ACT 15
その夜は厚い雲が広がって、月も星もその姿を見せる気配はなかった
明かりといえる物のない、深夜の教室は真っ暗で・・廊下にある非常灯の緑色の明かりだけが僅かに闇を照らし出している
そんな教室の片隅で、舵が一人壁に寄りかかって座り込んでいた
林の協力を得て、夜になってからこの、七星のクラスの教室で侵入者を見張っているのだ
舵がチラ・・と腕時計に視線を落とす
時刻はビデオに侵入者が映っていたのと同じ時刻・・・深夜の2時だ
今頃七星はベッドの中で夢でも見ているかな・・・?
と、その寝顔を想像するだけで舵の口元がふと緩む
きっと、あどけない顔つきで・・・いつもは決して見ることの出来ない無防備な幼い表情になって・・・
いつか・・・その寝顔を間近で見守り、あの柔らかで艶やかな黒髪を撫でてやりたい・・・などと思っていた時
不意に・・カチャンッ・・とかすかな物音がこだました
(・・・・っ!?来たな!!)
さすが、定年を待たずに教職を退職し、既に10年以上ずっとこの学園の警備員をしているという林だけに、経験からくる推察は確かなもののようだ
キュッキュッ・・と、ゴム底らしき靴で廊下を歩いて来る足音が近づいてくる
キュルキュルキュル・・・・と、教室の引き戸がゆっくりと用心深く開けられる音が響く
教室の最奥で机の影に身を隠していた舵が、その侵入者を凝視する
小さなペンライトのようなものを手にした侵入者は、カメラを仕込んでいたのだろう教壇の奥のほうを覗き込んでいる
確かに、教壇の中なら誰も覗かないし、掃除の時に滅多に動かしたりもしない・・・仕掛けるなら絶好の場所だ
どうやらお目当てのものが見当たらなかったようで、侵入者が焦ったように教壇の周囲を調べ始めた
「・・・・何か探し物ですかね?」
舵が突然立ち上がり、侵入者に向かって声をかける
「ッ!?」
弾かれたように侵入者が振り返り、持っていたペンライトが舵に向けられた
一瞬、闇に慣れていた舵の瞳が、その眩しさに視界を奪われる
その一瞬の隙を突き、侵入者が脱兎ごとく逃げ出した
「・・・っく!待てっ!!」
眩しさを振り払い、舵がその侵入者を追って走る
侵入者は非常階段の扉を開け放ち、そこからいきなり下に植わっていた木の中へとダイブした・・!
「・・・っの野郎・・!」
追う舵も、迷いもなく非常階段の手すりを蹴る
・・・が
植え込みの木があったとはいえ、3階の高さからのダイブである
木の枝に保護されていたとはいえ、その衝撃はかなりのものだ
先にダイブした侵入者は、そんな状況にも慣れっこなのだろう・・・あっという間に体勢を立て直し、植え込みに沿って作られていた壁を乗り越えたかと思うと、聞き覚えのあるバイクの排気音を響かせて走り去っていく
「・・っ待てっ!!」
一瞬遅れてその壁によじ登った舵だったが、もう既にバイクは追いつけない先まで走り去ってしまっていた
「くっそう・・!!」
悔しげに唇を噛み締めた舵が、仕方なく壁を降りダイブした非常階段付近を見上げる
「・・・・げっ・・あんな所から飛んだのかよ・・!」
改めて見上げた場所は、普通の状態なら絶対に足がすくんで飛べない場所だ
そう思った途端、にわかに打ちつけた腰や手足、細かな切り傷に鋭い痛みが走る
「・・・っ痛!うわぁ・・枝も何本か折れちまってるし、こりゃ痛いはずだな・・・っ!?」
木を見上げていた舵の視線が一箇所に釘付けになった
折れてぶら下がった木の枝に、何かが鈍く輝いている
「・・・え?俺の?・・・じゃないな・・。こりゃ、痛い思いをしただけの価値があった・・!ってとこかな」
不敵な笑いを浮かべた舵の視線の先にぶら下がっていたもの・・・
それは、闇夜の中で鈍い光沢を放つ、侵入者の携帯だった・・!
