ACT 12

 

その日俺は仕事が終わって一度家に帰ると、店の片付けの終わる時間帯にもう一度店の前にやってきた。

もう店の玄関は鍵がかけられ、奥のキッチンの方にうっすら明かりが灯っていた。

俺はチキュウが出て来るであろう地下の従業員出入り口で待つことにして、そっちの方へ廻った。

同じ建物の中にいくつかの別のテナントも入っている場所なので、顔なじみの他の店の従業員とお決まりの挨拶を交わし、どの店も人が居なくなってシン・・とした頃。

グリムの店の従業員出入り口から出て来たチキュウが、俺の存在に気づいて、ハッと足を止めた。

「っ!?孝明!?お前、なんでこんな時間に!?」

「どうしてもお前に聞きたいことがあって」

チキュウの方へ歩き出した俺を見て、チキュウは、

「俺は何も言わへんし、お前が聞きたがるような事も何もあらへんっ!」

と言い捨てて、俺の横をすり抜けようとした。

俺は思わずその腕を掴んで叫んでいた。

「嶋さんから聞いた!何で自分から移動願いなんて出したんだよっ!?その理由聞くまで、この腕放さないからなっ!!」

両腕でチキュウの腕を絡め取った俺は、その場を動くまいと足を踏ん張ってチキュウの動きを止めた。

「行きたいからに決まってるやろっ!アホッ!!」

「嘘だっ!そんなの!!だってチキュウこの店好きじゃないか!この店のお客さんも、この場所も!俺のせいか?俺と一緒に仕事すんの嫌だからか!?」

「っ、そうや!!」

俺はこの一言にビクッと体を震わせた。

「そうや・・・お前が・・お前が居るからや!これ以上、お前と一緒に仕事できへん!せやから移動すんねん!分かったか!?」

あびせられた怒声に、俺は負けなかった。

何となく、チキュウがワザと俺を怒らせて追い返そうとしている・・と、そんな気がしたから。

「・・・分かった。じゃあ、俺がその工場へ行く!今から店長の家に行って、俺が行くって言ってくる!!」

俺はチキュウの腕を解き放つと、ダッと地下から外への出入り口のドアに向かって走り出した。

「な!?何言うとんねん!孝明!こらっ待て!!」

ドアの手前でチキュウが俺の腕を掴んで無理やり自分の方へ引き寄せた。

「何だよ!?俺と仕事すんの嫌ならチキュウが残って俺を追い出せばいいだろ!?なんでお前が出て行くのさ!?」

「アホぬかせっ!お前みたいな奴にこなせるような仕事とちゃう!!」

この言葉に俺はかなり傷ついて、ただでさえ泣きそうな気持ちに拍車がかかった。

「・・・なん・・だよ!どーせ俺は仕事もロクに出来ない役立たずだよっ!けどっ・・!友達づきあいしてくれないお前と仕事でしか会えないし、喋れないだろっ!何なんだよ!?理由言えよ!言ってくれなきゃ分かんないだろっ!!」

チキュウに両腕を捕られて、至近距離で睨みあう俺に向けられたその瞳が一層険しさを増していく。

「言わへんっ!!この・・オオボケッ!少しは身の危険感じて俺から離れろや!何で・・・なんでお前はそないに鈍感やねん!?」

「ああ、そうだよっ!!オオボケで鈍感だから分かんないって言ってんだろっ!!分かるように言えよっ!!」

叫んだ途端、チキュウが捕らえていた俺の両腕のまだ鈍い痛みの残るサポーターの上から、再びあの時と同じように掴みあげ、ダンッ!と壁に押し付けたかと思うと、鼻先が触れ合うほどの距離で言った。

「・・・俺は、この手に痣をつけた事、悪いと思てへん!一生このまま消えへんかったらええと思うてる!俺は、そんな自分が怖いんや!!」

ギリッと、再び痣の上を握り締められ、思わず上げたはずの悲鳴は、チキュウの唇で塞がれて外に漏れる事はなかった。

「痛っ・・・ぐ・・・っ!?」

今までに一度も経験した事のない、激しい貪るようなキスだった。

息をする間も与えられずに幾度も角度を変えて唇を重ねられ、息苦しさに思わず開いた歯列を割って入り込んだチキュウの舌が、俺の舌を絡め取って蹂躙する。

「・・・や・・・っ・・うっ・・・!!」

俺は必死に顔を背けて逃げようとしたけれど、両手は押さえつけられ、頭も体も壁に押し付けられていて、どうする事も出来なかった。

せめて、そのチキュウの舌に、重ねられた唇に、噛み付いてやろうと思ったのに!

