求める君の星の名は
ACT 61
「へ…ぇ、飛(フェイ)!今の見た!?ホントに撃っちゃったよ!」
クルーザーのキャビンの中で、織田と高城のやり取りの一部始終を見つめていたイスハークが、操縦席の窓からその様子を窺っていた飛(フェイ)を振り返って嬉々として言い放つ
「…記憶喪失、というのもまんざらウソでもなかったようですね」
「そんなの初めからどうでもいいんだよ!ねぇ、あのオトモダチ、死んだかな?生きてて欲しいなぁ…そしたら今度はオトモダチがロウを殺しに来るのかな!?ねぇ、飛(フェイ)後で絶対確認してよ!ゾクゾクしちゃうな」
「っ、あなたって人は…」
まるで幼子のようにはしゃぐイスハークに、飛(フェイ)がため息交じりの吐息を落とす
だが、その視線はロウを油断なく見つめ、高速艇のエンジンがショートすると見るやクルーザーを急発進させていた
その反動を受けたイスハークが、思い切りよくソファーの端に倒れ込み壁にしたたかに頭をぶつけた
「っ、い…った!飛(フェイ)!もうちょっと静かにやれよ!ったく…」
言い募り、起き上がろうとした途端
「…っざけんなよ!!」
押し殺した低い声音とともに、イスハークの身体が再びソファーの上に引き倒された
「っな!?おま…!?」
目の前に迫った流の燃える様な紅い瞳とサッカーで鍛えた強靭な筋力で引き倒された上、締め上げられた首に息が詰まり、イスハークの口から声が出ない
一気に船を加速した飛(フェイ)は、計器に向かってエンジン調整と向かうべき場所の座標確認に気を取られていて、イスハークの状況に気が付いていなかった
クスリで身動きできなくなっているはずなのに、どうして!?と、驚愕の表情で漆黒の瞳を見開いたイスハークに、流が少しでも気を緩めたら奪われそうな身体の自由に抗いながら、不敵な笑みをその口元に浮べた
「…わりぃな、俺にあのクスリは効かなかったみたいだぜ…?」
イスハークに気取られないように精一杯の虚勢を張りつつ、流が言い募る
”エフ”の特注品はダウン系と呼ばれる抑制作用を強めたクスリで、人を無気力にし体の自由を奪う代物
その効果をこの短時間で無効化することなどもともと不可能、クスリに対抗するにはクスリしかない…流が飲んだクスリはアップ系と呼ばれる興奮作用を引き起こすものだった
つまり、今、流の身体の中では抑制と興奮と…相反する作用が交互に襲い心臓に対する負担もかなりなもの
不整脈を刻む身体と、精神的高揚から一気に奈落の底へ堕ちて行くかのような感覚…その辛さに耐えていられるのは、サッカーで鍛えた気力と体力があればこそ、だ
「…つ、バ…カな…グッ!」
喘ぐように声を発したイスハークに、首を締め上げる流の指先に力がこもる
だが、その締め上げる指先にもほとんど感覚がない
今、自分がどれほどの力でイスハークの首を締め上げているのか…分からない
そんなに力を込めているつもりはないのに、イスハークの顔は苦痛に歪み、顔色が土気色に変わっていく
おまけにクスリの副作用なのか、いったん湧き上がった暴力的な感情は、流自身でさえ抑えきれないほどの強さで、そのままイスハークの首を締め上げる指先に力がこもっていく
「っ、クソ…ッ!!」
指先にこもる力を緩める事が出来ず、流が思い切り唇を噛み締めた
深く口唇を傷つけたキズから流れ出た血が流の唇を伝い、ポタリ…とイスハークの口元に滴り落ちてくる
その駆け抜けた痛みに、やっとの思いで流が締め上げていた指先を解く
途端に空気を求めて大きく息をつき、咳き込んだイスハークの様子に、飛(フェイ)がハッとした様に振り返った
「ッ!?イジィー!!」
イスハークを親しい者同士でしか呼ばない愛称の方の名で叫んだ飛(フェイ)が、操縦を自動に切り替えて操縦席から駆け寄ってくる
その姿を視界の端に捉えた流が、咳き込むイスハークの襟首を掴み上げて引き起こし、目の前で言い募った
「…てめぇ、覚えとけ!俺は誰のオモチャにもならねぇ!俺の記憶も俺だけのもんだ!誰にも奪わせねぇ!」
言い捨てた流が掴んでいた襟首を思い切り後ろに向かって振り払い、イスハークの身体を駆け寄ってくる飛(フェイ)に向かって投げつけた
「ッ!?イ…ジィ!ロウ!!」
投げつけられたイスハークの身体を受け止めて、キャビンの床に転がった飛(フェイ)が、ドアを開け放ち外へ出て行く流の背後から、外に居るであろうロウに向かって『捕まえろ!』と言う意味合いでその名を呼んだ
バタン…ッ!と閉じられたドアのせいで、飛(フェイ)達から流とロウの対峙した姿が遮られる
「…クスリは飲めたようだな?」
出ると同時にロウと対峙し、流が身構えた途端、そんな言葉がロウの口から告げられた
「な…っ!?じゃ、まさか、あんたが…!?」
「海に飛び込め、後は俺の仲間が何とかしてくれる」
そう、低く言い放ったかと思うとロウが流に向かって飛び掛ってきた
