ACT 21
その日、七星は遅刻ギリギリで校門に駆け込んだ
「・・・おや!?珍しいですね。こんな時間に・・・」
ちょうど校門の重い鉄製の扉を閉めようとしていた警備員の林が、その手を止めて七星を中へと引き入れた
「あ・・おはようございます、林先生・・・!」
「ほらほら、もう先生じゃないでしょう?ただの警備員のおじさんですよ?」
ニコニコと人好きのする笑みを浮かべながら、林がその重い鉄の扉を軽々と動かして錠を下ろしている
「すみません・・!つい、クセで・・・」
「いえいえ、ああ・・そうだ。昴君にたまには道場の方へ顔を出して下さいと伝えておいてもらえますか?健一郎の奴が会いたがっていると・・・」
「え?ああ、健一郎君!伝えておきます」
腕時計にチラ・・ッと視線を落とした七星が、校舎の方へきびすを返そうとして、足を止めた
「・・・あの、林さん」
「はい?」
呼びかけられた林が笑顔で振り返る
その林に、七星が何事か言いたげに視線を合わせ・・・けれどフイ・・とその視線をそらしてしまった
「・・・いえ、なんでもありません。俺も、近いうちに道場のほうへ顔を出すかもしれません」
「・・・ほぅ・・?ええ、わかりました、でしたら昴君と一緒にどうぞ」
「はい。それじゃ・・・!」
ペコン・・と一礼を返した七星が、校内へ駆け込んでいく
「・・・・何か・・・あったようですねぇ・・・」
ス・・ッと帽子を被りなおした林の、その下にあった瞳に、鋭い輝きが宿っていた
昨夜
アルに車で家まで送ってもらう道中、七星は一言も喋らなかった
日本は初めてであるはずのアルだったが、ハサンのボディーガードとして来ただけに、事前にこの周辺の地理や情報は完璧にリサーチ済み・・・といった雰囲気で
それ故、特に道案内も必要なく、交わす会話とてない七星はただ車窓を眺め、唇を噛み締めていた
それというのも、ファミレスで見た、舵の横顔と差し出された小さなカメラ・・・その映像が脳裏に焼きついて離れなかったのだ
・・・・今までと同じ・・そう思って済ませてしまえばそれで終わる・・・
心の中で何度もその言葉を繰り返し、自分に言い聞かせようとした
そう・・・
そんな風に言い聞かさなければならないほどの想いが、七星の中で渦巻いていたのだ
「あれ!?珍しいな、七星が遅刻ギリギリに来るなんて!今日は雪でも降るんじゃねーの?」
始業ベルギリギリに教室に駆け込んだ七星に、伊原が目を丸くして声をかける
七星はそんな伊原を軽く睨みつけ、ハァ・・とため息をつきながら席に着いた
「・・・お前はいいよな。何にも悩みがなさそうで」
「あ!?心外だな〜その言い方〜!っていうか、浅倉、何か悩み事でもあるのか?」
興味津々・・といった雰囲気で、伊原が後の席である七星を振り返ってその顔を覗き込んでくる
「・・・・・・今日の数学の模擬テスト」
一瞬間をおいて、無表情のまま七星がそんな答えを返す
「っい!?あれって今日だったっけ!?やべー!すっかり忘れてた!!」
素っ頓狂な声を上げた伊原に、教室中が笑いで沸き返る
伊原に同じく忘れていて焦る者、余裕で参考書を広げている者、すっかりあきらめて談笑している者・・・
ざわつく教室の中で、七星は何も頭に入ってこない参考書を広げて見つめていた
昨夜からずっとこの状態だ
ベッドに横になっても、寝付かれなかった
とりあえず朝の家事はこなしていたものの・・・気がつけば手が止まり、ボゥ・・と考え事に気を取られてしまう
心配した他の3兄弟に、徹夜でテスト勉強していたから・・・と言い訳し、先に学校へ登校してもらった
何を悩んでいるのか・・・自分でも不思議なくらい何も手がつかない
いつものことだ・・・舵が自分に近づいたのはあの週刊誌に自分を売るため
そう認めればいいだけの事なのに、どこかで・・・まだ微かな希望を見出そうとしている自分がいる
・・・・違っていてほしい
そう思っている自分がいる
写真を撮られることには敏感だと、七星には自負がある
けれど舵と一緒にいて、一度も写真を撮られたような覚えはなかった
だから
(・・・・もう一度だけ、準備室に行ってみよう・・・)
1時間目の数学の模擬テストが配られる直前、七星がそう思い至って参考書を閉じた
放課後
七星は遅い時間まで図書室にこもって過ごした
大抵、天文部の部活と称してのお茶会は、帰宅を促す校内アナウンスと共に終了すると舵が言っていた
その校内アナウンスが流れると同時に、七星が準備室へと向かう
もう、校内には人気もなく、七星とすれ違う生徒もいない
準備室のある教棟も静まり返っていた
「・・・あれ?」
準備室のドアを開けた七星が、訝しげに首をかしげた
部屋の中に人が居た気配がない
いつもなら、皆を帰らせた後、舵が一人で片付けをしつつ一服している・・・そう言っていたはずなのに
机の上に置かれた灰皿にも吸殻がなく、いつもお茶を入れている電動ポットもコンセントが抜かれていた
「え・・・?今日も部活なかったのか?」
舵がいない・・・そう思った途端、七星の中で苛立ちがつのる
昨日は部活がないと、わざわざ向かい側の教棟である七星の所まで知らせに来ていたくせに・・!
自分だって勝手に部活に行かず、勝手にこんな時間に舵に会いに来た・・ということは棚に上げ、そこに舵の七星を迎える笑顔がないことに・・・焦りのような焦燥感が募って、鼓動が早まる
(・・・・・やっぱり、そうなのか?もう、売り渡した俺なんかには用はない・・ってか?)
ギュ・・・ッと心臓が締め付けられるような苦しさに、七星が制服のワイシャツの胸元を握り締める
フ・・・と見渡した準備室の中に、いつもと違う空間があることに気がついた七星が眉をひそめた
いつも隅っこに立てかけられているはずの望遠鏡が、ない
「・・・・まさか」
呟いた七星の足が、屋上へと続く階段へ向かう
案の定、いつも締め切られているはずの、その重厚な鉄製の扉が半開きになっていた
ソ・・・ッとその扉を開けると、吹き抜けた爽やかな一陣の風と共に嗅ぎ慣れたタバコの匂いが漂って来た
オレンジ色の夕日が照らす屋上の真ん中で、舵が手枕で寝そべり、寝タバコ状態で空を見上げていた
そのすぐ側には望遠鏡が置かれている
「・・・な・・に、やってんだよ?あんた」
思わず問いかけた声が掠れていて・・・七星が嫌そうに眉間にシワを寄せる
その声に、舵が驚いたように跳ね起きて、七星を振り返った
「っ!?浅倉・・っ!?」
七星を見返した舵の視線が・・・次の瞬間、フイ・・ッとそらされる
「・・・っ!?」
それを見た七星が息を呑む
今まで・・一度だって舵の方から視線をそらしたことなんてない
いつも・・いつも、七星が赤面するほどの真っ直ぐな視線で七星を見つめていた
それなのに・・・!
どうして今、その視線をそらすのか?
ギュ・・ッと七星が拳を握り締める
胸が痛くて・・・痛くて、上手く息が出来ない
俯いて立ち尽くす七星の視界の隅で、舵の革靴の先がどこかイラただしげにタバコをもみ消していた