求める君の星の名は








ACT 64









「っ、おい!ちょ…待てってば!」


アルの背中を追って病室を出た七星が、先を行く長身を見上げて声をかける
だが、何度呼びかけても振り返ろうともしないアルは、七星の声を無視してドンドン病院内の階段を登り、ついに屋上に続くドアを開け放って出て行った


「く…っそ、あいつやっぱ化けもんだろ、何でこんな早く階段登れるんだよ…!」


5階建ての救急救命センターの建物の中、1階にあった病室から屋上まで一気に駆け上る勢いでアルの後を追ったのだ…大きく肩で息をしながらも、何とかアルに続いて屋上へと七星が辿り着いていた

雲に隠れた月のせいで足元さえおぼつかない屋上の上、ようやく止まったアルの背中は、肩で息をしている七星とは対照的に、全く息を切らせている様子は窺えない
屋上に出てから火をつけたのだろう…優雅に長い紫煙を吐き出していた


「…っ、なんで、あんたが、ここに居る…!?」


上がった息のせいで切れ切れになる言葉に七星が悔しげに眉根を寄せながら、紫煙を上げる背中に問いかけた


「…交渉の品を届けに来ただけだ」

「交渉の品?あの箱か?中には何が?」

「…角膜だ」

「え…?」


返された意外な答えに、七星が言葉を失う
だが、紀之の、あの包帯で巻かれた目元を思い出し…ハッとした様に問い返した


「角膜って、移植用の!?」

「それ以外、他に使い道があるのか?」


もっともな言い分だが、如何にもバカにしたようなアルの言い方は、どうにも癇に障る
ムカッときた心情を落ち着かせるように、七星が一つ大きく深呼吸して問いを重ねた


「…、誰の角膜だ?」

「…普通、生きてる人間から角膜摘出はしないな」

「!、キョウ…なのか?」

「奴の体は癌に蝕まれてボロボロだった。生きていられたのが不思議なほどにな」

「癌…!?」

「その体に、たった一箇所だけ残されていた移植可能な臓器…それが角膜だった」


暗闇の中、後手に一くくりに束ねられた金糸の髪とたなびく紫煙だけが、そこに居るアルの存在を浮き彫りにする
淡々と事実だけを告げるその口調には、一片の感情すら感じられなかった
だが、それが逆に、その裏に秘されたキョウの心情を、七星の背筋を震撼させながら伝えてくる


「だ…から、だからキョウは紀之さんの目を失明させたのか!?あの人の体の中に、自分の一部を移植するために!?」

「最後まではた迷惑な奴だ、殺して連れて行けばいいものを」

「っ!?あんたは…っ」


平然とそう言い放たれた七星が憤然と言い募ろうとした瞬間、アルが不意に振り返って、闇夜に冴え冴えと浮かぶ冷たいアイスブルーの瞳で七星を見据えた


「俺は連れて行くぞ」

「え、」

「二度と北斗に残される者の辛さを味あわせるつもりはない」

「っ!」


残される者の辛さ…宙(そら)を失った時の北斗を嫌というほど知る七星は、瞬時にその言葉に言い返す事が出来ない
言葉を見失って視線を落とした七星の耳に、何かが風を切って動き出したかのような機械音が届き、ハッと顔を上げた

同時に巻き起こった強い風に数歩後ず去った七星の頭上で雲が切れ、心もとない細い三日月の月明かりが屋上を照らし出した


「な…っ!?ヘリ!?」


巻き起こる風を腕で遮りながら見据えた七星の視線の先に、一機の闇色で塗られた…どう見ても軍用機としか思えないヘリコプター
救急救命センターの屋上だけに、そこは緊急用ヘリの離発着場も兼ねていた


「もうしばらく北斗と連絡は取れないと思っていろ。だいなしにされた休暇を取り直すからな」


フワリ…と浮き上がったヘリから、そんなアルの言葉が降って来る


「は!?ちょっ…待てよ!まだ聞きたい事が山ほど…!」


言い募る七星を無視してホバリングした黒塗りの機体は、あっと言う間に月夜の彼方へと飛び退って行ってしまった


「くそっ!どこからあんなヘリ!?反則だろ!!」


毒づいてみたものの…七星達より先にここへ着いていたことを考えれば、時間的に言っても移動手段はヘリしか考えられない
シルバー・ネプチューンの船上にも、ヘリの離発着場は完備されているはずだ

だが、気になるのは、さっきの黒塗りの機体がどう見ても軍用機だったことだ
たしか…ファハド国王はあんな軍用機など所持していなかったはず
アル自身もどこかの国や軍に身を置いているわけではない
では、あの機体は一体どこの軍の軍用機なのか?
どこの国の…?

