ACT 8
麻酔をしてから3時間くらいたち麻酔の効果が切れてくると、本当にめちゃくちゃ痛みが増してきた。
痛み止めの薬をちゃんと飲んでいたのに、そんな物なんの役に立ってるんだっ!?
と、疑ってしまうくらい痛かった。
「爪はがしの拷問って相当に効果あるなぁ・・・こりゃ」
呻くように呟きながら俺は文字通り、ベッドの上で七転八倒していた。
あまりの痛さに、もう一度痛み止めの薬を飲んで・・・しばらくするとようやく痛みが和らいで、少しウトウトと眠る事が出来た。
何かがずっと遠くで鳴っているなぁ・・・と思って、ハッと目を覚ますと、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いていた。
相手が誰か・・・見なくても分かっている。
今の俺に電話をかけてくる奴なんて、チキュウ以外居ないのだから。
俺は電話に出る気はさらさらなくて、なるべく聞こえないように頭から布団をかぶって耳を塞いだ。
それでもやっぱり微かに音は聞こえてきて、20分以上たっても止まる気配が無かった。
留守電を止めていたから、こちらが出るか相手が切るまでその音は止まない・・という事に気づき、俺は思わずわが身を呪った。
それでもケガの痛みがもっとひどければ、それを理由に俺は頑として電話に出なかっただろう。
なのに。
そんな時に限って薬がよく効いているらしく、痛みもすっかり和らいでいたのだ。
俺はとうとうその音のうるささに耐え切れなくなり、観念して電話を取った。
電話に出た途端。
「33分!!」
と、めちゃくちゃ不機嫌な声が告げた。
「・・・え?」
「33分っ!!いーかげん聞き飽きたわっ!!なにがうれしゅーて電話の呼び出し音聞き続けなあかんのや!?何で出ぇへんねんっ!?」
「そ、そんなに!?」
「そんなに?やと!?その前に10分くらい玄関のドアホン鳴らしとったわっ!!はよ、ここ開けろっ!!開けへんかったら・・・」
突然、玄関のドアが、ガンッッ!!と不気味な音をたてた。
「ご近所さんへの迷惑顧みず、このドア叩きまくるぞ!それでもええんかっ!?」
「ッ!!」
俺は思わず息を呑んだ。
声の調子からチキュウが本気なのが伝わってくる。
絶対に、絶対に開けたくなかったが、開けなかったら?
開けなかったら、チキュウは本当にドアがボコボコになるまで叩き続けるだろう。
例え自分の手がどんなに傷ついてもおかまいなく・・・。
あいつは俺の手がキレイだって言ったけど、俺からしたらチキュウの手の方が何倍もキレイで、言ってみれば俺の理想。
その手が自分のせいで傷つくなんて・・・!絶対、嫌だった。
「・・・分かった、開けるよ」
俺はピッと電話を切ると、飲みすぎた薬のせいだろう・・・泥のように重い体を引きずるように、ドアを開けた。
それでも俺は、最後の抵抗とばかりに下を向いて、チキュウと目を合わさなかった。
「・・・なに?」
俺は、チキュウのよく履きこまれたスニーカーの先を見つめながら聞いた。
「なに?やて?」
チキュウの怒りを含んだ声が頭の上から降り注いだかと思うと、いきなりチキュウの足が靴を脱ぎ散らかして勝手に部屋へ入り込んだ。
驚いて顔を上げ、その背中を追うと、テーブルの前にドスンッと勢いよく胡坐をかいて座り込み、
「いつまでつっ立っとんねん!?お前の部屋やろが!そっち座れっ!!」
と、背中を向けたままイライラと叫んだ。
俺は仕方なくチキュウの横を通ってテーブルの向かい側へ行こうとしたのだが、ケガをしている方の右腕の肘を掴まれて、チキュウのすぐ横に無理やり座らされてしまった。
「い、痛いってっ!!チキュウ!!離せよっ!!」
俺の知る限り、チキュウは絶対に相手の弱いトコや欠点を攻撃するような事はしない。
それを今、あえてケガをしている方の右腕を掴んだという事は、それだけ本気でチキュウが怒っているという事で・・・俺は全身の血の気がサーーと引いていくのを感じていた。
