求める君の星の名は
ACT 58
「・・・その煙草、ただの煙草じゃありませんね?」
キョウに歩み寄った舵が、数歩手前で立ち止まり用心深く問いかける
その問いに応える様に、キョウが長い紫煙を吐き出した
「・・・賢いねぇ、さすが俺の息子だけの事はある。お父さんは嬉しいなぁ」
「っ、ふざけないで下さい!その匂い・・・以前”エフ”の成分解析をした時に嗅いだ記憶があります。ほぼ”エフ”と同じ成分でしょう?そんな物を常用していて平気で居られるなんて、あなたは一体・・・?」
「・・・リー・フラウメニ症候群」
不意にキョウの口から告げられた言葉に、舵がハッと目を見開いた
自分の出自を知る・・・そのために遺伝子解析にかけた結果、はからずも知る事となったのがその病名
舵が大学で研究していたもの・・・それは全て自分の病気の治療法を模索する為の物だった
「もう知ってるよねぇ?遺伝子欠損または先天的異常から生じるガン多発症候群。非常に珍しい病気で今現在有効な治療法は皆無、そしてこの遺伝子変異を受け継いだ子にその症状が現れる確立は五十パーセント、若い頃は何ともなくても年を取り、不意に発病に至る事もあれば、発病しない可能性もある・・・。
ふざけた病気だよねぇ、気づいたところで何も出来ない。発病すればなお更だ」
「ま・・さか、あなたは、もう・・・!?」
「”エフ”はねぇ、俺が作ったんだよ・・・貴也君」
「っ!」
「我ながら良い出来だったと思うなぁ・・・治療を受けなくても今でもこうして生きてるんだから」
「治療を受けていない・・・!?」
舵がその言葉に驚愕の声を上げた
舵のその様子に、未だ銃痕から流れ出る血を意に介せず、クク・・・とキョウが肩を揺らして笑う
その反応が、吸っている煙草のせいで痛みを感じなくなっているからだろう・・・事は明らかだ
そして凝固することなく流れ続ける血が、クスリの副作用である事も
”エフ”は今までにない純度の高い麻薬で、得られるエクスタシーでは最高のものだ
だが反面、副作用が強く簡単に人を発狂させ、廃人にもする
もともと麻薬の成分は痛み止めなどの医療用に開発されたもので、服用する量さえ間違えず、常習性や幻覚、奇異反応、精神障害・・・などといった副作用さえ抑えられれば、立派なクスリなのだ
でもそれは、決して症状を改善する物ではない
ただ感じる痛みや苦しみ一時的になくす・・・それだけの代物だ
「俺が常用しているのは”エフ”のオリジナル・・・俺自身の遺伝子型に合わせて作った、俺だけにしか効かないクスリなんだよ。もっとも症状の進行を遅らせる・・・って言うだけの効果しかない役立たずなんだけどねぇ」
事も無げに言うキョウの態度に流されそうになるが、その役立たずの効果でさえ、まだ誰も為し得ていないのだ
それを、この男は自分だけのためとは言え、作ってしまったという
しかも、常用しても平気だということは、副作用さえ押さえ込んでいることになる
その天才ともいえる才能には、驚く以外はない
だが
ただ症状を遅らせるだけ・・・という事は、キョウの中で発病したガンの病巣はゆっくりとではあるが確実に、その身体を蝕み続けているということを意味している
そして、クスリを常用すれば必ず耐性が生じ、薬の量は増え服用間隔も短くなっていく
もともとは錠剤型だった”エフ”をいつでも吸える煙草型に改良したのも、その量と服用間隔が錠剤では追いつかなくなったからだとしか思えない
舵が巻き込まれたあの事件から既に6年・・・いくら症状を遅らせるとはいえ、普通に考えれば治療を受けていないキョウが生きていること自体、奇跡だ
しかもそんなにも長い間常用していれば耐性も飽和状態なはず
