卒業







ACT 5(完)







「ふわ〜〜!よく寝た!」


K大学前の駅について電車を降りた一言目が、それ。
やっぱ伊原が居ないと、ただ時間を持て余してつまらなくて、電車に乗っている間中思い切り寝て過ごしてしまった。
前に受験のために伊原と一緒に乗った時は、受験勉強も兼ねて問題の出しあいっこをしたり、尽きることなく他愛のない話をしたりして、あっという間に時間が過ぎて行ったのに。


「…一人って、辛くない?伊原?」


大きく伸びをしたついでに見上げた青空は澄み切っていて、思わずその青空に向かってそんな独り言を投げかける。
たったの、二日。
連絡が途絶えて、まだたったの二日だっていうのに、これだ。
その情けなさに思わず苦笑が洩れた。

でも、そう思ってるのは俺だけじゃないはず。
俺が辛いんだから、伊原だって辛いはず。
そう思うのは、俺の思い上がりだろうか?

K大学は駅からすぐの所にあって、周囲は学生風な若者であふれていた。
手にした携帯に未だ着信はなく、時間だけを虚しく確認する。
合格発表の紙が張り出されるまで、あと五分。
同じく発表を見に来たんだろう…受験生達が、足早に大学へと続く道を集団になって進んでいく。

俺もその流れに流されるまま、大学の正門までたどり着いた。
正門を入って少し離れた場所に設置された、大きな掲示板。
どうやら時間どおりに合格発表の紙が張り出されたらしく、その周囲は泣いたり笑ったり…騒然とした雰囲気に包まれていた。

辺りは人垣で埋め尽くされていて、とてもじゃないけど前まで見に行けそうにない。

けど、俺はまだ見に行く気なんてなかったから、その人垣を遠目にチラッと眺めながら正門横にあったベンチに座っていた。

俺が見ていたのは、正門付近。
そこを出入りするたくさんの学生たち。

そこにきっと現れるだろう…見慣れた顔。
俺は何の疑いもなく、その顔が現れるのを待っていた。








小一時間くらい、経っただろうか。

駅から続く一本道が四つ角になる…その曲がり角。
そこを曲がって正門へと向う人波のなかに、見覚えのあるダウンジャケットを見つけた。
両手をジャケットのポケットに突っ込んで、立てた襟に顔を半分くらい埋め、少し前かがみになって歩く姿は、どこにでも居る平凡な風貌だ。

でも、一目でわかった。
まだ顔さえ分からない距離だったって言うのに。
不思議なくらい、確信があった。

俺はコートのポケットから携帯を取り出し、この二日ずっと掛けたくて、でも掛けられなかった番号を表示させ…深く深呼吸してから、発信のボタンを押した。

だんだんと正門に近づいて、あと数歩で正門…と言うあたりで、ダウンジャケットを着たそいつが不意に立ち止まり、ジャケットのポケットからおもむろに携帯を取り出した。

立ち止まって携帯を見つめ、そいつの動きが止まる。

俺の手の中にある携帯は、まだ呼び出し音を鳴らし続けている。


出る…だろうか?


不意によぎったそんな不安を打ち消すように、そいつが…伊原が、電話を取った。


『…は、い』


少し緊張した固いその声音に、ちょっとだけ、余裕が持てた。
携帯の表示で俺からの電話だって分かってるはずで、その上で俺の出方を伺っているようにしか思えなかったから。


「…おはよ、伊原。いま、どこ?」

『え…、え…と、あ、家。家に居る…けど…』


ウソばっかし、お前、そこに居るじゃんか。
そう思いはしたけど、そんなことおくびにも出したりなんてしない。


「家?ふーん…なんだ、じゃあ、合格発表見に行かないのか?」


言いながら立ち上がり、俺はゆっくりと伊原に向かって歩き始めた。


『…う…ん、白石は?もう見に行ったのか?』


立ち止まったまま、俯き加減で喋る伊原は、まだ俺の存在に気が付いていない。


「俺?俺もまだ」

『え…まだ?じゃ、今どこに居るんだよ?』

「さあ、どこだろうな。俺も、家かも」

『え?』

「同じ家」

『同じい…え…?』


言いかけた伊原がハッとしたように顔を上げ、心底驚いた顔つきで目の前に立った俺を見つめた。


「ウソつき伊原、こんな道の真ん中がお前ん家なのかよ?」


まだ携帯越しに話しながら、問いかける。
伊原は携帯を耳に押し当て、まるで時間が止まったかのように固ったままだ。
そんな伊原の様子に軽く溜息を吐きつつ俺は自分の携帯を閉じ、伊原の携帯ごとその手を掴んで歩きだした。


