求める君の星の名は
ACT 57
その細められた双眸の下、キョウの口元に咥えられていた紫煙の源が、ビシッ!という微かな音と供にその灯火を失った
「なっ・・!?」
驚きの声を上げたキョウの口元から、灯火を失った残骸がポロリ・・・と転がり落ちた
それに続いて、手榴弾を掲げ上げていた腕にあったコートの飾りボタンが虚空に消し飛ぶ
続いて、はためいたコートの胸元のボタン
次に、思わず踏み出した革靴の先の装甲の上で、もたれていた手すりの先で、火花が飛んだ
それが狙撃手による狙撃だと悟ったキョウの動きが、一瞬、止まる
その一瞬を見逃さず、舵の背後から走り出た七星が、キョウの掲げ上げられたまま止まっている腕に向かってカードを振り抜いていた
ヒュン・・ッ!という鋭い空気音と供に、七星の放ったカードが過たず手榴弾を掲げ持っていたキョウの腕を切り裂いて、その手の中に合ったものが手すりの向こう側・・・漆黒の海へパシャンッ!という軽い音と供に沈んでいく
「ク・・・ッ!」
僅かに口元を歪めたキョウが切り裂かれた腕をそのままに、自分めがけて駆け寄り繰り出された七星の拳をその腕で弾き返し、一瞬で沈み込んだかと思うと弾いた七星の手首を逆手に捻り上げ、もう片方の手で後手に七星の襟首を掴んで引き落とした
「ク・・・ゥ・・ッ!!」
したたかに首元から鋼鉄の甲板の上に引き倒された七星から、苦悶の呻き声が上がる
その七星の肩の関節を膝で押さえて固め、キョウが掴んだままだった腕を更に逆手に捻り上げた
「かわいいねぇ・・その程度で俺をどうにかできるとでも思っていたのかい?ああ、ほら・・動くんじゃないよ。動くとこの腕、へし折るよ?」
逃れようともがいた七星の腕を更に捻り上げ、グッとキョウが自分の膝で押さえ込んだ七星の肩の関節に力を込めた
「ゥグ・・ッ!」
七星の顔が歪み、キョウの言葉が脅しでもなんでもないことを示す
・・・・・・こ、いつ!武術も半端じゃ・・ない・・!
武術をたしなんでいた者だからこそ分かるキョウの技能に、七星が心の中で驚愕する
「七星!!」
ほんの一瞬の間に起こった出来事に出遅れた舵が、七星に駆け寄ろうとした途端
「舵!動くな・・・っ!!」
七星の鋭い制止の声音が響き渡り、ビクンと舵が立ち止まった
と、同時に続けざまに鋭い火花が甲板の上で炸裂し、七星の身体を押さえつけていたキョウの体も何かに弾かれたような衝撃で後へと仰け反り、肩から飛び散った鮮血と供に背後の手すりに背中から崩れ落ちていた
押さえ込んでいたキョウの身体がなくなった途端、1回転して跳ね起きた七星がその指先にカードを掲げて臨戦態勢でキョウに向き直る
「・・ッ、ク・・・ッ!一体どこから・・・!?」
撃たれた肩を押さえながら履き捨てるように言ったキョウの顔のすぐ横にあった手すりから、再びバチッ!と火花が上がった
キョウが一体どこから・・・!?と言ったとおり、タンカーの周辺には狙撃手が潜めるような場所も、適切な狙撃場所も見当たらない
弾は全て七星達の頭上から撃ち込まれている
少なくともタンカーの船上よりも高い位置でなければならないはずなのだが、クレーン塔以外それは見当たらず、しかしクレーン塔にもそれらしき人影も身を潜める場所もなかった
キョウの視線がクレーン塔から更にその向こう側へと移り、底光りする双眸が遥か遠くを見据えるように眇められた
その視線の先にあったもの
それは、出港し、ゆっくりと遠ざかりつつあった豪華客船・シルバーネプチューン
その巨大な船体の上からなら、タンカーの船上を狙い打つ事が出来る
ただ、徐々に遠ざかって行く船上からの距離とこの暗がりの中で、吸っていた煙草の灯火やコートのボタンに至るまでの精度と正確さで対象を射抜くなどという、到底人間業ではない事が為し得るならば・・・!という仮定の下で、だったが
「・・・クッ、アハハ・・・ッ!」
不意に笑い声を上げたキョウが、手すりに深くもたれかかって天を見上げた
そこにあったのは、全天で一番巨大な星座・・・海蛇座
その海蛇の心臓の部分に位置する、一つだけ際立って孤独に明るく輝く星・・・かつてその天才的な狙撃の腕前と傭兵としての能力の高さから、その星になぞらえて呼ばれていた男が居た
その男は、たった一人で敵を壊滅に落としいれられるほどの腕を持ち、狙った獲物は絶対に逃さなかった
相手に気取られることなく、まるで蛇のように音もなく忍び寄り、ただの一度も例外なく、絶対に・・・!
