求める君の星の名は
ACT 60
タンカーの船上で地鳴りのような地響きと供に火柱が上がり、爆風が吹き荒れた直後、手すりに叩き付けられたキョウの身体が甲板の上に崩れ落ちた
その背後・・・手すりの一部に、何かの金具がかけられたかと思うと、ウィンチで何かが引き上げられているかのような機械音が響き渡る
ワイヤーか何かで一気に上まで引き上げられたらしき黒尽くめのウエットスーツに軍用の装備一式で身を固め、赤外線付きゴーグルで顔を覆った男が軽々と手すりを越えキョウの眼前に立った
「・・・クッ、アル・・か?」
「・・・残念ながら、私は代理です。それでも構いませんか?」
そう言い放った黒尽くめの男が、頭から被っていた赤外線付きゴーグルを取り去って、その素顔を曝して問いかける
上がる火柱の炎に照らされた、黒煙のけぶる中で映えるプラチナブロンドに独特な輝きを放つ青い瞳の持ち主・・・アルフレッドをキョウが見すえた
「・・・代理・・だと?」
訝しげにアルフレッドの顔を見つめていたキョウの口元が、意味ありげに僅かに上がった
「・・・その、瞳の色・・・そうか、お前、奴の・・・」
「はい」
その短く返された言葉に、キョウが低いくぐもった笑い声を上げた
「クク・・・、あの男も籠の鳥のままか。可哀相にねぇ・・まぁ、代理でも何でもいい・・交渉と行こうじゃないか」
そう言ったキョウが、内ポケットから取り出した携帯を開き、何事か操作する。
「・・・奴の代理なら知ってるな?俺の身体はもうボロボロだが、一箇所だけ使える部分がある・・・」
「ええ、ありますね」
「それを使うのが、俺の望みだ・・・」
「・・・見返りは?」
「九曜会と片桐の持つ”エフ”データの破壊・・・」
意味ありげな薄笑いを浮べたキョウが、携帯の送信ボタンに指を乗せた
「なるほど、大人しく九曜会の元に居たのは、そのためですか・・・」
「・・・俺は俺が望むもの以外、何も残さない。全て持っていく・・・っ、」
アルフレッドを見据えたキョウの獣の双眸が、一瞬、苦しげに眇められる
「・・・分かりました」
「交渉・・成立、だ・・」
背後の手すりに深々と背を預け、獣の双眸を閉じたキョウが顔を天へと向け、長い吐息を吐き出した
いつもならそこから吐き出されるはずの紫煙の煙は、今はもう、ない
ゆっくりとその口元に壮絶な薄笑いが浮かび、指先が送信ボタンを押す
送信完了を示す画面が発光するとともに、キョウの手の中に合った携帯が乾いた音を響かせて装甲の甲板の上に転がり落ちた
タンカー内部で起こる爆発に細かな振動を続ける甲板の上で転がった携帯が、カタカタと踊る
それを拾い上げたアルフレッドが再びゴーグルを被り直し、通信機を口元へと伸ばした
「・・・対象を確保、これよりそちらに向かいます」
告げたアルフレッドがキョウの身体を担ぎ上げ、タンカー下へと伸びたワイヤーに身をひるがえし、洋上のボートへとその姿を闇夜に溶かしこんでいた
「織田!!」
叫んだ高城の声も虚しく、沖へと向かう小型のクルーザーがヨットハーバーに立つ高城からどんどん遠ざかっていく
「クソッ!他に船は・・・!」
ギリ…ッと歯噛みをした高城が周囲を見渡せば、そこらじゅうにクルーザーは停泊されているものの、どのみち鍵がなければ動かすことは出来ない
その時
「…海斗!!」
聞き覚えのある声音が、船のエンジン音と供に沖の方から響き渡った
「っ!秋月!?」
叫んだ高城が声の元へと駆け出した
一隻の海上保安庁の小型高速艇が、ヨットハーバーから伸びた防波堤の先に向かって接近しつつある
