卒業









ACT 3








それから後、どうやって教室にたどり着いたのか、よく覚えていない。

気がつけば自分の席に座り、ジ…ッと机の上で握りしめた指を見つめていた。
すぐに舵が教室に入ってきたのが気配で知れたけど、俺はその顔をまともに見ることができなかった。

伊原は伊原で、いつもの調子で浅倉や周囲の奴らにちょっかいを出しては、楽しげにはしゃいでいた。
いつもなら、一緒になって俺もはしゃいでいたと思う。
だけど、今はとてもじゃないけどそんな気分じゃない。
その上、いつもなら『しっらいし〜♪どうしちゃったのかなぁ〜?』なんて言いながら声をかけてくる伊原が、俺の方を振り向こうともしない。


…なんか、避けられてる?


そうとしか思えなかった。
ずっと、ずっと…一緒だったのに。
これから先も、ずっと…一緒だと思っていたのに。

アレ、ソレ、で意味が通じ合えていたから、当然伊原もそう思っているものだとばかり思っていた。
でも、よく考えてみたら、そんな風に意味が通じ合えたのは、浅倉という存在が介在して…の事柄ばかりだった。
俺と伊原の間には、いつも、浅倉が居た。
二人でいつも一緒に浅倉の姿を追い、その背中を追っていた。
浅倉という目標があったから、一緒に頑張って勉強もした。

でも。

一緒になって追いかけていたその浅倉は、違いすぎる世界の住人になってしまう。
もう、その背中を見ることさえ叶わない、本当の意味で遠い遠い存在に。

アイドルの追っかけなんて、一時の夢の中で夢を見ているようなもの。
いつか、その夢から覚めてしまう。
夢の夢から覚めて、現実に追うべき夢に気がつくのだ。

伊原のように。

じゃあ、俺の夢は?
俺が現実に追うべき、夢は?

浅倉も、伊原も居ない。
たった一人で、追うべき夢。


「…俺の、夢?」


思わず洩れた呟きの語尾に疑問符がくっついていて、我ながら笑えた。
思いつかなかった。

夢そのものが…っていうわけじゃない。
俺の夢は昔から、一流のカメラマンになる…!ことだ。
これだけは何があっても変わらない、と言い切れる。

思いつかなかったのは、フレームの中に写し撮るべき、被写体。

その時に、改めて思い知らされた。
写真は、ただ記録に残すために撮るんじゃない。
撮ったその写真に込められた記憶や思い出を、誰かと分かち合うために撮るのだ。

決して自分のために撮るわけじゃない。
誰かの、ため。
誰かと、その写真を見る楽しみを分かち合うため。

俺にとっての、その誰か…は、常に追い続けて撮り続けてきた浅倉じゃない。

それが誰なのか…?

そんな事、考えるまでもなかった。








始まった卒業式の式次第は型通りなものだったけど、それでもこれで最後か…と思うと胸に迫るものがあって、あちこちですすり泣く声が漏れ聞こえていた。
出席番号順に並んだ席上で、浅倉と伊原は一番前で並んで座っていた。

俺はその二人の背中を、斜め後ろからずっと見つめていた。
俺がこの12年間、ずっと撮り続けてきた二人を、フレーム越しじゃない自分自身の目で。

浅倉は、大企業の後継者になるべく、事業家としての道を。
伊原は、桜ケ丘学園の教師になるための道を。

それぞれに選んだ。

じゃあ、俺は?
俺は、なんの道を選ぶ?

K大学に行って、浅倉を追えるだけの知識と技術を得、海外でも通用する国際派のジャーナリストになる?

そう…それが今まで俺が持っていた夢、だった。
浅倉のただものじゃない正体を知って、ますますその選択は間違ってなかった…って思った。

だけど。
だけど…その俺の夢の隣には、伊原が居ることが前提だった。

例え伊原が居なくても、浅倉を追ってその写真を撮る…ことは出来る。
だけど、それが本当に俺の撮りたい写真なのか?と考えたら、そんな写真、全然撮る気になれなかった。


『お!いいじゃん、白石!この写真、すげぇよく撮れてるよ!』


そう言って笑う、伊原の笑顔…。
俺は、いつからかその笑顔を見たいがために、いい写真を撮ろうとしてなかったか?
浅倉のいい表情を見つける度、『あ、これ!きっと伊原も良い顔してるって言うな…!』って思ってなかったか?

