卒業








ACT 4








その日、俺はあのまま家まで帰ってしまい、伊原と会う事も浅倉の家に寄ることもしなかった。

ひょっとして伊原からメールか電話がくるかも…と、少しだけ期待していた携帯は沈黙を保ったまま、まんじりともせず朝を迎えた。

食欲もなくて、二階の自室に引き込もってベッドに転がったままぼんやりと白い天井見つめていた。
枕元に置いたウンともスンとも言わない携帯をちらっと横目で見る度、やっぱりそうなのか?俺のことなんて、もうどうでもいいのか?と、そんな憤りと不安が押し寄せて来る。

明日はK大の合格発表の日。
伊原と一緒に見に行こうな!と、言い合っていたのに。


「…ホントに行かないのかな、伊原の奴」


思わず呟いて、もう何度目か知れないため息が漏れた。
K大はかなり離れた場所にあって、電車で二時間くらいかかる。
対して桜ケ丘学園系列のS大は郊外にあって、電車で30分もあれば行ける距離。

もしもK大に受かっていたら、通学は厳しい距離だけに家を出て一人暮らしをすることになる。
そうなったら…伊原とは本当に別れ別れだ。
二人とも受かっていたら…その足で一緒に一人暮らしする部屋を探しに行こう!と思っていた。
どうせなら同じマンションか…いっそ、ルームシェアして同居すれば安くつくよな…なんて考えていたのに。

別れ別れになって、それぞれに新しい環境、違う大学に通うようになれば…必然的にお互いに知らない奴と知り合って親しくなる。
今まで自分が居た場所で…伊原の横で…知らない奴が笑っている。
そして、俺の横でも。


「…っ!」


眉間に思い切り深いシワが寄った。
嫌だった。

伊原の横に見知らぬ誰かが居るなんて。
俺の知らない奴に、伊原が笑いかけるなんて。

俺の横に他の奴なんて、到底考えられない。
伊原に向かって笑っていたようになんて、笑えない。


「ちきしょう…!何で俺より舵なんだよ!?」


そう叫んだ時、その俺の声をかき消すほどの声量で、『守、いつまで寝てるの!?お客さんよ!』という母親の声が階下から聞こえてきた。


「…客?」


一瞬、伊原か!?という思いが頭をよぎってガバッと体を起こしたけど、伊原なら母親がお客さん呼ばわりするはずない。
しかも…なんだか聞こえたその母親の声が嬉しそうだ。
伊原じゃないのなら、だれとも会う気になんてなれない…そう思ってみたものの、続けざまに早く降りて来い…!という意味合いの言葉がかけられ、俺は渋々立ち上がって階段を降りて行った。

降り切った階段のすぐ先にあった玄関…そこに…!


「おう!白石、おそようさん!」


そんな言葉と共に、カメラがあったなら絶対ファインダーを覗きこんでる事請け合いの、端正な顔立ちに見惚れるような微笑みを浮かべた…舵!が居た。


「っ、舵!?あんた、何しに…!」


言いかけた俺の頭を横に居た母親がベシッとばかりに張り倒し、先生に向ってあんたとは何?と怒声を上げ、すいませんね…!と、無理やり俺の頭を下げさせてどうぞどうぞ…と、舵を家の中へ引き入れようとする。
冗談じゃない、何で舵を家になんて…!と、抗議の声をあげようとしたら、それを見透かすように舵の奴が母親に向って笑み返して言った。


「あ、いえ。少しだけ白石君をお借りしたいだけなんで。白石、ちょっと…いいか?」


母親に向かって軽く会釈を返した舵が、踵を返しながら視線で外へと俺を誘う。
男前の舵を引き留めたくて仕方ない…のがありありと分かる母親に、それ以上引き留められてたまるか!と、俺は急いで舵の後を追って外に出、バタンッとドアを締め切った。

舵はしばらく歩くと、すぐ近くにあった公園に入り込み、そこにあったブランコに座って俺を見上げてきた。
時間的に言って昼飯時…だったせいもあるんだろう、住宅街の中にある公園だけに俺と舵以外人影もなかった。


「っ、な…んだよ?」

「あのな、白石…俺だって人間だ。最後の最後に『だいっきらいだ!』とかいう捨て台詞を吐かれて、気にならないわけないだろ?」


そう言った舵が苦笑を浮かべながら俺をジ…ッと見つめてくる。
俺は、その視線から逃げるように視線をそらし、ガチャンッ!と、苛立つ心そのままに隣のブランコの上に飛び乗って立ち乗りした。
そんな俺に、舵は軽くため息を吐きだしつつ問いかけてきた。


