ACT 19
・・・・ブルルルルル・・ブルルルルル・・・
舵の胸ポケットから振動が伝わる
「・・・あ、ちょっと・・失礼します・・」
朝の職員会議の途中で舵が立ち上がり、胸ポケットから取り出した携帯を手に職員室から外へと出て行った
その手の中にある携帯は、舵のものではない
昨夜の侵入者が落としていった携帯だ
もうそろそろHRの始まる時間だけに廊下に生徒の姿もなかったが、舵は用心深く周囲を見渡して普段から人気のない階段の下付近で携帯を開いた
「・・・・はい」
短く返事だけ返すが、答えが返って来ない
「・・・・昨夜はどーも」
そう舵が続けると、明らかに鼻で笑ったと思われる相手の忍び笑いが聞こえてきた
『・・・・取引、する気はねぇか?』
その、余裕すら感じられる相手の言葉に、舵が「・・・ああ」と眉間にシワを刻みつつ応えを返す
そのやり取りを、階段の上で聞き耳を立てている者が居た事に、舵は気が付いていなかった
「はぁー・・あっちは豪華そうだなぁ・・」
携帯の持ち主との待ち合わせ場所であるファミレスに先に着いていた舵が、向かい側にそびえ建つWホテルの格式の高い外観にため息をつく
ホテルのエントランスに横付けされている車も、黒塗りの高級車ばかりだ
「そういや・・このホテルって買収がどーのとかっていろんな国の金持ち連中が競い合ってたんだっけ。世の中不景気だっていうのに、そういう所では金は回ってるんだから理不尽だねぇ・・・」
舵が一人ごちて言った時
「・・・へぇ、話が合いそうじゃないか」
そんな言葉と共に、無造作に黒塗りのバイクのヘルメットがテーブルの上に置かれ、黒いサングラスに革ジャン姿の男が、舵の向かい側の席にドスンッと座り込んだ
舵があからさまに眉根を寄せつつ、その相手を観察する
恐らくは自分とそう変わらない年代、3階からダイブしてすぐに体勢を立て直す事が出来た事を裏付ける、鍛えられた体つき
不敵に僅かに上がっている口元が、一筋縄でいきそうにない雰囲気を漂わせていた
「・・・何が合いそうだって?」
不快そうな態度を隠しもせずに、舵がその男を睨み返す
男はそんな舵の態度など全く感知する様子もなく、タバコに火をつけて窓越しに映るホテルに向かって紫煙を吹き付けた
「居るんだよね・・金を腐るほど持ってて、遊んで暮らしてるような人種がさ・・・ああいう所に」
男が何を言いたいのか分からなくて、舵の眉間に更にシワが寄る
そんな舵の表情を、男が面白そうに見返して更に言った
「そんな奴らに限って、突けば埃だらけ・・・その遊んでる金を少しぐらいこっちに廻してもらったってバチは当たんねーだろ?そう思わねぇ?」
「・・・それと浅倉と、どう関係するっていうんだ?」
ますます険しい顔つきになった舵が、男を睨み返す
「さーーーて?どう関係するんだろうねぇ・・・。それを俺も知りたいわけよ」
「・・・はぁ?」
バカにしてるのか?とばかりに瞳に怒りの色を滲ませた舵に、男がツイ・・とサングラスを外し、獲物を狩る猛禽類のような輝きを宿らせて上目使いに見上げてくる
「な、あんた、あの学園の教師だろ?浅倉七星に関していいスポンサーが付いてるんだよ。どうだ?一緒に一儲けしないか?かなりいい儲けになるぜ?」
「・・・!?」
舵が瞳を見開いて男を凝視する
七星に関してスポンサー?・・・いい儲け?
いったいどうして七星にそんな話が付いてくるのか?
考えられるのは父親である北斗絡み・・・4兄弟全員違うという、母親に関して・・だ
「・・・なんで浅倉七星一人だけなんだ?北斗の子供は他に3人居るだろう?」
舵が今にも男の胸倉を掴み上げたい衝動を何とか押さえ、いかにも興味津々・・と言った風に聞き返す
なんにせよ、七星が付けねらわれる理由を把握しなければこちらに有利な交渉は望むべくもない
「他の3人?ああ、ありゃ何年か前に調べたことがあってよ・・・くそっ!あん時、散々な目に合わされたんだ・・!」
その時の事を思い出したように、男がダンッとテーブルを忌々しげに叩きつけた
「散々な目・・・?」
訝しげに問い返した舵に、男が憤慨したように言い募る
「あの4兄弟、強いんだよ。護身術かなんかしらねーが、こっちが雇ったスジ者連中をあっさりのした上、あの七星って奴は妙な特技まで使いやがる・・!
