求める君の星の名は
ACT 53
「・・・お久しぶりでございます、イスハーク殿下」
取り去った帽子の下から現れた、後手に一くくりに束ねられた赤い髪
その言葉とともに跪いた男、アリーがその赤い瞳を伏せて頭を垂れた
相手が誰か認識した途端、イスハークの表情が一瞬驚愕の色を浮べた
「はっ!これは意外だったな。ハサンではなく赤い星の片割れアリー・サルマーン・ハルブか、何のマネだ!?」
眉間にシワを寄せたイスハークが、警戒心を露わにしてアリーの垂れたままの頭に銃口を押し当てる
「何のマネかとは・・心外です。お忘れですか?あなたは偉大なる太子(カリフ)の血筋を引くお方。殿下がまだ幼い頃、何度かモスクでお会いしたことがございます。母上様亡き後、最もその血を濃く継ぐのは殿下・・・跪くのは当然です」
アリーのその言葉に、『ほう?』とイスハークが目を見張った
もともと伝統的に遊牧を営むベドウィンだが、基をただせば宗教上最も神聖視される場所への巡礼のために旅し、そのまま居ついてしまった熱烈な信仰者達の末裔だ
ましてや、ハルブ族はかつて侵攻して来た外国勢を英雄イマームによって撃退したという伝説を持つ、ベドウィンきっての信仰心が厚い勇猛果敢な一族
かつての国王、ムハンナド国王が太子(カリフ)の血筋を引く女を息子・サウードの正妻として王宮に迎えたのも、その血を王族の中に入れ信仰者たちの支持を得るがため
引いては、王族に対し反感の強いベドウィン達を争うことなく服従させるがため・・の政治的意味合いが強かったのだから
「面白いことを言うな・・・では聞くが、お前はハサンの従者ではないのか?」
「もともとは王族への借りを返すための契約のようなものです。今はもうただの情報を得るための手段に過ぎません。内部に居ればこそ、諸外国の動静と王宮内の動きも把握できる」
「へぇ・・・?」
かすかに目元を細めたイスハークが、押し当てていた銃口を浮かしつつも、引金に指はかけたまま問いを続ける
「じゃあ、何のためにお前はここに居る?浅倉流を助けに来たんじゃないのか?」
「確かにそうですが、私の目的は殿下、あなたにこうしてお会いすることにありました」
「どういうことだ?」
「我々ベドウィンは太子(カリフ)の血を引くあなたこそが、国を治めるに相応しいと考えています」
「な・・に?」
「かつて”アンチ・アーレス(抗う者)”と呼ばれた英雄・イマームの血を最も色濃く継ぐのが私です。まがい物の”紅い星”などに惑わされるような者に我々の国を任せるわけには行きません。それをお伝えするために、私はここに居るのです」
キ・・ッと顔を上げたアリーの赤い瞳に一瞬、揺らいだ赤い激情の炎
それを目の当たりにしたイスハークが、堪えきれなくなったように笑い声を上げた
「ククク・・・あははは・・・っ!そうか!そういうことか!アンチ・アーレスはアーレスに近付いて初めて”抗う者”と呼ばれる星。浅倉流という”紅い星”が居なければ、”抗う者”も生まれなかったわけだ!」
さも可笑しそうにあざ笑うイスハークの嘲笑を、アリーは何の感情も見せずに見据えている
その笑いが収まった頃、アリーがおもむろに言葉を続けた
「今回の事で更に王宮側の信頼を得るためにも、浅倉流を救出するという大義名分は果たしておかなければなりません。彼を引き渡していただけますか?」
アリーのその問いかけに、イスハークが意味ありげに笑み返す
「・・・いいとも、返してやろう。だが、ただで返しては面白くないだろう?ちょっとした細工を加えてから返してやる」
「細工・・・?」
「お前にとっても悪くない細工だ。まあ、楽しみにしているがいい」
「それはどういう・・・ッ!?」
言いかけたアリーの後頭部に、背後から現れた飛(フェイ)が持っていた銃のグリップをしたたかに打ち付けて昏倒させた
「そっちは首尾よく終わったのか?飛(フェイ)?」
「ええ。全て予定通りに」
ピン・・・ッと飛(フェイ)が指先で小さなチップを跳ね上げる
それはゲノム・ファーマシーがボヤ騒ぎで焼失したはずの、データチップだった
「しかし意外でしたね。ハサン王子自ら乗り込んでくるだろうと思っていたんでしょう?」
「そうだな、浅倉流は所詮あいつにとってその程度だったということか・・・?だが、まあ、おかげで本物の赤い星”アンチ・アーレス(抗う者)”が手に入った。とんでもなく面白いゲームになりそうじゃないか?なあ、飛(フェイ)?」
昏倒したままのアリーの赤い髪を見つめながら、イスハークがその薄い唇に酷薄な笑みを浮べる
「・・・とりあえずそちらのゲームは後廻しにしていただけませんか?先にビジネスの方を片付けてしまわないと」
「フン、積荷の確認か」
「ええ。それにキョウが現れたそうですから・・・」
「ッ!やはり来たか」
「しかも厄介そうな土産つきで」
「土産・・・?」
