求める君の星の名は








ACT 65









「はい、到着〜〜!」


京都市内にある三条大橋のたもと付近で停まった車から、おどけた仕草で七星を降ろした舵が、意気揚々と川原の方へと降りて行く


「ちょ、舵?ここ…なに?川?」

「そ、鴨川!」

「鴨川?こんな所に何があるって言うんだ?真っ暗だぞ?」


橋を照らす街頭と、土手に沿って配置された街頭以外明かりはなく、心許無い事この上ない


「まあまあ、いいから。と、いっても…さすがに明け方近い時間だけに誰も居ないなー」


呑気そうに言った舵の言葉どおり、既に時刻は深夜を過ぎ、彼方に見える空には瞬く星と共に薄っすらと朝焼けの気配が漂っていた

七星の手を取って川岸まで降りた舵が、そこにストンッと腰を下ろし、七星の手を引いて強引に横に座らせてしまう


「はは!やった!ついに念願の”等間隔に並ぶアベック”成就ー!」

「は…?」


嬉々として歓声を上げた舵に、ようやく七星がその行動を理解した


「…まさかとは思うが、鴨川名物の?」

「そう!昔からの夢だったんだよ、一度で良いからここにアベックで座ってみたいなぁ…って!」

「?なんで?あんた京都出身なんだろ?そんな機会いくらでも…」

「なかったんだよ、一度も」


苦笑を浮かべながら言いきった舵の横顔に、出奔せずにはいられなかった…若かりし頃の苦悩が浮かんで消える


「…だから、ここへ戻ってこれたら、その時は七星と座ってみたいなぁ…ってずっと思ってたんだ」


立てた片膝の上に肘を乗せ、その上に顎を乗せた舵が小首を傾げるようにして七星を見つめ、無邪気に笑う
その笑みは、二人きりになった時の…恋人として七星を扱う時のそれで、いつの間にか呼び名も”七星”に変わっている


「っ、ガ、ガキか、あんたは…!」


その笑みに気づき、一気に体温を上げた七星が、赤くなった顔を見られまいと顔を背けてしまった


「はは…ホントにそうだな。でも、まさかこうしてあの頃の夢が叶うなんて思ってもいなかったんだ。今まで生きて来れて本当に良かったよ…」

「え…?」


その、舵の言い方に含まれた不自然さに、思わず七星が振り返る
”今まで生きて来れて”なんて、そんな言い方…

僅かに眉根を寄せた七星がその不自然さを問いかけようとした瞬間


「七星に会えて、本当に良かった」
「…か…っ、」


どこまでも優しい、包み込むような眼差しと笑みで七星を見つめた舵がそう言って、薄く開きかけた七星の唇ごと奪って、その問いを封じてしまう

ガキだと言った…そのままの、触れるだけのひどく優しい一瞬の口付けで


「…思い出した」


駆け抜けた一抹の不安を抱えたまま、それを問う事を良しとしない舵の笑みを見つめていた七星が不意にそう言って、触れるだけで離れていった舵の唇に指先を伸ばす


「なに…」


問おうとして開いた舵の唇に触れた七星の指先が、今度はその問いを封じるように押し当てられた


「舵の過去をいろいろ調べ始めた時、何かの星に似てるな…って思ってたんだ。見ようと思わなければ見えない、見つけたと思ってもすぐに見失ってしまう、滅多に見ることが出来ない星…。だけど、見つけることが出来たら幸せになれるって言われている星、”カノープス”」


ハッと目を見開いた舵の唇を封じたまま、七星が更に言い募る


「俺も、舵に会えて良かったよ。せっかく見つけた幸運の星だもんな、絶対見失ったりしない。それに、カノープスは別名”南極老人星”って言って、見つけた人は長生きするんだ。キッチリ付き合ってもらうから、そのつもりでいろよ」


まるで挑みかけるような眼差しで、上目遣いにそう言った七星の押し当てられた指先を取り、舵がフワリと自分の指で包み込んだ


「…もう一つカノープスには、”布良星(めらぼし)”っていう災いを呼ぶ凶星としての別名もある。そっちだとは思わないの?」


そう…滅多に見ることが出来ない星だからこそ、人は時にそれを幸運と呼び、災いの前兆とも呼ぶ
それをどう取り、怖れするか、喜びとするか…それは見た者の捕らえ方次第…

フ…ッとその舵の問いを鼻で笑った七星の双眸が細まり、からかうような声音で言った


「他にもあるだろ?地平線スレスレにしか現れなくて、見えたと思ってもすぐに沈むから仕事をサボってばかりの”横着星”に”無精星”、ちゃらちゃら遊んでばかりの”道楽星”…!」

