求める君の星の名は
ACT 72
「ほんとに片付けてないから…」
七星の前に立った舵が、苦笑したまま家のドアを開けて七星を迎え入れた
手慣れた仕草で玄関の明かりを付け、手前にあったキッチンに買った食材をとりあえずしまい込んだ舵が、軽くため息を吐きながら部屋の明かりをつけた
途端
「なに!?これ!?」
予想通り、七星が驚愕の声を上げた
ローテーブルとパソコンデスクにテレビにベッド…その程度しか物がなかったその部屋が、あちこちに小山を作り、雪崩れかけた本の山で埋め尽くされていた
その中心が、パソコンデスクと一目で分かる隙間道を残して…
「…だから、片付けてないって言ったでしょ」
天を仰ぎながら、舵がもう一度ため息を吐いた
そんな舵を尻目に、七星がそこに積まれた本の種類や題名、パソコンに新たに増設されたハードディスクの機器、打ち出されて積まれた校正の赤字…しかも英語で埋め尽くされた紙の束に視線を走らせる
「…あんた、何やってるんだ?これってまるで…」
思わず振り返り、舵に七星が詰め寄った
そんな七星に、舵が降参したように軽く両手を掲げ上げる
「はい、お察しの通り…大学院提出用の論文作成です」
「大学院!?どこの!?」
「どこって、オックスフォード」
「え…!?」
驚いて固まった七星の背中に舵が掲げ上げていた両手を廻して、ゆっくりとその身体を抱き寄せた
「ずっと側に居るって言っただろう?」
抱き寄せた七星の首筋に顔を埋め、腰にくる低い声音で舵が囁く
ゾクリ…ッと震えが走り、思わず砕けそうになった腰を気力で保った七星が、ケガが治ったというその胸を遠慮気味に押し返した
「ちょ…っ、そんな事で誤魔化されないぞ!だったら何で黙ってた!?言ってくれればいいのに!」
せっかく気分出したのに…と、恨めしそうに七星を見やりながら、舵がバツが悪そうに髪をかき上げた
「…だって、合格しなきゃ入れないから」
「それは俺だって同じだろ!って、そっか、大学院も試験なのか…!」
「当然でしょう?でも、まあ、今回のは以前俺が手がけてた研究で、先にスポンサーが付いてるんだ。だから俺が付く予定の教授に認められれば大丈夫。何せブランクが長いからね、それぐらいの条件がなかったら、大学院なんてとうてい入れないよ」
「…スポンサー?」
勘の鋭い七星が、その言葉に反応して眉根を寄せた
七星のその反応に、舵が肩をすくめて答えを返す
「そ、「AROS」の華山美月さんがそのスポンサー。村田の家の再興に協力する代償だそうだ。凄いね、あの人。手回しが良いというか、抜け目がないというか…!」
「あの人は…っ!それが最終目的か!」
絶対何かある…とは思っていたが、まさかその狙いが舵自身だったとは!