防波堤の先でスピードを落としたその船の船尾から手を伸ばした真哉に向かい、高城が駆け寄った勢いそのままに船に飛び込んでいた
「…ッ、うわ…っ!!」
勢いよく飛び込んできた高城の身体を、自分の身体をクッション代わりにした真哉が受け止めて、船尾の甲板の上に転がった
「…つ、秋月!大丈夫か!?」
真哉の懐深く抱きこまれていたおかげで最小の衝撃で済んだ高城が、思い切り自分の下敷きになった真哉に問いかける
「い…っつ、なんとか…っつか、この腰、抱き心地は良いけど前より細くなってないか?ちゃんと飯食えよ海斗…!」
打ち付けた痛みで一瞬しかめた顔を不意に生真面目な顔つきに変えた真哉が、高城の腰に腕を廻してその身体を抱き起こしつつ、そんなふうに言う
「っ!お…まえは!こんな時に何言ってる!っじゃなく、あのクルーザーを追え!あれに織田が乗ってる!」
「ったく!お前が無茶するのはいつも織田絡みだな!お前の動向探って追いつくのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!あいつが織田じゃなかったら、今度は本気でその腰抱くから覚悟しとけ!」
不機嫌マックスで言い放った真哉が、高速艇の操縦席のドアを開け、中に居た海上保安庁員に問いかけた
「あのクルーザーを追ってください!追いつけそうですか!?」
「あれですか!?後2〜3分もあれば…!」
「お願いします!」
不審船追尾にも使われる高速艇だけに、そのスピードは一般のクルーザーの比ではない
たちまち距離を詰め、クルーザーの背後に取り付いた
警報音を鳴らしつつ近付き、『こちらは海上保安庁です。そこのクルーザー、止まりなさい』と、スピーカーで停止勧告を呼びかける
だが、その勧告を無視したクルーザーは高速艇を振り切ろうとするかのようにスピードを上げた
クルーザー内部には、飛(フェイ)、イスハーク、ロウ、クスリによって未だ意識を失ったままなのだろう…ソファーに横たわったままピクりとも動かない流が居た
海上保安庁の勧告を聞き、高速艇に取り付かれたのを知ったイスハークと飛(フェイ)が、意味ありげな視線を交し合う
操縦席に座り、船の操縦をしていたロウの背後に近寄った飛(フェイ)が言い放った
「ロウ、船は俺が操縦する。お前は高速艇を足止めしろ」
その言葉に無言の返事を返したロウが立ち上がり、飛(フェイ)に操縦席を預けるとキャビン内のソファーに座っていたイスハークの前を横切ろうとした瞬間、
「…ロウ、もしも追って来た船にオトモダチが居たら、どうする?」
ソファーの背もたれにもたれかかり、背後にあった窓から追いかけてくる高速艇の船尾に立っているらしき人影を楽しげに目を細めて見つめたイスハークが、問いかけた
一瞬、キャビンのドアに手をかけたロウの足が止まる
だが、その問いに答えを返すことなく無言のまま外へと出て行った
「ククク…見ものだよねぇ、飛(フェイ)!船停めて。オトモダチがどう出るか、見物といこうじゃないか」
酷薄な笑みを浮べたイスハークが、窓から食い入るようにして外の様子を伺う
その言葉に盛大なため息を吐きつつも、飛(フェイ)がゆっくりとスピードを落とし、いつでも逃げられるようにエンジンをかけたまま船を停止させる
そんな周囲の様子に、ピクリ…と流のまぶたが痙攣した
徐々にスピードを落とし、ゆっくりと停止したクルーザーのすぐ横に平行して止まった高速艇の船尾に立った高城が、同じくキャビンから出て船尾に立ったロウと真正面から向かい合った