「っ!し、らいし…!?」


つんのめったようになりながら、伊原が俺に引っ張られるまま足を一歩踏み出す。


「ほら、行くぞ!」

「い、行くって、どこへ…!?」


踏み出したその一歩で踏みとどまった伊原が、俺の動きを制してくる。
俺は振り返って、まっすぐに伊原に向きなおった。
ほんの少しだけ高くなった伊原の顔が、今にも泣き出してしまいそうなほど情けない顔つきで懇願するように俺を見る。
でもきっと、今、こいつはそんなことにも気が付いていない。


「どこって…合格発表見に行くに決まってるだろ?」

「っ、い、行かねぇ…っ!」


叫んだ伊原が、俺の手を振り払って駅の方へと踵を返そうとしたから、俺はもう片方の手も掴んでそれを出来なくしてやった。


「お前なっ!何しにここまで来たんだよ!?合格発表見たくて来たんだろ!」

「ぅ…、そうだけど、でも、でも…っ、お前と一緒じゃ嫌なんだよ!」


まっすぐに見据えてやった俺の視線から逃れるように俯いた伊原が、そう叫んで逃げ出そうとする。
予想はしていたけど、目の前で本人からそう言われると、さすがにへこむ。
多分、そう言われて俺がひるんで手を離す…と思っていたんだろう伊原が腕を振り払おうとした。
だけど、そんなの想定の範囲内。


悪いけど、そんなの許してなんかやれない。


俺は掴んだ手を緩めることなく、逆に一層力を込めて握り返してやった。
その意外な俺の力に驚いたように反射的に伊原が俯いていた顔が上がり、俺の視線とぶつかった。


「伊原っ!」


ぶつかった視線に力をこめ、絶対に二度と反らさせてやらない…!と言う意味合いも込めて、今ある俺の思いを叩きつけるように、その名を呼んだ。
その声音に込めた思いを感じ取ったように、伊原の身体がビクッと揺れる。


「お前、頑張ったじゃないか!毎日、毎日、夜遅くまで一生懸命勉強して、俺よりずっと頑張ってた!やれること、全部やってた!それとも何か?お前、あれで手を抜いてたとでも言うのかよ!?合格したくない、なんて思ってたとでも言うのかよ!?」


そう言い募ってやったら、目を見開いた伊原が激しく首を横に振った。


「ちが…っ、そんなことない!俺、本気で受かりたいって、そう思って…!」

「思ってたんだな!?だったら、俺と一緒に見に行けよ!俺だって…怖いんだよ、落ちてたらどうしよう…って!」

「え…?」


不意に動きを止めた伊原が、『ウソだろ?』と言わんばかりの顔つきで俺を凝視した。
やっぱりだ。
俺と一緒に見に行きたくなかったのは、自分だけ落ちてるに決まってる…そんな風に思いこんで、こいつは…!

確かに最初は俺の方が成績は良かったけど、受験直前には同レベル…いや、伊原の方が俺より良い点数を取ることが多くなってた。
なのに伊原はそれを『まぐれだよ』とか言って自分の成果を信じてなくて…そんな伊原を見る度、俺だけ落ちたらどうしよう!?って焦りと不安でいっぱいになってたっていうのに!


「この、バカ伊原!お前だけが不安じゃないんだぞ!なのに、お前は俺一人で見に行かせる気だったのかよ!?」


俺だって、どっちかが落ちてた時の事を考えてた。
もし、俺だけ受かってたら、その時は…K大へ行く気なんか最初からなかった。
伊原と一緒にS大へ行こう…!って、そう決めてた。

そして、もし俺が落ちてたら…。
その時は、先に伊原にK大に行ってもらって、俺は予備校通って次の年に絶対K大に入ってやる!って、そう決めてた。

伊原と一緒に居るためなら、一年くらい…!そう思ってた。
たったの二日連絡が途絶えただけでこんなに辛いものなんだって、知りもしないで。

だから。


「いいか!落ちてても受かってても、行く大学は一緒だからな!」


伊原の目をまっすぐに見据え、俺は舵が会いに来てくれたおかげで、ようやく吹っ切れて出た答えを告げた。


「…え?落ちてても受かってても?それって…?」


意味が分からない…と言いたげに、伊原が眉根を寄せて問い返してくる。

ああ、もう!
ホントに、このバカ!
舵並みの小っ恥ずかしい台詞を言わなきゃわかんねーのかよ!?


