求める君の星の名は









ACT 52










「・・・っ、」


微かな空気音と供に流が意識を取り戻した

たしか、あのイスハークとかいう奴と話していて、誰かにしたたかにみぞおちを打たれて意識を失った
目を開けたいのに瞼が重く、流の意思に反して目を開けることが出来ない

それだけではない

身体全体が重く、せっかく取り戻したはずの意識が、まるで沈み込んでいくかのように闇の中へ落ちていこうとする
必死で意識を保とうと身じろごうとするも、腕も足もどこもかしこもまるで感覚がない
感覚の麻痺は声帯にもきている様で、声を発することも叶わなかった

意識を失う直前、腕と足は縛られていたはずだから、恐らく今もそのままの状態のはずだ
なのに、その縛られている感覚さえ感じられない
自分の身体が本当にそこにあるのかさえ、分からなくなる


「・・・お?意識が戻ったか?」


頭上から注がれた声音に、流の眉間に僅かにシワが寄る
その声は、イスハークのものだった


「どうだ?”エフ”の特注品の使い心地は?頭の中に靄がかかったみたいにはっきりしないだろう?そいつは”エフ”の中に含まれる記憶障害に作用する成分を強めた物だ。副作用で意識と神経の伝達が正常に働かなくなるらしいが、どうやら本当のようだな」


クスクスクス・・・と、流のその状況を楽しんでいるとしか思えないイスハークの忍び笑いが間近に聞こえる
そのせいか・・・!と、流が自分の身体を何とかしようと精神世界で抗ってみるものの・・・その意識は全く神経には伝わらず、僅かに身体が身じろいだ程度だ


「まだ試薬品で効果のほどは確かじゃないが、そいつを使い続けるとどうなるか・・・教えておいてやろうか?」


不意に、冷たいイスハークの指先に顎をつかまれて顔を上向かせられる
自分では身体を動かす事も感覚を感じ取ることも出来ないが、触れられるとその刺激が神経と意識を繋ぎ、それがどこの部分でどう触れられているのか・・という事を感じる事が出来るようだ


「記憶障害は神経の中のシナプスが正常に働かなくなる事で起きる。このクスリは使い続けるとそのシナプスを完全に破壊していくそうだ。つまり、お前はお前の中にある記憶を思い出すことが出来なくなる」

「っ!?」


意識の中で思い切り瞳を見開いたものの、実際の流の瞳は僅かに薄っすらと開いただけだ
その視界に、波打つ漆黒の髪とハサンとよく似た輝きを帯びた漆黒の瞳が写りこむ


「お前はハサンを知らないと言ったな?だったらその言葉通りにしてやろう。試薬品の効果を試すのにこれほど良い素材は他にないと思わないか?
お前はこれから日々記憶を失い、新しく俺の記憶を刻むんだ。俺を楽しませるオモチャとしての記憶をな!」


言い放った途端、イスハー久が流の顎を強く掴んで無理やり口を開けさせたかと思うと、口の中に何かを落とし込む
触れた舌先で感じた物は、錠剤型のクスリ・・・!

吐き出そうと思う間もなく重なったイスハークの唇から水が流し込まれ、絡め取られた舌先が落とし込まれたクスリを喉の奥へと誘う

ただでさえ思うように身体が動かせないのだ、どうする事も出来ないうちにそのクスリは流し込まれた水と供に流のノドモトを通過していく

流の口元から溢れた水滴を舐め取るように、イスハークの生温かい舌先がその口元を拭い去る
上手く動かせない身体を叱咤して、流がその紅い瞳を眇めるように開き、目の前に居るイスハークを紅い炎が揺らいだかのような鋭さで睨みつけた


「ククク・・・いいねぇ、その紅い瞳。まるで野生の獣そのものだ。どう飼いならしてやろうかな?ゾクゾクするよ・・・!」


笑いながら掴んでいた顎を乱暴に突き放したイスハークが、立ち上がった
同時にユラリ・・・と身体全体に感じた揺れ、微かに嗅いだ潮の匂い
どうやら海に浮かぶ船か何かに乗っているようだ

感じた揺れの揺れ具合から言って、そんなに大きな船じゃない
イスハーク達はシルバーネプチューンに乗船すると神谷は言っていたが、では、この船はなんだ?
そして、場所は・・・!?

思考する事を拒否って闇に沈もうとする意識を、流が唇を噛み締めて傷つけ、その痛みでかろうじて思考を保つ

薄く開けた視界で何とか周囲の様子を探ると、そこはやはりクルーザーか何かのキャビンの中のようだった
向かい側に横長のソファーが見えている
恐らく流も同じ作りのソファーの上に寝かせられているのだろう


「ついでだから教えといてやるよ。感覚がないから分からないだろうが、お前は縛られてなんかいないぞ。その気があればいつでも逃げ出せるし助けも呼べる。
もっとも、今のお前では声はおろか指先一つ動かす事さえ難しいだろうがな。用事が済むまで大人しく待っていろ」


クスクス・・・と笑いながら言い捨てたイスハークの影が、流から遠ざかる
顔の向きさえ変えることが出来ず、流がジ・・ッと耳を済ませた

イスハークの足音が5歩くらいでいったん立ち止まり、続いてドアの開閉の音、それからすぐに感じたガクン・・・ッという大きな揺れが、次第に惰性で静まっていく

港のどこかに接岸されていると思って、まず間違いない
感じた揺れの大きさから言って、小型のクルーザークラスあたりの船

ということは

イスハーク達はシルバーネプチューンに乗船しない?
だが、神谷は確かにイスハーク達は乗船すると言っていた
あの時の状況からして、神谷が嘘をつくとも思えない

イスハークは用事が済むまで・・とも言っていた
何か、シルバーネプチューンでやらなければならない用事があるということなのか?

