求める君の星の名は









ACT 69







「ちーーーすっ!」


いつもの陽気な声音でサッカー部の部室のドアを引き開けた流が、目を見開いてその場で固まった


「お!浅倉、ちょうど良かった。こちら今日から新しくマネージャーになった片桐和也君だ。喜べ!これからお前のサッカー留学の手続きとか細々した事を主に受け持ってもらう事になった。これで心置きなくサッカーに集中できるぞ!じゃ、頼んだぞ、片桐!」


サッカー部顧問であり、流の担任でもある荒岩(あらいわ)がそう言い放ち、実に嬉しそうに和也の肩をバンバン!と叩いてそそくさと部室を出て行った
思わず唖然…とその様子を見つめていた流が、ハッと我に返って横をすり抜けて行った荒岩を振り返った


「っ、て…めぇ、待てこのクソ教師!自分がめんどくさくてやりたくねぇ事、全部押し付けやがったな!?」

「安心しろ!片桐は留学制度にも詳しいし、何より英語も堪能だ!俺なんかよりずっと頼りになる!」

「はぁ!?そういう問題じゃねぇ…って、クソッ!逃げ足速ぇ…!」


逃げるようにダッシュで部室棟内の廊下に走り出た荒岩の背中が、あっと言う間に角を曲がって流の視界から消え去った


「…っのやろう…!」


忌々しげに部室のドアに拳を叩き付け、荒岩の消えた角を睨みつけている流の背後から、オズオズ…と和也の声がかけられた
他の部員達はまだ誰も来ておらず、その場にいるのは流と和也だけ…だ


「え…と、じゃ、さっそくなんだけ…」
「なんでだよ!?」


不意に振り返って迫った流が、和也の声を遮ってイラだった声と表情で言い募る


「え…」
「何でマネージャー!?お前、テニス部だろ!?掛け持ちなんて中途半端されんのは迷惑だ!」

「…テニス部は昨日辞めた」
「辞め…!?って、片桐の家の伝統じゃねぇのか?テニス?そんなの許されんのか!?」


苛立ちの上に驚愕の表情も上乗せして問う流に、和也がス…ッと掛けていたダテ眼鏡を取り払って真っ直ぐに見つめ返してきた
その背後で、開け放たれたままだった部室のドアが、吹きぬけた風の煽りを受けてパタン…と閉じた


「…許されないよ、普通はね」
「っ、だったら…」

「流が、全部忘れたから」
「え?」

「忘れてても、思い出してしまうかもしれないから」
「な…に、言って…」


ゆっくりと、自分を偽るモノを取り払った、射る様な眼差しを曝した和也が、流に歩み寄る
その眼差しに気圧されるように流も思わず後ずさり…ドアに背をぶつけて逃げ場を失った

