ACT 14

 

そんな会話をした日の昼休み、2〜3人のバイトの女の子達がバタバタと休憩中の俺たちの所へ駆け寄ってきて、言った。

「店長、聞いてくださいよ!こないだチキュウさんがすっごく若い女の子とデートしてるの見ちゃったんですよ!なんかすっごい親密そうな雰囲気で、しかもその子、工場でパートで働いてる子なんだって!!あーー!すっごいショック!!」

「え・・・っ!?」

俺はそれを聞いた途端、何か重くて冷たい鉛のような物を胃の中に投げ込まれたような・・そんな気がした。

(な、なんだよ・・!チキュウの奴!人の事好きだとか言ってあんなキスまでしたくせに、結局女と付き合ってるんじゃないか!!)

この3ヶ月、鬱々とその事で悩み続けていた自分がバカみたいで、ムカムカと腹が立ってきた。

そんな俺の向かい側に座っていた店長が、興味津々といった表情で女の子達に向かって言った。

「おーー!遂にあいつにも春が来たか!今まで誰とも付き合わんかったのに、そんなに可愛い子なんか!?」

「んーー・・悔しいけど、顔は可愛かった。でも、良かったー!誰とも付き合ってなかったってことは、振られたのも私だけじゃないんだ!」

キャッキャッと笑いながら言うその子に、俺は思わず聞いてしまった。

「・・・え!?君、チキュウに振られたの!?」

容姿だけで言うなら、その子も店の中では一・二を争う可愛い顔立ちをしている。

「そーなんですよ!4ヶ月くらい前に告白したら、『今、気になってる奴が居るから付き合えん』って言って、きっぱり振られちゃったんです!」

(4ヶ月前!?それって・・・!)

俺の心臓がドキンと跳ね上がった。

(それ・・・って、俺のことじゃないか!)

その事を悟られないように、俺は平静を装って更に聞いた。

「振られた割に明るく言うね?」

「だって、もう昔のことでしょ?今は別の人見つけたし!あ、でもチキュウさんのほうがかっこいいんですよねー!残念だったなぁ・・・」

(昔の話?4ヶ月前って、もう昔の話になっちゃうのか・・。なら、3ヶ月前も、もう昔の話・・だよな?)

跳ね上がった心臓が、一気にキュウ・・と締め付けられるように痛くなった。

その女の子の言葉に、店長の横に座って黙って聞いていた嶋さんが、あきれた顔で言った。

「おまんら、ほんまに顔でしかチキュウの事見てへんなぁ・・。そんなんやから振られんねん!」

「えーー!だってー!普通、顔から入るでしょう?一緒にいて自慢できるし!」

「男は飾りもんか!?まったく!!」

本当にあきれ果てたようにそう言って、嶋さんはため息をついた。

別の女の子がその間に割って入るようにして、その子を問い詰めている。

「その時チキュウさんが言ってた気になる子って誰なの!?当然聞いたんでしょ!?」

「聞いたけど、『お前らの想像を超えた奴だから聞かん方が身のためや』って、話はぐらかされたわよ」

俺は密かに苦笑を浮かべた。

まさに言いえて妙だ。

「まあ、昔のことだからもういいかー・・。でも、今その若い子と付き合ってるってことは、その気になってた子とは別れたってことだよね?私も告白しとけば可能性あったかもしれないのに!残念!」

「なに!?お前もか!?」

どうやら、そのもう一人の方の子がお気に入りだったらしい店長が、眼鏡の奥の細い目を見開いている。

「やだなー店長!店に来てるバイトの子たち皆、チキュウさん目当てか、今は山田さん目当てに決まってるでしょ!?」

「えっ!?お・・俺!?」

いきなり名指しされて、俺は本当にビックリした。

思い切り“なんでですか!?”という表情の俺を見た店長が、笑いながら言った。

「山田目当ての子達に言っとけよ!こいつ全然そういうことに疎い仕事一筋な奴だから、積極的に言わないと見込みないぞ・・って!」

「ほんまやで、山ちゃん色事に疎すぎやからなぁ。昼休み中も寝てばっかしで、女の子たちも声かけとうてもかけられへんし・・!」

「そうそう!山田さんも、もうちょっと意識してくれればいいのに!チキュウさん居なくなっちゃって、けっこう話したがってる子いっぱいいるんだから!」

店長以下、周り中の責めるような視線に、俺は驚愕の思いだった。

だけど。

その子が言った、『チキュウさん居なくなっちゃって・・・』という言葉の意味に、俺はしっかり気がついていた。

「あ・・あのさ、俺とチキュウ、仕事以外では付き合いないから。俺に声かけても無駄だよって、言っておいてよ・・・」

「えっ!?嘘!そうなの!?仕事してる時、めちゃめちゃ仲良さそうだったのに!」

そう叫んだ女の子たちの表情に、

(・・・ああ、やっぱり)