プルルルル・・・プルルル・・・・
夕食の後、リビングでテレビを見ながらくつろいでいた麗、流、昴のうち、鳴り響く電話を麗がとった
「はい。浅倉・・・・」
応えた途端、麗の眉間にシワが刻まれる
「・・・お久しぶりですね、美月(みつき)さん。ええ・・皆元気にやっていますよ?」
麗の口から出た、「美月」という名前にキッチンで食器の洗い物をしていた七星が振り返る
一瞬、チラッとその七星と視線を合わせた麗だったが、その後に麗の口から出た言葉は、ただ相手の言うことに相槌を打つ言葉ばかりだった
「・・・はい、ええ・・・・はい・・・分かりました。・・・はい・・・はい、では失礼します」
無造作に受話器を戻した麗は、何事もなかったように読みかけていた雑誌を手に取っている
その横でテレビを見ていた昴が、麗の顔を覗き込んだ
「麗?今の電話、美月おばちゃん?」
「・・・昴、美月さんの前で死んでもおばちゃんなんて言うなよ。殺されるぞ?」
麗が雑誌から視線をそらさないまま答えを返す
「分かってるよ!まだ死にたくないもーん!ねぇ、ねぇ、それより凄い久しぶりじゃん?なんだったの?」
「・・・ん?ただの様子伺い。皆元気かって・・・」
「ふーーん・・なーんだ、つまんない。ご飯でもご馳走してくれるのかと思ったのに!」
「・・・ほんっとに食い意地の張った小猿だな!!この、のーてんきブタ子猿〜♪」
肩まで伸ばした赤毛をポニーテールもどきでくくった流が、昴と麗の座る向かい側のソファーに寝そべってテレビを見ながら言い募る
「流!ブタってなんだよ!?流なんて馬の尻尾じゃんか!」
「ケッ!ブタ子猿に言われたかないねー」
「流!!」
すかさず繰り出された昴の蹴りを、流がヒョイッとソファーの裏側に飛び跳ねてかわす
「へっへー小猿の行動パターンなんてお見通しだぜ!」
「どーだか!こないだのゲームの時なんて、流の方がボロ負けしたくせに!」
「あ!てめぇ!今ここでそんな事引き合いに出すか!?よーーし、リベンジだリベンジ!今度こそ叩きのめしてやる!」
「無理無理〜!返り討ちになるのがおちだって!」
ギャアギャアとじゃれあいながら、昴と流がゲーム対決を再燃すべく流の部屋へ向かって行った
その二人の後姿を見送った七星が、片づけを終えて麗の座るソファーの後に立った
「・・・美月さん、なんだって?」
問われた麗が雑誌に視線を落としたまま、振り返りもせずに答えを返す
「・・・七星に話があるって。明日の夜10時にWホテルのロビーまで来てくれってさ」
「話・・・?俺だけに?」
「そうみたい・・。で・・さ、七星、こないだのバイク野郎の事なんだけど・・・」」
「え・・?あ・・うん。なに?」
一瞬にしてその時の感覚を思い出した七星の表情に、動揺が駆け抜ける
勤めて思い出さないようにしてはいるが、あの時の舵の言動が未だに七星の中で渦巻いているのだ
「あれから注意してるけど、こっちの方には全然来てないんだよね。だから・・ひょっとして今回は七星狙いなのかも・・って思ってさ。現にこうして美月さんからも連絡が来るし・・・」
「俺狙い・・・?なんで?」
麗がずっと視線を雑誌に向けているせいで、動揺した表情を見られずに済んだ七星が、その動揺を押し隠すように低い声音で呟き返す
「・・・ひょっとしたら、宙(そら)さんの・・・華山(かやま)の家関連なんじゃないかな・・?とも思ってさ」
「まさか・・!だって俺にはもう何の関係も・・・!」
七星のその言葉に、麗が不意に振り返った
