求める君の星の名は
ACT 66
修学旅行最終日
その日の行程は午前中、出張・清水焼絵付け体験で、宿の一室で生徒全員が前もって渡されていた用紙に描いてきたデザインを絵付けし、昼飯後新幹線で帰途につくことになっていた
絵付けした皿やマグカップ、湯のみなどは4週間後に送られてくる
大広間に並べられた長机に互い違いに向き合って座った生徒達が、手に手に慣れない筆を持って賑やかに絵付けに興じていた
けれどその中に、明け方になって宿に帰ってきた七星と舵の姿がなかった
七星は昨夜一睡もしていないことを金子や山下が憂慮し、部屋で休むよう言い渡されて布団の中、舵は2時間ほどの仮眠の後、挨拶だけでもキチンとしておきたい…と実家である村田家を訪れていた
昨夜の港での大吾と司達による大騒動は、暴走族取り締まりの果ての騒ぎ…という事で報道され、表向きには”エフ”絡みの事などは一切公表されてはいなかった
だが、その裏側
公にされていない水面下では、その場にいた新井組は銃刀法違反で即時逮捕され(何しろ全員狙撃によって負傷し逃げられなかったのだ)、”エフ”との関わりを明らかにする為の取調べが行われていたが、肝心の物証ともいうべき偽造”エフ”はタンカー炎上によって焼失してしまったらしく、深く追求する事は不可能だった
タンカー炎上については、IDPCで決められた麻薬製造に対する薬物取締り強化運動へのテロ行為と報道され、今後の国際援助輸送に対しても爆薬などが持ち込まれないよう貨物チェック基準が引き上げられることが決まり、目的地に着くまでの洋上警備もテロ対策の一環として強化され、警護艦が付く事になった
つまり、片桐の麻薬密造と新井組との関わりなどは追求する事は出来なかったが、貨物チェックと洋上警備が強化されたことにより、飛(フェイ)等の中国・香港マフィアとの新規麻薬密売ルートの確立は事実上不可能になったといえる
これらは全て、桜木と藤堂による”筋書き”と根回しが功を奏しての結果だ
そして、流の拉致はもちろんの事キョウの存在も”なかった事”として片付けられていた
なにしろキョウという人間が居た…という痕跡は、あのネットでの”エフ”売買に絡む掲示板の書き込みと新井組からの情報だけで、それ以外確かに実在した…という確たる証拠が何もなかったのだ
もしもキョウという人物を逮捕、もしくは遺体でも回収できていれば、そこから新井組と”エフ”の関係を深く追求でき、片桐まで捜査のメスが及んでいたかもしれない
だが、鎮火したタンカーの船上からも遺体はおろか遺留物さえ発見する事が出来なかった
”なかった事”にする以外、どうする事も出来なかったのだ
けれどそれらに関わった高城に関しては、海上保安庁への出動要請を含め諸々の表立った行動をしていたため、その存在と行動を”なかった事”にすることは不可能だった
テロを予測し、未然に防ぐ為に警備の目をタンカーに向けるがためだった…というもっともらしい”筋書き”は用意されていたものの、暴走族先導…という無謀な行為と警官との衝突により負傷者が出た事実はどうする事も出来ない
誰かが、その不祥事の責任を取らねばならなかった
高城は桜木にその責任が回らぬよう、今回の騒動の責任を全て負う…と辞職願いを提出し、それは受理された
それら一連の経緯を舵が知ったのは、村田家の離れ座敷の中、華山美月によってだった
来る途中で紀之の病院にも寄ったが、紀之は薬でよく寝ていたため、医師に移植日程の都合がつき次第連絡をくれるよう頼んできた
村田家に着いてみると、昨夜の紀之の事故によるショックが大きかったのか、沙耶は自室で臥せっており、沙耶に代わって出迎えたのが佐保子だった