「悪いけど、俺は伊原を手放してやれない。俺の撮る写真はさ、お前が一緒に見てくれないと撮る気になれないモノなんだよ。だから、お前は俺の足を引っ張りたくないって言うんなら、ずっと一緒に居なきゃいけないんだ!嫌だって言っても付き合ってもらうからな!一生!!分かったら行くぞ!」


言ってるうちに顔が熱くなって、最後には耳まで真っ赤になってた。
そんな顔、伊原に間近に見られるのなんて耐えられなくて、俺は最後の言葉を逃げるように言い捨てて踵を返し、合格発表が張り出されてる掲示板へと歩き出した。

ずっと、口にしなくったって、一緒に居るのが当たり前だ…って思ってたことのはずだったのに。
何で言葉にして面と向かって言うと、こんなに恥ずかしいんだろう?

伊原もきっと同じように思ってる…って、当然のように思ってたけど、言葉にして言ってみて、伊原のびっくりして目を見開いている顔を見ていたら…それだってただの勘違いかもしれないんだ…って、思い知った。

もし、伊原が追いかけてこなかったら…?
その時は、辛いけど、あきらめなきゃ…

そう思った時だった。


「…っ白石!」


ドン…ッ!と、背中に思い切りタックルをかけられたかのような衝撃と共に、ガシッ!と首に腕が廻されて息苦しいほどに締め付けられた。


「ッ!?ぅげ…っ、」

「白石…!俺、ずっとお前の側に…ホントに居て良いのか…!?」


そんな言葉が背中越しに抱きついてきた伊原の口から、耳元に注がれる。
今にも泣き出してしまいそうな…そんな声音で。


「…良いっつってんだろ、何度も言わせんな、バカ伊原」

「…るせーよ、どーせ俺はバカだよ、だから…!」


ギュッと締め付けていた腕が緩んで、代わりに左肩の上に伊原の頭の重みと温もりが圧し掛かってくる。
首筋にあたる伊原の少し硬くて寝癖の抜けない短髪がくすぐったくて、でも、直にその温もりが感じられるほど近くに伊原が帰って来てくれた…と思えて、凄くホッとした。


「だから頑張ったんだろ?お前がどれだけ頑張ったか、俺は全部、ちゃんと見てたんだ。お前が頑張るから、俺も頑張れた。舵があんなに親身になって勉強見てくれたのだって、お前が一生懸命やったからだ。俺達の頑張りの成果、ちゃんと見届けて舵にも報告してやらなきゃ…な?」

「うん…昨日、浅倉が家に来てさ、同じこと言われた」

「え…?浅倉が!?」


驚いて思わず振り向くと、伊原と至近距離で視線がぶつかった。


「そう、なんかさ、舵の時間をあれだけ奪ったんだからきちんと確かめに行かないと許さない!って。舵の奴、浅倉と一緒に居る時間削って俺達の受験勉強見てくれてただろ?浅倉の奴、平気そうな素振りしてたけど、やっぱ面白くなかったんだろうな」

「…んだよ、それ。俺のところには舵が来てたんだぜ?」

「え、舵が…!?」


二人して目を見合せ、なんだか舵と浅倉の企みに安易にのせられた気がして、同時にため息が漏れた。


「…なんか、悔しいけど、やっぱあの二人には敵わないよな。俺達なんかよりずっと先に居て、なんか、こう…『待ってるぞ』って、言われてる気がしねぇ?伊原?」

「同感!でもさ、あの二人揃って不器用だから、俺達がしっかり背中を見ててやらなきゃな…!っていう気もしなくない?」

「それはもう、舵に言ってやったよ!」

「さすが白石!」


言い合って、何だか可笑しくて二人して声をあげて笑い合う。
背中越しに感じる伊原の体温と、笑ったせいで感じる振動。
髪の毛が触れ合うほどの近距離で屈託なく笑う伊原は、今までのぎこちなさが払しょくされて、いつも通りの笑顔になっていた。

ただそれだけの事なのに、どうしようもなく嬉しくてたまらない。
ものすごく、ホッとする。

こんな風に笑う伊原を写真に収めて、『ほら、お前すげぇ良い顔して笑ってるだろ?』って、伊原に教えてやりたくてたまらなくなる。
伊原は自分の事に無頓着なところがあって、どんなに良い顔して笑ってるかなんて、知らないだろうから。

今日っていう日に、なんだってカメラを忘れてくるかな!?と、今さらながらにそんな事にまで気が回らず余裕のなかった自分を自覚した

そんな伊原の笑みが不意に悪戯っぽいものに変わった…と思った瞬間。


カシャンッ!