浅倉を撮るため…だったはずなのに。
一体いつから、俺は…そこに伊原の顔を思い浮かべるようになったのだろう?
あんまり自然に近くに居すぎて、それがあまりに当たり前で。
居なくなる…なんてこと、考えたことさえなかったから気がつかなかった。

俺は…。
俺は、いつの間にか伊原と一緒に居たいがために、浅倉を追っていたんだ。
浅倉という存在を、伊原と俺にとって一生追い続けていたいアイドルのように祭り上げて、そこに伊原を縛りつけて安心していた。
浅倉さえいれば、伊原はどこにも行かない…俺の側にずっと居る、とそう思い込んで。

だから…だから、さっき伊原が俺じゃなく舵と一緒に居たくてあんなに猛勉強したのか?と思ったら、苦しくなったのだ。
だって、よく考えてみたらオックスフォードなんていうとんでもない所へ行くと言い出した浅倉を追うため大学のランクを上げ、もう一度舵に協力してもらって猛勉強する!と言い出したのは伊原の方なのだから。


『だからさ、白石、お前もランク上げてまた一緒に勉強しようぜ!』


そう笑顔で伊原が言ったから、俺も一緒にやる気になった。
浅倉の進学先を聞いて、それじゃあもう、追いかけたくても追いかけられないじゃん…と落ち込んだ俺に対して、あきらめんなよ!と励ましてくれたのも伊原だ。

あれが本当は、舵と少しでも一緒に居たいがため…で、俺は単に、ダシとして使われただけなのだとしたら?
伊原が本当は、舵が好き…だったのだとしたら?

そこまで考えて、眉間に深いシワが寄った。
男同士の好き、って、なんだ?
男子校だったころの伝統が根強く残る学園だから、そういう話もよく耳にしてきたし、現に浅倉と舵だってそういう関係なんだろう…って思ってる。
たぶん、世間一般の人よりも違和感なくそれを受け入れる素養がこの学園にはある。

だけどそれは、まるっきり他人事で…自分自身に降りかかることじゃない…心のどこかでそんな風に思いこんでいた。
そう思っていたからこそ、浅倉と舵の事もしょうがないよな…っていう気持にもなれたのだ。

今まで俺と伊原だって、お互いに付き合ってた女の子が何人か居た。
女の子と付き合ったり、好き、だと思う気持ちは理解できる。
だって相手は女の子だ、男じゃない。
結婚して、家庭を作って、子供を生んで…それって至極普通のことで、伊原が女の子と付き合ってそうなっていく事は自然なことだって思える。

だけど、もしも伊原がそういう女の子を好きになるような気持ちで舵の事を好き、なんだとしたら?
そう考えた途端、自分でも分からないけど、どうしようもない怒り…みたいなのが込み上げてきた。

なんで、舵!?
なんで、男なんだよ!?

女の子なら、仕方ないか…ってあきらめもつく。
だけど、男だと思うと、無性に腹が立った。

伊原の側に、俺じゃない、違う男が一緒に居る…?
そいつに向かって伊原が、嬉しそうに笑いかける…?

冗談じゃない!と思う。
だって、そんな風に伊原の側に一緒に居るのは、俺なんだから…!

思わず想像の世界の事なのに、思い切り歯ぎしりしている自分に気がついて、ハッとした。
なんだろう…?この気持ち?

独占欲?
執着心?

伊原の事は好きだ。
だけど、この好きって…?
浅倉に対して持っていた憧れ…的な好きとは明らかに違う。

けど、女の子に対して抱く好き、とも違う。
なんだろう…女の子は、別れてもまた違う子を探せばいいや…ってあきらめがつく。

けど、伊原は…違う。
違う奴じゃ替えがきかない。
他の奴を探せばいい…なんて絶対に思えない。

そんな風に思う好き…って?