「関係ない?どう関係ないの?」
麗の金色の髪の間から覗く青い瞳が、上目使いに七星を覗き込む
「・・・え?」
「七星、俺たち、もう子供じゃないんだよ?分かってる?」
「麗・・・?急に何言ってんだ?」
訝しげな表情になった七星に、麗がフ・・ッと視線をそらす
「・・・・明日の夜の事だよ。美月さんの話、ちゃんと聞きに行けよ。昴だってもう一人で留守番くらい出来るんだから」
「・・・?ああ、ちゃんと行くよ」
再び雑誌に視線を落とした麗の態度に、七星が何か引っかかるものを感じながらも・・・どう聞いたらいいものか分からなくて、自室へと上がっていった
七星の階段を上がる足音を聞いていた麗が、七星の部屋のドアが閉まる音を確認してから、おもむろに立ち上がる
持っていた雑誌を無造作にテーブルの上に放り出すと、自室へと向かった
七星の向かい側にある、その自分の部屋に入るなり、パソコンを立ち上げる
「・・・華山グループ・・と」
麗が検索バーにその名前を書き込む
途端に表示されたどこかで見かけたことがある様々な会社名と、経済情報誌などのニュースから検索に引っかかった様々な情報・・・
「・・・頑張ってるなぁ・・・美月さん」
思わず麗の口から感嘆の呟きが漏れる
華山泰三(かやまたいぞう)を総帥として発展してきた華山グループ・・・
時代を遡れば華族の家系である華山家は、知る人ぞ知る財閥系の一族だ
今や飛ぶ鳥を落とす勢いで様々な異業種会社をその傘下に取り込んで急成長し、日本を代表する大企業へと変貌しつつある
その、華山グループの現・社長が、華山美月(かやまみつき)
華山泰三が他の候補者を飛び越えて、社長に指名したという曰く付きの孫娘だ
30代で社長に抜擢・・という年齢の若さもさることながら、その容姿端麗な美貌に当時のマスコミもその就任劇を一面で書き立てた
そんなマスコミ関連の騒ぎもあって、華山グループの知名度は一気に上昇
美月の社長就任以来、その成長振りには目を見張るものがあった
あちこちのページを開いては関連記事を読み漁っていた麗の視線が、ピタッと止まる
「・・・『華山泰三、ついに引退か・・!?』・・・これだな」
その記事は、最近総帥の体調が思わしくなく、引退説が囁かれ始めている・・といった内容のものだった
「・・・グループ内の派閥争い・・ってとこか。さしずめ美月さんの弱みでも握ろうって魂胆なんだろうけど・・。あの人がそんなことされて黙って見てるわけないんだけどな・・」
麗がその整った顔を僅かに歪め、眉根を寄せる
今まで華山家関連で浅倉4兄弟に手を出そうとしてきたものは、美月によって情け容赦のない制裁が加えられてきた
それなのに
今回はどうしてそのまま放置させているのか・・?
「・・・・なにか・・手を出せない理由でも?だから七星をわざわざ呼び出した・・?もしくは逆に、何かに利用しようとしてる・・・?」
パソコンの画面に向かってブツブツ・・と呟いていた麗の眼前に、聞き慣れたメール受信のアラート音とともに小ウィンドウが開く
「あ・・っ!」
小さく叫んだ麗が、即座にメールを開封する
それは、北斗からのメールだった
兄弟で共用して使っているパソコンは、1階のリビングに置いてある
麗専用のパソコンにメールが来るということは麗個人に対しての北斗からの私信ということだ
その内容を読んでいた麗の青い瞳が、見開かれる
「・・・え・・?これって・・つまり・・・」
即座に麗の指先が、検索バーに別の文字を打ち込んでいた