「俺、お前に何かしたか?」

「…したじゃないか」

「だいっきらい!と言われるような事をした自覚がなくてな」

「浅倉を取ったじゃないか!その上、浅倉だけじゃなく、伊原まで…!」

「…伊原?浅倉は認めるけど、伊原って何だ?」


軽く眉根を寄せ、怪訝そうにそう聞いてきた舵に俺は思わずブランコを降り、舵の正面に立って言い募っていた。


「伊原の奴、K大に行かないって!あんたみたいな教師になるんだって…!何でだよ!?何で、幼稚園のころからずっと一緒だった俺より、たった二年しか居なかったあんたの方を選ぶんだよ!?納得いかねぇ!!」

「…伊原と一緒に居たいのか?」

「ッ、当り前じゃないか!ずっと、今までずっと一緒だったんだぞ!」

「…なんだ、じゃあ俺が嫌われたのは、やっぱりとばっちりか。伊原も、お前と一緒に居たいって、そう言ってたぞ?」

「な…?何ふざけたこと言ってんだよ!?伊原の方から一緒の大学に行かないって言い出したんだぞ!それに…それに、伊原の奴、あんたにすがって泣いてたじゃないか!あんたと別れるのが嫌だったからだろ!?」


そう言い募ったら俺を見上げていた舵の目が細まり、口元が笑みを象ったかと思ったらクス…ッと微かに笑った…!
その、余裕たっぷりの笑みと態度に、カッと頭に血が上った。


「この、なに笑って…!」


叫んで、舵の胸元を掴み上げようと伸ばした手が、その直前でガシッ!とばかりに舵によって捉えられていた。


「な…っ」

「伊原は、怖がってるんだよ!」


不意に凛と響いた舵の鋭い声音に、ビクッと体が揺れて固まった。


「こ…わがってる…?って?」

「お前と、二人だけの関係になることを…な」

「俺と?二人だけの…?」

「お前、伊原の事、どう思ってるんだ?白石?」

「どう…って?」

「好きなのか?」

「ったりまえだろ!」

「それは、親友として?それともそれ以上?」

「もちろん、親友として、だよ!」

「じゃあ、もしも伊原がそれ以上の感情でお前の事を好きだったとしたら、お前、どうする?」

「え…?」


思いがけない舵の問いかけに、思わず呆然と舵を見つめ返していた。


…親友以上の感情?それって、どんなだ?


そんなこと、今まで考えたことなんて、ない。
ただ一緒に居ると他の誰と居るより楽しくて、話が尽きることもなかった。
女の子と付き合ってる時だって、伊原との約束の方を優先した。
だって、伊原と一緒に居る方が楽しかったから。
伊原と居ると凄くホッとする…ていうか、ここが俺の居場所っていうか…とにかく、しっくりと落ち着いて癒された。
それって、親友だから…だろ?


そんな俺の心情を見透かした様に舵が掴んでいた手を離し、至極真面目な顔つきで見上げてくる。


「お前さっき、伊原が俺との別れを嫌がって泣いてたんじゃないか?って言ったよな?それって、伊原が俺の事を好きで、だから泣いた…って思ったんだろ?。だから、俺のこと『だいっきらいだ!』ってそう言ったんだろ?違うか?」

「…っ、」

「親友として好き、だったら、伊原が誰を好きになろうと関係ないんじゃないのか?お前の好きは、本当に親友としての好きなのか?」


舵のその言葉に、思わず眉間にシワが寄った。
今まで俺も伊原も、お互いに女の子と付き合ったことがあるのだ。
お互いにその子たちの話もしあったりしたけど、別に相手の子の事が嫌いになったりなんてしなかった。
でも、よく考えてみたら俺が女の子より伊原を優先したように、伊原も女の子より俺を優先してた。
だから、お互いに付き合っても長続きもしなかった…んだけど。

もしも、伊原が俺より女の子を…舵の時のように優先していたら?