”エフ”でしか抑えきれないほどの痛みは、既にその許容範囲を超えているはずで・・・それに耐え続けているキョウの精神力は、尋常ではない
「どうして・・・、なぜあなたはそんなになってまで?一体何のために・・・!?」
「君にはまだ分からないかなぁ・・・俺はね、自分が死ぬ理由を自分で決めたんだよ」
「死ぬ・・理由?」
「そう、俺はね、俺を一番憎んでる奴の為に死ぬんだよ。悪いけど、君はね、そのために必要なゲームのコマにしか過ぎないんだ」
「ゲームのコマ!?」
「どうして俺が、君たちをここへ呼び寄せたと思ってる・・・?」
ユラリ・・・と幽鬼のようなおぞましさを立ち上らせながら、キョウがゆっくりと立ち上がった
思わず後ず去った舵に向かい、キョウが隠し持っていた銃を構えて鋭く言い放つ
「動くなっ!そう、そこでいい・・・いいねぇ、ちょうど奴から君の身体が盾になる」
舵を側に呼んだのは、その身体を狙撃の盾にするためだと言わんばかりに、キョウの口元に不敵な薄笑いが浮かぶ
「知ってるかい?5年ごとに行われる村田の親族会議の日の夜、あいつは必ず離れ茶室で一人で茶を点てるんだよ。その日にしか使わない茶器でね。それにちょっとした細工をしておいたんだ、今頃どうなってるだろうねぇ?」
「なっ!?お父さんに何を!?」
蒼白な表情になってキョウを見据えた舵を、キョウが楽しげに目を細めて見つめている
「俺はあいつがダイキライだって言ったろう?生まれた時から親も家も望まれた未来も、茶の才能も・・・全てを持っていたくせに、それを認めようとしなかったあの偽善者がね。俺が喉から手が出るほど欲しかった物全てを、あいつは否定した。
だから俺はあいつに何も与えない。あいつが欲しがる物は俺が奪う。あいつが手に入れていいのは、俺に対する憎しみだけだ」
「何を言ってるんだ!?お父さんはあなたを憎んでなんかいない!お父さんにとって一番大事な人は、あなたなのに!」
「ふ・・・、とっくの昔に知ってるさ、そんな事は」
「知って・・?知ってて、どうして!?」
「言っただろう?あいつが欲しがる物は俺が奪うんだよ。俺が死ぬのはあいつのせい・・・それが俺の死ぬ理由だ」
「な・・・ッ!?」
絶句した舵に、キョウが更に目を細めて言い募る
「ねぇ、貴也君?君が死ぬ理由はなんだい?いつ発病するかも分からないふざけた病気のためなのかい?」
「っ!」
「可哀相にねぇ、君も、君の大事なものも、そんなくだらないモノに負けて、それで終わりなんてねぇ」
キョウのその言葉に、ギリ・・ッと舵が唇を噛み締める
自分の遺伝子欠損に気づいた時、その五分五分で発病する可能性に、初めは絶対に治療法を見つけてやる・・・!と遺伝子治療の研究に没頭した
だが、研究を進めれば進めるほど突き当たった、治療法が見つからない・・・と言う壁
どうにもならない・・・そんな欝々とした思いに捕らわれ、スランプとも言える挫折を感じていた時に巻き込まれた、あの麻薬事件と爆発事故
初めて目の当たりにした、人の死・・・というもの
身元確認のために行った遺伝子情報照合の作業の中で思い知った、病気だけではない、人の死に繋がる物は、ある日突然その身に振りかかる・・・という現実
用心しようにも、対抗しようにも、為すすべもなく・・・避けようがない
舵の場合も、言ってみればそれと同じだ
可能性は五分五分、おまけにそれがいつになるのかすら分からない
そんな物に怯えて、進みもしない研究に時間を費やすことが、とんでもなく無意味に思えてきた
しかも当時の舵は自分の過去を捨てた身・・・今ここで発病し、舵貴也として死んだとしたら・・・?
そう考えると心底ゾッとした
自分が何者で何をやってきたのか?
それを知る者が誰一人として居ないこの異邦の地で死んでしまったら、後に一体何が残るというのか?