耳に届いた乾いた機械音。
え!?とばかりにその音の元凶に視線を向けると、そこには伊原が持ったままだった携帯!
いつの間にやら自分撮りモードに切り替えていたらしき伊原が、携帯カメラのシャッターボタンを押していた。


「へっへー!油断大敵〜♪携帯写メなら、俺だって撮れるんだぜ!」


そう言った伊原が背中越しにくっ付いたまま、今撮ったばかりの写真を保存して画面に表示させて俺の目の前に掲げあげた。
二人で顔を寄せ合って笑ってる…凄く、良い写真。
そこに写ってた自分の笑顔は、これが俺!?と思ってしまうくらい、良い顔して笑ってる。
伊原の事を考えてる時の俺の顔…!それがこれ…!?
初めて見るそんな自分の表情が、なんだか信じられない。


「な?お前すげぇ良い顔して笑ってるだろ?白石?」


その伊原の言葉に、本気でびっくりした。
だって、それは俺がさっき、伊原に対して思ったのと同じ…!


「お前さ、撮ってばっかでこういう自分の顔知らないだろうから、ずっと教えてやりたかったんだ」


続けられた言葉に、思わず唇をかみしめた。
俺が伊原に対して思っていたのと同じことを、伊原も俺に対して思ってた。
言葉にして初めて、それを知ることができる。

俺達にはきっと…まだまだ言葉にしなくちゃ分からない事がいっぱいあるんだ。


「…っ、お前だって!すっげぇ良い顔して笑ってんじゃん!伊原!」

「あったりまえだろ!なんたって、これ、白石との初ツーショット!なんだぜ?ずーーーっと撮りたくて、でも全然チャンスがなくて撮れなかったんだからな!とうとう勝ち取った勝利の笑顔!ってやつ?」

「え…、」


言われて初めて気がついた。
そう言えば、いつだって写真を撮ってた俺は、誰かに撮ってもらうのは集合写真とかくらいで…伊原と二人きりのツーショットなんて、撮ったこと、ない。
修学旅行で舵に撮ってもらった写真だって、浅倉と一緒だったからいつも三人で…。


「だいたいさ、お前ずるいんだよ。お前は自分が良いなって思った写真持てるけど、俺は、俺が良いなって思う写真持てないんだから!でも、ようやく撮れた。後でプリントアウトしとかないとな!」


嬉々として言う伊原に、ああ、だから卒業式の朝、あんなに写真撮ってやる…!って言ったんだ…と、言葉にしてくれなければ絶対わからなかった伊原の本音を、一つ知った。

俺達、こんなに長い間一緒に居たのに、お互いの事を知ろうとしてなかった。
近くに居すぎて、言葉なんて要らないほど同じ気持ちを共有しすぎて、伝えるってことを忘れてたんだ。


「伊原、合格発表、見に行こうぜ!落ちてても受かってても、行く大学は一緒!だからな!」

「…っ、おう!」


一瞬息を呑んだ伊原の様子が伝わってきたけど、次の瞬間、圧し掛かっていた俺の背中から意を決したように勢いよく離れ、張り出された掲示板の元へと駈け出した。


「あ!待て、この!伊原!一緒に見るんだろ!」

「おっ先〜〜!」


さっきまで散々駄々をこねる子供のように渋っていたくせに!
いつも明るくてお調子者で、こんな風にコロっと態度を変える伊原だけど、さっきの一瞬の躊躇からしてまだ不安なんだって、分かる。
伊原は、ああ見えて見栄っ張りで意地っ張りだから。

だから、俺は駈け出した伊原の腕を掲示板前で掴んで捕まえ、緊張で汗ばんだ伊原の手に同じく緊張して震える自分の手を重ねて、ギュッと握ってやった。


「っ!白石!?」

「かっこ悪いけど震えが止まんねぇ。ちょっと貸してて」


不安なのは俺だって一緒だ…!って、言葉にする代わりに行動で示す。
そんな俺の行動に応えるように、握った伊原の手が強く握り返してきた。
ただそれだけの事なのに、一人じゃない…って思えてひどく安心できる。

二人揃って、掲示板に書かれた受験番号を端から辿る。
俺と伊原は三つしか番号が違わなかったから、必然的に同じ個所で視線が止まった。

掲示板の右斜め上。
端から9列目の行。
上から…。

息をするのも忘れて、番号を辿る。
俺の方が伊原より、番号が下。
先に目に入った、伊原の受験番号…!

