卒業
ACT 2
その後、最後のHRが始まる時間ぎりぎりまで、俺と伊原は林さんから浅倉について今まで知らなかったいろんな事を教えてもらった。
もちろん、そういった諸々の事が公にされるまでは他言無用…!という約束の下で。
浅倉が、あの有名な大企業・華山グループを率いる華山家の長男で、正式な跡継ぎ筆頭だってこと。
華山グループの現社長が浅倉の叔母に当たる人物で、浅倉はその社長の下で次期総帥としての教育を受けている最中だということ。
舵先生は、そんな浅倉のサポート役も兼ね、華山グループが出資する研究に従事しながらオックスフォードの大学院で一緒に大学生活を送ること。
そして、血の繋がらない弟君たちも、それぞれに自分の夢を追いながら、浅倉をサポートできるだけの力と地位を得るために、浅倉の元を…庇護されるだけの存在から卒業するために、離れる…のだということ。
特に末っ子の昴君は、浅倉を護衛するボディガードになるために、代々華山家のボディーガードを勤めてきた林さんの家に居候し、その資格を得ようとしている…のだということ。
舵先生が浅倉と一緒にオックスフォードに行く…っていう事も初耳でビックリしたけど、大学院を受験した上きっちり合格する…なんていう神業をやってのけ浅倉の側に居てやろうとする舵先生には、脱帽以外の何物でもない。
それだけ、舵先生にとって浅倉は大事で、大切で…そして、浅倉もそれを望んでいるんだ…って、改めて思い知らされた。
高二の時、あの他人に対して頑(かたく)なだった浅倉にケガの心配をさせ、あんな必死な顔をさせたのは、舵。
どこか周囲と壁を作って、近寄りがたい雰囲気を放っていた浅倉の態度を一変させてしまったのも、舵。
あの時、正直言えば、ものすごく悔しかった。
叶うなら、俺が浅倉を変えてやりたい…って思ってたから。
でも、12年もずっとそばに居れば、それは俺なんかにできることじゃない…っていう事も身に沁みて分かっていた。
自分の身を呈してまで浅倉を守ろうとした舵。
俺との約束を守るために誤解されたまま、浅倉に本当の事を言わなかった舵。
誰よりも、何よりも、浅倉の事を考え、浅倉のために、自ら身を引こうとした…舵。
俺には、できなかった事ばかりだ。
そう思ったら、しょうがないよな…って、思えて自分で不思議だった。
俺が浅倉に対して持っていた感情は、恋とかそういう類のものじゃないって、その時はっきりわかった。
俺の中で浅倉は対等な同じ位置に居るようで、そうじゃない。
例えるなら、テレビの向こうに居るアイドルなんかと似ている。
触れることなんて望まない、ただそこに存在し、自分こそが一番のファンなんだ!と自惚れながら見守ることが出来ればそれでいい…そんな存在。
決して手が届かない…からこそ、追い続けていける。
追い続けていたい…!と思える存在なのだ。
だって。
だって、俺は。
一番初めに会った時から、カメラの被写体として、フレーム越しに浅倉を見ていたのだから。
「白石、お前、いいのかよ?」
警備員室を出て教室へ向かう途中で、不意に伊原がそう問いかけてきた。
「え?なにが?」
「なにが…って、浅倉だよ。今日で最後だぞ?まともに会えるの」
「うん、だから今までこっそり撮ってきた写真、アルバムにまとめて持ってきてあるよ」
「や、だから、そうじゃなくってさ…!その、お前の気持ち、伝えておかなくていいのかよ?」
「え…?」
思いがけない伊原の言葉に、俺は思わず立ち止まり、マジマジと伊原を見つめた。
「俺の?気持ちって?」
「だ、だって、お前、小さい時からずっと好きだったんだろ!?」
「うん。もちろん。好きだった…じゃなく、これからもずっと好きでいるつもり」
「だったら…!」
「でも、好きは好きでも、そう言う好きじゃないから」
伊原の言葉を遮るようにそう言うと、伊原が怪訝そうに眉根を寄せた。
「っていうかさ、伊原、お前だってそうだろ?浅倉のこと、好き、だろ?」
「そりゃ、お前…友達として、だよ。だってあいつ、何気にすげーし」
「俺の場合も似たようなもん。俺が浅倉の一番の親友でいたい…そういう、好き」
「一番の親友…?」
いま一つ納得がいかない、という表情で呟いた伊原が言葉を続けた。
「じゃ、俺は?」
「え?」
「俺は、白石にとって、二番目の親友ってこと?」
「へ?二番目も何も…ずっと一緒なのに、今さらそんな順番づけとか、要るわけ?」
「…一緒なのに、じゃねぇ。…一緒だった、だ」
「…え?」
「俺、やっぱこのまま桜ケ丘学園系列のS大学に行く。本命だって言って受けたお前と一緒のK大には、行かねぇ」
「は!?急に何言ってんだよ、伊原?K大の合格発表は明後日だぞ?受かってたらどうするんだよ?一緒に、あんなに必死に勉強したのに…!」
俺は思わずその腕を取って、伊原に詰め寄っていた。
訳が分からない。
確かに、S大学は滑り止めも兼ねて願書を出し、成績査定も通っているから、持ち上がりで進学可能だ。
でも、一緒に浅倉を追うんだって言って、オックスフォードと共同研究なんかが盛んなレベルの高いK大目指して、舵の指導のもと寝る間も惜しんで二人で勉強したのに。
なのに、何で急に、今になって!?