「離してほしいんやったら俺の目、ちゃんと見て言えっ!!何で目ぇ合わせへんねんっ!?」
俺はその時まだ掴まれた右腕を見つめてうつむいていて、決してチキュウと目を合わせようとしていなかった。
「・・・じゃ、掴んでれば?どんなに痛くても我慢す・・・!?」
いきなりチキュウの手が俺の顎を掴んで上向かせたかと思うと、至近距離で俺の目をチキュウが捉え、俺はとっさに逃げる事が出来ずにとうとう、そのチキュウの目を見てしまった。
その目は思っていた通り、決して怒っているわけではなく俺のことを心底心配してくれている・・・今の俺が一番求めていて、一番見たくなかった、一番恐れていた目をしていた。
「・・・言えっ!!俺になに隠しとんねんっ!?」
俺はその目から逃れられなくて、とうとう湧き上がってくる涙を止める事が出来なかった。
「・・・爪、もう生えてこないかもしんない・・・って。なあ、チキュウ?爪のない指ってどんなだと思う?俺、全然想像できなくて、考えられなくて!不安で・・!」
もう、その後はこみ上げてきた嗚咽で言葉にならなかった。
チキュウが掴んでいた右腕をソッと離して、俺の顔を自分の胸に押し当てて背中をゆっくりとさすってくれた。
そして、チキュウは何も言わなかった。
「・・・な・・んで、何にも言わない・・・んだよっ・・!!」
こみ上げてくる嗚咽の間から耐え切れずに問いかけると、
「・・・今、孝明がもたれてんのは壁やから。壁は何も言わへんし何も聞いてへん。お前が泣いてんのも見えてへん」
と、言ったのだ!
その言葉に、俺はこみ上げてきつつあった感情を抑える事が出来なくて。
左手で思いきりチキュウの腕を掴んで、初めて大声で泣く事が出来た。
涙も、貯め込んでいた物全部流しつくしたんじゃないかと思うほど、枯れ果てるまで流して。
頭の芯がボウッ・・として、何も考えられなくなるまで泣いた後、俺は知らないうちに今まで誰にも言わなかった・・・言えなかった事を喋り始めていた。
「・・・ちっちゃい頃からずっとさ、”お前はいい子だね””自慢の息子だよ”って言われて、それが当たり前で、いつの間にかそうしなきゃ・・って思うようになってたんだ。大学もさ、先生の言われるままに推薦入試受けて合格してさ、一年の夏くらいだったかなぁ・・・パン屋の人と仲良くなってさ。時々バイトしたりしてるうちに気がついちゃったんだ。ああ、これが俺のやりたかった事だって。だけど・・・」
俺は震える声を抑えるように、大きく息をついた。
「だけど誰にも言えなくて、ずっと悩んでた。このままでいいのか?って。ホントの俺がやりたい事はこんなんじゃないだろ?って。就職も親戚のコネとかで勝手に決められそうになって、我慢できなくなった。初めて親と大喧嘩して、挙句の果てに勘当されて・・・こっちに出てきたんだ」
もう一度大きく息をついて、チキュウの腕を掴んでいた左手に力を込めた。
「だから!決めてきたんだ!!絶対、弱音は吐かないってっ!!絶対、泣くもんかっ!て。絶対、なにがあっても笑っててやるって!なのにっ!!おい、壁っ!!お前のせいだ!お前のせいで・・・泣いちゃったじゃないか!責任取れよ!お前のせいだぞっ!!」
俺の叫びを無言で聞きつつ背中をさすっていたチキュウの手が、ソッと俺の右手に添えられた。
「・・・な?爪、無くてもこの指キレイやと俺は思うで?なあ、知ってたか?俺な、お前のこの手に半分嫉妬してたんや。お前、全然ど素人のくせに妙に生地の扱い方とか心得てて、仕上がりもキレイやった。折込みにしたってそうや。悔しいけど、お前はほんまにキレイに仕上げよる。俺は、ほんまにこの手が好きやで?」
そのチキュウの言葉はビックリするぐらい優しくて。
その上、俺の手にチキュウが嫉妬してたって!?