『お帰りなさい』と微笑まれた瞬間…そういえば小さい頃はこんな風に出迎えられていたっけ…と、幼い頃の記憶を甦らせていた
そして、ただ挨拶だけして帰るつもりが…『あら、お茶も点てさせてくれないの?』と、佐保子に腕を取られ通されたのは、特別な来客があった時にしか使っていない離れの茶室付き座敷で、そこに居た美月に昨夜の顛末を聞く事となったのだ
昨日、テレビや週刊誌で見かける以外では初めて間近に美月を見た舵だったが、その容貌、雰囲気が…自分の記憶の中にある華山美月とは違う気がしてならなかった
ずっと、華山家のお嬢様…というところで何かを忘れているような…
そんな違和感が先ほど佐保子との記憶を甦らせてから、舵の中で一層強くなっていた
佐保子の門下生で、有名な大企業で名家のお嬢様…ただそれだけではない、佐保子も絡んでの、なにか…そんな気がしてならないのだが、どうしても思い出せないでいた
佐保子がこの村田の家を正式に出て行ったのは、舵が10歳の頃だった
それまでも本家であり、舵が居たこの屋敷に佐保子は滅多に寄り付かなかった
それは、舵を後継ぎにしたい…という紀之の希望を叶えるために、敢えて佐保子が意に背いてしていたことだった
もともと芸者出の佐保子は、結婚となった時も、なにも本妻にしなくても…と親戚中の反対にあっていた
それを押し切る形での結婚だったのだ
そんな経緯があった上での、紀之とは似ても似つかない子供の誕生
自分が本家に出入りする事は、口さがない親戚連中の噂話を助長させるだけだと知っていたからだ
一通り昨夜の事件の顛末を話し終えた美月が、不意に表情を和らげて、舵をジ…ッと見据えてきた
「…ねえ、昔…ここであなたと会ったことがあるんだけど、覚えてる?」
「え!?ここで…!?」
思わずマジマジと美月を、その座敷を見渡したが、舵の脳裏に甦るものは何もなかった
「本当にキレイさっぱり忘れてるのね。さすがマジシャン北斗の腕は本物だった…ってとこかしら…」
「え…北斗…?腕…?」
苦笑しながらも感心したように美月が言い、舵がわけが分からず困惑した表情を浮かべている
そんな二人の会話に邪魔にならないよう、静かに茶の準備をしていた佐保子に、美月がおもむろに聞いた
「ねえ佐保子さん、例のモノちゃんと持って来てくれた?約束はちゃんと守ってくれるんでしょうね?」
「はい、もちろん。私にはもう必要のないものになりましたから」
「良かった!じゃ、証拠もある事だし、思い出せなくても大丈夫ね」
フフ…と意味深に笑った美月と佐保子に、舵がますます困惑の色を深めていく
「…あの、申し訳ありません、俺は何か忘れてるんでしょうか?」
「ええ、忘れてるわよ。きれいさっぱりと」
如何にも楽しげに、美月が言う
「…一体、何を忘れているんでしょうか?」
「七星が関わっている多国籍企業の名前は知ってるわね?」
「はい、確か”AROS”とか…」
「そのスペル、逆から読んだらなんて読めるかしらね?」
「え…逆だと、S、O、R、A…そ…ら、”そら”ですか?」
「そ!私の姉で、七星の母親、”華山宙(かやま そら)”」
「かや…ま、そ…ら…!?」
その名を聞き、呟いた途端、舵の記憶が閃光の用にスパークし、甦る
『また会えるわよ、この子は”ポーラ・スター”なんだから』
そう言った、艶やかな長い黒髪の清楚な美人
七星と目元がソックリな、穏やかなのに強い意志が滲んだ漆黒の双眸
七星の口元とよく似たラインで微笑む、艶やかな唇
そして
恐る恐る伸ばした自分の人差し指を掴んで離さなかった、小さな、小さな、手
たった今まで泣き叫んでグチャグチャだった小さな顔
指を掴んだ途端、パッと見開かれた涙で潤んだ大きな瞳
次の瞬間浮かんだ、舵の心を鷲掴みにした天使の笑み…!