それでようやくそれらしきネタを掴んだかと思ったら、これが使えないネタだった上に、どう手をまわしたか知らないが住んでたアパートから追い出され、仕事からも干されちまった!」
・・・いい気味だ・・と、舵が密かに心の中で嘲笑しながら、4兄弟の意外な一面と、七星の特技?に驚きを隠せない
もちろん、そんな心情はおくびにも出さなかったが
「使えないネタ・・って、ガセだったのか?」
「ガセだったら、まだましだったんだけどな。これがお涙ちょうだい物の美談でよ・・!七星以外の3人は、昔、北斗の公演で起きたテロ事件の時に死んだ北斗のお仲間の遺児だったんだ。それを北斗が全員引き取ったってわけ。
そんな美談、載せたって面白くもなんともねーだろ。こっちは北斗の派手な女遍歴を期待してたってのによ!」
「・・・遺児!?じゃ、七星以外の3人は、北斗の実子じゃないのか!?」
「そーだよ。ったく!紛らわしいことしやがって!っつーか、北斗って野郎も酔狂だよな。自分の女でもなんでもないのにガキを3人も引き取ってよ・・・!
お・・っと、そんな金にならないネタはもういいんだ。問題は浅倉七星!こいつの母親なんだよ・・どういうわけか、この女に関してだけきれいさっぱり情報が消されてる。普通なら絶対にありえない・・!」
ニヤリ・・・と男の口元が上がる
「そこへ来て、今度のスポンサーだ・・。なぁ、先生?華山グループって知ってるか?」
「華山グループ・・?あの大企業の!?」
「そうさ。俺がでっち上げて書いた北斗の記事の中に、たまたま、そこの女社長もイニシャルで登場させてたんだ。したら、攻撃してくるどころか金を出すからもっと書きたてろ・・と、きやがった。母親の情報がないんなら、こっちで煽ってそれを知ってる本人に喋ってもらう以外ねぇしな・・・な、あんただって、あの七星ってガキに興味あるからここに来たんだろ?
聞いてみてくれよ。あんたがやってくれりゃあ、俺ももう、追っかけまわしたりしないし、高く買うぜ?」
「・・・俺に、浅倉を売れと?」
舵が急にトーンを落として、低い声音で問いかける
きっと、今までにもこんな感じでこの男だけでなく、北斗のネタで追っかけてくる連中は、七星の周囲の人間を誘惑して来たんだろう・・・
そして何人かは、その誘惑に負けて七星の心に深い傷を負わせて行ったに違いない
まだ17なのに、周囲はおろか自分自身の事でさえ・・知らずに拒絶しているあの雰囲気
何かを頼ろうともせず、たった一人で何かを必死に守ろうとしているあの瞳・・・
それを思うと、今、目の前にいるこの男を、舵は今にも殴りつけてやりたい衝動にかられそうになる
その雰囲気を察したのだろう・・・
男が落胆したように大袈裟に肩を落とす
「・・・ちっ。あんた、意外と堅物なんだな。まぁ、いいや・・・華山グループが食いついて来てくれたおかげで、もっと金になりそうなネタが見つかったし・・あんたにはヤバイ証拠品握られたしな。北斗のガキの事はあきらめるよ」
殊勝な態度でそう言った男だったが、舵はその狡猾そうな光を宿した瞳を、信用など出来ないと確信していた
「・・・・だったら、今まで撮った浅倉の写真とネガ、渡してもらおうか?」
電話で交わした取引条件・・・
男の携帯と仕掛けたカメラと交換に、七星から手を引くことと今まで撮った写真を引き渡すこと
「・・・ふん、しゃーねーか」
シブシブ・・といった感じで封筒を革ジャンの内ポケットから取り出した男が、無造作に舵の手元にその封筒を投げる
それを確認した舵が、仕掛けられていたカメラを・・・そして男の携帯をテーブルの上に差し出した
「・・・確かに」
携帯とカメラを確認した男が、もう用はないとばかりに立ち上がろうとした時
「・・・待てよ」
舵がドスの利いた声音で男の動きを封じた
「・・・あんたが犯した不法侵入の証拠のビデオと、そのカメラに写ってた画像のメモリは俺の手元にある。あんたがまた浅倉を追いかけたら、すぐにでも警察に突き出してやるからそのつもりで」
その言葉に、男の顔色が一瞬にして変わる
「・・・へぇ・・なかなかどーして・・いい度胸してんな、先生?」
サングラスを掛けなおしながら、ゆっくりと立ちあがった男が、舵の真横に立ち、その顔を覗き込む
「・・・最近は何かと物騒だからな・・先生も気をつけなよ・・?」
脅しとしか取れない捨て台詞を吐いて、男が悠然と立ち去った
「・・・物騒・・ね」
整った顔をわずかに歪め、舵が眉根を寄せる
恐らくは、ビデオやメモリを取り戻すために何かを仕掛けてくるに違いない・・・
けれど、とりあえず七星からは手を引かせる事が出来た
それでいい・・と、舵がテーブルの上に浅くため息を吐いた時
ス・・ッとそのテーブルの上に人影が伸びた
「・・・よ。こんばんは」
「っ!?し、白石!!」
ハッと顔を上げた目の前に、新聞部の白石守が硬い表情で立っていた
「今の奴、七星達を追っかけてる奴だろ?説明、してもらおうか・・舵先生?」