クルーザーの船上を照らす明かりと高速艇の船上を照らす明かりのおかげで、この近距離からなら互いの顔がはっきりと認識できる
操縦席の中に居た真哉が、船上に現れたロウの姿に気が付いて高城のもとへ駆け寄ろうとしたが、『出て来るな!』と言う高城の声に一喝されてその足を止めた
真哉の視界に映ったサングラスをしていないロウの素顔は、織田樹そのものだった
「…織田なのか…?海斗!」
「そこから動くなよ、秋月。お前は俺達のフォローをする約束のはずだ」
「っ!」
真哉に背中を向けたまま、高城が『俺』ではなく『俺達』と、目の前に居るのが織田だと認めて言い募る
互いに逃げることなく真っ直ぐにその視線を合わせたロウと高城が、同時にゆっくりと肩から提げたホルスターから銃を抜き、銃口を向け合った
「…船のエンジンを切って、こちらに投降してもらおうか」
「…断る」
短く返されたロウの抑揚のない冷たい声音、高城を見据える何の感情の色もない冷えた灰色の眼差し…
その金属的な冷たさが宿る青みがかった灰色の瞳に、高城がギリ…ッと唇を噛み締めた
「…本当に、忘れたのか?なにもかも、全部?」
「……」
「答えろ!織田…っ!!」
片手で構えた銃を握る指先に力を込めて叫んだ高城の声が、静かにうねる海の波間に呑まれて消える
「…知らないな」
一言で返された、その答え
動じる事のない、表情のない声音と冷たい眼差し
その言葉と同時に、ロウの構えた銃口から高城の左胸めがけて迷いのない銃弾が撃ち込まれ、その衝撃を受けた高城の身体が甲板の上に転がった
「海斗っ!!」
叫んだ真哉が操縦席から飛び出して高城のもとへ駆け寄って行く
そんな二人を尻目に、照準を高城から船のエンジン部分に落としたロウの銃口が続けざまに乾いた銃声を響かせた
「なっ!?」
驚いて振り返った真哉の視線の先で、打ち込まれた銃弾によってショートしたエンジン部分から火花が散り、ボンッ!という爆発音とともに高速艇のエンジンが停止した
腕の中に抱き上げた高城の身体はぐったりとして、ピクリともしない
「ッ!織田!!お前…っ!!」
怒りに満ちた眼差しを向けた真哉の瞳と合わさったロウの灰色の瞳が、交錯する
だが、そこにあったロウの瞳に殺気は微塵もなく、まるで真哉に何事か語りかけるかのような物言いたげな色が滲み、その口元は何かに耐えているかのように噛み締められていた
「お…だ…?」
真哉がその意味合いを問いかける間もなく、不意に港の方から大きな爆発音と空気を震撼させる振動が響き渡る
「な…っ!?」
「ッ!?」
互いに交錯していた視線を解き、ロウと真哉が背後の港の方へと視線を向ける
その先では、接岸されていた中型タンカーの船上から火柱が上がりモウモウとした黒煙を吹き上げていた
「何だ…?いったい何が…?」
訝しげに眉根を寄せた真哉の耳に、不意に加速したエンジン音が響き渡る
「!?」
真哉が振り返った先で、スピードを上げたロウを乗せたクルーザーがあっという間に遠ざかっていく
その後を追おうにも、エンジンをやられたこの高速艇では、なす術がない
操縦席からは応援要請と、状況報告等の無線会話が洩れ聞こえてくる
『クソッ!』と真哉が毒づいた途端、抱き抱えていた高城の身体がビクンッと震え、『ゥ…グッ…、ゴホッ、ゴホゴホ…!』と激しく咳き込んだ
「海斗!?おま…、生きてるのか!?良かった…!!」
思わず歓喜の声を上げて叫んだ真哉が、その温もりを確めるかのようにギュッと力任せにその華奢な身体を抱きしめた
「っいっつ…!ば…かやろぅ、手を離せ、痛いんだよ…!!」
