ACT 17

 

「・・・なんで、わかったんや?」

俺の両肩を掴んでいたチキュウの手が、スルッ・・と背中に回されて、俺から表情が見えないようにうつむいたまま、肩に頭を押し付けてきた。

その声は、さっきまでの余裕のなかった声とは違い、とても静かで落ち着いていた。

俺はまるで小さな子供をあやす様な気持ちで、チキュウの髪をすき続けていた。

「・・・なんとなく。俺もお前のこと恨んだから。全部一人で背負い込んで、俺に何にも言わせずにさっさと一人で居なくなったお前が許せなくて、責めてばかりいたから」

「・・・そ・・・か」

「でも、どんなに責めたって、どんなに恨んだって、どこにもいけなかった。ただ胸が苦しくなるばっかりで、ぽっかり空いた虚しい穴がお前の形なんだって気がつくまで、どこにもいけなかったんだ・・・」

背中に回されていたチキュウの手に力がこもり、クスクス・・と小さな笑い声が漏れた。

「・・・なんや、ようやく分かった気ぃする。おとんが俺に何も言わんと一人で背負いこんどった理由が・・・。今の俺と一緒やったんやな、ほんまに大事なもんにはかっこ悪いとこ見せたないねん。精一杯、ええカッコしときたかったんやな・・・」

吹っ切れたようにそう言って、チキュウが痛いくらいギュッと俺の体を抱きしめて言った。

「ありがとうな、孝明・・・!お前が俺を待っててくれて『お帰り』言うてくれた時、なんや・・おとんに言われた気ぃした。恨んでた気持ちごと帰って来てええって言われた気がしてん・・・」

その言葉とチキュウの温かな胸の温もりに、俺は居たたまれなくなって無理やり腕を突っ張って体を引き剥がした。

「・・・っんなの、俺じゃなくたって、他の誰だってできる!」

俺の中に空いた穴はチキュウでしか埋まらないけど、チキュウのは俺じゃなくたって埋まる気がして・・・。第一もう、笑いが漏れるほどその穴は埋まっているような気がした。

だったら。

ありがとう・・・なんて言われたくない。

「・・・孝明?」

いきなりの俺の態度豹変に驚いたようなチキュウの声が、どこか・・・遠い。

「・・・これで借りは返したからな。借りっぱなしじゃ気になって帰れないから・・・」

長い、長い夜が明けて、俺もようやく決心がついた。

チキュウが俺の前で泣いてくれた・・・。それだけで、もういい。と、そう思えたから。

「帰る・・!?どこへ!?」

突っ張った俺の腕を取ったチキュウに向い、掴まれた自分の手首を見つめながら、俺の口から抑揚のない言葉が流れ出ていた。

「・・・俺が、その手が嫌いだった所へ」

一瞬目を見開いたチキュウの手に力がこもる。

「・・・そうか。ほな、もう遠慮はいらん、ちゅうことやな?」

「?えん・・・りょ・・・?」

言われた言葉の意味が分からずに問い返した視線の先で、チキュウが俺のケガをした指先に唇を押し当てた。

「チ・・・キュウ!?」

「今度嫌いやとかぬかしたら、俺がもらう!前にそう言うたよな?」

以前と同じからかうような笑いを含んで細められた目が俺を捉えたかと思うと、再び押し倒された。

「っちょっ、お前・・っ女と付き合ってるんじゃないのかよっ!?」

「俺が?なんで?」

あきれたように言い返したチキュウの指先が、俺の指と絡み合う。

「なんで・・・って、」

「ええカッコしいはもうやめや。正直言うと、お前以外に欲情せえへんねん。おかげさまでえらい健全な3ヶ月やったで?仕事と寝る以外何もしてへんくらいにな」

シレッとした顔つきで言うチキュウの目が目の前で優しく細められ、俺の心拍数が一気に跳ね上がる。

「じゃ、じゃ・・殴ったってのは!?」

「半分お前のせい・・・!人が禁欲生活送っとるいうのに、ただ相談されて話しただけの奴と変に勘ぐられて、その上濡れ衣まで着せられたらアホらしくもなるやろ?ま、逃げたんは俺の心の弱さから・・やけどな」

お前のせい・・・!と言われて、俺は抱えていた恨み言を吐き出した。

「なん・・だよっそれ!俺だって、お前のせいでドンだけ悩んだと思ってるんだ!?言いたいことだけ言って、やりたいことだけやって、後は知らん振りかよっ!俺だってこの3ヶ月、超がつくくらい健全な・・・!」

