「天空の破片」







ACT 4










「…お久しぶりです」


そんな言葉と共に常識外れの戦闘機から降り立ったのは、軽くウェーブのかかった無頓着に伸ばされた黒髪に無精ひげ。
よく日に焼けた荒削りで精悍な顔つきに屈託のない笑顔を浮かべつつも、どこか油断のならない輝きを宿す漆黒の双眸を持つ男だった。

目鼻立ちはくっきりした白人系だが、肌の色や髪や瞳の色から察するに、アジア系の血も混じっているのだろう。
無頼漢とも言える一種独特のエキゾチックな雰囲気を漂わせていた。


「…何しに来たの?」


あの実験室内で見せていた不機嫌さを再び露わにしたサンドラが、その男を軽く睨み返す。


「いえ、うちの優秀な部下は優秀すぎて少し融通が利かないものですから。直にあなたにお聞きしたほうが早いかと思いまして…」

「…言ってる意味が分からないわね」

「裏でコソコソ動かれるのは好きではない…という意味です」

「あら、奇遇ね。私もよ」


顔はニッコリと笑み返しつつも、二人の間で吹き荒れている雰囲気はまさにブリザード級だ。


…この男、一体何者?


そんな疑問を抱きつつ、二人の様子を見つめていた北斗に、不意にその男が視線を合わせた。
途端に、どこかで見たな…という”マジシャン北斗”と認識した意味合いの視線に変わった。


「…どうやら、ここへ来たのは無駄足ではなかったようですね」


そう言った男が、不意に北斗の方へ歩み寄り、手を差し出した。


「え…、」

「はじめまして。”東洋の神秘”・”指先の魔術師”の異名を取るマジシャン・北斗にお会いできて光栄です。カイエン・リーと言います、お見知り置きを…」

「こちらこそ…」


カイエン・リー…名前の感じからすると華僑系か?と思いつつ、北斗が慌てて差し出された手を握った途端、ザワ…ッとした何かがその背筋を駆け抜ける。
それは、人一倍感性の鋭い北斗の第六感ともいえるもので、要注意人物として注意した方が良い…と肌で感じた時の警告だ。

サンドラの態度からしても、表面上のにこやかさに騙されてはいけない人種…と見て間違いない。
それを裏付けるかのように、触れたカイエンの指が離れ際、北斗の指を意味深になぞっていった。

その感触に僅かに眉根を寄せた北斗の反応を楽しむように、カイエンの無精ヒゲで彩られた少し厚めの唇が、フ…と上がる。


「ああ、すみません。あまりにキレイな指だったものですから、つい名残惜しくて…。お気に触ったら謝ります」

「…いえ。商売柄いちいち気にして入られませんので、お気遣いなく」

「はは…!さすがに手厳しいですね。これでは口説くのも一苦労だ」


破願して笑うその笑顔には邪気がなく、悪気のなさが際立って警戒心を薄れさせる。
これが狙ってのものなら、この男、かなり計算高い。

そんな二人の様子を見て取ったサンドラの口元にも、この状況を楽しむかのような不敵な笑みが浮かんでいた。


「あなたなんかがどうこう出来るような相手じゃないわよ、カイエン」

「いいですね、口説き甲斐があります。ところで、なぜマジシャン北斗があなたと一緒にここに居るんでしょうか?」


邪気のない笑みから一転、どこか意味ありげな笑みを湛えたカイエンがサンドラに視線を戻す。


「休暇中にマジシャンを呼んで楽しんじゃいけないのかしら?」

「あなたにそんな趣味があるなんて初耳です」

「あるのよ、覚えておきなさい」

「ご命令とあれば、記憶しておきます」


どう聞いても上辺だけの腹の探り合い…的カイエンとの会話にウンザリしたように、大きく肩でため息を落としたサンドラが、もう一度同じ問いを繰り返した。


「で?本当に、何しに来たの?」

「遂行中の作戦(ミッション)に便乗して一体何をさせようとしているのか、それをお聞きしたいだけです」

「聞いてどうする気?」

「作戦の支障になるようなら、ダグラスを任務から外します」


カイエンが言ったダグラスという名前に、ハッと北斗が目を見開いた。
確か…先ほどサンドラはダグラスはテロ対策チームの副官を張っていると言っていた。
会話の流れからしてダグラスはカイエンの部下…という事はこの男、ダグラスの上官でチームの指揮官ということだ。
NATOで結成されたということは、英・米を始め各国連合の下で動いている精鋭部隊と見てまず間違いない。
あんな戦闘機でここへ来る…という非常識を平然とやり、サンドラに対しても怖じる事無く言い合うもの言いからしても、このカイエンという男、ただの精鋭部隊の指揮官というわけでもないのかもしれない。

ますます得体が知れない。


「あなたの一存でそんなことできるわけないでしょ…!」

「そう、実際できなかったんですよ。指揮を執る人間の命令が通らないなんて、こんなふざけた話がありますか?そこへ来て、あなたの英国領入り…偶然にしては出来すぎです」

「あら、私がここへ来たのは仕事のためよ?」

「ええ、知っています。本来なら急がなくてもいいはずの仕事で、しかもどう考えても不必要なステルス高速ヘリも極秘にスタンバイさせて…」

「…そのソース(情報源)、どこ?」

「さぁ?どこでしょう…?」


ニヤリ…とカイエンの不精ひげの浮いた口元が上がる。
サンドラ相手に駆け引きを持ちかけるなど…たいした心臓の持ち主だ。

そのカイエンを、眉間にしわを寄せたサンドラの青い双眸が見据えた。
見つめられると視線が外せなくなる独特の輝きをもつ瞳と、その輝きさえ呑み込んでしまうほどの暗さを秘めた闇色の瞳が交錯する。