考えても、答えが出なかった。
だって…、


「わ…かんねぇよ!だって、今まで伊原が俺より他の奴の事を優先したことなんて、なかったんだ!どんな好きかって言われたって、急にそんなこと言われたって…!」

「…わからない、か?」

「そうだよ、わかんねぇよ!何で伊原が急に違うとこへ行くって言い出したのか、何でおれを避けるのか、ぜんっぜん分かんねぇ!でも、舵、あんたが原因なのは確かなんだよ!だから…だから…っ」

「だいっきらい…か?」


そう言われて、思わず視線をそらして俯いた。
その、どこか余裕のある舵の口調に、だいっきらいだ!って、もう一度言ってやりたくなった。
だけど、そんな言い方間違ってる…って、心のどこかで分かってた。

分かってたんだ。


「…ごめん、舵。嫌いじゃない…本当は舵の事、嫌いなんかじゃないよ」


俯いたまま、小さな小さな声でそう言った。
本当は、俺も舵の事好きだったから…伊原が言うとおりこんな良い先生他には居ない、舵が担任で良かった…って、ずっとそう思ってたから。
だから余計に悔しくて、腹が立ったんだ。
俺なんかが逆立ちしたって敵わない…勝てっこない奴だって分かってたから…。

やっとの思いで言ったその言葉に対し、舵はブランコから立ち上がり、ちゃんと聞こえたぞという言葉の代わりに俺の頭をポンポン…と撫で付けた。

悔しいけど、本当に舵は大人で、教師…だと思う。
卒業式も済んで、もう先生でも何でもないっていうのに、こうして俺の家までわざわざ来て、俺が言いたくて言えなかった言葉を引き出してくれる。

浅倉もきっとそうだったんだろうな…って、舵に浅倉を取られても仕方ないな…って改めて思えた。


「…舵はさ、浅倉の事、好きなんだろ?」


チラッと上目づかいにそう聞くと、舵はにっこり笑って迷うことなく言いきった。


「当然です。世界中の誰よりも愛してます!」

「愛して…って!舵、自分で言ってて恥ずかしくないのかよ!?」

「全然。だって本当の事だし、俺は何があっても浅倉を手放す気なんかないから」

「本気で恥ずかしい奴だな!でも、それが舵の、好き…っていう気持ち?」

「そう、浅倉は誰にも渡さないよ。俺だけのものだから」


自信たっぷり余裕たっぷりに言い切るその言葉、その笑み…なんだかあきれて溜息が漏れた。
どうしてそんな風に強気な事が堂々と言えるんだろう?
浅倉が他の奴に心変わりする…とか、やっぱり女の子の方が良いって言い出したり…とか、そんなこと考えないんだろうか?


「でもさ、舵…もしも浅倉が伊原みたいに離れようとしたらどうするんだよ?」

「どうもしない」

「は?どうもしない…?って、なに?」

「浅倉には悪いけど、俺が離してなんかやれない。だから、ずっと側に居る。俺が死ぬまで…いや、死んでからもきっと…手放せない」

「え…、」


そう言った時の舵の表情とその声音が、今まで見たことがないくらい切なげで…怖いくらいに真剣で、俺は思わずまじまじと舵の顔を凝視した。


「なに、それ?」

「…ん?単なるモノの例えだよ。それぐらい浅倉が大事だってこと」


一瞬でその雰囲気を払拭させた舵が、笑う。

けど…けど、それ、何か…。
なんか、変…じゃねぇ?


「舵…?」


どう言っていいか分からない妙な違和感に、思わず問いかけていた。
だけど舵の顔に浮かんだ笑みは揺るぎなく…俺はそこから先の言葉を続けることができなかった。

舵の言う好きは、こんな風に他の誰にも何も言わせなくするほどの強い思いなんだ。
聞き様によっては単なる身勝手なわがままにも思えるけど、でも本当はそうじゃない。
浅倉の事を誰より、何より一番に考えた上で、決めたこと。
なんとなく、それだけは理解できた。


「…浅倉の事、気になる?」


そう聞かれて、俺は問いかけられなかった分も含めて勢い込んで言い募った。


「当然だろ!けど、浅倉には浅倉の夢があって、俺達なんかじゃ手が届かない世界に行っちゃうし、だから何とか追いかけたくて…!なのに伊原の奴が…!」

「白石、それ、根本からして間違ってるぞ?」

「間違い?どこが!?」

「浅倉はどこへ行っても、何になっても、浅倉だってこと」

「は…?」

「浅倉は変わらない。お前達の親友なんだろ?だったら、そのままだよ。手が届かないとか、そんなの勝手な思い込みだ。それこそ、自分たちから浅倉を手放してるようなもんじゃないか。だから、お前も伊原も今までと変わらず浅倉の親友でいれば良い…違うか?」