何もなかった
自分が生きてきた証になる物が、何も・・・
そんな時、追い討ちをかけるように、高校時代留学する為に親身になって世話をしてくれた恩師の訃報を知った
更に身近に感じた”死”というものに、心底怯え打ちひしがれた
けれど、同時に湧き起こった”例え死んでも恩師であったその人との思い出は、自分の中に記憶として刻まれている”という想い
ほんの短い期間に過ぎないのに、多感な高校時代に世話になった教師との思い出は、舵の記憶の中で消えることなくそこにあった
その時に、帰国して教師になる事を、舵は決めたのだ
あと何年生きられるかも分からない、その間に誰かの記憶に自分の存在を刻み込むための、最良の手段
自分の中の怖れと怯えを失くす為・・・という最低な動機だった
でも、だからこそ、舵はどの生徒に対しても親身になった
世話をした生徒の記憶の中に、自分という存在があったことを刻み込む為に
だがその親身さが裏目に出て、どこへ行っても色恋沙汰に巻き込まれた
相手が傷つくと分かりきっているからこそ、舵は決して誰とも付き合わなかったし気を許したりもしなかった
それ故、度々学校を変わることを余儀なくされ・・・そして、七星と出会った
自分を殺し、自分という物を持たない七星を見た時、舵の中にはどうにも放っておけない庇護感と、どうして!?という腹立ちとが生まれていた
死というものに対する制約がない・・・ただそれだけのことが、どれほど幸せなことか、自分という存在を誰かに認識させ、記憶に刻ませる事がどんな意味を持つか
それを七星に分からせて、家族以外はみな他人・・・という目でしか相手を見ない、他人を排除したその心に、何とかして自分を刻み込ませてやりたいと、そう思った
そのはずが
気が付けば自分でもどうしようもないほどに、七星に惹かれていた
そして七星をの事を知るにつれ、七星の成長と供に舵もまたたくさんの事を学び、教えられ・・・決めたのだ
七星のために、生きよう・・・!と
今まで逃げ続けてきた全ての物と向かい合い、ケリをつけ、七星の居場所になりたい・・・!と
唇を噛み締めて項垂れていた舵が、不意に肩を揺らして低い笑い声を上げた
「フフ・・・残念ながらあの子は、七星は、そんな物に負けるような子じゃありませんよ、”お父さん”」
ゆっくりと顔を上げた舵が、キョウを真っ直ぐに見据えてそう言った
「・・・嬉しいねぇ、ようやく俺を父親だって認めるのかい・・・?」
「ええ、どうやら俺はあなたによく似てるらしい・・・。あなたを身勝手で最低だと思ったんですが、俺はどうやらそれ以上だという事に気が付きましたよ」
「へぇ?どう身勝手なんだい?」
「俺には、死ぬ理由なんてない。俺にあるのは生きる理由です。俺は、七星のために生きますよ、お父さん。あなたのように死ぬためなんかに生きない」
「ハハ・・ッ!いいねぇ、それ!本当に身勝手だな、その子を傷つける為に生きるって言うのか!?」
「ええ、そうです。例え傷ついても、失っても、七星はそれを乗り越える。今度は俺を生きる理由にして、七星は生きる。七星が生きる限り、俺も死なない。だから俺には死ぬ理由なんてないんです」
今の舵にとって七星は、かつて手を伸ばした北斗七星ではない
どこに居ても決してその輝きを見失わない、全天の中心である・・北極星
どこまでも続く渇ききった砂漠でも、見渡す限り広い海原でも、その道標となり行き先を指し示す・・動じない極の星
この世に二つとない、他の何物にも代えがたい、ただ一つの星・・・だ
自分の考えが、ただ自分が生きるための、身勝手で、ワガママで最低な考えだと分かっている
けれど七星は、それを望んでくれた
傷ついても、失っても、それでも欲しいものは絶対に手に入れる・・・!と
そんな七星を手放す理由など、舵にあるはずがない
「でも、それはあなただって同じはずだ。あなたはどうして憎まれる事を望むんですか?相手を憎ませて、その憎しみの中に自分を刻み込んで、自分が生きる理由をそこに刻み込もうとしたからなんじゃないんですか?」
静かに問いかけた舵に、キョウの口元に壮絶な薄笑いが浮かんだ
「・・・気に入らないなぁ。子供のクセに親に口ごたえするなんて生意気だよ、貴也君。でも、まぁ・・・”お父さん”と呼んでくれたご褒美に一つだけ良い事を教えてあげようか。君の大事な生徒君たちはここには居ないよ。あれはウソ」
「え・・・!?」
一瞬安堵の色を浮べた舵に、キョウが更に言葉を続けた
「だけどね、火薬が積んであるのは本当なんだ」
「!?」
言いながら、キョウが構えていた銃をゆっくりと甲板の上に大きく開いた穴へと向ける
「そろそろゲームオーバーといこうじゃないか。君の大事な七星君が居る所の真下が、ちょうどタンカーのエンジン部だよ?君の言う生きる理由とやらを君は守れるのかなぁ?」
「っ、七星!!」
蒼白の表情で身体を反転した舵が七星に駆け寄るのと同時に、キョウが薄笑いを浮かべたまま、構えた銃の引き金を引いた