「・・・やはり来たか、アル=ファルド(孤独な蛇)」
その、キョウの小さな呟きを聞き逃さなかった七星が、告げられた名前に『やっぱり!』と、心の中で嘆息する
アル=ファルドとは、海蛇座で孤独に輝く星・アルファ星に付けられた名だ
その星の名は傭兵時代のアルの俗称の一つだったと、何かの折に北斗から聞いた記憶があった
銃弾が撃ち込まれた時点で、七星はそれがアルによるものだろう・・・と憶測したからこそ、あんな風な捨て身な行動が取れた
アルの何かしらの思惑が絡んでいるのなら、必ずどこかで関わってくるはずだと、七星には確信があった
そして関わるのならば、北斗を守るアルは、北斗が守る息子である自分を絶対に傷つけることはない・・・!と
「七星、大丈夫か!?」
七星の制止の声に一瞬動きを止めた舵だったが、一時的に狙撃が止んだ隙に七星に駆け寄り無事を確めると、その身体を後手に庇ってキョウを見据え、撃たれて血の滲む肩を押さえている様子に複雑な表情を浮かべた
「・・・あなたは、どうして・・・」
舵の問いかけようとした言葉を遮るように、キョウが不意に視線を舵に移したかと思うと、意味ありげに言い放った
「どうして?それを聞くのか?唯一俺と血の繋がった、俺と同じ運命(さだめ)を背負うお前が?」
そのキョウの言葉に、ハッとした様に舵が目を見開いた
その舵の表情の変化に、キョウの口元に酷薄な笑みが浮かぶ
「・・・息子を思う父親の親心が分からないかなぁ?貴也君?君は君が庇っている大事なものを、一番傷つける存在なんだよ?」
「ッ!」
「君は賢い良い子だから・・・お父さんの言っている意味、分かるよねぇ?」
言い募りながらキョウが慣れた仕草で煙草を取り出し、火をつけ、深呼吸するように長い紫煙を吐き出した
海風に乗り七星の鼻腔に届いた紫煙の香りは、今まで一度として嗅いだ事のない、独特なものだった
「・・・ねぇ、貴也君?君はどうして教師なんかになったんだい?」
「・・・っ、」
キョウの静かな問いかけに舵の顔から血の気が引き、表情が強張っていく
背を向けた舵のその表情は七星からは見えなかったが、徐々に硬く強張っていくその背中と握りしめられた拳が微かに震えていることから、舵の心の動揺は見て取れる
遺伝子工学を専攻し、書いた論文も進めていた研究も高い評価を受けていたはずの舵が、なぜ一介の高校教師になどなったのか?それは七星自身も感じていた疑問だった
しかもその問いに、なぜか舵はこんなにも動揺している
・・・・・・なんだ?一体どうして?
