ACT 16

 

どれくらい時間がたったのだろうか・・・?

俺はいつの間にかウツラウツラ・・・と眠っていて、ぼんやりとした意識の中、急に体に当たる風が弱くなった気がしてフッと目を開けて顔を上げた。

そこに。

ポーチの扉に背を預けて立っているチキュウが、いた!!

「チ・・・キュウ・・・ッ!!」

慌てて立ち上がろうとして、寒さでかじかんだ体が思うように動かなかった。

「うっ・・わっ・・・っ!!」

「アホ!」

思い切り前につんのめった俺の体を、反射的に手を伸ばしたのだろうチキュウの腕が、しっかりと抱きとめてくれた。

懐かしいいつもの口癖と共に。

「・・・っかえり、」

「は?」

「おかえり、智久・・・!!」

なぜか、俺は無意識にチキュウではなく、智久と呼んでいた。

でも、それだけ言うのが精一杯で、俺は寒くて体がかじかんで、立っていることも出来なかった。

俺の体を抱きとめて支えたまま、チキュウの声が耳元に聞こえた。

「・・・っんで、お前は・・・俺の一番欲しい言葉をくれるんや!?」

チキュウの腕が、俺の体をギュッ・・・と抱きしめたのが分かって、俺もかじかんだ手をチキュウの背中にまわして抱きしめてやりたかったけど、愛想ほどの力しか込められなかった。

それでも。

ろれつの回らない口で、ようやく言った。

「・・・つ、かまえ・・た!も・・う、にげ・・・るな・・・!」

「・・・っ!?アホッ!無茶しよる、冷たい体しやがって!」

体がフワッと持ち上がったような気がしたけれど、覚えているのはそこまでで。

俺はチキュウを捕まえられた安堵感で一気に緊張が解けたのと、骨の髄まで染み入った寒さのせいで、意識が遠のいていった。

 

 

俺は・・・その間、夢を見ていた。

暖かいふわふわした物に包まれて、もの凄く幸せな感じのする夢だった。

額の辺りがくすぐったいような奇妙な感覚と共に目を覚ました俺は、一瞬わが目を疑った。

目の前にチキュウの胸元があって、ふわふわした物はベッドと暖かい毛布で。額がくすぐったかったのは、チキュウの規則正しい寝息がそこにかかって俺の髪をゆらしていたからだった。

おまけに、チキュウの腕がしっかりと背中に回されていて、身動きできない抱き枕状態になっていた!

「う、うそ・・!これ、なんで・・・!?」

驚いた拍子に身じろぎした俺の動きに目を覚ましたのか、チキュウの眠そうな声が頭の上から降ってきた。

「・・・・も・・・さむう・・・ない・・・か?」

「・・・え!?」

その言葉に、俺は今の状況を把握した。

寒さで凍えていた俺をチキュウがあっためてくれていた・・・らしい。

それに、無意識にそうしてしまっていたのだろう自分の手が、チキュウの服の袖をしっかりと握りこんで固まったままになっていた。

「ご、ごめ・・・!俺、無意識に・・・」

意識がなくなる直前、もう二度と離すもんか!と思ったのを覚えている。

それに、頭の芯から足の先まで冷え切ってほとんど感覚がなかったのが嘘のように、体は充分温まっていた。

「・・・ン?・・・・お前・・・・相変わらず・・・ええ根性・・・しとる・・・」

フッ・・・と微かに鼻で笑われて、俺の体温は一気に上昇し、カーッと全身がほてってくるのをどうする事もできなかった。

「ん・・・あったかい・・・もうちょっと・・・・このまま・・・寝させ・・・・て・・・」

再びしっかりと俺の体を抱きこんで、チキュウは本格的に寝入ってしまったようだった。

ドキドキと苦しいくらいに早鐘を打つ心臓を抱えながら、ふと見上げたチキュウの顔は、3ヶ月前と打って変わって肉が削げ落ちて、もともと鋭角的な顔立ちがより一層シャープになって、顔色も悪い。

だけど、その無防備な寝顔は本当に安心しきった子供そのもので。

いつもの、あの、強面の顔つきとはまるで別人だ。

きっとこれを知っているのは俺だけだ・・・!

そう思うと妙に嬉しくて、顔が自然とゆるんできた。

でも。

ハッと、店長から聞いた『妊娠させたのはチキュウの方やないか?』という言葉がよぎって、全身の火照りもドキドキもいっぺんに収まってしまった。

改めてこれが嫉妬だと思い知り、俺は自分が情けなくなった。

信じるどうの以前に俺は、チキュウの事を何も知らないのだから。

どうか、今だけでもチキュウが幸せな夢を見れていますように・・・!

祈るような気持ちで目を閉じた俺は、その、何にも変えがたい暖かい温もりに体を預けて、再び寝入ってしまっていた。

 

 