「…生死を問わず、ある対象の確保が最優先」

「ッ!…”イレブン”ですか、一体どこから奴の情報を?」

「聞きたい事には答えてあげたわよ、そっちはどうなの?」

「最近、腕のいいハッカーと飲み友達になりましてね」

「あきれた…!」

「セキュリティの強化をお勧めします」


悪びれた気配ひとつ見せずそう言い放ったカイエンが、ジ…ッと気配を殺して二人の会話に聞き入っていた北斗を不意に振り返った。


「確か、ご出身は日本、でしたよね?」

「え!?あ、はい、そうですが…?」


不意に問われた北斗が『イレブンって何だ?』と思案していた顔を驚いたように上げ、なぜ急にそんな事を?と言わんばかりに眉根を寄せた。


「帰国のご予定は?」

「いえ、特には…」

「そうですか、それは残念です。近々日本へ立ち寄る予定だったものですから…」

「日本のどちらに?」

「京都です」

「京都は私も観光程度でしか訪れたことがないので不案内で申し訳ないですが、良いところですよ、京都は。楽しんでいらしてください」

「ええ、そうします…」


社交辞令的会話の後に、ニヤリ…と何かを含んだかのような薄い笑みがカイエンの口元に浮かぶ。
その笑みと、京都…という場所。
ザワリ…ッとした何かが北斗の背筋を逆なでにする。


…なんだ?何か…ひっかかる。この男、京都に何をしに?


北斗に対してこの場でそんな話題を振ってくる…ということは、今までサンドラと交わしていた会話の内容と何か関わりがあるからだろう。


…京都?以前京都で何かあったっけ…?


北斗の記憶の中にある京都での思い出と言えば…まだ宙(そら)が生きていた頃。
確か…生まれたばかりの七星を美月に見せるために三人で一緒に帰国して…。

そこまで思い出して、ハッと北斗があることに気がついた。

あの時、会った少年。
年の頃はまだ10歳程だったはず。
あの子の名前は、確か…!

客商売において、人の顔と名前を覚えるのは絶対不可欠な要素だ。
だが、大人になって顔つきが変われば思い出せないことだってある。
ましてやそれが、目立つ髪の色、苗字の変更…など、顕著な変化があった場合、特に。


「…っ!」


気づいた事実に、北斗が秘かに息を呑む。
だが、既にサンドラの方へ向き直り『さっさと帰ったらどう?』『早く帰したい理由でもあるんですか?』的言い合いをしているカイエンは、そんな北斗の変化には気づいていない。

その時、戦闘機のコクピット内から何かの呼び出し音が鳴り響き、カイエンが盛大に顔をしかめた。


「…やれやれ、もうばれたみたいだ」

「ばれた?ちょっとあなた、その機体、どうやって調達してきたの?」

「偵察に出る予定だったパイロットにちょっと眠ってもらって代わったんです。で、不幸にもエンジントラブルが発生、緊急不時着する…という設定で」

「眠ってもらったって、あなたね…!」

「ですが、来て正解でしたね。どうしてあなたが秘密裏にステルス機をスタンバイさせたか、その理由が見えてきましたから」

「…あら、どういう理由かしらね?」

「どこにも登録されていないあなたのプライベート機なら、何が起こってもその存在ごと無かったことに出来る…違いますか?」


カイエンのその言葉に、サンドラの片眉がピクリと上がる。


「…面白いこと言うわね。でも、あなたのこの違反行動は無かったことにはならないわよ?」

「そうなんです、そこが問題なんですよね。ですから、優秀な部下の行動には目を瞑ってフォローにつきますので、処罰を食らって動けない…なんて事にならないように、後の口裏合わせをよろしくお願いします」

「は!?ちょっと、なに勝手なこと…!」


憤然としたサンドラを尻目に軽く一礼を返すと、カイエンの体が軽やかに搭乗口にかけ登り、ヘルメットを装着してしまう。
閉じられたコクピット越しに敬礼を返したカイエンに、サンドラが盛大に肩を落としてため息をついた。


「まったく…!この私に口裏を合わせろだなんて、どういう神経よ!?」


そんなサンドラのぼやきをかき消すようなエンジン音とともに機体が動き始め、最初北斗がゴルフ場にしてはラインが真っ直ぐ過ぎ…だと思ったあのグリーン上を滑走路代わりにしたシー・ハリアーが、今にも地平線に沈もうとしている夕日に向かって飛び去って行った。

あきれ顔でその機影を見つめるサンドラの背中に、北斗が眉間に深いシワを刻みつつ問いかけた。


「サンドラ、”イレブン”というのは一体誰のことなんですか?それがアルの言っていた”昔馴染み”なんでしょう?ひょっとしてその人物、俺にも関わりがありますか?俺自身ではなく、日本に居る息子達に…?」

「……」


応えもなく、振り返るそぶりも見せない背中は、その問いが正しかった事を北斗に確信させるのに十分だ。
それに、アルは出ていく寸前『お前には手は出させない』と、そう言った。
あの時引っかかった”には”という言葉尻…あれは北斗に関係のある北斗以外の誰かに何かが降りかかることを示唆しているとも取れる。

つまりは、日本に居る七星達に、何かが…!


「…ほんとに疫病神ね、あの男!」

「答えてください、サンドラ」


天を仰いで悪態をついたサンドラに向い、北斗の静かだが有無を言わせぬ声音が響き渡った。







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