの数年で既に周囲は兄の持つ天性の才に魅せられていたそうだ。
だが、私が生まれた事により兄は次第に疎まれる存在になっていった・・・。
小さい頃から兄は私の憧れであり目標でもあった。茶人としての才能も、その容姿も頭の良さも・・・私にない物を兄は全て持っていた。
それは周囲の者達も分かっていて、私より兄の方が『宗和』を継ぐだけの才能があると認めていた・・・けれど、血の繋がりが無い事を知る親族たちは兄が家を継ぐ事を心の中では認めていなかった。
それに賢い兄が気が付かないわけはなく・・・兄はいろいろと問題を起こすようになり、やがて母親と同じく不意に私たちの前から姿を消した・・・」
辛そうに、紀之が言葉を切った
その裏側で起こった、言葉に出来ない何かを呑みくだすように
そして
「・・・貴也、お前の誕生を望んだのは私だ。私にとって兄は”他の何よりも大切な人”だった。それを佐保子は知っていた・・・だから、お前を産んだんだ。
他の誰がなんと言おうと、お前は、私と佐保子の子供だ。それだけは忘れないでいて欲しい」
真っ直ぐに視線を合わせ、その事を恥らう事も躊躇う事もなく、紀之が舵に告げた
その紀之の心情が、今の舵には理解できる
もしも・・・もしも七星が紀之の兄のように、不意に居なくなってしまったとしたら
追うことさえ許されず、ただ待つことしか出来ない場所に置き去りにされたとしたら
その辛さは、如何ほどのものだろうか?
そして・・・そこに、もしも、
その求めてやまない者と同じ血を持つ者が、自分の手の中に産み落とされるとしたら
産み出す者もまた、その自分の身勝手な思いを知りつつも側に居てくれる大切な人だったとしたら
その、大切な者同士の血を継ぐ者の誕生を、どうして望まずにいられるだろうか?
貴也は渡英する時、村田の氏から逃れるため佐保子に会いに行った経緯があった
十数年ぶりに会ったはずの佐保子が、待ち合わせ場所に現れた貴也を迷わず見つけ『貴也・・!』と呼んだ
氏の変更のために調べていて初めて知った・・・まだ二人が正式に離婚していなかった事実
紀之の印が押された離婚届を、佐保子は印を押さずに手元に持ち続けていた
そして紀之は、佐保子が家を出てからずっと、一人で時を過ごしていた
迷わずその名を呼ばれた瞬間、貴也は人知れず二人が何らかの方法で繋がっていることを知ったのだ
両親が離婚し母が新しく戸籍を作っていた場合、子供が15歳以上になればその子が自主的な判断をし、父母のどちらの氏を称するかを決め、親権に関係なく自分で氏変更許可の審判を申し立てることができる
その制度を利用して村田の氏から逃れようとしていた貴也
その事さえ、佐保子は貴也から”会いたい”と連絡をもらった時に察していたらしい
貴也と会った時、離婚は正式に成立し、佐保子は旧姓の”舵”の名で戸籍を新しく作っていた
”・・・どうして!?”と聞いた貴也に、佐保子は”そんな紙切れ一枚でどうかなるほどの想いであなたを産んだつもりはないわ”と、笑顔で言った
”あなたが望む通りに生きなさい”
別れ際、佐保子は貴也を真っ直ぐに見つめ、そう言った
今、紀之が貴也に注ぐのと同じ、なに恥らう事の無い愛情のこもった眼差しで
佐保子と紀之が、望んで別れたわけではない事はそれで十分に知れる
その時から、自分が産まれたせいでそうならざる得なかったのだと、そう舵が思い込んだとしても、それは仕方の無いことだった
だから、舵は逃げ続けていたのだ
自分の出生に絡む事実を知り、その現実を受け入れるのを恐れて
けれど、現実は違っていた
二人が別れて暮らす事を選んだのは
佐保子が心無い身内からの中傷で傷ついていく姿を、紀之が見るに耐えなかったから
紀之が抱える秘密を守りその人を待つ場所に留まらせる為に、佐保子は自ら憎まれ役に徹する事を決めたから
お互いにお互いを想いあった上での、結論
決して舵のせいでもなく、また二人の間の絆がなくなったわけでもなかった
だからこそ佐保子は美月と供に、村田の家を守るために長い時をかけて水面下で動いていた
いつか、今日のような日が来る事を見透かして、堂々と誰にも文句を言わせず村田の家に戻る為に
”たかだか紙切れ一枚でどうにかなる想い”ではなかった事を、知らしめて
その二人の想いを知った今、舵がすべきことは、唯一つ
ス・・・ッと紀之に、舵が頭を垂れる
「・・・不肖の弟子ですが、どうかこの先も一生”茶”の心をご教授下さい。お父さん」
家族を失う事もなく
茶を捨てる事もなく
村田貴也であり、舵貴也として・・・
顔を上げた舵の表情には、もはや迷いも躊躇(とまど)いもなく、あるがままの自分を受け入れた・・・嘘偽りの無い自然な笑みが浮かんでいた