キャビンのドアに激しく身体を叩きつけられながらも、ロウが合わせてきた視線から、それが流を違和感なく逃がすための仕方のない攻防だと、瞬時に理解する
「グ…ッ、この…、どけ…ってんだ!!」
ドアの内側で声と物音だけで状況判断しているであろう飛(フェイ)達に、これみよがしな怒声を聞かせた流に、ロウがニヤリ…と口元を上げ、流の手に小さな器具を握らせた
「っ!?これ…!」
「発信機付きだ…」
流の足蹴りにあって後ろへ蹴り飛ばされる寸前、ロウが小さく流の耳元でそう囁いた
「捕まえられるもんなら、捕まえてみやがれ…!」
言い捨てた流がクルーザーの甲板の上で駆け出し、その勢いのまま手すりを足で蹴って真っ暗な海の中へとその身を躍らせた
それと同時にキャビンのドアが開かれ、現れたイスハークと飛(フェイ)が海にダイブした流の姿に唖然とする
「な…っ!バカか、あいつは!?」
叫んだイスハークが自動操縦で進むクルーザーの船尾から、流が消えた漆黒の海を見つめる
この暗さの中、効きが悪かったとはいえ、クスリを飲んだ状態で海に飛び込むなど自殺行為だ
「飛(フェイ)!船を止めて!あいつ…自由になんてしてやるもんか!」
締められた首に残る指痕の違和感に顔を歪め、口元に滴った流の血の味を飲み下しながら、イスハークが言い募った
だが、その真っ暗な洋上の彼方にちらつき始めた巡視船らしき明かりに、飛(フェイ)が眉間に深いシワを刻む
「…あきらめてください。これ以上足止めを食らったら逃げ切れない」
飛(フェイ)の視線の先にある物に気づいたイスハークが、その言葉にそれ以上継ぐ言葉を失って彼方に見え隠れする明かりを睨みつけた
流に足蹴りにされて吹っ飛ばされていたロウも起き上がり、飛(フェイ)に船を操縦しろ!と視線で告げられ、キャビンの中へと入っていく
「…誰のオモチャにもならないだと…!?言ってくれるな…!」
低く呟いたイスハークの口元に酷薄な薄い笑みが浮かぶ
「…この程度で死ぬほどヤワじゃないよねぇ?次に会えるのを楽しみにしてるよ、浅倉流…!」
ス・・ッと違和感の残る首筋を撫でながら、イスハークの漆黒の瞳がゆっくりと細まっていた
ザブン…ッ!
飛び込んだ海の水は思いのほか冷たく、相反するクスリの効果のせいで不整脈の動悸を刻んでいた流の心臓が、一瞬その温度変化によるショックで動きを止めた
「…ク、…ッ」
胸を押さえ込んだ流の身体が、そのまま深い海の底へと沈んで行く
…チクショ…ッ!こんな所で死んでたまるかよ!!
心の中で叫んだ流が、思うように動かない漆黒の水の中で何とか身体を動かし、織田に手渡された物を握り込んでいた拳を思い切り胸に叩き付けた
水の中だけにその威力は地上の半分
それでも、一時的なショックで一瞬動きを止めただけの心臓の鼓動を取り戻すだけの効果があった
打ち付けたときに生じた圧迫感とドクンッ!と鳴った心臓の反動を受け、流の口からゴボッと大量の空気が泡になってこぼれ出る
水の中で溺れるのは、その状況にパニくって大量に水を飲んでしまうからだ
だが、流が海に飛び込んだのはクスリで思うように動かない身体でも水の中で溺れない…!という確信があったからに他ならない
織田から手渡された小さな器具を、空気を吐き出しきった口元に流が慌てずくわえ込んだ
それは小型の酸素ボンベで、空気を吐き出しきった流の口元から、今度は呼吸のために吐き出された気泡が溢れ出た
どうしてそれが一目で酸素ボンベだと分かったかといえば、去年の夏、北斗の公演先に遊びに行った時、『試作品で性能を確めてくれって言われてね…』と、同じ型の物を北斗から手渡され、皆で海へ行って使った経験があったからだ
それと同じ物を、なぜ、あのロウとか言う男が持っていたのか…なんて事はこの際どうでもいい
『…俺の仲間が何とかしてくれる』と言ったその言葉から察するに、おそらくは北斗絡みであの男も繋がっているのだろう
つまりは、味方…ということ!
おかげでなんとか呼吸は確保出来たものの、それは非常用の心許無いものでしかない
クスリの影響で不整脈を刻み続ける心臓のせいで通常より早い呼吸を押さえ込み、落ち着かそうとするだけで精一杯だ
必然的に身体は強張り、流の身体は浮かび上がる事も出来ずに漆黒の水の中、更に下へと堕ちて行きつつあった
だが、
…え?な…んだ?ひか…り?
堕ちていく流に向かって伸びた一筋の光りが、暗い水の中にくっきりと流の姿を浮かび上がらせていた
その光りの源である海中ライト付きのシースクーターを持った人影が、真っ直ぐに流に向かって近付いて来たかと思うと、強張ったままの流の身体を腕の中に抱え込んで、力強く上へと一気に浮上していく
…ああ、そういやぁ仲間がどうの、発信機がどうの…て、言ってたっけ…
おそらくは発信機なのだろう…口に咥えたボンベの端で点滅する赤い小さなランプを見つめながら、流の意識が急速に遠のいていった