伸びてきた和也の指先が、まだ流の口元に残る殴られた傷痕にソッと触れる


「…ねぇ、本当に全部、忘れたの?流?」
「……っ、」


妖艶ささえ滲ませて問いかけてきた和也に、流がキ…ッと紅い瞳に力を込めてその眼差しを跳ね返し、触れてきた指先をパンッ!と手で振り払った


「何の事だかさっぱりわからねぇが、お前が望んでテニス辞めてマネージャーに専念するって言うんなら、俺に拒む理由はねぇよ」


挑みかけるようにして言い放った流の態度に、和也が一瞬困惑の表情を浮かべる

本当に忘れているのか?
それとも、覚えていてなおかつ拒まないと言っているのか?… と

その表情を見て取ったのか、流がハァ…ッとため息を吐いて、問いかけた


「…なぁ、お前、テニス好きじゃねぇのか?」
「…好きだなんて思ったこと、一度だってないよ」


そう答えを返しながら、和也が再びダテ眼鏡をかけなおす


「じゃ、サッカーは好きなのかよ?」
「まだよく分からない…けど、ボールを追って走ってる流を見るのは大好きだ」

「…見てるだけじゃ、つまんねーだろ?」
「そんな事ない。やりたくもない事をやらされるくらいなら、誰にも邪魔されず見たいものを見ているほうが何倍も良い」

「あ、そ。じゃあ…」


不意に伸びた流の手が、和也の顔からダテ眼鏡を取り払ったかと思うと、バキ…ッ!と目の前で眼鏡を握り潰してしまった


「る…い…っ!?」
「本当に見たいものがあるなら、素のお前で見たらいい。いちいち作るなよ、めんどくせぇだろ?」

「っ!」
「で?留学準備に向けて何したら良いの?荒岩の野郎顧問のクセに放置でさ、俺も練習ばっかでまだ何にもやってねぇんだよな」


言いながら、さっきまで荒岩が座っていたイスに腰掛けた流が机の上に潰した眼鏡を無造作に置き、視線で斜向かいのイスに座れよ、と指し示す

流の思わぬ行為に、まだ唖然と和也が立ち尽くし、潰された眼鏡を凝視していた


「あー…、そっか、悪い。ちゃんと弁償するから…」
「いい!」


きまり悪げに言いかけた流の言葉が終わらぬ内にそう言い切った和也が、眼鏡を掴んで部室の隅にあったゴミ箱へと放り込んだ


「俺、ホントに見たいんだ。片桐の事なんて関係なく、流がプロの選手になって走ってるとこ、絶対見てみたいから…!」


潰れた眼鏡を放り込んだ手をギュッと握りしめながら、和也が流に背を向けたままそう告げる

和也がテニスを辞め、サッカー部のマネージャーになる事を許されたのは、いつ流の記憶が戻って片桐と新井組、イスハークとの繋がりや”エフ”との関わりを告発されるかもわからない…その危惧から来る監視、という名目が合ったからこそ…だ

だが、それは和也にとって都合の良いもっともらしい理由付け…でしかない
本心を言えば、流が記憶をなくしていようがいまいが、どうでも良い
流の側に居る理由が出来れば、それで良かったのだ

そんな和也に流は、本当にそれを望んでいるのなら見れば良い…と、側に居る事を許してくれた
しかも、作ったものではない、素のままの和也で見ろ…とまで


「それがお前の望みなら、叶えたら良いだろ。俺は俺の夢を叶えるだけだ。特に問題ねぇ違うか?」


流のその言葉に和也が弾かれたように振り返り、素のままの満面の笑みを浮べた


「…何だ、お前良い顔して笑えんじゃん」
「え…っそう…かな?」

「あぁ、そっちの方が断然良いぜ?」
「っ!」


屈託なく、流が笑う
注がれる言葉に、その笑みに…どんなに和也が一喜一憂したとしても
それは全て、流が誰にでも分け隔てなく振舞うもの…の一つに過ぎない


…だけど、いつか


和也の胸の奥に灯った、小さな火種
その想いがこの先何を引き起こす物なのか…流はまだ、気づいてはいなかった










「麗…っ!!」


学校から家まで猛ダッシュの勢いで走って帰ってきた流が、玄関ドアを蹴破る勢いで明け放ち、リビングのソファーに座って優雅にテレビ観賞していた麗に詰め寄った


「わ…っ、なに?流?」

「てめぇっ!片桐和也がテニス部辞める手助けしやがったってのは本当か!?」

「え?やだな。俺はただ片桐兄弟のケンカの仲裁に入っただけで…」

「仲裁だぁ!?何で麗がんなことする必要あんだよ!?」

「だって、兄弟ケンカは良くないだろ?」

「っの、ふざけんなーーーーっ!!」


流の怒声が家中に響き渡る





それも当然
なぜなら、和也がテニス部を辞める…と兄である玲に伝えた時、裏側の事情など知る由もない玲は猛反対し、テニス部室内であわや兄弟ケンカによる暴行事件発生か?と言わんばかりの雰囲気になったのだ

その時

『辞めたいって言ってる人間を引きとめたってしょうがないでしょう?』と言いながら麗が仲裁に入り、『うるさい!部外者が口出しするな。だいたい…こいつは一度だってお前にも勝ててないんだぞ!そんな恥さらしの経歴のまま辞めるなんて、そんな片桐の名に泥を塗るような事…!』そう言い返された

それを受け、麗は『じゃ、片桐先輩、俺と勝負しましょう。俺が勝ったら和也を辞めさせてあげてください』と言った
『なんで俺がお前と…!?』と憤慨した玲に『だって、和也が俺に勝てないのはどうしようもない事なんです。それを証明すれば片桐の名に泥を塗ってるわけじゃないって事になるでしょ?』と言い放った

『どうしようもない事だと…?生意気な口きくじゃないか、俺に勝てるとでも?』怒りの色を滲ませつつも、以前片桐主催のホテルオープンイベントで麗に勝った経歴のある玲が余裕の笑みを浮べてそう言った

『そうですねぇ…世の中”まぐれ”って言葉もあるくらいだから、ひょっとするかもしれないでしょ?それに俺が負けたらなんでも先輩の言うこと聞きますよ?どうです?』妖艶な笑みを浮かべ、麗がその美貌と悪魔な思考を遺憾なく発揮して、玲を挑発する

『今の言葉、忘れんなよ!』と、ご多分に漏れず麗の挑発にまんまと乗せられた玲が麗とテニスの試合をし…言わずもがなの玲のストレート負け

結果

和也は無事、テニス部を辞めることが出来たのだ





「ふざけるな?よく言うね、流?」


流の怒声を全く意に介さず聞き流した麗が、不意にその声音と態度を一変させ、冷たい突き刺さるような視線を流に注いだ


「…え、」

「元はと言えば、身の危険も顧みず敵の懐に飛び込むような真似した流の自業自得だろ?全部忘れた事にすればそれで済むとでも思ったの?あった事をなかった事になんて出来やしないんだよ?」