「ま…さか、あの時の…あの赤ん坊…!?」
放心したように目を見開いたまま固まった舵の様子とその言葉に、美月が感嘆したようにため息を落とした
「まったく、悔しいけどマジシャンとしての北斗の腕は認めざる得ない…ってとこかしら。あの時北斗はあなたに暗示をかけたのよ。姉さんと七星に関する記憶を全て忘れて封印するように。で、その暗示を解く言葉が”華山宙”だったってわけ」
「どうして、そんな!?」
「あの時、生まれたばかりの七星を私に見せるために姉は一度だけ帰国したの。でも既に姉さんは病死したことになっていたし、北斗と一緒になった事も七星が生まれた事も、全て秘密だったから。特に、七星が姉の子供だって事は絶対に…ね。
だから口が堅くて信頼の置ける佐保子さんに協力してもらって、ここで姉と七星に会わせてもらったの。ところがたまたま学校が早く終わって帰ってきたあなたに見つかってしまったってわけ。おまけに!姉さん以外誰があやしても抱いても泣いてばかりだった七星が、あなたを見た途端泣き止んじゃって!」
不意に言葉を切った美月が、茶席の並びで横に座っていた舵にズイッと顔を寄せ、その胸元に指を突きつけた
「ほんっと、悔しいったらありゃしない!なんだって叔母である私を差し置いて、あなたに懐いちゃうわけ!?今思い出してもムカつくわ!」
「そ…そんな事言われても…!」
そう、あの時まだ0歳の赤ん坊だった七星は、母親以外、誰に抱かれても大泣きし美月も佐保子もホトホト困り果てていた
当時舵もまだ10歳で、大人しか居なかったその場の中で、唯一まだ子供で親近感があったせいかもしれない…理由は定かではない、それでも、舵が抱いた途端泣き止んで、笑いかけてきた事だけは変えようのない事実だった
抱き上げてみると信じられないくらい軽い
身を守るものが何もない、小さな脆弱な存在
それが
自分の腕の中で、安心しきって身を委ね、幸せそうに眠りに落ちていく…
その時感じた、何とも言えない幸福感と庇護欲と独占欲
このままずっと抱いていられたら…!
本気でそう思ったのに、腕の中の小さな小さな温もりは、自分の物ではなかった
手放さなければならなかったのだ
『…っ、また…会える?その子に?』
すがるような気持ちでそう聞いた
その子の名前は教えられないのだと、言われたから
名前も分からない、小さな赤ん坊
きっと成長してしまったら自分でも、会った時にその子だと分からない
ましてや赤ん坊が、自分の事など覚えていてくれるはずもない
その時に、宙は微笑んで舵に『また会えるわよ、この子は”ポーラ・スター”なんだから』と、そう言ったのだ
「あんまり悔しかったから、あなたを七星の側に置いてやったのよ。だって、あの時あなた『また会える?』って、聞くんだもの!会ったって、絶対気づかない!分かるもんですか…!ってね。なのにどう?気づいてないクセに、あなたったらまた七星を懐かせちゃうし、七星まであなたが欲しいだなんて言い出すんだもの!