必死で思考回路をフル回転させていた流が、ハッと神谷に関してある事を思い出し、動こうとしない腕を必死の思いでジリ・・ジリ・・と動かしていく

ようやく辿り付いたポケットの内側、そこに入れておいたはずの盗聴器ライターは消えうせていた
恐らく流を気絶させた誰かが、持ち物は全て取り去ってしまったのだろう
落胆しかけた流が、ハッと指先に触れた感覚に意識の中で驚きの声を上げていた

そこにあった物は、自力で逃げ出す為に協力してくれよ、と神谷に頼んでもらった物だったからだ


・・・・・・マジか?ライターに気がついてこれに気がつかないはずないよな?
     なんで?


疑問には思ったが、今はそんな事を言っている場合ではない
神谷からもらった物は、”エフ”の中毒症状を緩和する中和剤だったのだ

ただ、今、流に作用しているクスリは”エフ”の特注品だと言っていた、効くかどうかは分からない
更に言えば飲むことにより、違う副作用を生じる可能性だってある

それでも


・・・・・・ハサンの事を忘れるだと!?冗談じゃねぇ!


心の中で憤った流が、更にキツク唇を噛み締める

ハサンが自分の事を忘れ、国王になり、他の誰かと結婚したとしても、それは仕方のないことで、流自身、そうなるのが当然なのだから・・・!と割り切れもする

だが

自分の中からハサンの記憶が消える・・・などという考えもしなかった状況に追い込まれてみて、初めて、そうなる事だけは絶対に嫌だと思っている自分に気がついていた

いつの間にか、心の中で、その存在が大きな位置を占めていた
それを失ってしまったら、自分が自分でいる意味がない・・!とさえ思えるほどに

それに

もしも本当にハサンの記憶を失ったとして
その上であのイスハークのオモチャとして飼いならされたとして

そしてハサンと再び会ったとしたら?

自分の口から、お前は誰だ?とハサンに問うというのか?
ハサンに自分の名前を呼ばれても、何も感じないというのか?

そんなのは自分じゃない
そんな自分をハサンの前で曝す位なら、死んだ方がマシだ

噛み締めた唇から流れ出た金臭い血が、ドクドクと溢れて口の中へ流れ込む
その痛みでなんとか指先を動かした流が、口の中にその中和剤を含んで血と供に飲み下す


・・・・・・頼むから、効いてくれ!
     俺は、絶対、あいつの事を忘れたくねぇ・・・!


心の中で叫んだ流が、誰が忘れるもんか!と、闇の中へ堕ちて行く意識の中で必死にハサンとの記憶を甦らせていた













ボンッ!

小さな爆発音と供に、シルバー・ネプチューン船内にある医療施設の一室から火の手が上がる

すぐさま火災報知器とスプリンクラーが発動し、数人の従業員と医療関係者が駆けつけ、小さなボヤ騒ぎで事なきを得た

ところが

そのボヤによりゲノムファーマシー社の所有するデータチップの一部が焼失した
すぐさま焼失したデータがアルフレッドによって外部データから取り寄せられ、修復されたものの・・・

その中には、国際会議で発表した新薬のデータも含まれていた









コンコン・・・

船内にあるメダリオン・スィートのドアを、帽子を目深に被った従業員の服装を身につけた男がノックする
室内から応答が無いのを確めると、おもむろに取り出したマスターキーで堂々とそのドアを開け、中へと入って行った

室内にまだ客は居らず、先に運び込まれていたらしいスーツケースやバッグなどの荷物が数個置かれているだけだ
どうやら、この港から乗船する予定の客の客室らしい

その荷物の中の一番大きなスーツケースに男が手をかけた途端


「残念ながらその中に浅倉 流は居ないぞ?」


そんな言葉と供に男の背中に突きつけられた硬い・・銃口の感触
いつの間にか気配を気取られる事も無く忍び寄っていたのは、波打つ長い黒髪と鋭い漆黒の眼差しを注ぐイスハークだった

男が、無言のままスーツケースに掛けていた両手をゆっくりと降参の意を示して上に掲げ上げる


「上手く餌に引っかかってくれたな。その帽子を取って、顔を見せてもらおうか」


グリ・・ッと背中に突きつけた銃口でその背を押された男が一歩前に前進し、帽子に手をかけながら振り返った




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