その理由が分からずに舵に問いかけようにも、向けられた舵の背中とキョウとの間に出来上がった張りつめた糸のような緊迫した雰囲気は、七星が問いかける事を良しとせず、ただ成り行きを見守る事しか許さなかった
「苦しいかい?可哀相に・・大事なものなんか作るからそうなるんだよ。せっかく前にお父さんがそれを教えてやろうとしていたのに、勝手に居なくなったりするから・・・。君の大事なものが傷つくのは全部君のせいなんだよ?」
「ま・・さか、あの大吾達と巻き込まれた事件も、全部あなたが!?」
「全部?それは心外だなぁ。始まりは君が真一に見つかったからじゃないか。きっかけを作ったのは君なんだよ?」
「な・・・っ!」
「分かるよね?君は、そこに居て、いいのかい・・・?」
キョウが意味深に言葉を切って、舵を追い詰めていくかのように問いかける
撃たれて乱れていたはずの呼吸はいつの間にか治まり、キョウの表情には薄い笑みさえ浮かんでいた
それと反比例するかのように、舵の表情はますます強張り蒼ざめていく
七星の目の前にあって強張っていた舵の背中が、一つ、大きく深呼吸した
「・・・ハ、あなたには全部お見通し・・・というわけですか?俺に、どうしろと?」
僅かに垣間見えた舵の口元には乾いた笑みが浮かび、その声音にはあきらめにも似た響きがあった
「そうだねぇ・・・とりあえず、こっちに来て手を貸してくれないかなぁ?腕が上手く動かなくて止血もできやしない」
撃たれた肩を伝い、キョウの半身は徐々に血に染まりつつある
意を決したように一歩踏み出した舵の腕を、七星が思わず掴んでいた
このまま舵を行かせたら、舵は帰って来ない・・・!
その行動そのものではなく、舵の心が!
本能的に感じたその怖れに、七星が強い口調で舵を引き止めた
「行くなっ!」
「っ、・・・浅倉」
腕を掴んだ七星の手に、包み込むように舵が自分の手を重ねて振り返る
その顔には、心配いらないから・・・とでも言いたげな笑みが浮かんでいる
でも
今、舵は、七星の事を『七星』とは呼ばず『浅倉』と呼んだ
それは、舵が心の中で何かを決めた事を示しているとしか思えない
「・・・ふざけるなよ、俺はまだあんたの事を何も知らないんだぞ?失うと分かってて手放すとでも思ってるのか?」
「浅倉、」
「言っただろ、もう後悔するのは嫌だって!その代償に傷ついても何かを失ってもそれでも構わない、欲しいものは絶対に手に入れるって!だから、行くなっ!」
叫んだ七星の手を包み込んでいた舵の指先に力がこもり、不意にその身体を引き寄せたかと思った瞬間、『グ・・ッ!?』というくぐもった呻き声と供に七星の膝から力が抜け、舵の身体にすがるように落ちていく
「・・か・・じ・・・」
「ごめん、もう少し、もう少しだけ・・待ってて、浅倉・・・」
囁くように耳元にそんな言葉を注ぎ込んで、七星のみぞおちに打ち込まれた舵の拳が落ちてきた七星の身体を抱きとめて、静かに甲板の装甲の上に横たえた
”七星”ではなく”浅倉”と呼んだのは、誤魔化し続けて見えない振りをしてきた自分への戒め
”恋人”ではなく”教師”としてのケジメをつけるために
”どうして教師なんかになったんだい?”そうキョウに問いかけられて、そう問われることを一番恐れていた事を知った
そして、その理由を知っているからこその問いだと、直感した
その理由があったからこそ、舵は七星を気にかけた
その理由があったからこそ、舵は常に不安を感じ、七星に対して迷いがあった
けれど、そんな自分を七星は求めてくれた
欲しいものは絶対手に入れる、その代償に傷ついても何かを失っても後悔はしない・・・そう言ってくれた七星に、もう、迷いがあってはならない
そんな迷いを父親だなどと到底思えないこの男が、皮肉にも一番分かっていた
つまり、理解しがたいこの男の行動の裏にある想いは、根本は舵と一緒・・・ということ
血の繋がりのある親子なのだと認めざる得ない・・・所詮、似たもの同士ということ
目の前にある現実を見なければ、先へ進めはしない
逃げ続けてきた過去そのものである父親と正面から向き合わなければ、何も変わらない
「・・・おやおや、いいのかい?可哀相に・・・」
その状況を面白がっているとしか思えないキョウの声音が、背後から掛けられる
その声音に唇を噛み締めつつ舵が振り返り、ゆっくりとキョウの方へと歩み寄った