「っ、れ…い?」

「俺だけじゃなく、七星や昴もどれだけ心配したと思ってる!?流を助ける為に俺がどれだけ動いたと思ってるの!?」

「あ…っ」


麗に迫っていた気勢をすっかり削がれた流が、言われて初めて認識したその事実に、詰め寄っていた横長のソファーの反対側にペタン…と腰を落とした

そう、流が拉致されたと知った時の麗の行動はこれ以上ないと言うほど的確で迅速だった
秋月真哉に連絡を取り、拉致られた流と最も近い場所に陣取って、その行動と行き先を把握した…麗でなければ絶対に出来ない芸当だ


「大きなケガもなく助かったから良かったようなものの…一歩間違えばクスリ漬けでどっかに売り飛ばされてたって文句は言えないんだよ!?自覚してる!?」

「……」


返す言葉もない…とはこのことだ
麗の言うとおり、あのままイスハークの手から逃げ出せなければクスリ漬けでオモチャにされるはずだったのだから…


「…ちょっとは反省した?」

「…ぅ、ごめん。麗にはマジで感謝してる…もちろん七星にも昴にも」

「そ、だったら良い。今後は単独プレイは謹んでよね、俺達だって万能じゃないんだから」


言い放たれてシュン…と項垂れた…と思った瞬間、流がハッとした様に顔を上げた


「ちょ…っとまて!その事と和也がサッカー部のマネージャーになった事とは話は別だろ!?」

「えー?別じゃないよ、流」

「別だ!何で和也が俺の側に来るよう仕向けんだよ!?」

「だって、面白いじゃん」

「はぃ…!?」


ニヤリ…と、悪魔な笑みを浮べた麗が形勢逆転!とばかりに向かい合う形に座っていた流に身を乗り出すようにして迫る


「じゃぁさ、聞くけど、流は和也にマネージャーするなって、きっぱり断ったの?」

「っ!い…や、それは…」

「ほらね、流は俺が仕向けたって言うけど、流自身が断れば済むことなのに断らない…っていうより、断れない」

「っ、」

「無自覚なんだろうけど、流って天然のジゴロなんだよね。何とも思ってない相手を気遣って、傷つけるのが可哀相で…拒絶しない。でもそれって好意を寄せてる人間にとっては最悪の残酷な優しさなんだよ?」

「…っ、んなこと、俺は別に…っ!」

「そう?でも…」


ますます笑みを深めた麗が、部活帰りで引っ掛けただけのだらしないネクタイと第二ボタン辺りまで寛げた流のシャツの隙間に指先を忍び込ませて、鎖骨の横に未だ残る痕に触れる


「流の心の中に居るのに手の届かない人と、手は届くのに心の中に入れてはやれない人…流はどっちを選ぶんだろうね…?」

「ッ、麗!」


堪らず叫んだ流が、忍び込んできた麗の指先を掴んで突き放す


「お…まえ、何のつもりだよ!?」

「それはこっちの台詞。和也が俺並に性質が悪い…って言ったのは流だよ?それが分かってて拒絶しないなんて、面白がる以外どうしろって言うの?」

「仕掛けたのは誰だよ!?」

「間違いなく俺だけど、それに乗せられたのも、ここに居る誰かさんでしょ?」

「て…めぇ、ほんっとにいい性格してやがるよな」

「だって、今回俺、かなり頑張ったと思うんだ。これぐらいの楽しみ貰ったってバチは当たんないだろ?それに、片桐側の情報も和也を通してある程度把握できるだろうし…一石二鳥ってとこ?」


肩をすくめて悪びれた風もなく言い切る麗に、流がガックリと肩を落とす


「…もう、二度と麗に借りはつくらねぇ…!」

「ふふ…無理だよ、きっと」

「くそ!ムカつく!!何でお前は麗なんだよ!」

「うっわ、すっごい理不尽な展開!」


ギャアギャア…と、昴と流並のじゃれ合いケンカを始めた二人に、キッチンから心配そうに様子伺いしていた七星と昴が、同時に安堵のため息を吐いた
二人の会話を聞いていれば、流が記憶をなくしたわけじゃない…というのはバレバレだし、そうせざる得なかった理由も七星にだって推察できる


「…何だかんだ言って、仲良いよね、あの二人」

「麗は心配性でおせっかい焼きだからな、無鉄砲な流と足して割ってちょうどなんだろ」


苦笑を浮かべながら言った七星が、ちょうど良く煮込まれた浅倉家自慢の特製カレーをグルリとかき回し、味見用に取った小さな皿を隣で今や遅し!と待ち構えていた昴に差し出した

その匂いに誘われるように、じゃれ合いケンカから身を引いた流と麗が『やった!今夜はカレー?』と嬉しそうにキッチンを覗き込んでくる

例え

どんな事に巻き込まれようとも
どんな試練が待ち受けていようとも

この四人が居ればどうにかなる

それぞれの中でそんな思いを新たにした…そんな平穏な日常の一時だった




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