ACT 4

 

それから3ヶ月くらいたって俺も仕事に慣れ、店のバイトの子達の名前や顔を一通り覚えた頃。

生地丸めと簡単な成型しかしていなかった俺に、嶋さんからリバース・シーターという、クロワッサン等の油脂を何層にも折り込んでいく機械の担当を命じられた。

嶋さんがいつもやっているのを見ていた時は、とても簡単そうにやっていて・・・

こんなの、楽勝だ・・・!

と、密かに思っていたのだが実際にやってみると、大変な作業だった。

嶋さんは俺よりちょっと身長が低くて、ちょうど腰の辺りに機械の作業台が来る。

冷蔵されて、ほぼ同じ硬さになっているクロワッサン用の生地と、シート状のバターを重ねて機械に通し、薄く延ばしながら折りたたんでまた伸ばし・・・・

と、同じことを何度も繰り返してバターの層を作っていく。

こう言ってしまえば簡単そうなのだが、最初の冷蔵庫から出したてのバターと生地は、予想以上に硬くて機械に通す前に、自分の手で均等に平たく伸ばしてやらなければならない。

これが、難関だったのだ!

嶋さんが腰の辺りにある生地を、グンッ・・!!と、体重をかけて押すと見事に生地とバターが均等に伸ばされて、あっという間に機械を通るほどの厚みに伸びていく。

・・・が、

俺は嶋さんよりやり易いはずの、少し高めの位置から体重をかけているにもかかわらず、全然伸びないのだ。

「・・・嘘だ、なんで!?」

愕然とする俺を、嶋さんが笑いをかみ殺しながら見て言った。

「・・そりゃ、山ちゃん体重もちゃうし、それに何より筋力の差!やな!!」

そして、おもむろに腕の裾を捲り上げた。

「・・・うっ!!た、確かに!」

そう、呻かずにいられないほど嶋さんの腕は俺の2倍くらい太くて、筋肉が見事に盛り上がっている!

「ま、俺の場合、学生の時から空手やったりしとったせいもあるけど、ベーカリーの仕事しとったら、そのうち山ちゃんも筋肉付いてくるから安心せえ!仕込みやら釜場の鉄板掃除やらやり始めたら、毎日が筋トレしてるみたいなもんやで?なあ、チキュウ?」

ちょうど1階の粉置き場から、粉袋を2袋も肩に乗せて2階に上がってきたチキュウに、嶋さんが聞く。

「粉1袋担ぐのでヒィヒィ言ってる奴やから、見通し暗いんちゃいますか?」

こともなげにそう言って、当たり前のように粉袋を下ろすチキュウに、俺は負け惜しみの言葉すら言えなくなった。

(こ、こいつっ!あの粉1袋で25キロだぞ!?それを2袋だぁ?50キロだぞ!?50キロ!!し、信じらんねぇっっ!!)

ここまで体力、筋力差を見せつけられては反論の余地もなく、スゴスゴと引き下がった俺は全体重を乗っけるように、ピョンピョン飛びながら作業を続けるしかなかった。

・・・がっ!!

「・・・く、くくくっ!や、山ちゃんっ!!それ、反則やで!?後ろから見とったら、ウサギが跳ねとるみたいで・・・!か、可愛らしゅうて・・可愛らしゅうて・・・!!あかんっっ!!ツボにはまったっ!!く、苦しいっっ!!」

と、嶋さんが後ろで大爆笑しながら逃げるように下に降りて行った!

「し、嶋さんっっ!!」

俺の怒声が響き渡るすぐ横で、チキュウも肩を震わせて笑いを堪えている!

「おまえまでっ!!人が一生懸命やってんのがそんなに可笑しいかよっ!!ああっっ!!もうっ!あったまきたっっ!!」

悔しさと恥かしさで真っ赤になった俺を見たチキュウが、急に真面目な顔つきになって言った。

「・・・悪い。別にからかって笑ったんやない。ただ本当に可愛い・・・や、のーて、別のやり方教えたるわ。そうピョンピョン跳ばれたら、俺も嶋さんも仕事できへん」

「別のやり方・・・?」

チキュウの言い方にまだちょっとムカッ!ムカッ!としながらも、素直にその方法を教えてもらう方がましだと判断した。

思いきり、ムッ!!とはしたものの・・・自分でもこれではウサギじゃないかと心の中では思っていたし、作業効率が全く上がらなかったからだ。

チキュウは、生地とバターを別々にして、ある程度薄くなるまでそれぞれを伸ばした。

「え!?バ、バターも伸ばすのか!?」

「アホッ!バターの方が硬うて伸びにくいんや。けど、お前手先器用やから大丈夫や。これやったら、手で伸ばさんでも機械通るやろ?」

「あ・・っ!本当だ!でも、何でお前がこんなやり方知ってんの?」

「・・・アホ。俺かて最初からこんな筋力なかったわ。始めから出来る奴なんて誰もおらへん。力の無いうちは無いなりに工夫して、人の倍手間のかかる事でもやっていかなな。そのうち慣れたらスピードも大して変わらんなる。後は作業手順と効率化や。後でお前に合うた手順、一緒に考えたるから、さっさとそれ終わらせてしまえ!」

俺はその言葉がにわかに信じられなくて・・・

「嘘・・・!この手が初め力が無かったって!?信じられない、絶対、嘘だっ!!」

マジマジと、チキュウのキレイに筋肉の張った腕と頑丈そうな手を見つめた。

「あのなぁ・・・俺かてこの仕事始めた頃は・・・・」

言いかけたチキュウが、ハッとしたように表情を強張らせて黙り込んだ。

「・・・?なん・・・だよ?そういえば、チキュウっていくつの時からこの仕事してんの?高校出てからか?」

何の気なしに問いかけた俺に、チキュウが急に不機嫌になって言い捨てた。

「・・・忘れた。そんなつまらん話する暇あったら、さっさとやってしまえ!」

その、いきなりの態度豹変に、俺は興味をそそられて更に聞いた。

「忘れた・・・って、んな事あるわけ・・・・」

「っ、るっさいわっ!だいたい、お前が自覚もなしにそういう目に付くような事するからや!アホッ!」

「な・・・っ!?何だよ、それ!?目に付くような事って!?」

言った途端、チキュウの口元にニッ・・と笑みが浮かび、いきなり俺の腰に手を廻して、イッと自分の方に引き寄せた!

