ACT 5

 

チキュウの言ったとおり、俺の担当になった折り込み作業はにわかに忙しさを増した。

折からの『ミニクロワッサン・ブーム』のせいだ。

まだスピードの追いつけない俺は、休憩時間もそこそこに・・・毎日時間に追われるように仕事をこなしていた。

週に一度の休みの日は、本当に疲れきって泥のようにひたすら眠る・・・。

そんな日々が続いていたある日。

チキュウが珍しく風邪で熱を出して休んだ。

その休み交代などがあって、俺は10日間ぶっ続けで仕事をし、次の日から待望の2連休!という日の朝だった。

「孝明・・・お前、大丈夫か!?今日でぶっ続け10日目だろ?」

朝一番に顔を合わせたチキュウが、珍しく真剣な表情で俺に聞いてきた。

「あ・・・?そうだっけ?大丈夫!明日から連休だし。ゆっくり眠れると思ったら、そっちの方が楽しみだ」

「・・・なら、ええけど。風邪引いて休んだん俺やし・・・迷惑かけてすまんかったな・・・」

チキュウは口は悪くて悪ぶってはいるが、本当はもの凄く人に気を使っていて優しい奴なんだという事に気づき始めていた俺は、慌てて気にすんなよ!と、笑顔で言い返した。

寝起きのボーッととした頭で着替えていた俺は、ふと気がついて言った。

「あれ・・・?チキュウって、前、風邪引いて休んでからずっと休んでないよな?俺の連休の後に休みだったから・・・そしたら12連ちゃんになるじゃないか!」

「ああ・・・?俺はいいんや。それくらい慣れとるから。あのなっ!お前人の事より自分の事考えとけ!アホッ!!ただでさえ、体力なさそーなくせしやがって!!」

こういう風に一言多いのさえなければ・・・俺だって、憎まれ口を叩かずにすむのだが。

「しょーがないだろっ!太れないのも、色白なのも生まれつきだっ!!見た目で判断すんなっ!!」

「そないに言うんやったら、明日も仕事したらどないやねんっ!?」

「・・・うっ!そ、それは・・・遠慮しとく・・・」

思わず、本音が口をついて出た。

実際、そろそろ休まないとオーバーヒート気味だと、しみじみ感じていただけに・・・チキュウのあまりに的確な指摘が不思議でならなかった。

よっぽど疲れた顔をしているのかと・・・マジマジと鏡を見たが、毎日見慣れた同じ顔がそこにあるだけで、自分ではさっぱり分からなかった。

いつものように朝一番に成型する菓子パン類の生地を、リバースに通して成型しやすいように薄く伸ばしていく。

つい、めんどくさくて・・・もっと薄く伸ばさないといけない物までその前と同じ厚みのまま、手元も見ずに続けて生地を突っ込んでいた時、少しつっかえた生地を、何の気なしにグイッ・・と、押し込んだ瞬間、

その右手の中指と人差し指が・・・一瞬、ズルッ・・!と、機械のローラーの中に引きずり込まれ・・・

『ッガンッッ!!』

と、機械が不気味な音を響かせた!

俺は反射的に手を引っこ抜き、幸いにも・・・

ズル・・・ッ

という、何ともいえない感触と共に・・・抜けた!!

事故とは・・・ほんの一瞬の魔の時間・・・だということが、本当にそのとおりだと、その時思い知った気がする。

「孝明っっ!?」

引っこ抜いた手を左手でギュッと覆い隠した俺に、チキュウがまるで飛び掛るように両肩を引っつかんで、自分の方に振り向かせた。

「お前っ!今!?こ・・のっ!アホッッ!!せやから言うたのに・・・っ!!」

真っ青になって右手をギュッと左手で覆い隠して立ち尽くす俺を尻目に・・・チキュウがオーブン前の方に居た店長に向かって叫んだ。

「店長!孝明の奴がやりおった!今日の外科の救急病院、電話で調べてんか!?」

「なにっ!?わ、わかったっ!!」

こっちの様子を一目で見て取った店長が、慌てて電話に飛びついている。

その日は、嶋さんが休みの日で、俺とチキュウと店長の3人だけ・・・しかも、時刻は朝の5時を少し廻ったばかりのところだった。

真っ青になりながら俺の口から出た言葉は・・・

「ご・・・めん。ごめん・・な・・さい。ケガ・・・気をつけろって言われてたのに・・・。店長も、チキュウも、また・・上から怒られる・・・」

・・・それ以外何も思い浮かばなかった。

「このっっドアホッ!!こんな時に何の心配しとんねんっ!?んな事より、それ、見せてみ!そないにギュッと握っとたら、ケガの様子が分からへんやろ!?」

チキュウが、それまでにない、本気で怒った声で怒鳴りながら、俺の握り締めた手に、指をかける。

俺は反射的にそれを拒否して、握りしめた両手を自分の胸の方へ引き寄せた。

「やっ・・・!いやだっ!!見んの、怖いっっ!!」

「怖い・・・?って、お前な・・!!」

再び手を伸ばしかけたチキュウが、俺の本当に心底怯えきった表情を見て取ったのか・・・途中でその手を下ろすと、屈みこんでその握りしめた両手の様子を下から凝視している。

