天空の破片
ACT 3
「…意外とヤワなのね」
クスクス…と笑いながら注がれたその言葉に、北斗が肩で大きく息をしながら、息を乱した気配すらないサンドラの様子を驚愕の思いで見つめ返した。
城から小高い丘に向かって続くなだらかな斜面。
遠目にはさほど遠く感じられなかったのだが、いざ歩いてみると、結構な距離があった。
なだらかな斜面も長いとなれば、かなり体力を消耗する。
けれど、健脚という言葉がピッタリきそうなサンドラの足取りは軽く、もともと体力的には人並み以下…という自覚がある北斗だけに、付いて歩くのがやっと…という有様だった。
「ひ、否定はしませんが、あなたの体力も…尋常じゃないんじゃないかと…!」
「あら、これでも昔に比べたらガタ落ちよ?」
「…はは、」
一体どれほど昔の事で、今、幾つなんだ!?と、心の中で突っ込みを入れた北斗が苦笑を返す。
青空の下、パイロットスーツ姿のまま颯爽と立つサンドラは、年齢を超越した若々しさと活力で溢れていた。
表面上だけの着飾った美しさなどではない、内面から滲み出て人を惹き付けずにはいられない…引力にも似た力で、北斗の視線を釘付けにする。
そんな二人の背後では、丘の裏側には車道もあるのだろう…先に到着していたディビットが乗ってきたらしきワゴン車のバックドアが開かれており、丘の上の平らな緑の上に積まれていた敷物が敷かれ、座り心地の良さそうなクッションが並べられていた。
バックドアの内側は簡単な調理が出来る設備仕様になっていて、電熱加熱機に乗せられ湯気の上がったケトルが見える。
その横で、ティー用の三段になった銀製の器に、サンドウィッチやケーキ、菓子類をディビット手ずから彩りよく盛り付けていた。
肩で息をしていた北斗の呼吸が落ち着き、サンドラと共に柔かなクッションに腰を落ち着かせた頃には、香り高いアール・グレイの紅茶が淹れられたマグカップと三段の器に盛られた菓子類、カゴに盛られたスコーンにクロテッドクリーム、ワンプレートに盛られたキノコと蜂蜜のクリームソース和え、クルミ入りクレープ、茹で立てのジャガイモに青菜とトマトのサラダ…が目の前に並べ立てられていた。
ティーというより、もはや立派な食事の域だ。
朝から何も食べていなかった上、この適度…というか北斗にとっては結構ハードな運動のおかげで、普段食が細いはずの北斗にしては珍しく食指を伸ばしていた。
温かな陽射しと吹き抜ける爽やかな風、突き抜けるような青空の下で食べる食事は、心身共に明るく楽しい満ち足りた気分にさせてくれる。
ディビットが供してくれる菓子や料理も、有名ホテルで出される物と遜色ないレベルの味で、しかも驚いた事に並んでいたケーキやクッキー、スコーンといった菓子類は、全てサンドラのお手製だというのだ。
特に、最後のデザート…として出されたサマー・プディングは絶品で、サンドラ特性の自慢の一品だった。
「…凄く美味しい!驚きましたね、世界中を飛び回っているような超多忙な人の趣味がお菓子作りだなんて…!」
「ふふ、さすがに口はお上手ね、見かけによらないってとこでしょ?こんなパイロットスーツで平気でお茶してるような輩じゃね」
「いえ、全然。気取った装いのお相手は仕事だけで十分ですし、その恰好の方がなんだか活き活きしてて好きですよ。このサマー・プディングもお世辞抜きで美味しいですし!」
「あら、ありがとう。そのケーキはね、ここに来た時にしか作らない限定品なの。ほら、この丘の向こうに野生のベリーの群生地があってね、あれを摘んで来て作るのよ。あなたも気に入ってくれて嬉しいわ」
「あなたも…?」
思わず北斗がサンドラの言葉尻に問いかける。
「アルも好きだったのよ」
返されたその一言に、グ…ッと喉にケーキを詰まらせた北斗が慌ててマグカップを手にとって紅茶で押し流し、ゴホゴホ…ッと咳き込んだ。
今まで決してその名前には触れない、当たり障りのない会話ばかりだったというのに、不意討ちとはこのことだろう。
「あら嫌だ。そんなに驚かせちゃったかしら?どういう関係か予想はしてたんでしょ?」
クスクス…と笑いながら、サンドラがその吸い込まれるような青い瞳で、まるで北斗に挑みかけるように見据えてくる。
あくまでその問いの答えを北斗の口から言わせようとするその口振りから察するに、それを知る事を望むか否か…その選択を北斗に預けたということだ。