と、妙に納得している自分が虚しかった。

昔からいつもそうなのだ。

たいてい言い寄ってくる女の子達は、俺と付き合いのある他の誰か目当てである事が多くて。

別れた後、気がついたらその他の奴と付き合っていた・・・なんてことばっかりだった。

別れ際の理由はいつも『物足らない』。

やっぱり、多少なりとも好意を持ってくれる子には分かってしまうのだろう。

俺が素顔を見せていない・・・ということに。

だから。

いつの間にか俺の中でそう言う事には関心が薄くなって、不慣れで一番苦手な事になってしまったのだ。

唯一、一年くらい続いた子も、『パン職人になる』と言った途端、『やっぱり考えてる事が分からない!』と言って、こっぴどく振られてしまっていた。

俺のその落胆振りにさすがに気が引けたのか・・・女の子が、

「で、でも、最初から山田さん狙いの子も居るんだから!!これはほんとだよ!チキュウさんとは全然違うタイプで、可愛くて優しそうだもん!」

と、慰めの言葉をかけてくれた。

(・・・別にいいんだけど、俺の方が年上だぞ?その俺に可愛いはないだろ?)

俺はまともに答える気力もなくて、力なく笑い返すのが精一杯だった。

「まぁそれは置いといて。そのチキュウとデートしてたっていう子の事、他に何か知らないのか?」

こういう類の話が本当に好きそうな店長が、チキュウの方へ話を戻した。

「あ!そうそう!あのね、その子すっごく若くて、16・17歳くらいなの!どうも高校中退してパートにきてるらしくって・・・」

「16・17歳!?そりゃ若いな!あー・・・でも、チキュウの奴も高校中退してこの会社入ってるから、その辺が付き合うきっかけになったのかもしれんなぁ・・・」

「えーーっ!?チキュウさんって、高校中退してたの!?なんで!?」

驚く女の子達同様、俺も驚いた。

全く初耳で、まさに寝耳に水だ。

でも。

一度、『いつからこの仕事やってんの?』って聞いた時、はぐらかされて答えてくれなかった事があったのを思い出していた。

ギュッ・・・と、みぞおち辺りが締め付けられたように苦しくなった。

「詳しくは知らんけど、確かケンカして相手に怪我させたのが原因とか言うとったような・・・」

おぼろげな記憶を必死に思い出そうとするように、店長が眉間にシワを寄せて言った。

「えーーー!?ちょっとショック!あー・・・でも、けんか強そうだから守ってもらえそうじゃない!?」

無邪気に騒ぐ女の子たちと店長を、嶋さんが静かな、だけど迫力のある声で一喝した。

「いい加減にしときや!そうやって、本人の居らん所で噂話に尾ひれが付いていくんやで!だいたい・・・おまんら無責任すぎや!デートいうたかてただの相談事かも知れへんし、中退のことかて、チキュウはちゃんと夜学行って、卒業資格とってるんや!変な噂流さんといたりや!!」

水を打ったように、シ・・・ンとなって。

なんだか異様に気まずい雰囲気が流れた。

するといきなり嶋さんが、ふあぁぁぁぁ〜っ!と、大あくびと大袈裟な背伸びをし、

「休憩時間終了〜!ほな、行こか、山ちゃん!」

と、そんな雰囲気など吹っ飛ばすかのような大声と満面の笑顔で言った。

「あ・・・、は、はいっ!」

慌てて立ち上がった俺の動きにつられ、女の子達も店長も、そそくさと自分の仕事へ戻って行った。

俺も仕事を再開しながら、あの重くて冷たい鉛のような物の存在を感じて、全く仕事に身が入らなかった。

そして、何だかだんだんと腹が立ってきた。

(・・・だいたい、人に好きって言っておいて、人を悩ませといて、今度は女作って、それでまた・・・!)

そこまで思って、ハタと手が止まった。

(い・・ま、俺・・なんて思った?それでまた悩ませて・・・と、そう思わなかったか?なんでだ!?何に悩むんだ?チキュウが女と付き合ったんなら、俺は逆に喜ぶべきじゃないのか?俺に好きだと言ったのも、抱きたいと言ったのも、一過性のもので・・・チキュウにとってはただの昔話で・・・もう、俺の事なんてなんとも思ってない!そう思えば良いはずの事!それをなんで、悩むんだ!?)

「山ちゃん・・・?手ぇ止まっとるで?大丈夫か?」

いきなり動きを止めた俺を、嶋さんが心配そうに覗き込んでいた。

「えっ!?あ・・・!すみません!あ・・・っ!粉!粉袋取って来ます!!」

その嶋さんの視線を避け、俺は逃げるようにその場を離れて1階の粉置き場へと向かった。

一体自分が何に悩んでいるのか分からなくて、苛立ちもピークに達してきつつあった。

(ああっ!くそっ!!何でこんなにイライラする!?)