言ってしまってから、しまった!と思ったけど、もう後の祭りだった。

チキュウの顔が、今まで見たことがないくらい嬉しそうに、笑った。

「・・・どうせ恨まれるんやったら、俺以外恨めんように、ここから動けんようにした方がましや。どこにも行くな・・・孝明。お前以外の奴に捕まる気はないんやから・・・」

俺はその笑顔から視線が外せなくて、何だかこの笑顔を見続ける事が出来るなら、もう何もいらない・・・と思った。

「・・・笑ってろ、そうやってずっと。お前が笑ってると、嬉しい・・から・・・」

見上げていたはずのチキュウの笑顔が歪んで、はっきりと見えなくなった。

「・・・アホ。何で泣くんや?」

「知るかっ!お前のせいだ!お前以外の奴の前で泣くなっ・・・て、言ったじゃない・・・かっ・・・!」

何で泣いてるのか、自分でも分からなかった。

ただ、本当に嬉しかったのだ。

豊福に見せた笑顔よりも、他の誰にも見せた事がないほどの最高の笑顔を、俺にくれたから。

ほほを伝って落ちていく涙をチキュウの唇がぬぐっていく。

もう、以前に感じた恥かしさとか、悔しさとか、恐怖とか・・・そんな物どこかに吹き飛んでいた。

見上げたチキュウの顔が、ドキッとするくらい艶めかしくて・・・絡めた指の感触が心地良かった。

顔中に余す所なく降らされたくすぐったいキスの後、重ねられた唇はさっきみたいに乱暴じゃなく、最初の貪るようなキスでもなくて・・・お互いに求め合うキスで。

「・・・んっ・・・はぁ・・・っ」

お互いの唾液で濡れた唇がようやく離れた時漏れた吐息は、これが自分の声かと思うほど甘くて、それだけで全身が火照ってきた。

解かれたチキュウの指先が、熱を帯びた舌先が、全身を余す所なく撫で上げて這い回り、もう充分明るくなった部屋の中でビクビク跳ねる自分の体が異様に白く見えて、魚みたいだ。

「・・チ・・・キュウ・・・ッ!も・・・や・・・」

一際大きく跳ねて、砕けた波のようにチキュウの手の中で欲情を放った俺を、自分の体で支えるように抱きかかえたチキュウの指先がゆっくりと俺の中を解きほぐしていく。

それはまるで波打ち際に寄せては返す波が足元の砂をさらっていく感触に似て・・・捉えどころがなくてむずがゆい。

ときどき背中を駆け上がっていく電気にも似た刺激に耐えかねて、思わず肩に爪を立てた。

「・・・っんん!そ・・こ、や・・っ!チキュウ・・・っ!」

チキュウの首筋に噛み付く様に言った俺の耳元に、今まで聞いた事がないくらい甘い声が囁かれる。

「・・・名前、呼んでんか・・?」

切望するように、請うように、注がれたその言葉と吐息の熱さに、体の火照りが一気に増す。

「・・・呼んで、いい・・のっ・・?」

物足りなさを感じ始めて浮いた腰ごと冷えたシーツに押し付けられて、温もりを求めるようにチキュウの顔を引き寄せた

「・・・呼んでええ。孝明以外に呼ばれたくないんや・・・」

耳たぶを甘噛みされながら囁かれ・・・その刺激と言葉に全身に震えが走る。

それと同時に押し当てられた熱い質量に、ヒッッと喉が鳴った。

「呼んでくれへんの・・?」

続けざまに加えられた刺激とその切なげな声に、俺はありったけの思いを込めて呼んだ。

「・・・とも・・ひさっ!」』

充分時間をかけて慣らされ、じらされるような感覚のあった場所に収まった熱い智久の欲情が、呼んだ声に反応してドクン・・と震えたのが嬉しくて、俺はそれから何度も何度も智久の名を呼んだ。

波間を飛び交う魚のように跳ねる俺の腰を、まるで大きなうねりが飛び交う魚を包み込むように智久が抱きしめてくれて。

俺たちは、幾度となく求め合って、果てて・・・。

最後は深海へと沈み込むように、意識を沈ませた。

俺の智久を呼ぶ声と、微かに聞こえる遠い波打ち際の音が混ざり合って・・・。

智久となら、限りなく続く海原をどこまででもいける気がした。

 

 

 

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