知りあった直後にも、アルから似たような選択を迫られた事がある。
その時は知りたい…と思いつつも、それを知ることへの怖れから『否』という答えを返した。
けれど、今思えばそれは、ただ単にそれを知るだけの時が満ちていなかった…と言うだけの事。
そして、今はもう、十分なほどの時が満ちたと言っていい。
アルが背負う全ての物…それを共に分かち合いたい…と、心から思えるほどの。
「…アルは、あなたの息子なんですか?」
覚悟を決めたようにその問いを口にした北斗が、真っ直ぐにサンドラを見つめ返す。
その視線をしっかりと受け止めたサンドラの青い瞳が細まり、どこか楽しげな笑みを口元に浮かべた。
「ええ。こんな可愛い恋人が出来たっていうのに、私には紹介どころか指一本触れさせてくれない、超可愛げのない息子」
「っ!!」
可愛い…とか、恋人…とか、あからさま過ぎる言葉に、北斗の顔が一気に真っ赤に染まる。
「いやだ、本当に素直な可愛い反応するのね。舞台上ではクールなのに…!」
「か、からかわないで下さい…!」
更に真っ赤になった北斗の様子に、サンドラの笑みもまた深くなった。
「アルはね、小さい頃ここで育ったの」
「ここで…!?」
「ええ。一人で産んで育てるつもりだったんだけど、どこかのおバカさんが父親役を買って出てくれてね。代わりに私は彼のビジネスパートナーになったってわけ」
「…ウィングフィールド社のフィリップ・アレンビーですか?」
「まぁね。ふふ…信じられる?二人して年下で小生意気で世間知らずの王子様に惹かれるなんて」
「…え?二人して…?」
「ああ、勘違いしないでね。フィルの場合は純粋に友人として…よ。あの人も若い頃は軍閥一家の末っ子として甘やかされて育ったから、おぼっちゃん気質で気弱で、バカが付くほどお人好しだったの。そこにね、ただ自分の地位に甘んじる事を良しとしない、鮮烈な個性と強靭な意志を持った半端なく生意気な王子様が現れて…否応なく惹かれちゃったってわけ。
私もフィルも、影だったから…強い光りに憧れたのね、きっと」
ふ…と薄い笑みを浮かべたサンドラの表情に、どこか陰りが落ちる。
「…影?」
「爵位を継ぐのは男子のみ。女なんて、どこか他の金ズルの元に嫁いで行かなければ、ただのお荷物…ってとこ。そのくせしがらみは多いし、自由も利かない。嫌になって軍に飛び込んでみたら性に合ってて、これは使える…って思われてた矢先、私生児なんて産んじゃったんですもんね。
あの時の周囲の顔ったらなかったわ。どうやってその子供の存在を消そうか…って、アリアリと書いてあったんだもの」
「っ!?存在を消す…!?」
「ええ、公爵である兄は子供が作れない身体でね、他の近しい親戚にも男子が居なかったの。必然的にアルが公爵家の後を継ぐ事になってしまう…ってわけ。
元を辿れば今の王室とも血筋で繋がってるような家柄よ?由緒ある血筋の中に、異質な血が混ざったモノが存在する事自体、許されない…そんなバカな考え方が公然とまかり通っている所なんだから」
「…っ、そう…ですね」
乾いた笑みが北斗の顔にも浮かぶ。
東洋人…ただそれだけで、あからさまに毛嫌いするような人種も大勢居る。
今でこそ北斗も有名人でもてはやされてはいるが、それは非公式な個人的な物に限られる。
公式な立場の人物から正式なゲストとして…など、一度として呼ばれたことはない。
それ以前など、視線で目踏みされ蔑まれるような眼差しに晒される…のがオチだったのだから。
「フィルと結婚しない限り、ここから出ることは出来なかったわ。でも、出ることが出来ただけ…どこへ行ってもアルは付け狙われる。そんな生活が嫌になったんでしょうね、あのバカ息子、弟が出来た年に自分で事故を装って居なくなったのよ。見た目、死んだように見せかけてね。全く、10歳の子供が普通する?そんなこと?私だって一瞬騙されたくらいよ」
「10歳で!?それに、弟!?」
「ええ、ダグよ、ダグラス・アレンビー。血筋かしらね、やっぱり軍人になってしまって…今はNATOで結成されたテロ撲滅チームで副官張ってるわ。私が言うのもなんだけど、飛行機乗りとしてもなかなかの腕よ」
「…は…ぁ、」
北斗の口から、嘆息とも感嘆とも言えぬ溜め息が落ちる。
ただ、もう、唖然とする以外ない。
あのアルが、一歩間違えれば公爵様…だなんて、これ以上笑える冗談があるだろうか?