「…七星君、俺はそっちだとでも言いたいのかな?」

「似合いそう…ではあるよな?」

「…この!」


包み込んだ七星の指先をグイッと引き、自分の胸の中に引き寄せた舵に抗わず、ケガを負っているその体を気遣うように柔らかく七星が身を寄せた


「…舵、あんたは怖くないのか?俺…ホントは港で包帯巻いたあんたを見た時、凄く、怖かったんだ」


舵の肩口に額を押し当て、さっきまでの口調を一変させた七星が不意に告げる
そういえば、金子に送ってもらって港を出る直前、七星が何か言いかけていたことを舵が思い出していた


「…え?怖い…?」

「俺の側に居たら、いつか舵が俺のせいでもっとひどいケガを負うんじゃないか、ひょっとしたら、死んでしまうんじゃないか…って、そう思ったら、怖かった」

「っ!?そんなの…、」

「聞いて!でも、もっと怖かったのは、それでも舵と一緒に居たいって、そう思った自分だったんだ。災いを呼ぶのは俺かもしれない…俺は、あんたの寿命を縮めるかもしれない…だけど、それでも、俺は…っ」


あんたを手放すことなんて、考えられなかった


額を押し当てた肩から続く舵の腕をきつく握りしめた七星の手が、そんな言葉にしなかった心の叫びを伝えてくる

その七星の耳元に唇を寄せた舵が、囁くように言った


「…その程度の身勝手じゃ、俺に勝てないぞ?言っただろう?七星は俺の物だって。他の誰にも渡さない…って。七星を傷つけるのも苦しめるのも、俺以外認めない。だから、安心して俺の側に居たらいい」

「っ、けど…!」

「俺が死ぬのは、七星のせいじゃないよ」

「え?」


告げられた確信に満ちた声音に、七星が思わず押し付けていた額を離して顔を上げる


「だから、心配しなくていい」


見惚れるほどの優しい笑みで、舵が言う
七星以外、他の誰にも注がれる事のない、その笑みで


「な…に、それ…?」

「ん?そう簡単に死ぬ気はないって事!カノープスかぁ…良いね、それ。七星が俺を見つけてくれたことで長生きしてくれるんなら、本望だよ」

「……」


舵が何かを隠していて、それを語ろうとしていない事に七星が気づかないはずがない
それを裏付けるように一瞬黙り込んだ七星だったが、不意に静かな口調で言い放った


「死なせない」

「え…」

「あんたは、俺が生かす。あんたの事、全部知るまで」


舵に真っ直ぐに注がれる七星の強い眼差しが、『言いたくないんなら聞きはしない、けれどいつか必ずそれを見つけてやる…!』と、無言の決意を伝えてくる

七星らしい…と、舵もまた『見つけられるものなら、見つけてごらん』と視線で答えを返し、無言で睨み合っていた筈が…

どちらから…というわけでもなく上がった口元に、いつの間にやらクスクス…と笑い合っていた


「あんたって、ほんと、カノープスだよ」


笑いながら七星が言う
届きそうで届かせてはくれない
見えたと思ってもすぐにその姿を隠してしまう

でも、だからこそ

追い甲斐がある
手放すわけにはいかなくなる


「…じゃ、ちゃんと捕まえて?」


意味深な声音と眼差しでそう言った舵に、七星が先ほどのお返し!とばかりに触れるだけのキスを落とす


「ばーか、そのケガ治るまでお預けだ」


笑いながら言った七星が立ち上がり、舵に手を伸ばす


自分にとって、幸運の星に
共に生きる、そのために


「何がお預けなのかな?七星君?」


分かっているくせに、意地の悪い答えを返した舵が、伸ばされた七星の手をしっかりと掴んで立ち上がった


自分を生かす、唯一つの極の星に
共に生きる、そのために


「…内緒だ」


舵のその問いかけに、今度は七星が意味深な笑みと眼差しで答えを返す

『内緒…って?』『…内緒だから内緒なんだろ!』そんな他愛のない会話を交しながら歩く二人の背後から昇り始めた太陽が、長かった夜の終わりを告げる


例え日が昇り星が消え、互いにその姿を見失ったとしても


失うことなく繋がった確かなモノがあるんだと、足元から伸びた二人分の淡い影に教えられ、知らず…繋いだ二人の手の指先が強く、深く、絡みついていた




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