伊原の背中を見つめながら、俺は卒業式が終わるまでの間、そんなことばかりを考えていた。







式が終わると後はもう自由解散だったけれど、ほとんどが当然のように式があった体育館周辺に居残り、互いに写真を撮り合い、待ち構えていた下級生から第二ボタンをせがまれたり…と、結構なにぎわいになっていた。

俺は警備員室に預けてあったカメラを取りに行っていたせいで浅倉や伊原とはぐれてしまい、途中で出くわした同級生たちに『白石!写真撮って!』とせがまれるままにレンズを向け、シャッターを切っていた。
『後で送ってくれよ!』『やっぱ最後は白石の写真でないとな!』そんな言葉に無条件で反応し、勝手に体が動いて無意識にレンズを覗きこんでしまう。

習性っていうのは恐ろしいな…と思いながらシャッターを切っていると、そのフレームの中、どこにも浅倉と舵の姿が見当たらない事に気がついた。
きっと二人っきりで名残を惜しんでいるんだろう…恐らくは生物化学準備室あたりで。
お邪魔虫になんてなるつもりはサラサラなかったけど、浅倉に渡そうと思って持ってきているアルバムがある。
ま、帰りに浅倉の家に寄ればいいか…と思った時、ようやく伊原の姿をフレームの中に捉えた。
思わず覗き込んでいたカメラを下に降ろし、俺は伊原に向かって駈け出していた。

大勢の人ごみの中、伊原は誰かを探しているようにキョロキョロしていた。
呼びかけようとしたちょうどその時、不意に伊原がお目当ての何かを見つけた様に走り出して俺の視界から消えた。

慌ててその後を追って行くと、駐車場に向かう途中にある築山付近から『舵!』と呼ぶ伊原の声が聞こえてきた。
ハッとして、築山の手前にある校舎の影に隠れて声のした方を伺うと…木々が植えられ散歩道のようになっている一角に、三人分の人影。

舵と浅倉と、そして、伊原。

呼び止められた舵が浅倉にむかって車のキーらしきものを投げ、先に行ってて…と言うように促すと、浅倉が伊原に向かって『じゃ、またな!』と笑顔で手を振って、車が置いてある駐車場に向かって歩いて行く。
伊原も『あっちに行ってもメールしようぜ!』と、笑って手を振っていた。


そんな二人をニコニコと見ていた舵が、浅倉の姿が視界から消えるとおもむろに伊原の方へ向き直り、ニッコリと見惚れるような笑みを注いだ。
悔しいけど、こいつは…舵は、ほんと、どこをとっても絵になっている。
浅倉と二人並ぶと…まさにお似合い!という形容詞以外思いつかないほどの、絶好の被写体なのだ。
思わずカメラにかけた手をグ…ッと抑え込んで、隠れたまま二人の様子を伺った。


「…卒業おめでとう、伊原。俺に話って、何かな?K大の発表は明後日だったよね?」

「…うん、ありがと。で、その事なんだけど、俺さ、受かっててもK大には行かない。学園系列のS大に行く事にしたんだ」

「…え?」


告げられた舵が、俺と同じくビックリしたように眼を瞬いた。


「俺、教師になる!」

「え!?教師!?」

「うん!俺さ、舵みたいな教師になるって、決めた。この桜ケ丘学園の教師になる!」

「…っ、俺…みたいな?」

「そ!俺みたいなバカのささやかな夢を、頑張れば出来るんだって教えてくれて、叶えてくれたのは舵だぜ?俺、ずっと自分が何をしたいのか…何をすればいいのか分かんなくてさ、悩んでたんだ。だけど、舵と出会って初めて勉強が好きになった。大嫌いだったはずの勉強がさ、楽しくなったんだよ。
でもさ、そういう事を教えてくれる先生って、なかなか居ないじゃん?舵みたいな先生が居たんだって、俺、他の奴に教えたくなったんだ。だから、俺、教師になる!教師になって、俺みたいなバカだって勉強のやり方次第で楽しくなるんだって事を教えてやるんだ!」

「い…はら…!」

「ごめんな、あんなに受験勉強につき合ってくれたのに。でも、舵のおかげで俺、ようやく夢が持てたんだ。今までずっと、白石と一緒に居られることばかり考えてきた。けど、やっぱそれじゃダメだろ?もう舵も浅倉も居なくなっちゃうし、俺もちゃんと成長しなきゃ白石の足を引っ張ることになっちまう。それだけは…俺、それだけは嫌なんだ…!」