「っ!け、けど、実際、浅倉はイギリスに行っちゃうだろ!」

「そうだな。けど、メールはいつでも打てるし、今はネットでテレビ電話だって簡単にできる。それに、お前には写真がある」

「写真?イギリスに行った浅倉をどうやって撮れって言うんだよ?」

「白石、写真はただ撮るだけのものじゃない…って、そう言ったのはお前だぞ?それを見て、写ってる人の事やいろんな思い出を共有できるもの…じゃないのか?」

「そ…うだけど、」

「だったら、浅倉のためにお前たちの写真を撮れよ、白石。浅倉がお前たちの親友で居続けられるように、浅倉を思い浮かべながらな。俺も浅倉も白石が撮った写真を楽しみに待ってるから」

「か…じ!」


不覚にも、ちょっとばかり感動した。
そうだった…浅倉はきっと変わらない。
どんなに遠くに行ったって絶対俺たちの事やこの街の事を忘れたりなんてしない。
そんな奴だって分かってたからこそ、俺はずっと浅倉を撮り続けてたんだから。


「伊原は、それ、ちゃんと分かってたぞ?」


続けられた舵の言葉に、俺は目を見張った。


「伊原が?分かってた…!?」

「そう、だから伊原はこの街で、あの学園で、教師になるって決めたんだそうだ。追いかけるのは難しいから、待ってるって。いつでも皆が遊びに帰ってこれる様に、帰って来た時の居場所になるんだって」

「っ!伊原が、そんなことを…!?」

「でも、それを言うとせっかく浅倉を追いかけようとしてるお前の足を引っ張ることになる。
それだけは嫌だったんだそうだ。だから、お前に言えなくて悩んでた。そんな伊原を、お前は放っておくのか?伊原の事だ…きっと言ったのはいいけどお前の反応が怖くて連絡も何も入れてないんだろ?あいつ、根は臆病だから」


そう言われて、ちょっとムッとした。
ほんの二年しか居なかった舵に、伊原の事、分かった風に言われたくなんてない。


「伊原は、臆病なんかじゃない!ただ、バカがつくほどお人好しで優しくて、そのくせ変なとこで頑固なだけだ…!」


そう言って睨み返したら、舵の奴、軽く目を見開いたかと思うと、あろうことかプ…ッと吹き出しやがった。


「こ…の、何がおかしい!?」

「あ、いや、すまん…!自覚なしでそれか…と思って」

「なんだよ、それ?どういう意味!?」

「ん?そのうち分かるだろ…ってことと、やっぱ伊原の写真は白石が撮ったのが見たいな…ってこと」

「はぁ?ますます意味分かんねぇ!」


クク…と、笑いを堪えながら言う舵に更にムッとしたけど、言われたその言葉はストン…ッと胸に落ちてきた。

何だかんだ言ったって、行き着く先は、結局そこなんだ。


「…俺も、見たいよ、舵」

「ん?」

「俺さ、伊原をこれからもずっと撮っていたい」

「そっか、じゃ、俺と浅倉もお前達がどんな風に変わっていくのか、一緒に見れるってことだな?」


ウィンク付きの軽いノリで舵にそんな風に言われて、なんだか一気にもやもやしてた頭の中がクリアになった。
卒業って、今まで居た所から一歩前に踏み出して、変わっていく事なんだ。
いろんな事が変わっても、それでも変わらないものを見つけるための、通過点。
変わらなきゃいけないんだって事を自覚するためのもの。


「そーだよ!俺たちも舵と浅倉がこれからどうなっていくのか、きっちり見ててやるからな!舵が浮気なんてしよーもんなら、俺がその証拠写真バッチリ撮ってやるから覚悟しとけ!」

「…白石、お前は俺をそんな奴だと思ってるのか?」

「だってさ、舵って超おせっかいだろ?俺たちのことなんて放っておいて浅倉だけ見てればいいのに、わざわざ家までやって来るし!だから、もしも浅倉がまた誤解するような事があったら俺がその誤解を解いてやる…って言ってんの。あんたの不器用さはよーーーく、知ってるからな!」

「お前がそれを言うか、白石!」


ギャアギャアと、それからしばらくどうでもいいような事を言い合って、笑いあって、最後に舵と握手を交わした。
ホントは、もっと言いたい事とか、いっぱい、いっぱい…今更ながらに込み上げてきたんだけど、舵はきっとこれからも変わらずに俺たちも見ててくれる…そう思ったら、もういいや…って思えた。

なにがどう変わっても変わらないもの…俺達がそうなれば良いだけの事だから。
これから先、いくらでも言う機会はあるはずだから。

舵と笑顔で手を振って別れてから、部屋に戻ってベッドの上に投げ出したままの携帯を手に取った。

まだ伊原から着信はなく、俺はそのまま携帯を閉じて手の中で握りしめて…決めた。


明日は、一人でK大の合格発表を見に行こう…と。





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