それを見つけると同時に、握った伊原の手に、一瞬ギュッと力がこもった。

そしてその下に並んで書かれた、俺の…番号!


「…っ!」


言葉が、出てこなかった。
見間違いじゃないか?と、何度も何度もその番号を辿って、間違いじゃない事を確認する。
無意識に力がこもって痛いほどに握り合っていた手から、ゆっくりと力が抜けていく。

先に口を開いたのは、伊原だった。


「…夢、じゃないよな?俺、白石と同じ大学に合格したんだよな?」

「…ああ。舵にまた一つでっかい貸しができ…」


言いかけて、え!?と伊原の顔を凝視した。
声が震えている…とは思ったけど、まさか…!


「い…はら!?バカ!泣くなよ!!」

「…っるせーよ、良いじゃないかマジで嬉しいんだから…!」


そう言って俯いた伊原が、ボロボロ…と人目もはばからず大粒の涙をこぼす。


「俺、ホントにダメだって思ってたんだ…落ちてたら、もう白石と一緒に居られない…そう思ったら凄く辛くて…!白石の隣に俺じゃない誰かが居るようになって、俺のことなんて忘れちゃうんじゃないかって思ったら、もう、どうしていいか分かんなくなって…それで連絡も出来なくなって…!」

「伊原…!」


どうしよう…と思った。
その泣き顔を見た瞬間、どう言うわけかドキッと心臓が跳ね、同時にギュッとその心臓を何かに鷲掴みされたみたいに苦しくなった。

どうしよう…どうしよう。
何か分かんないけど、俺、今、ものすごく嬉しいかも。
嬉しくて、嬉しくて…!なのになぜだか胸が苦しくて…言葉が出てこない。

それに。

こいつ、なんか…なんか、可愛いくない…?
男に対して可愛いと思うなんて、どうよ?って、自分突っ込み入れてみたけど、でもやっぱり、可愛いものは可愛いくて。


「ああ、もう!伊原、お前、可愛すぎ!」


気がついたらそう叫んで、泣きじゃくっている伊原をギュッと抱きしめていた。
俯いたその頭を自分の胸元に押し付けて。


「っ!し…らいし!?」

「ふざけんな!お前から連絡のなかったこの二日間、俺がどんだけ不安で辛い思いしたと思ってる!?とことん文句言ってやろうって思ってたのに、お前のそんな泣き顔見せられたら、もういいや…って思っちまうじゃないか、卑怯者!とっとと泣き止め!」

「…ぅん、ごめ…ちょっとだけ、ここ貸して…」


消え入りそうな声でそう言って、大人しく俺に抱きしめられたまま必死で泣きやもうと深呼吸を繰り返す伊原はいじらしくて、余計に可愛く思えて仕方がない。

いつもなら、初めて見るそんな伊原の泣き顔を写真に撮りたいって思うはずなのに。
その時俺はなぜか、この伊原の泣き顔だけは写真に撮りたくないな…と思っている自分を自覚した。


俺以外他の誰にも見せたくないし、見せたりしたら許さない。


そんな想い。

これって…なんだろう?
こんな風に独占欲丸出しで思うだなんて…?
これが、舵の言ってた親友以上に思う気持ちってこと?

今の俺には、これがどんな想いなのか、正直まだ分からない。

でも、まあ、いいか…。
まだまだこれから先も、ずっと伊原と一緒に居られる。
これからは思ったことは言葉にして、ちゃんと伊原に伝えてみよう。
伊原の考えてる事もきちんと聞こう。

なかなか泣きやまない伊原の背中を撫でながら、そんな風に思った。






それから。

ようやく泣きやんだ伊原と一緒に、掲示板の前で一枚の写真を撮った。
自分撮りモードにした携帯で、『やったぜ!』っていう満面の笑顔で写った、最高に良い写真。

慌ただしく入学準備を整えて、新しいキャンパスライフが始まった頃、浅倉と舵から知らせてもらったイギリスの住所宛てに、俺は二冊のアルバムを送った。

一冊は、今まで撮った浅倉の写真をまとめたアルバム。
そして、もう一冊は、まっさらで新品のアルバム。

何もないその真新しいアルバムの最初のぺージ。
そこに、あの日、伊原と二人満面の笑顔で撮った写真を貼っておいた。
これから先、たくさん送りつけるだろう俺達の写真でそのアルバムをいっぱいしにしろよ!って言う意味合いを込めて。

それを見た舵と浅倉は、どう思うだろう?
俺達の変化に気づいて笑うだろうか?