どうしても、それが出来なかった。

背筋を駆け上っていく、ザワザワとした寒気とも痺れともとれない何かが脳髄にまで達し、体が麻痺したかのように動かせなくなっていた。

息苦しさとその痺れに気が遠くなりかけた時、ようやく唇が解放され、俺は大きく荒い息を吐いた。

「・・ふ・・はっ・・・あ・・・っ!?」

チキュウの唇がそのまま首筋を這って、首の付け根辺りを強く吸い上げた!

「・・・んっ・・痛・・っ!」

その唇のもつ熱さと痛みと、快感とも悪寒とも言いがたい異様な感覚に、全身に震えが走る。

「お前が・・悪いんや。俺に、豊福とお前を比べさせたりしよるから・・。ただの、とことん悪ふざけの出来る親友や・・思い込ませようとしとった俺に、そうやないって、はっきり自覚させたりしよるから・・!」

そのチキュウの呟きを聞きながら・・・今、自分の身に起きた事が信じられなくて、いつものチキュウの悪ふざけだと思いたくて。なのに、頭が混乱して絶対聞いちゃいけないと思っていた方の言葉が、滑り出ていた。

「・・自・・覚?」

首筋にあったチキュウの唇が、更に下へと・・鎖骨をなぞりながら言った。

「・・・俺は、お前が好きなんや。親友としてなんか見られへん・・・お前が誰よりも好きで、お前を・・抱きたいと思うてる」

その言葉に、喋りながら這う唇の感触に、俺はビクッと体を震わせた。

「・・・や、いや・・だ・・!嘘だ、そんなの・・・!」

グッ・・と、俺の両腕を掴んでいたチキュウの手に力がこもり、

「・・・嫌やったら、もう二度と俺の前に現れんな!俺は・・お前を傷つけとうないねん!この・・ドアホッ!!」

『ダンッッ!!』

と、俺の頭の両脇に拳を叩きつけて言い放つと、俺の顔を見ようともせず、

『バンッッ!!』

と荒々しくドアを開け放って外へ出て行った。

俺は、ズル・・ッと壁を伝って崩れ落ち、しりもちをついた。

・・・途端、

カタカタ・・・と、全身が小刻みに震え始めた。

震えを止めようと膝を抱えて身を固くしたけれど、その震えを止める事は出来なかった。

「・・・や、なん・・だよ?これ?なん・・で、こうなる?これが理由何て・・そんなの・・っないよ!」

今のキスが悪ふざけでも普通のキスでもないことくらい、俺にだって分かった。

チキュウが俺の事をそういう対象として見ていた事に、思えば思い当たる節はいくらでもあった。

それなのに・・・その事に気づかずにいた自分の鈍感さに無性に腹が立ってきた。

そして最後にチキュウが残して言った言葉にも!

「・・何が傷つけたくない・・だ!もう充分傷ついてるよっ!チキュウの馬鹿野郎!!お前なんか、お前なんか・・・!」

(大嫌いだっ!!)

そう、はっきり声に出して言ってやりたかったのに・・・どうしても、その言葉を言い出せなかった。

どんなに腹が立っても、どんなに恨めしく思っても、俺はチキュウが嫌いになれない自分に気づき愕然とした。

さっきのキスにしても・・虫唾が走るほど嫌だとか、気持ち悪いとか、そんな風には思わなかった。

ただ。

『一生消えへんかったらええと思うてる!』

と言った時の、チキュウの怖いくらい真剣な眼差しが、どうやってもそれから逃げる事が出来なかった自分の無力さが、恐ろしかった。

痛いほど吸い上げられた首の付け根部分が、ジンジンと熱を持って更にその恐ろしさを倍増させる。

俺はそこに手を当てて、その熱をもぎ取ってやろうと握り締め、それすら叶わないその現実を思い知らされた。

「・・・こ・・・わいよ、だれか・・・!」

(助けて・・・!!)

と、そう叫べたら、俺はどんなに救われていたか知れない。

けれど、今の俺にとって助けを求められる相手はチキュウしか居なかった。

その救いようのない現実に俺は打ちひしがれ、震える体を抱え込む事くらいしか出来なかった。

 

 

 

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