おまけに、ウィング・フィールド社SEOのアレンビー夫妻の長男でもあるなんて。
…そりゃ、何もかもを秘密にするわけだ
僅か10歳で自分を死んだと見せかけて居なくなるなんて…今でもずっと、とんでもない事を平然とこなし、無茶をする男だと思っていたが、どうやら子供の時からその素養があったらしい。
でも、その後、アルは一体どこに行ったのだろう?
親以外頼れる物など何もない…そんな年で。
「あの…アルはその後?」
「小さい頃から身体は大きかったの、だから見た目的には15歳くらいでも通ったわ。おまけに身を守るために小さい頃から銃火器の扱いから格闘技まで…いろいろ身につけてたし。
父親が誰…とは教えてなかったけど、敏い子だったから、何となく分かっていたんでしょうね、中東に渡って数年後には傭兵になってたみたい。
だから私も、アルを探すためにもう一度軍に戻って飛んでたんだけどね」
「…え!?飛んでた…って?」
「これでも元・空軍の戦闘機乗りよ」
「!!」
ニッコリとウィンクつきで事も無げにそう言われ、どうりでパイロットスーツが何の違和感もなく馴染んでいたし、耐G性も高かったわけだ…!と、北斗が納得する。
「ま、今でも半分現役…でもあるんだけどね」
「は?現役…って!?」
「作ったシステムの稼動性は自分で確めないと気が済まない性質だから、実地演習では飛んでるの」
「な…っ!」
「そーでもしなきゃ戦闘機になんて乗れないでしょ?知ってる?一度戦闘機に乗るとね、その速さに取り憑かれちゃうの。他の飛行機になんて乗る気になれないくらいにね。
だからこそ、速さと性能だけを重視しがちな上層部の無茶な開発から、パイロットを守らないといけないの。兵士もパイロットも道具じゃないわ。生きて帰る…それが最優先事項なんだから」
一瞬、悲しく…厳しい顔つきでそう言ったサンドラが、次の瞬間如何にも楽しげに目を細めた。
「それに、若くて優秀な男を虐めて遊べるなんて機会、滅多にないことだしね、やめられないわ!」
「はは…」
思わず苦笑を返した北斗が、ガックリと肩を落として脱力する。
嬉々として言い放つサンドラの様子を見ていれば、パイロットとしての腕も半端じゃない事が伺える。
この美貌な上に、確かな腕前…。
今のハサン王子と通じる所があったらしき若かりし頃のファハド国王でさえ、きっとこの女性の前ではタジタジ…だったのだろう。
いや、現役…というのならば、今でもきっと。
あの、アルでさえ。
だからこそ、アルはサンドラに出し抜かれ、北斗がこの場に居るのだから。
恐らくアルは、昔馴染みの事以外にサンドラの思惑も絡んだ何かをさせられているのだろう。
それが無事に終わるまで、アルはここへは迎えに来れない。
北斗がどこに居るかも、知らされていないはず。
つまりは、人質と同じ、ということ。
それまで北斗は大人しくここに居る以外選択肢はない、ということだ。
だったら、滅多にないこのチャンスを有効に使うべきだろう。
そう思い立った北斗の瞳に、イタズラを思いついた子供のような輝きが宿った。
「…一つ、聞いても良いですか?」
「あら、何かしら?」
「料理の全く出来ない男に、サマープディング・ケーキの作り方をレクチャーする…なんて事は、可能でしょうか?」
「まぁ…!」
驚いたように目を見開き、北斗の真意を確めるように視線を合わせてきたサンドラの青い瞳が、北斗の瞳の中にあった思いつきを見て取って、如何にも楽しげに細まった。
「いいわね、それ。完璧にレクチャーしてあげるわ!って言いたいところだけど、それは明日になりそうね…招かれざる客が来たようだから」
「招かれざる客…?」
訝しげに問いかけた北斗の視線が、頭上でチカッと輝いた光りに釘付けになる。
その光りが耳をつんざく爆音と共に、一機の機体となって北斗の視界に飛び込んで来た。
「嘘…、あれって…!?」
「垂直離着陸機型シー・ハリアー。英国海軍(ロイヤルネイビー)第一級戦闘機。あんなものでホントにやって来るその神経が信じられないわ…!」
憤然とあきれたように言ったサンドラと北斗の眼前、どうやら飛行機の離発着用だったらしき、なだらかなゴルフ場のコースのようにも見えたグリーンの上に、威風堂々とシー・ハリアーが着陸した。