それに、もう一つ気になったアルの言動…『だいなしにされた休暇を取り直す』とか言っていた
あのアルが、北斗との休暇をだいなしにされた…?

一体、”誰に”!?

アルに対してそんな事が出来る”誰か”がこの世に存在するという事実に、七星が驚愕の思いで群雲に霞む細い三日月を見つめていた











「舵!?」


屋上から病室のある1階へと降りてきた七星が、ちょうど降りたフロアにあった待合所のベンチに座っていた舵に気がついて、声をかけた


「あ、浅倉…!あの金髪の男は?」

「もう帰った。それより、あの箱の中身、キョウの…!」

「うん…、移植用の角膜だったよ」

「…紀之さんは?なんて?」

「移植して欲しい…て。だから、さっき当直の先生にお願いして移植承諾の手続きをしてきた。ドナー登録していない場合の角膜提供は、家族の同意と承諾が要るからね」

「そ…か、」


そこから先に継ぐ言葉が見つからず、最小限に照明の落とされた深夜の待合所に、静かな沈黙が満ちる


「…死ぬ理由…か、」


ふと、凪いだ水面を揺らす波紋のように、舵が静かな呟きを落とした


「…え?」

「あの人が…キョウが言っていたんだ、自分が死ぬ理由を自分で決めた…ってね。でも、これがその理由だったのなら…」

「うん…死ぬため…じゃないと、俺も思う。キョウは、ほんとは誰よりも”生きたい”って思う気持ちが強い人だったんじゃないかな」


途切れた舵の言葉を継ぐようにそう言った七星の脳裏に、初めてキョウと会った、あの…月食の日の光景が鮮やかに甦る
闇色の夜の太陽にその姿を蝕まれ、光を失って闇へと葬られようとする月

けれど

最後の最後に、月は闇に葬られる事を…全ての光りを奪われる事に抗って、鈍い赤銅色の輝きを放つ
キョウは、まさにその”赤銅色の月”そのものだ

”人の犯した罪を代わって受ける、病んだ月…”

そう言ったのはキョウだ
では、キョウは…一体何の罪を背負って、最後に闇に呑まれることを拒んだのだろう?
自ら奪った紀之の体の一部となって、共に生き続けること?


それとも、他の何か…?


ゾクリ…ッと悪寒にも何かが、七星の背筋を駆け上がる
あの…闇に潜んで獲物を狙う獣の双眸そのものだった、キョウの瞳

それを紀之に移植させて生きたとしても、やがて来る”死”は免れない
そんな僅かな、先送りしただけの”生”がキョウの望んだものだったのだろうか?

それだけじゃない…そんな思いが、どうしても七星の中から消え去らない
紀之の中で共に生き、キョウは何を”見る”つもりなのか…?と


再び訪れた沈黙が、凪いだ水面のような重さを伴って、舵と七星の間にわだかまる
その沈黙を吹き飛ばすように、パンッ!と膝を打った舵が不意に明るい声で言った


「さ!帰ろうか、浅倉!」

「え、あ…うん」


まだどこか戸惑った表情の七星を手を取って立ち上がった舵が、いつもの屈託のない笑顔で病院の出口へと向かう


「あ、そうだ、宿に帰る前に行ってみたい場所があるんだけど、浅倉、付き合ってもらって良いかな?」

「いいけど…こんな夜中にか?」


不審気に眉根を寄せた七星に、舵が巻かれた包帯のせいで寛げてある胸元を指差しながら笑いかける


「どうせ襲うなら、ケガが治った万全の状態で心置きなく襲いますから、ご心配なく!」

「!?バ…ッなに言ってんだ、あんた!」


耳朶を染めた七星の手を取ったまま、舵が病院前で待機していたタクシーに乗り込んで、行き先を告げた





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