二人とはちょっと距離があって、俺は必死に耳を澄まして会話を聞いていた。
だけど、だんだん伊原の声が小さく震えてきて、最後の方はよく聞き取れなかった。
そして、その言葉を伊原が言い終わるかどうか…と思った時、不意に伸びた舵の手が伊原の肩に回されて、伊原の身体は舵の腕の中に抱き寄せられていた。


「っ!?」


思わず、身を潜めていた校舎の影から身を乗り出しかかって、グ…ッと足を踏ん張って我慢した。


「…一緒に居られなくなってもいいのか?伊原?」

「…っよく…ねぇよ…!けど、浅倉が居なくなったら…俺、どんな顔してあいつの側に居たらいいんだか…すっげぇ分かんなくて…今までの関係が変わっていくのが、すげぇ怖くて、どうしたらいいかマジ分かんねぇんだよ…!」

「…伊原、」

「はは…、おかしいよな、自分で分かんないなんて。でも、分かんねぇんだ。なんで…普通に、今までどおりに居られないんだか。さっき、白石に同じ大学に行かねぇ…って言ったらさ、もうまともに顔見れなくなって避けちまうし…」


舵の腕の中に抵抗することもなく抱き込まれたまま、伊原が何か言い募っているのが分かったけれど、内容まではよく聞き取れなかった。
舵は、そんな伊原の頭をよしよし…と慰めるかのように撫で付けているから、ひょっとして伊原は泣いているのだろうか?

あの、いつでも笑って無駄にハイテンションで泣き顔なんて見せたことのない、伊原が?
さっき浅倉とだって、笑って手を振ってたのに。
それなのに、舵と別れるのが辛くて、泣いてる…のか?
俺と一緒の大学に行かない…って告げた時も全然平気そうな顔してたのに。
告げた後は、もう俺には用はない…って感じであからさまに避けてたのに。

舵と別れるのはつらいけど、俺と別れるのなんて、伊原にとってはなんてことない、どうでもいいことだっていうのか!?


「ああ、もう、ほら!泣くな!伊原!」


そう言った舵の声が聞こえてきて、疑問は確信に変わった。
舵は、俯いたままの伊原の顔を覗きこんで何事か言い募り、最後にクシャ…ッと伊原の髪をかき回したかと思うと、伊原の体を反転させドンっとその背中を押した。


「逃げたら、後悔するぞ、伊原!お前のそれは、逃げてたら一生分かんないままだ。答えが知りたいんだろう?」


そう言った舵を、伊原が振り返る。


「…んだよ、答えって。もう教師でも先生でもないくせに!」

「甘いぞ、伊原。卒業したってお前は俺の生徒だよ」

「え、」

「いつでも相談にのってやるから答えは必ず自分で出せ、伊原。お前なら、やれるよ!」

「っ!?…んだよ、舵って、ホントに詐欺師だな」

「最上の褒め言葉だ」


そう言いあった二人が、不意に肩を揺らして如何にもおかしそうに笑い合う。


「俺、舵に会えてホントに良かったよ!」

「それは俺の台詞だ、伊原」


最後にそう言って、伊原が笑って手を振りながら体育館のある方へと駈け出した。
『さよなら』の代わりに『またな』と、言い合って。


なんだ?これ?
舵に会えてよかった?
それは俺の台詞だ?
なんなんだよ、それ…!


たまらなかった。
我慢できなかった。


「…っ、舵!」


俺は隠れていた校舎の影から飛び出して、駐車場に向かって歩き出した舵を呼び止めた。


「!?白石…!?」


振り返った舵が、驚いたように目を見張り俺を見る。


「あんたなんて、居なきゃ良かったのに…!そうすりゃ浅倉だって伊原だって…!」

「しらい…し?」

「あんたなんて、大っきらいだ!」


捨て台詞を吐いて、俺は脱兎の如くその場を逃げ出した。
舵の呼び止めようとする声は聞こえていたけど、そんなの無視だ。

最低。
俺って、最低最悪な奴だ。

あんなに世話になった先生に対する最後の言葉が、あれだなんて。


卒業式だったっていうのに。
俺が流した涙は、自分自身の不甲斐なさを実感した悔し涙だけ、だった。






トップ

モドル

ススム