「・・・血、まだちょっとしか出てへんな。ほな、そのまま抑えて止血しとけ。多分、その手離したらぎょうさん血ぃ出てくるわ」

「・・・う、わ・・かった・・・」

「とりあえず下の机のとこで座っとけ。ああ・・その手、心臓より上に上げとけよ。下に下ろしたら余計に出血する」

「こ、このままで大丈夫、かな?」

俺は胸の前で、まるで祈るようにギュッと硬く握りしめた両手を見ることも出来ず、すがるような目でチキュウに聞いた。

「ああ・・そのままそこで握っとけ。腕曲げとったほうが血も出にくいやろし。ほら、歩けるか?」

チキュウは、俺のそのかたくなな拒否の態度を怒りもせず、本当に心配そうに肩に手を置いて、1階の事務処理用の机の所まで連れて行き、椅子に座らせてくれた。

「チキュウ!今日の救急、私立中央病院だと!どうする?救急車に来てもらうか?」

2階のところで電話をしていた店長が、上から俺たちの様子を覗き込んで言った。

「そこやったら場所知ってるし、俺、車やからこいつ連れて行ってきますわ。嶋さんと部長に連絡して、応援廻してもらって下さい!」

「わかった!気をつけて行けよ!」

そう言って、ヒョイッと顔を引っ込めた店長に、俺は慌てて言った。

「そ、そんな・・・!俺一人でタクシーででも行きますよ!皆に迷惑・・・」

言いかけた俺を、チキュウが本当に、ビックリするぐらい怒った目で睨みつけて言った。

「えーかげんにせいっ!!人の心配する暇あったら、自分の手の心配せえよっ!!今は感覚麻痺してるかしらへんけど、早せな我慢できへんぐらいの痛みになんねん!ケガしたとこもまともに見れんような奴が、知った風な口きくんやないでっ!!」

「ッ・・・!!」

俺はその迫力に思わず絶句して、大人しくチキュウの指示通り車に乗り、病院へ向かった。

その病院へ着くまでの間、チキュウは本当に怒ったような顔つきで俺と一言も口をきかなかった。

俺もだんだんと増してきた傷の痛みと恐ろしさで、一言も喋れなかった。

病院で治療している間も、俺は怖くてケガをしている所をまともに見る事ができなかった。

医者の説明によると、右手の中指と人差し指の先端の皮膚がズル剥けになって、爪ごと落ちかかっており、指先が一部潰れているという事だった。

とりあえず、皮膚が再生するまで消毒して化膿しないようにするしかない・・・と言い渡された。

念のため、骨折がないかどうかレントゲンを撮って貰って治療室を出ると、外の長椅子で、チキュウが座って待っていた。

「チ・・・チキュウ!?待ってたのか!?」

「あたりまえやろ!こっからどないして帰るつもりやねん!?」

「・・・あ!そう・・・か!」

マヌケな答えを返す俺に、チキュウが心底ホッとしたように、ため息をもらしつつ言った。

「・・・ま、とりあえず、それぐらいですんでよかったわ。お前、指細いから抜けたんやろな。あれでそのまま巻き込まれてたら、完璧にいってもうて、使われへんようになっとったで?」

「う・・・・っ」

どうやら俺がレントゲンを撮っている間に、先生に症状を聞いたらしい。

言われて改めて背筋がゾッとした。

たまたま大きめの目盛りでやっていたから抜けたのだろう。

もしも・・・もっと目盛りを下げてやっていたら、確実に巻き込まれて俺の右手はもっとグチャグチャに潰されていたかもしれない。

(・・・罰が当たったのかな?)