「なっ!?何す・・・!?離せっっ!!」

驚いて、反射的にチキュウの胸板に手を押し当てて突っ張る俺の耳元に顔を寄せ、囁くようにこう言ったのだ

「こういう風に抱き寄せんのにちょうどええ具合の色っぽい腰やな・・いう風に目に付く、言うてんねん!自覚なしのオオボケ孝明!」

「っ!?な、なな何言ってんだっ!?お前っ!?」

思いもかけない言葉に、真っ赤になって慌てふためいている俺を尻目に、チキュウがスッ・・と手を離して、腹を抱えて笑い出した。

「あははは・・・っくくく!お・・まえ、ほんっとに素直な反応すんな!か、可愛すぎっ!!」P>

そのチキュウの態度に、俺は本当に頭がクラクラするほど頭に血が上り、叫んだ!

「ふざけんのもたいがいにしろっ!!もう、絶対お前の言う事なんか聞かないからなっ!この、根性最悪最低ヤローッ!!」

頭に血がのぼり過ぎてゼイゼイと息巻く俺を、チキュウが笑いすぎて涙さえ浮かんだ目で見上げて言った。

「悪かったって!ほんまにゴメン。謝るからさっきのやり方でやれよ、孝明!これからの時期その仕事増えてくんで?効率ようやっていかな体もたへんやろ?お前、自分の事となると全然無頓着やから・・・無理せんとやれよ」

もっとからかわれるかと思っていたチキュウの口から拍子抜けするほどあっさりと謝られた上、自分の体のことまで?

「なに?急に?ひょっとして、俺の事心配してくれてんの!?」

お返しとばかりに、からかい半分に言った言葉に、チキュウが立ち上がりながら一瞬押し黙り・・・目元がピクッと、微かに動く。

こういう反応の時は、それが図星である!

という事が、俺にも最近分かるようになってきていた。(・・・と、いってもその反応は本当に一瞬の表情の変化なのだが)

「ちゃうわっ!!アホッ!!俺はケガの事いっとるんや!」

図星を指された事をごまかす様に、急に不機嫌そうな顔つきになったチキュウが、クルッと反転してミキサーの掃除を始めた。

「ケガ!?あ・・・そういえば、最近スライサーで指切ったり、包丁で指切ったり・・ケガ人続出とかって、店長がぼやいてたやつか!?」

俺も作業を再開しつつ・・・チキュウの背中に問いかけた。

「ケガ人出ると、部長や課長に管理能力がどーのって、いろいろ言われんねん。それにな、そういう事故が起きる時って不思議と連鎖反応みたいに続くもんなんや。特にお前みたいに仕事に慣れて、新しい機械にも慣れてきた頃にようやりよる」

「あーー・・・なんかそれ、経験者は語るって感じだな?」

「まぁな。俺も指落としかけたことあるし・・・」

「っ!?げっ!?マジで?!」

思わず作業を中断して振返ってチキュウを見ると、ミキサーのフックに手をかけてコンコンと叩いている。

「仕込み始めた頃にミキサー・ボールに頭突っ込みすぎて、こいつに思いきり頭殴られた事もあったっけ」

「・・・いっ!?そ、それって・・かなり痛そうだぞ!?」

「そーやな・・確か、痛すぎて横になって寝れへんかったっけ・・・」

言いながら、チキュウの手が無意識に後頭部を探っている。

どうやらその辺に傷跡が残っているらしい・・・。

「聞いてたら怖くなってきた・・・」

本当に背筋がゾッ・・としてきて、俺は一瞬身を震わせた。

どうも昔から血を見たり、痛そうなのは大の苦手なのだ。

「怖い思てるうちはケガせえへん。せいぜい、怖がっとけ!」

「ほんっとにそこ意地悪いよな!チキュウって!」

さっきの事といい・・・決して悪い奴ではないのだが、どうもチキュウは俺をからかって面白がってる節があって釈然としない。

「意地悪・・!?アホぬかせ!俺の優しさが分からん孝明がボケとんねん。突っ込んだら、突っ込み返すくらいの事してみんかい!」

「悪かったな!どーせ俺はノリの悪い田舎者だよ!言っとくけど、関西人のボケと突っ込みは、未だに理解できないっ!!」

「そうかぁ?お前、かなりの天然ボケやと俺は思てるけど?」

「あーーーっ!もういいっ!!どうせ俺はオオボケの、天然だよっ!!」

言い返しながら・・・最近ようやく、こういう他愛の無い会話が出来るようになって内心嬉しかった。

最初の頃は怒鳴られてばかりで、ろくすっぽ会話などという物が成立していなかった事を思えば、今はかなりいい状況のように思われた。

・・・でも、

こうした気の緩みと、仕事上でも怒鳴られる事が減ってきた事が、確かに俺の中で”慣れ”となってきていたのは明白で。

この時のチキュウの忠告も、いつの間にかはぐらかされていたチキュウの昔話も、俺は全く気にかけてなどいなかった。

それが後になって、後悔しても仕切れないことになろうとは・・・この時の俺には、まだ全然分かっていなかったのだ。

 

 

 

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