きっと、そこに写った俺達に負けないくらいの笑顔で、顔を見合せて笑いあってるだろう…そんな様子が浮かんできて、なんだかこっちまで口元が緩んでくる。


「あれ?何してんの白石?」

「ん?次に浅倉達に送る写真はどれにしようかなぁ…と思って」


どれどれ?と淹れてくれたコーヒーをローテーブルの上に置きながら、伊原が俺のすぐ横に座って手元を覗きこんでくる。
二人でルームシェアして借りたマンションは2DKで別々に部屋はあるけど、俺達は寝る以外の時間、いつもこのダイニングキッチンで一緒に過ごしている。

テーブルの上には、この部屋に引っ越してきた日の写真や入学式、大学の構内で撮ったたくさんの伊原と…俺。
互いに撮り合いっこしたり、他の奴に撮ってもらったりして、一緒に写ってる写真もたくさんある。


「どれも良いんだけど…これ!って言うのがなくってさ…」


うーーん…と唸りながらそう言ったら、


「じゃ、今撮ろうぜ!」


と、言うが早いか伸びてきた伊原の腕にグイッと引き寄せられて、「え!?」と思う間もなく頬にあったかくて柔らかいモノが押し当てられ、同時にカシャ…ッ!と響いたテーブルの上に置いてあったデジカメのシャッター音。


「お!やった!きれいに撮れてるぜ!白石との初キッス〜!」


そんな言葉と共に、してやったり!という笑顔全開になった伊原が、あまりの早業に何が起きたか分からなくて呆然としている俺の眼前に、デジカメの画像を突き付ける。


「な…っなに撮ってんだよ!?バカ伊原!!」


そこに写っていたのは、嬉々とした笑顔で呆けた顔の俺の頬にキスしてる伊原…!


「いーじゃん!こんなキス、イギリスじゃ挨拶代わりだろ?どーせあっちで二人っきりのラブラブモードでやってんだろうから、こっちも見せつけてやろうぜ、白石!」


照れも臆面もなく嬉しげに言う伊原に、俺は『意味わかんねぇ!』と叫ぶのが精いっぱいで、顔が熱くなるのを止められない。


「うっわ!白石、顔真っ赤!シャッターチャンス!」

「バ…ッ!そんなもん撮ってんじゃねぇ!」

「いーじゃん、可愛いぜ、白石〜」

「どこが可愛いって!?クソ、カメラ返せ!」


ギャアギャアと子供並にじゃれ合って、結局最後には『しょうがないな!』で許してしまう自分が居て。
一緒に住むようになってからというもの、隙あればこんな風に触れてくるようになった伊原に、俺はちょっと困惑気味だ。

だけど…まあ、その…なんだ。
それを、ま、いいか…なんて、思っていたりする俺も居るわけで。

これが舵の言った『そのうち分かるだろ…』ってことなのかな?なんて思ったりもする。

ま、とりあえず。
俺達は無事にK大学の理工学部に合格し、伊原は生命情報学科に。
俺は情報工学科に、進学した。

伊原は夢だと言った言葉通り、舵のような理系の教師になることを。
俺は通信・コンピューター技術を学んで、世界中どこへ行っても通用するジャーナリストになることを。

それぞれに夢を選択し、一歩踏み出した。

四年後、もう一度卒業を迎えた時、俺達はどんな風になっているだろう?
なにを、卒業できるだろう?


変わりゆく中で、変わらないもの。


俺達はそれを見つけることができるだろうか?

それを確かめるために、俺はファインダーを覗き、そこにある想いと共にシャッターを押し続けていると思う。


「伊原…!」


呼んだその先で笑う、その笑顔と共に。






=完=



読んだよ、という足跡代わりに押してくださると嬉しいです。



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最後までお付き合いくださってありがとうございました。<(_ _)>
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