信じられなくて俺は思わず叫んでいた。
「う、嘘つけ!俺はこの手が大嫌いだった!!小さい時から女の子みたいだの、男のくせに気持ち悪いだの言われて、ずっと嫌いで・・・!」
その言葉を遮るように、チキュウが俺の右手を掴んで自分の頬に押し当てながら言った。
「せやったら、この手、俺にくれ。お前が嫌い言うんやったら俺がもらう。俺はこの手が好きやから。せやから俺がもらう。ええか?」
俺は驚いて顔を上げた。
その目の前で、チキュウが俺の包帯の巻かれた手の甲に唇を押し当てて、俺の顔を笑って見ていた!
(や、やっぱり、あの時キスしてたのは思い違いじゃない!?)
「な、何してんだよっチキュウ!?お前、自分がなにやってるか分かってやってんのか!?」
真っ赤になってあせりまくっている俺を、いかにも面白そうな目つきでチキュウが笑い、言った。
「分かってるで?俺にこうされんのが嫌やったら、さっきの言葉撤回せえっ!嫌いやとかぬかすんやったら、今度は左手にも同じ事すんで!?」
ニヤッ・・・と口元に笑みを浮かべたチキュウが、俺の左手を掴んで自分の顔に近づけていく。
(こいつ、俺の事からかって楽しんでる!?)
「離せっ!!もう言わないっ!!お前になんか、お前にだけはやらないっ!!やるもんかっ!!この手は俺の大事な手だっ!!」
そう叫んだ俺は、両腕を振りほどいた。
「ケチやなぁ孝明。そう言うんやったら俺にこの手を取られんように、もっと大事にしいや。爪の一つや二つのうても、それはお前の、孝明の手ぇやろ?せやし、爪は絶対生えてくる!心配すんな!絶対、この手は元通りになる。俺が保証したるわ!」
そう言われて、俺はハッとした。
そうなのだ。
チキュウが言うとおり、爪があろうがなかろうが、この手が俺の手である事に変わりはなく。前に、”俺は好きやで?この手は孝明の手やから”と、チキュウが言ったのは、そういう意味で言ったのだ。
そして、なぜかチキュウに”爪は生えてくるし、元通りになる”と、断言されると、本当にそうなる気がして、もの凄く気持ちが楽になった。
「・・・なんか、根拠の無い保証だな?」
俺はいつの間にかクスクス・・・と笑っていた。
「アホウ、大ありや。俺がそう言うたら、ほんまにそうなんねん!ま、ならんかったら俺がこの手もらってやるから、そういう意味でも保証つきやで?」
どちらからというわけでもなく自然と笑いがこみ上げてきて、俺とチキュウは声を立てて笑っていた。
ついさっきまで、あんなに思いつめて肩肘を張っていたのが嘘のように、俺はストンと肩の力が抜けて、楽になっていた。
「・・・ありがとうなチキュウ。黙って話聞いてくれて」
「あほ。俺は何も聞いてへん。まあ・・・礼を言うんやったら、一つ俺の言う事聞いてもらおか?」
「・・・?なに?」
「これから早く仕事が終わる日は俺に付き合え。夏の間は多分3時頃には上がれるはずや。その後、時々気晴らしにあっちこっち行くねんけど・・・一人より二人の方がおもろそうや。だから、つきあえ!」
「チ・・・キュウ!?」
「ああ、それともう一つ。仕事場以外で会う時はちゃんと俺の本名で呼べ!俺はチキュウやない、智久や。忘れんな!」
それは、俺の弱音を聞いた上でのチキュウの思いやりだと分かってはいたけど、それでもやはり嬉しくて!
俺は、さっきからかわれたお返しとばかりに、チキュウの首筋に手を廻して抱きついて言った。
「ありがとうな!俺もチキュウの手、好きだよ?なんか大きくて守ってくれてる・・・って感じでさ!」
一瞬、チキュウが息を詰めて体を固くしたのが伝わってきて。
「・・・アホ。お前、ほんまにオオボケや・・・」
とボソッと呟いたのを、俺はてっきりからかって抱きついたのに驚いたんだろうと思っていた。
この時俺は自分のことしか考えてなくて、その時チキュウがどんな事を考えていたのかなんて、全然ちっとも、全く気がつかなくて。
後で自分の鈍感さに後悔しても仕切れなくなるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
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