一瞬、そんな考えがよぎって、俺はブンブンと頭を振った。

親の期待も思いも友達も・・・皆、俺に裏切られたと・・・そう、言っていた。

そう思われても仕方のない状況だったから、それを否定する気はなかったけれど、そのせいでこうなったなんて・・・思いたくもなかった。

「・・・おい?ほんまに大丈夫か?」

多分、俺の顔が本当に情けなくなっていたのだろう・・・チキュウが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

俺は慌てて笑顔を取り繕って、大丈夫!と笑って言えた。

お金の事も何も考えてなかった俺は、財布すら持ってきておらず・・・チキュウに治療費を貸してもらって再び車に乗り込んだ。

「か・・重ね重ね申し訳ない。店に帰ったらすぐに返すから・・・!」

「アホ!んな事心配すんな!それより、手はどないや?痛ないか?」

「あ・・うん、今のとこ全然痛くない」

「痛み止め打ってもらっとるからな。それが切れたらかなり痛なんで?ちゃんと時間ごとに薬飲めよ。なんかあったら俺んとこに電話して来い。後で番号教えたるから・・・」

俺は驚いて、チキュウの横顔をマジマジと見つめた。

そんな風に言われたのも意外だったが、何より、その声が・・・今まで聞いた事がないほど、優しかったのだ!

「・・・なんや?どないした?どっか痛いんか?」

俺が驚いて黙り込んだのを痛みのせいだと思ったのか、チキュウが慌てたように聞いてきた。

『ち、違う!なんていうか・・・その、びっくりして。チキュウがそんな風に心配してくれるのが・・・」

「なに言うとんねん!?当たり前やろ!と、言うよりも、お前が自分の事心配しなさ過ぎなんやっ!そんな奴、放っておけるか!!ケガした時くらい、人の事より自分の事を心配せえよっ!ほんまにお前はアホなんやから!」

「で、でも、こんなケガしたの俺のせいだし・・・また管理能力がどーのって、部長や課長にチキュウが怒られる・・・」

「あーーーーっっ!!もうっっ!!」

チキュウがバンッと、窓に向かって拳をぶつけ・・・一瞬、俺のほうを睨みつけた。

「そういうところが腹立つ言うとんねん!やっぱ無理してでもお前休ましときゃよかった!俺の判断ミスやし、風邪引いて休んだ俺が悪いねん!お前、ここんと食欲なかったし、ボーッとしてる時多なっとたから、心配はしとってん!ああ・・クソッ!一生の不覚やっ!!」

「え・・・?そ、そうだったっけ?」

「見とったら分かるやろ、普通!自覚してへんのはお前だけや!ほんまにオオボケの天然もんやねんから!そんなんやから、せっかくのキレイな指、傷もんにすんねん!もっと自分の体、大事にせえよっ!!」

そのチキュウの言葉を聞いていて、心配してくれるのはありがたかったが、なんでそこまで言われなければならないのか・・・!?

ちょっと理不尽な気がして、ムッとしてきた。

「なにもそこまで言わなくてもいいじゃないか!俺だって、自分の体のことぐらい自分で分かる・・・」/P>

「分かってへんから、そうなったんやろっ!?」

一喝されて、俺は更にムッとしたが、返す言葉が見つからず・・・ジッと自分の、包帯でグルグル巻きにされた右手を見つめた。

(爪ごと皮膚がとれかけて、潰れちゃったのか・・・)

一瞬だけ見た指先は血まみれで、それ以上怖くて見ることができなかった。

フ・・・と、ケガをしていない方の左手を見て、改めてチキュウの言うとおり自分でもキレイな指だと納得する。

(・・・そういえばチキュウにまともに誉められたの、この指くらいだったっけ・・・)

今更ながら怒られてばかりで、一度もまともに誉められた事がないことに気づき、俺は急に悲しくなってきた。

(この指・・・もう、もとに戻らないよな?潰れて、醜い手になって・・・そうなったらチキュウも、こんな指になった俺の事なんて・・・)

そう、思ったら・・・急に目頭が熱くなってきて、ポロッ・・と、涙が一粒だけこぼれてしまった。

「た・・・孝明!?痛いんかっ!?」

それに目ざとく気づいたチキュウが、心底心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

「バ・・・ッ!?前見て運転しろっ!!」

俺は慌ててチキュウの顔を押しのけて、反対側の窓のほうへ顔を背けた。

背け際にグイッと涙をぬぐって、自分に向かって叫んでいた。

(なにやってんだっ!何があっても泣かないって決めて来ただろっ!!自分のせいでこうなったんだ!これ以上周りの人に迷惑かけらんないだろ!しっかりしろっっ!!)

一瞬、ギュッと目を固く閉じて、無理やりに涙を引っ込ませると、俺は何事もなかったような笑顔を貼り付けて、チキュウに言った。

「・・・なんでもない!大丈夫、全然痛くないから!」

その俺の顔を見つめるチキュウの顔に、何ともいえない怪訝な表情が浮かんでいたが・・・

「・・・・・・そうか、」

と、言ったきり、喋らなくなった。

その横顔は何だか、怒っているような・・・不機嫌そうな顔をしていた。

 

 

 

 

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