「ほんとは、ずっと迷ってた。迷ってて、お前に言えなかったんだ。でもさっき林のおっちゃんが言ってただろ?浅倉の弟君達も、それぞれの夢を叶えるために、浅倉から離れるんだって。あれ聞いた時、俺、決めたんだ。俺も、そうしよう…って」
「なに、それ?どういう…」
「白石、俺、教師になりたいんだ」
「は…ぃ?」
初耳だった。
今までそんなこと、伊原は一言も俺に言ってない。
その上、その時はじめて気がついたんだけど…こいつ、いつの間にか俺より背が高くなってる。
いつだって同じ目線だったはずなのに…詰め寄ってみて初めて、わずかに見上げないといけなくなっている事を認めざる得ないほど、伊原は、大きくなっていた。
「俺さ、何だかんだ言って、この学園好きなんだ。自由な校風も桜坂もこの街も…全部ひっくるめて…さ。学園系列のとこなら、希望を出せば学園の教師に優先的に推薦してもらえる。俺、舵みたいな先生になりたいんだ」
「っ、舵、みたいな…?」
「うん。だってさ、勉強なんて大嫌いだった俺がさ、浅倉やお前と同じレベルにまでなれたのも、舵っていう先生が居てくれたからじゃん。俺の性格とか癖とか、ちゃんと見てくれてこうすればいいんだって、目の前に道を示してくれた。俺みたいなバカでも頑張ればやれるんじゃん!って言うのを、教えてくれた。だからさ、今度は俺が…」
「舵みたいな先生になる…って?」
思わず、声が低くなった。
まただ。
また、舵だ。
浅倉を奪われた時には、仕方ないよな…って思えた。
もともと、浅倉は俺なんかじゃ手の届かない存在…だったから。
でも。
伊原は。
伊原は…っ。
握りしめていた伊原の腕に力がこもった時、HR開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「わっ!やべぇ!早起きして学校来てるってのに、卒業式の日に遅刻なんてシャレにならねぇ!」
叫んだ伊原が、『ほら、行くぞ!白石!』と、つかんでいた俺の腕をあっさりと解いたかと思うと、教室に向かって走り出した。
俺を、振り返りもしないで。
俺を、置き去りにして。
「い…っ」
伊原、と呼びとめたかったのに、声にならなかった。
せり上がってきた胸の痛みに、息さえ上手くできなくなった。
ずっと、ずっと、一緒だったのに。
いつも、俺の隣に居たくせに。
『舵みたいな先生になりたいんだ』
それが伊原の夢?
たった二年。
たった、それだけの期間担任だっただけの舵に憧れて?
俺より舵を選ぶって言うのか?
ショックだった。
でも、それよりもっとショックだったのは、
『ほんとは、ずっと迷ってた。迷ってて、お前に言えなかったんだ』
そう、伊原は言った。
いつから…?
いつから、迷っていた?
あんなに一生懸命、必死になって一緒に勉強してたのに…!
あれは全部、俺につきあって、仕方なく…だったっていうのか…!?
そう思って、ハ…ッとした。
ひょっとして…?
俺のことなんて、関係なかった…?
「舵と一緒に居たかったから…か?」
思わずもれたその呟きに、なぜだか…もっと胸が痛くなった。