ACT 15

 

今度の休みにチキュウに会いに工場へ行こう!

そう決心した次の日。

思いもかけない出来事が店長の口から告げられた。

チキュウが!

工場の責任者である工場長を殴って、昨日・今日と仕事に出て来ず、連絡もつかないと言うのだ。

「殴ったって!?なんで!?」

俺は何だかとてつもなく嫌な予感を感じて、はやる気持ちを必死に押さえつけて店長に聞いた。

店長に対して怒った時も、手だけは出したりしなかったのに!

何かよっぽどの理由があるんだと、俺は直感していた。

「それがな・・・・」

と言って店長がため息混じりに話し始めた内容は、こうだった。

チキュウが付き合っていたと噂になっていた女の子は、本当はその工場長と付き合っていて、しかもその子が妊娠していたらしく、親が会社の方へ怒鳴り込んできたのだ。(何しろまだ17歳の未成年なのだから当然だろう)

それで人事部長が当事者である工場長と、相談を持ちかけられていたらしいチキュウを呼び出して話を聞いているうちに、チキュウがその工場長を一発殴ってしまったらしいのだ。

まあ、殴られた工場長は口の中を少し切っただけで、全然大したケガではなかったらしいのだが、当の殴ったチキュウの方がなぜか突然その場を飛び出し、それっきり連絡がつかなくなっているというのだ。

「なに、それ?何で殴ったチキュウの方が?」

思わず問い詰めた俺に、店長も困惑の表情を浮かべた。

「さあ?あいつが高校中退した理由も人殴ってケガさせたんが原因らしいから、その辺なんちゃうか?」

「でも!殴ったのだってそれ相応の理由が・・・!」

「なんでも、その工場長が妊娠させたんは自分やのうてチキュウの方やないんか?言うた途端、殴りよったらしい。ほんまのこと言われて焦ったんか、そいつの言い訳が許せんかったんか、どっちかやろな。ま、今日その相手の女の子の話聞くて言うてたから、明日になったら分かるやろうけど」

「!!」

チキュウがその場から逃げていなかったら、俺だってチキュウがその子を妊娠させただなんて思いもしなかったはずだ。

だけど!

じゃあ、やましい事も何もないのに、何でチキュウはその場から逃げたりしたんだ?

それって、ほんとはチキュウが・・・?

俺はだんだんとせり上がって来た吐き気にも似た気持ち悪さに、その場に座り込んでしまいそうな体を必死に支えていた。

その俺の横で黙って話しを聞いていた嶋さんが、ボソッ・・と言った。

「そんなん、どっちでもええやろ?それよりチキュウの奴が今どこに居るんかの方が問題や。家に居らへんのかいな?」

「家の電話も携帯も出なくてな。部長が家まで様子を見に行ったらしいけど、居るような気配も車もなかったらしい。どこへ行ったんやろな?」

それっきり俺たちは3人ともその話題に触れようとせず・・・無言で仕事を終えると、俺は嶋さんと一緒に店を出た。

外に出た途端吹き抜けた北風の冷たさに、俺は思わず身を縮ませた。

「今日は冷えるなー・・・・。な、山ちゃん、ちょっとあったまっていかへんか?」

「あ・・?いいですよ?」

いつもなら、『こんなん寒さのうちに入るかい!』とか何とか言ってさっさと帰ってしまう嶋さんが妙に真剣な表情で言ってきたので、俺はすぐにチキュウの事だなと直感し、すぐ横の喫茶店に嶋さんと入った。

席について、しばらく窓の外を眺めていた嶋さんが、おもむろにタバコを取り出して火をつけた。

そして、運ばれてきたコーヒーにも俺にも視線を向けないまま、窓の外の人込みを眺めたまま、言った。

「あいつな、多分・・自分が恐くて逃げたんやと思う」

「恐い・・・?」

俺はその言葉にドキッとした。

あの最後にチキュウと会った時、確かチキュウは自分の事が恐い・・と、そう言ってなかっただろうか?