目の前の粉袋を見つめながら、いつも失敗して2袋担ぐ事が出来ない事を思い出し、更に苛立ちが増した。

(ムカつく!今日は絶対2袋担いでやるからなっ!!)

「むぅぅ・・・っっうおぉっ!!!」

気合の掛け声と共に、俺は気がつくと2袋担ぎ上げて2階への階段を上っていた。

肩に食い込む重さを心地良く感じながら、要は気合いなのだ!と思った。

気合いと、コツと、出来ないとあきらめない事。

担いでみると、意外に楽に運ぶ事が出来る。

悩みも、案外とこんな物なのかもしれない、突っ切ってしまえば思ったより楽な事なのかもしれない。

『ドサッッ!!』

と粉袋を降ろした俺に、嶋さんがパチパチ・・!と拍手を送ってきた。

「おーーーっ!やればできるやん!山ちゃん!だてに3ヶ月仕込みしてへんなー・・・ええ筋力付いてきてるやん!」

嶋さんの賛辞に『ははは・・・』と照れ笑いを返しながら、俺は思い切って聞いてみた。

「ね・・・嶋さん、何で人は腹が立ったり、悔しかったり、悩んだり、分けわかんなくなったりするんでしょうね?」

嶋さんは『へ・・・?』と一瞬目を瞬いて、即答してきた。

「そりゃきまっとるやないか!そう思ってしまうもんが、ほんまに好きか、ほんまに嫌いか、どっちかの時や!」

「え?ほんとに好きかほんとに嫌い?それって、逆の意味じゃないですか?」

嶋さんは苦笑を浮かべて、困ったように言った。

「山ちゃんは、ほんまに人を好きになった事も、嫌いになった事もないやろ?」

言われて俺は気がついた。

確かに、今まで誰に対しても本気でそんな事を思った事がない。

無言で頷き返すと、嶋さんはやっぱり・・・!と言う顔つきになった。

「いわゆる”八方美人”やな、山ちゃんは。誰とでも仲良うできて嫌われん代わりに、特定の人間とも深く付き合えん。せやから、何か特別や思えるもんに出合った時、どうしたらええか分からんなって、下手すると自滅するタイプや」

「じ・・めつ?」

俺は震える声をどうする事も出来なくて、ただジッと嶋さんの顔を見つめていた。

「そーいう風に思いつめた顔して、悩んで、結局また自分の心に蓋をして追い込んで。そんな事繰り返しとったら一生自分の殻を破られへんで?おまん、チキュウがおらへんなってから以前に輪をかけて笑っとる。たまにはちゃんと怒ったり、泣いたりせなな!でもって山ちゃんには、そういう感情を持つ事の出来る相手も必要やねん、違うか?」

「・・・や、やだな。そんな、別に・・・・」

条件反射的に笑った俺の額を、嶋さんがピンッと指で弾いた。

「痛っっ!!」

言っておくけど、この人のこのデコピンは普通の人の倍くらい威力があって、半端じゃなく痛い。

額を押さえながら顔を上げた俺を、嶋さんがニコニコと笑顔で見返している。

「外からの痛みは一瞬やけど、心が痛いと感じた事は一生消えへん。ほんまにその痛み消したいんやったら、相手にそれをぶつけな消えへんで?」

「心の・・痛み・・・?」

「腹が立ったり、悩んだりすんのは痛いやろ?好きも嫌いも表と裏や。どっちにしても相手が自分にとって特別やからそう思う。その気持ちは自分だけのもんやから、否定せんと消化したり。出来へんのやったら、心の中にたまっとる事を言葉にして相手に吐き出してすっきりしてまいや。」

俺は額を押さえていた手を握り締めて、思わず視線を落とした。

「・・・心の中の、溜まってる言葉・・・・」

呟き返した俺の背中をバンッと勢いよく叩いて、嶋さんがきびすを返した。

「早せなその細い体に貯めきれんなんで!」

思い切りむせる俺を尻目にそう言い捨てて、自分の仕事に戻って行った。

「細い体は余計だって・・・!」

ケホケホとむせながら、でもようやく俺はこの気持ちの消化の仕方が分かった気がした。

自分でもまだ答えを出せないでいるこの気持ちと腹立たしさ。

一人で悩んでいたって答えは出ない。

本当に逃げ出すのなら、悩みも痛みも全部吐き出してしまいたかった。

さざ波に足をすくわれた気がするあの晩・・・。

俺は未だに嵐の中に放り出されたまま、ずっと漂流している気がしていた。

もしも、そのまま波にのまれて海に沈んだとしても・・・チキュウに沈められるなら悔いはない。

そう決意した頃。

思いもかけない出来事がチキュウの身に降りかかっていたなんて、俺は知るよしもなかった。

 

 

 

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