次に目が覚めた時、チキュウは同じ体勢のまま・・・まだ眠り続けていた。

おそらくは連絡のなかった2日間、ほとんど眠る事も出来なかったのだろう疲労の色が、さっきよりほんの少しだけ回復しているように見えて、ちょっとだけホッとした。

けれど、相変わらずチキュウの腕は俺の背中に回されていて、抜け出すに抜け出せない状況である事に変わりはなかった。

チキュウを起こそうか、どうしようか・・・と、その無邪気な寝顔を見上げていると、不意にその目がパッと開いて、視線があってしまった。

驚いて、真っ赤になった俺を尻目に、チキュウがフワッと笑って、

「おはよーさん・・・」

と、挨拶してきた。

間近に見るその笑顔に、俺は更にも増して体が火照るのを感じながら、

「お、おは・・・よう・・・」

とだけやっと答えて、うつむいてしまった。

「・・・ええなぁ、やっぱ。目が覚めて挨拶出来る相手が居る、いうんは・・・」

その声はあまりに弱弱しくて寂しげで、俺はハッと顔を上げた。

その俺の問うような視線から、スッ・・・と視線をそらして無表情になったチキュウが、俺の体から腕をほどいてムクッと体を起こした。

「・・・俺の理性にかて限度がある。もう、帰れよ」

と呟いて、そのまま背中を向けてベッドから降りようとした。

俺は、そのベッドの上に置かれたチキュウの手を掴んで叫んでいた。

「聞きたい事と言いたい事が山ほどあるって言っただろ!お前、いつから泣いてない!?」

ピクッとチキュウの手が痙攣したように震えて、俺の手を振り払おうとしたけど、俺はその手をしっかり掴んで離さなかった。

その反応が、嶋さんの話を聞いた時から感じていた俺の推測が当たっている気がして、更に言った。

「いつから泣いてないって聞いてんだ!答えろよ!!」

「・・・忘れた」

ボソッ・・・と低く答えたチキュウの背中に、俺はこみ上げてきた怒りをぶつけた。

「なん・・だよ!人には嘘つくな!とか、何で言わへん!って言ってたくせに!自分の事となると何にも言ってくれなくて、何聞いても忘れた、言わへん、って!卑怯だぞっ!チキュウ!それじゃ俺はお前の事何にも分かんないじゃないか!!」

振り向こうともしないチキュウが、背を向けたまま吐き捨てるように言った。

「分からんでええ!!何でそんな事しりたがんねん!?お前かて、他の奴らと一緒・・・」

俺はその言葉を遮った。

「一緒にすんな!!お前こそ、お前の方こそどうなんだよ!?俺は他の奴と一緒だって、本気でそう思ってんのか!?」

「一緒やっ!!」

一瞬、部屋中の空気が冷たくなった気がした。

それぐらいチキュウの拒絶の言葉は激しかった。

だけど。

掴んでいたチキュウの手が、背中が、膝の上に置かれたもう一方の手が、小さく震えていた。

「なら、なんで俺に好きだなんて言った!?何であんなキスなんてしたんだよ!?あれもただの悪ふざけか?誰にでもあんな事すんのかよ!?お前は!?」

「黙れっっ!!」

いきなり体を反転させたチキュウが、掴んでいた俺の手を振り払ったかと思うと、両手で俺の襟首を掴みあげてベッドの上に引き倒した。

「何でお前まで、そないな事言うねん!!」

今にも泣き出しそうな痛々しい表情で言うチキュウの手首を掴んだ俺は、締め上げるその力に抵抗して叫んだ。

「言わせてんのはお前だろ!!人に自分の気持ちも考えてる事も何にも言わない!そんな奴の事なんて誰にも分かんないよ!!そんなんだから、お前のお父さんだって・・・!」

途端にチキュウの顔が苦々しく歪んで、険しさを増した。

「俺の・・おとんがどないしたって!?」

俺は心の奥底で思っていた疑問を投げつけた!

「お前は自分に何も言ってくれなかった、自分を一人ぼっちにして勝手に一人で逝ってしまったお父さんが許せなくて、憎んで、恨んでるんだろ!?それを認めたくなくて・・・」

「だまれっっ!!」

チキュウの震え上がるような怒声と共に、俺の襟首を掴みあげていた両手が一気に俺のシャツを引きちぎるように開いた!

飛び散ったボタンが、床の上に乾いた音を響かせて転がっていく。

息をのんでチキュウを見つめ返した俺の目に、今にも泣き崩れそうな表情が映った。

「だまらな・・・本気でやるぞ!そんくらいの覚悟でここへ来たんやろっ!?」

「やめっ・・・!んっ・・・!!」

噛み付くように乱暴に重ねられた唇は、ただ俺の言葉を封じるための手段としか思えないほど荒々しくて。

開いた胸元をさぐる手つきも、ただ俺の怯えを煽るためだけのものとしか思えない!

俺は悔しくて、チキュウの唇を思い切り噛んでやった。

「っ!?」

目を見開いて顔を背けたチキュウが、口元をぬぐっている。

口の中に広がるチキュウの血の味にゾクッと血の気が引いたけれど、チキュウが唇を離したその隙に、俺は言い放った。

「本当にそう思ってないんなら、恨んでも憎んでもないんなら、やれよっ!!お前が傷つくのを覚悟で言ったんだ!お前が傷ついた分、俺が傷つくのは我慢できるよ!!」

その俺の言葉に、俺の上に馬乗りになって顔を背けていたチキュウの体が、ビクッと止まった。

「認めろよ、自分の心認めなきゃ泣けないだろ?お前以外誰が本気でお父さんのために泣いてやれるんだ!?親が死んで泣かないバカがどこに居るっ!?」

顔を背けて口元を覆っていた腕を伝って、俺のはだけた胸の上に、熱い物がポト・・ッと流れ落ちてきた。

俺はゆっくりと体を起こして、顔を背けたままのチキュウの首に手を廻すと、背けたままの顔を抱きかかえた。

すると、俺の両肩をすがりつくように掴んで、押し殺した嗚咽と共にチキュウが泣き始めた。

多分、お父さんが亡くなって以来流した事がなかったのだろう涙を、ようやく解放して。

俺はチキュウが好きだといってくれた手で、ずっとチキュウの髪をすくようになでていた。

どうやら日が昇り始めたらしい薄明かりが、カーテン越しに部屋の中を満たしていく。

声を殺して泣くチキュウの時折漏れる嗚咽だけが響く部屋の音に、鳥のさえずり声も混ざり始めた。

なんとなく、長い・・・長い・・・夜が明けたような、そんな気がした。

 

 

 

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