「子供を二人ほど拉致ってきたそうです」
「クッ、アハハ・・!奴らしいな。一体どんなゲームを楽しんでいるのやら・・!」
自分もそのゲームに参加してみたい・・!とでも言いたげに楽しそうに目を細めて笑うイスハークに、飛(フェイ)が軽い眩暈を感じつつ嘆息する
「全くあなたって人は・・・!キョウのゲームにつき合わされるのはごめんです。さっさと片付けて引き上げますよ、もうここに用はない」
あきれたように言い捨てた飛(フェイ)が、イスハークの腕を取って部屋を後にする
部屋の扉が閉まると同時に、昏倒していたはずのアリーの身体がピクリと身じろいだ
「・・・ッつ、・・・もうここに用はないってことは、やはり別に逃走ルートがあるということか・・・」
打ち据えられた後頭部を擦りながらアリーが起き上がり、低く呟いていた
豪華客船”シルバー・ネプチューン”の停泊する埠頭一帯は、昼間の観光客姿は激減したものの、美しいイルミネーションで燦然と輝く船体のある夜景を楽しむカップルや見物客で未だ人だかりが出来上がっていた
その人だかりと港へ出入りするフェリー乗船客やトラックの交通誘導の為、大勢の警官達もまた港一帯いたるところに配備されている
そんな騒がしい表側の港とは打って変わった、倉庫の立ち並ぶ港の裏側
そこでは倉庫から荷を運び出すための作業車両が、ひっきりなしに動き回っていた
埠頭の奥に並び立つ倉庫から運び出されてくるコンテナやおびただしい量の貨物が、巨大なクレーン塔の横に整然と並べられていく
船に搬入する為のコンテナが次々にクレーンに吊り上げられ、タンカーへと積載されていく
その横では、荷の中身と最終チェック作業をしているらしき男達の野太い声が響いている
そんな作業場周辺を、まるで監視か護衛・・でもするかのように数人の一目でカタギでないと分かる風体の輩がうろついていた
パチンッ
シュボッ
ジジジ・・・
何度目かの同じ音が、中型タンカーの接岸された埠頭の一角、コンテナ積載作業用に設営された剥き出しの鉄骨で組み上げられた大型クレーン塔が奏でる機械音にかき消されていく
既に日が落ち、作業をする機械のランプと照明用のライトが薄闇を照らし出していた
そのクレーン塔の中ほど・・ビルでいうと2階ほどの高さだろうか、クレーンを動かしている箱型の操縦席の背後にある鉄骨の影から細い紫煙がたなびいている
作業場を照らすライトの完全な死角になってはっきりと見えにくい闇の中で、まるで海を照らす灯台のように煙草の赤い火が明滅し、紫煙がうねる軌道をえがきながら霧散していく
鉄骨が剥き出しになっている足場には、先ほどまで紫煙を吐き出していた亡き骸がその灯火を明滅させる男の足元に幾つも転がって、過ぎた時間を物語っていた
「・・・また俺を殺しに来たのか?織田?」
騒がしい機械音の隙間をぬって、不意にそんな言葉が響き渡る
鉄骨に寄りかかっていたその男が、紫煙を意図的に自分の前方・・・箱型の操縦席のドア付近で忠実な犬のように立っている男の方へ吐き出しつつ問いかけたのだ
「・・・・・・」
問いかけた男・・キョウの問いに、織田と呼ばれた男が微動だにせず無言の返事を返す
「・・・ふ、織田はあの時死にました・・・か。今はロウだったか?記憶喪失とは笑わせるな、何か忘れたい事でもあったか?」
「・・・・・・」
その問いかけにも、ロウの返事はない
「ククク・・・忘れたいだろうなぁ・・・。なにしろお前のせいであれだけの人数が死んだんだから」
キョウのその言葉に、初めてロウの横顔から垣間見えるサングラスの下の灰色の瞳に感情の色が滲む
「・・・ロウっていうのは牢獄(ろうごく)か?群れを成さない一匹狼か?似合いだな」
ロウの身体にまとわりついていた紫煙が、湧き上がった感情の余波そのままにフワリ・・と揺らいだ
「・・・なぜ、俺が生き残るように仕向けた?」
サングラス越しにキョウを見据えたままロウが初めて発したその言葉に、キョウの口元がツイ・・と釣り上がった
「俺が憎いか?」
「心底な」
ス・・ッとサングラスを取り去ったロウが、灰色の瞳に青白い炎を揺らめかせてキョウを睨み返す
その突き刺さるような憎悪の視線に、キョウの口元に壮絶な薄笑いが浮かんだ
「それが俺の望みだ」
言い捨てたキョウが不意に腕を振りぬいて、煙草の残骸を虚空へと投げ捨てた
赤い灯火を保ったまま、鉄骨の端々で火の粉を振りまきながら闇の底へと堕ちて行く
「・・・最後のゲームだ」
堕ちて行く煙草の先を見すえ、キョウが呟くように言った
「最後・・・?」
その言葉を確かに聞き取ったロウが、訝しげに問い返す
「誰にも邪魔はさせない」
凄絶な意志を潜め虚空を見据えた闇夜に浮かぶ獣の双眸が、ロウの背筋を震撼させる
それとほぼ同時に、客船が停泊している港の表側からけたたましいクラクションとエンジン音、パトカーのサイレンが鳴り響いた