「人の事どうこう言うんは俺の主義に反するから、ほんまは言いとうない。けど、山ちゃんには言っといた方がええ思うから、聞いてくれるか?」

咥えタバコのまま、ちらっとだけ俺に視線を投げた嶋さんの表情が、珍しく神妙な顔つきになっていた。

俺もその視線をしっかりと受け止めて、真剣な眼差しで頷き返した。

嶋さんは肘をついて再び窓の外へ視線を移し、俺の位置からは窓ガラスに映る反射した嶋さんの横顔しか見えなくなった。

「あいつな、小さい頃に母親病気で亡くして、20歳の時に父親も病気で亡くしとる」

俺は思わず息をのんだ。

俺は自分から親の事を話題に出来なかったから、チキュウもそれに触れるような事を避けてくれているのだと、そんな風に勝手に思い込んでいた。

「その父親がな、くも膜下出血の突然死でいわゆる過労死やった」

「っ!」

ガラスに向かってフゥ・・と勢いよく吹き付けられたタバコの煙が、そのガラスを這うように駆け上がっていく。

俺の目は自然とそれを追って・・・消えていくその煙が気づかなかったチキュウの思いその物のような気がして、胸が苦しくなった。

「その過労の原因が、チキュウの中退が原因の左遷やったらしい。あいつはそこから動けんでおんねやろな。葬式の時も涙一つこぼさんと・・・。冷たい奴や・・・言うてるバカも居ったけどな、俺からしたら堪らんかったわ。その後であいつ、『もう、絶対人殴ったりしたない!』言うて、もし殴りそうやったら止めてくれ!って、オレに言ってきよった。その約束守ってやれんかったから、俺も責任感じ取るんや」

「それ、違うっ!!」

俺は思わず叫んで、慌てて口を押さえた。

一瞬、店内の視線を集めたものの、再びざわつきだした店内の様子にホッと息をついた俺は、新しくタバコに火をつけている嶋さんに言った。

「・・・それ、嶋さんのせいじゃない。チキュウを嶋さんの側から離れさせたの、俺のせいだから!」

何にも知らなかった・・・いや、知ろうとしなかった自分が許せなくて、悔しくて・・・!

何も言ってくれなかったチキュウが恨めしくて・・・!俺は唇を噛み締めた。

「・・・アホ。お前のせいちゃうわ。俺がチキュウと同じ仕事場になったんは単なる偶然。そんなもんに頼って、自分の事が信じられんと恐くて逃げ出したあいつ自身の責任や。殴るくらい誰だってする。そんなもんにこだわるんやのうて、肝心なんは自分の心の弱さから逃げんことや。あいつはいつまでたっても逃げてばっかりやから・・。そういうとこ、山ちゃんとチキュウはよう似とる。お互いそれに気がついてくれたら、どうにかなるかと思たんやけど、なかなか上手い事いかへんもんやな・・・」

嶋さんの言う通りだった。

俺はずっと自分から逃げて、嫌な自分から逃げてこっちへ来て、そして結局またその嫌な部分に怯えて、また嘘の自分を作り上げてた。

その俺の心の弱さを捕まえて俺に突き付けてくれたのは、チキュウだ。

そのチキュウが逃げたのなら、追いかけて捕まえるのは俺しかいない!

チキュウは自分の心と、そして俺からも逃げたのだから・・・!