2回も私から七星を奪ったんだから、それなりの覚悟、しときなさいね!」
「…はい」
答えた舵が、ス…ッと正座した膝を引き、美月に向かい合い深々と頭を下げた
「もう一度七星の側に行くチャンスを与えてくださってありがとうございました。あなたが居なかったら、俺は七星を見つけることが出来ませんでした」
そう、理由はどうあれ美月が舵を桜ヶ丘学園に迎え入れてくれなければ、七星と再び出会うことは叶わなかった
北斗とソックリな七星の顔立ちを、はっきり北斗と違う…と感じたのも、封印されて忘れているはずの宙との出会いを心のどこかで覚えていたから
その記憶があったからこそ、華山家のお嬢様…というイメージが美月一人だと違和感を感じたのだ
それに
例え忘れていても、舵は七星を北極星だと感じたのだ
陸で、海で、空で…どこに居ても進むべき道の道標となる希望の星
あの時、宙が言った”ポーラ・スター”
当時は何の事だか分からなかったが、あの言葉は北極星の別名だ
宙が言ったとおり、七星は舵にとって”ポーラ・スター”に成長した
その言葉に導かれるように…
「あら、別に礼を言われる筋合いはないわよ?だって私は自分が欲しい物を手に入れたかっただけだから」
「…え?欲しい…もの?」
「ええ。ほら、佐保子さん!」
嬉々とした表情になった美月が、佐保子に向かって手を伸ばす
『はい』と答えた佐保子が美月に向かって一礼を返し、スッと一枚の封書をその前に差し出した
それを手にした美月が中から取り出したものは、一枚の写真だった
「…ありがとう、佐保子さん。姉さんの写真はこれ一枚きりだったから…」
フ…ッと寂しげな笑みを浮べた美月の瞳が僅かに潤んでいる
「華山宙さんの写真、ですか?」
そう問いかけた舵に、美月が黙ってその写真を差し出してくる
そこに写っていたのは、真ん中に小さな赤ん坊をこわごわ抱いている10歳頃の舵と、その背後に笑顔で写っている、若い頃の美月と宙…だった
佐保子が写っていないという事は、佐保子が撮った写真だったのだろう
「…っ」
そこに写っている自分に顔に浮かんでいる笑みに、思わず舵がハッとする
あの頃はいつも、表面だけの仮面の笑みでしか笑っていなかったはずなのに、そこに写った赤ん坊を見つめる自分の笑みは、見ているものが心和んでしまうほどの、優しい笑みだった
「あなた、良い顔して映ってるでしょ?おかげで佐保子さんがその写真を譲ってくれなかったのよ。その写真を撮った直後に本家から正式に出て行ってしまったから、あなたとも会えなくなってしまったって言って。
だから、あなたが家を飛び出して行方不明になった時、その写真を譲ってくれる事を条件にあなたを探す約束を交わし、行方を追っていたってわけ。
留学先で事件に巻き込まれてくれたおかげで、ようやく居所が掴めたのに、またそこから消えちゃった上、ナオのお兄さんだっていう刑事さんのおかげでなかなか居場所が掴めなくて、苦労したんですからね!」
「そうだったんですか…でも、宙さんの写真がこれ一枚きりなんて、どうして?」
「姉さんの存在をマスコミや親族の目から反らす為にも、写真は全て焼き捨てたの。家を出た後の物は姉さんが亡くなった時に、ショックで精神不安定になっていた北斗が全部…ね。だから、それ一枚だけなのよ」
そう言った美月が舵の手から写真を奪い取り、宝物のように丁寧に封書の中へとしまいこむ
「あ、それと…言い忘れてたけど、この写真の他にもう一つ欲しいものがあってね、村田の家の再興に協力する代償としてそれを頂く事になってるの。よろしくね?」
意味ありげな笑みを浮べた美月が、舵を見据える
「…え?よろしく…?」
「去年の夏、大学の恩師からハガキが来て会いに行ったわよね?」
「っ!?どうし…それを!?」
確かに舵は去年の夏、オックスフォード時代チュートリアル(個人指導制教育システム)で世話になった指導教授に手紙を出し、その返事としてのハガキをもらった
そのハガキの内容を受け、舵は教授に会いに行ったのだ
「あなた…何をしに行ったの?」
美月のその言葉に、思わず舵が息を呑む
「っ!それじゃ、まさかあなたが!?…まいったな、それが代償というわけですか」
「ええ、お気に召さなかったかしら?」
どこまでもにこやかな、美月の笑み
ハァ…ッと、舵が深いため息を吐いた
「いえ、参りました…完敗です」
苦笑交じりにそう答えた舵の前に、佐保子が点てた薄茶がス…ッと差し出される
そこにあった美月と同じ佐保子のにこやかな笑みに、男なんて所詮は女の手の内で転がされているだけなのかもしれないな…と、舵がもう一度深い、深いため息を吐いていた