「あ、悪い…って、お前…血が…?」
確かに撃たれたはずなのに、高城の身体からは一滴も血が出ていない
わけが分からず茫然とした顔つきの真哉に、高城が不意に泣き笑いのような表情になってクスクス…と笑い始めた
「海斗…?おい…なに笑ってる?」
一瞬、頭でも強く打ったか?と、心配顔で問いかけた真哉に、高城が笑うと響くのだろう…顔をしかめて笑いを潜め、撃たれた銃痕が生々しく残るコートの胸ポケットから何かを取り出した
「…織田は、忘れてなんていやしない。覚えてる…全部、なにもかも…!」
「は…い?どういう意味…って、それ!?」
高城が取り出した物を見た真哉が、目を見開いてそれを凝視した
それは、撃ち込まれた銃弾が埋め込まれた携帯電話の無残な残骸…
「…もしも俺達が撃ち合うような事になった時のために、決めてあったんだ。ここに入れてる携帯を狙って撃て…てな」
右利きである高城が銃を構えれば、必然的に左胸がオープンになる構えになる
高城は、その左胸に来る位置に必ずポケットがある上着を着ると決めていたのだ…その約束を織田と交わして以来、今もずっと
「ッ!?外から見えないこんな小さな的をか!?いくら織田が射撃の名手だって言っても、ちょっとでもずれれば心臓撃ちぬかれて死んでるぞ!?」
「…そうだな、だから俺も冗談半分で言ったんだ…」
「え…?」
「なのに…あいつ、『分かった。何があっても俺を信じてろ』って、そう言ったんだ…本当に有言実行しやがった…!」
泣き笑いの表情のまま言い募った途端、高城が胸を押さえて顔をしかめる
船の装甲を突き破りエンジン部分をショートできるほどの威力のある銃弾だ、高城が身体に受けた衝撃もかなりのもので…一瞬息が止まって意識を飛ばしたほどだったのだ
肋骨にヒビくらい入っていてもおかしくはない
揺れる船上、心もとない明かり
賭け…以外の何ものでもなかっただろう
だからこそ
高城は不安定な船上にもかかわらず左胸を開けて片手で銃を構え、微動だにしなかった
おそらくは、クルーザーの中に飛(フェイ)達が居る
その飛(フェイ)達の目を欺き”エフ”を追うために織田がここに居るのなら、この場で高城を撃ち、逃げ道を確保する以外ない
互いに信じたのだ
高城は織田を…
織田もまた、高城を…
「…ホントに、お前らはなんでそう無茶苦茶なんだ!人に心配ばかりさせやがって…!!」
二人の絆の深さをまざまざと見せ付けられた恰好の真哉が、悔しげに言い募り高城を睨みつける
そんな視線を受け止めつつ苦笑を浮かべ『…いまさらだろ』と返した高城が、胸の痛みに顔をしかめながら起き上がり、まだやらねばならない事を口にした
「…ツ、秋月、巡視船を廻してクルーザーを追うよう指示を出せ。拉致られた子がまだ中に居るはずだし、あのクルーザーじゃ逃走距離は限られてる。沖に別の逃走手段があるはずだ」
「なめるなよ、海斗、もうとっくに手配済みだ」
フンッ!とばかりに言い放った真哉が、『どうなってます!?』と操縦席に向かって呼びかける
「港で起こったタンカー炎上の消化の為こちらに向かっているヘリから、沖合いに一艇の水上飛行機が居ると…!」
「っ!?他の巡視船はクルーザーに追いついてないんですか?」
「まだです…!」
そんな会話の合間にも無線から洩れ聞こえてくる内容には、タンカー炎上により混乱した指揮系統の乱れが感じられる
「くそ!このままじゃ拉致られた子が…!」
焦ったように言った真哉の横で、高城が一途の望みを託すかのように
「…織田!!」
と、クルーザーの船影が消えた暗い虚空の海に向かって叫んでいた