全く、敵わないな…!と盛大な溜め息と共に肩を落とした七星が、チラリ…と舵を見上げて聞いた
「俺をここへ連れて来たくなかった理由は分かった。で?飯は食いたいの?食いたくないの?」
「もちろん、もの凄く食べたいです!七星の手料理なんて初めてなんだぞ!」
「だったら、あんたはここの片付け!俺は飯の支度!分担作業だ、文句ないな!?」
「ない、ない!あ、けどその前に…」
さっきの続き…とばかりに伸びてきた舵の手を、七星がここでなし崩しにされてなるものか!とばかりに振り払い、キッチンへと陣取った
着ていたジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくりながら食材を取り出し始めた七星を見つめながら、舵がコーヒーカップのお返しに今度はエプロンを買ってこよう…!と、思いつき、その良案に密かな笑みを浮べていた
七星が手際よく料理を仕上げた頃、部屋を片付け、ほとんど書庫と化している奥の部屋へ本の移動をしていた舵も、ちょうどその作業を終えた
すっきりと片付いた部屋のローテーブルに出来上がった料理を並べ、二人で向かい合うように座ると、なにやら感慨深げに湯気の上がる美味しそうな料理を見つめていた舵が、ニッコリと極上の笑顔を浮べて七星に言った
「…なんだか新婚さんみたいだ!」
「ど、どこからそんな発想が沸くんだよ!?」
一瞬、舵と同じ事を思ったなどと口が裂けても言えない七星が、顔を真っ赤にして言い募る
そんな七星の反応さえ嬉しげに見つめ返した舵が、『いただきます!』とキチッと手を合わせたかと思うと、『美味しい!』を連発しながら次々と皿を空っぽにしていく
お世辞でもなんでもなく、本当に美味しいと思って食べているのかどうかくらい、その食べ方を見ていれば一目瞭然
浅倉家でもよく作る定番の料理とはいえ、家族以外に料理を作るなど、七星にとっては初めてのことで…実は緊張していたのだが、舵のその食べっぷりにホッと胸を撫で下ろし『良かった…』と、笑みを浮べた
「こんな料理久しぶりだよ。本当に美味しかった、ありがとう」
全ての皿を空っぽにし『ごちそうさま』と手を合わせる舵に、七星がポツリと言った
「…なぁ、自分で気づいてる?」
「え?何を?」
「痩せたぞ?」
「え?痩せた?」
目を瞬いてオウム返しに聞いてくる様子からしても、舵が全くその事に自分で気づいてなかったのは明白だ
七星がどうして料理を作ろうと思い立ったのかといえば、その事を心配して…だというのに
「ったく!やっぱり自覚してなかったな!ただでさえ独り暮らしで不規則な食生活のくせに、体壊したらどうする気…っ!?」
最後まで言わせずに、舵がテーブル越しに七星の頭をギュッと抱き寄せた
「ちょ…っ!」
「心配させた?」
「そ、そりゃ…、」
「ごめん」
謝りながら、思わず舵が唇を噛み締める
確かに、論文作成に没頭して最近ロクに食事を取っていなかった
七星の側に居る…その目的の為とはいえ、自分の事をあまりにも顧みなかった
七星とのメールも電話も受験に関する事ばかりで…七星が自分の事を気にかけることを言っても、それを大丈夫だから…と受け流してしまっていた
七星が自分の事を本気で心配している事にすら、気づけずに…
…何やってんだ!こんな程度の事で心配させて…!
舵が心の中で自分に叱咤する
七星はただでさえ勘が鋭くて、ほんの少しの変化でも見逃さない…その事を知っていたはずなのに
それなのに
「…お詫びに片付けは俺がやるから、七星は座ってて?」
抱き寄せていた腕を解きニッコリと笑ってそう言った舵に、七星が首を横に振ってきっぱりと拒絶する
「謝ったりだとか、お詫びだとか、そういう事言うな!なんだか特別な事みたいで、嫌だ」
「え?」
「これぐらい普通だろ?別に今日だけ…ってわけじゃない。少なくとも俺はそう思ってる」
「…!」
思わず舵が目を瞬いた
だってそれは、はっきり言って…
「…う、わ…ひょっとして今の、逆プロポーズ?俺のために毎日ご飯作らせてください…っていう…?」
「は!?な、何言ってんだ、あんた!!」
言われて初めて自分の口走った言葉の意味に気づいた七星が、真っ赤になってローテーブルに膝頭をぶつけつつ慌てて立ち上がり、ガチャガチャと空になった食器をまとめて持ち、逃げるようにキッチンへと駆け込んでいく
その慌てぶりに、込み上げてきた笑いを耐えながら舵も後を追い『手伝うよ』と、七星と並んで立ち、洗った食器を布巾で拭いて棚へとしまう
「なんか、良いね、こういうの。まだケーキが残ってるよね?俺がコーヒー入れても良いかな?」
「っ…」
まだ耳朶を染めたまま、まともに舵の方も見れない七星が無言のまま頷き返す
「よし!じゃ、七星は先に座ってて。コーヒーとケーキ、俺が持っていくから…!ね?」
嬉々とした笑顔を浮べた舵に顔を覗き込まれ、『わ、分かったよ…!』と、その、何か企んだような笑顔に気圧された七星が、一抹の不安を抱きつつキッチンを後にした