「・・・嶋さん、明日の嶋さんの休み俺にくれませんか?」

『え!?』というような顔つきで俺の方を振り返った嶋さんが俺の顔を見て、まだ長かったタバコを灰皿に押し付けてもみ消した。

「・・・捕まえてきてくれるか?今、あいつを捕まえられんのは山ちゃんだけや。何日かかってもええから、あいつ、絶対捕まえたってや!頼むで・・・!!」

そう言って、嶋さんはチキュウの家の場所を俺に教えてくれた。

結局、どうあがいたって戻ってくるのはそこしか考えられない・・・嶋さんの考えに俺も同感だった。

俺は嶋さんと別れて、チキュウの家だというマンションに向かった。

そこは市内から少し離れた海岸沿いの住宅地で、思っていた以上に立派な建物だった。

俺は駐車場の方へ廻ってチキュウの車を探したけれど、やはり見つからなかった。

多分、チキュウは車の中で寝泊りして家にも帰っていない・・・というよりも、家に帰りたくないのだろう。

誰も待つ人の居ない空虚な家に帰るなど、今のチキュウには耐えられないはずだから・・・。

チキュウの部屋は、一番上の端部屋だった。

ちゃんと専用ポーチまで付いた普通の家と変わらないような玄関で、海沿いだけに吹き付ける海風も半端じゃなく強くて寒い。

もうすっかり辺りも暗くなって、一段と寒さが身にしみた。

俺はドアの隅っこに座り込んで、チキュウの携帯電話に電話をかけた。

チキュウがどこに居るのか分からない以上、ここでチキュウがここに帰ってくるのを待つ以外、俺に出来ることはない。

電話には出ないかもしれないけど・・・でも、それ以外今の俺とチキュウを繋ぐ物は何もない。

案の定、電話の呼び出し音は延々と鳴り続け、一向に出る気配はない。

どうやらチキュウも留守電は外しているらしく、その音はただ無機質に響き続けていた。

でも・・・鳴っている以上、どこかでチキュウがこの音を聞いているという事だから、俺は自分からその音を切る事が出来なくて、延々とその音を聞いていた。

そういえば、俺がケガをした時はこの逆のパターンだったっけ。

と思い出して、思わず表示で時間を確認した。

何となく、33分以内にチキュウが電話に出るような・・・そんな気がしたのだ。

30分を過ぎて、俺の心臓はドキドキし始めていた。

(絶対・・・絶対、チキュウは電話にでる!!)

そう確信して、俺は表示を見つめていた。

あと数秒で33分・・・!という時、思ったとおり電話の呼び出し音が止んだ!

「・・・32分58秒、惜しいな後2秒で・・・」

「俺の記録は越させへん・・!」

俺の言葉を遮っていきなり聞こえてきた不機嫌極まりない懐かしい声に、俺は嬉しさのあまり涙ぐみそうになった。

どんなに、この声が聞きたかったか・・・!俺は改めて自分の中のチキュウを求める気持ちを自覚した。

涙を堪えるのが精一杯で言葉が出ない・・・一時の間、それっきり何も言わないチキュウは、でも、電話を切らないで居てくれた。

俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

「・・・お前に言いたい事と聞きたい事が山ほどある。だから、帰って来い!お前の家のドアの前に居るから。ここへ帰って来い!帰ってくるまで、ずっと、ずっとここで待ってるからっ!分かったな!?」

一息で勢い込んで言い切って聞き耳を立てていると、電話の向こうで一瞬だったけど、チキュウの息を詰めたような気配が伝わってきた。

「待たんでええっ!!とっとと帰れ!!」

チキュウのいつもの怒声が返ってきたけれど、心なしか・・・いつもの迫力がない。

俺にはそれがチキュウの不安のように感じられて、思い切り叫んでいた。

「イヤダッッ!!待ってるっ!!言っとくけど、ここ、めちゃくちゃ寒いぞっ!早く帰ってこないと凍死しちゃうかもしんないぞ!!」

「そんなんええ迷惑やっ!!帰れっ!!」

「イ・ヤ・ダッ!!絶対、ぜーーったい、帰んない!いいなっ!待ってるぞ!!」

「っ、勝手に・・・っせえ!!」

そう言って、電話は切れた。

俺は、なるべく風に当たらないように小さくなって身を縮こまらせていた。

遠くから聞こえる波の音や、時折聞こえる舟の汽笛の音・・・。

近くを飛んでいく飛行機の音・・・。

すぐ側を吹き抜ける笛のような風の音・・・。

目を閉じて、ジッ・・・とそんな周りの音だけに耳を澄ませていた。

そうしていると、本当に自分はいろんな物に囲まれていて、それを受け入れるか拒否するかは自分次第なんだと、改めて思った。

拒否すれば、周りも決して自分を受け入れてはくれない。

周りを変えたかったら・・・まず、自分が変わらなければいけないんだと、周りが歩み寄ってくるのを待っていたってダメなんだと、実感していた。

(相手の心に触れたかったら・・・まず、自分の心を開かないとダメなんだ)

そう思って自分の心に問いかけると、やっぱり俺はチキュウの事を特別だと思っていると分かった。

腹が立って悩んで苦しい事ばかりだけど、それは俺にとってチキュウが特別で、好き・・・だからだと、思った。

チキュウは男で俺も男だけど、だけど、それじゃあ・・・男だからっていう理由だけでその気持ちを捨てられるのかと自分に向かって問いかけても、それは無理だと・・・この3ヶ月で嫌というほど味わった。

チキュウの声が聞きたい。

あの大きい手で頭をなでられるとほっとする。

きつい目が優しく細められるのを間近で見ていたい。

この気持ちは、どうやったって他の物で代用できない。

チキュウでないと、無理なんだ。

そう思ったら、ストンと気持ちが軽くなった。

捕まえたい。

チキュウがもう二度と逃げないように、しっかりと捕まえたい!

そう思ったら、冷たい海風もコンクリートの冷たさも、苦になんてならなくなった。

 

 

 

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