ACT 23
「・・・・七星、おそーい。なにやってんだろ・・・?」
リビングの横長のソファーの上で、昴がふてくされた顔つきで寝そべって、足をバタバタとばたつかせている
時刻はもう夕方の6時過ぎ
いつもなら、とっくに七星が買い物袋をぶら下げて帰って来ているはずなのに
遅くなるともなんとも連絡がないまま、未だ七星は帰ってこない
もうさっきから何度繰り返したか知れない動作・・・ソファー横のローテーブルの上に置いた携帯を取っては開き、七星に電話をかけ、更にメールの返信がないかどうか確認する
「・・・・また留守電になってるし、メールも返事なし!ま、どっちみち七星ってあんまりメール見ないしな・・・」
七星にとって携帯は、非常時用の連絡手段でしかないらしく、ほとんどメールもしない
その上、学校へ持って行っている事もあって、常に音の鳴らないバイブモードに設定されていた
いつもなら
鞄の中とかに入れてて気づかなくても、後で必ず七星の方から電話を掛け直してくるのに・・・今日に限ってそれすらかかってこない
「まさか・・・とは思うけど、何か・・あったのかな?」
ついに業をにやした昴がにわかに立ち上がり、ソファーの背もたれにかけておいた学生服を羽織ったかと思うと、足早に玄関の前まで来てドアの取っ手に手を掛けた
・・・が
その昴より一瞬早く、カチャ・・ッとカギが開けられる音が響き、ドアが引き開けられる
「・・・あ、七星・・・っ!?」
七星が帰ってきた・・!と思った昴だったが、目の前に居た人物に、目を見開いて固まった
「あれ?どうしたの昴?予告してなかったのにお出迎えとは・・!嬉しいなぁ」
七星より高い身長、七星より高くてよく響く澄んだ声音、七星より白くてほっそりとした指先・・・が、掛けていた色目の薄いサングラスと目深に被っていた帽子を取り払う
「っ!!ほ・・くと!?」
驚き過ぎて、まだ固まったままの昴の艶やかな黒髪をクシャ・・となで、北斗がその顔を覗き込む
「びっくりした?ちょっと見ない間に大きくなったね、昴。もう、中学生になったんだ・・・よく似合ってるよ、学生服」
「・・・・あ」
昴の大きく見開かれた瞳が、潤んで揺れる
「おかえり・・!北斗!!」
叫んだ昴が北斗の胸元に飛び込んで、抱きついた
「うん、ただいま。皆は?元気?」
よしよし・・と背中をポンポンしながら聞いた北斗の言葉に、昴がハッと北斗を見上げた
「そ、そうだ!麗と流は部活で学校なんだけど、七星!七星が帰ってこないんだよ。いつもならもうとっくに帰って来てる時間なのに・・・!」
焦ったように言い募る昴に、北斗が余裕の笑みを浮かべて微笑み返す
「七星なら大丈夫。頼れるボディーガードがついてるからね」
「へ?頼れるボディーガード?」
実の所、アルの存在と北斗との関係を知っているのは七星だけ
アルは常に北斗の側に居るのだが、決してその存在を他人に気づかれることなく見守っているといって過言ではなかったからだ
「そ。だから大丈夫。それよりちょうど良かった。これからちょっと行かなきゃ行けない所があるんだけど、付き合ってくれないかな?」
自信たっぷりに大丈夫と言い切る北斗に、昴も安心したように頷き返す
「北斗がそう言うんだったら大丈夫だね。で、付き合うってどこへ?どこでも付き合うよ!」
「学校」
「・・・へ?」
北斗の思いがけない答えに、昴が小首を傾げる
「昴の学校。桜ヶ丘学園、中等部」
「ええ!?何しに行くの?」
「もちろん!昴の先生と個人懇談!」
「うそっ!?」
昴の顔が、一気に蒼ざめる
幼い頃から慣れ親しんでいた英語と体育以外、昴の成績は低空飛行中なのだ
「あ、ついでに3者面談にしてもらおっか?」
完璧にからかう顔つきで言う北斗の様子にも気づかずに、昴がブンブンと必死に首を振って懇願する
「うわわわ!ごめんなさい!もっとちゃんと勉強するから!だから今回はパスさせて!」
その昴の様子に、北斗が笑いを噛み殺しながら言った
「オッケー。じゃ、昴には別の頼みを聞いてもらおうかな?」
そう言った北斗が、後を振り返る
そこに、どこかで見た気がする鋭い目つきと見下ろすような視線・・・の持ち主が居た
その、一目で異国の人間と知れる褐色の肌の色と彫りの深い顔立ちに、昴が「あれ?」と眉根を寄せる
「・・・え・・と、確か・・どっかで・・・?」
その昴の声を遮るように、その鋭い視線の持ち主が、言い放つ
「お前、いつも流と仲が良かった小猿か?」
流れ出たのは少しイントネーションに違和感のある、日本語
だが、その威圧的な声音と物言いに、昴の記憶が鮮やかに甦った
「っあ!!ま・・さか!?あの、俺様王子!?」
「それはどういう意味だ!?」
「俺様王子」という意味が分からずに、あからさまにその鋭角的に整った眉を更にキリリとつり上げる
「うっそ!まじであの、ハサン王子!?普通の服着てるから全然わかんなかったよ!」
思わず昴が確認するように、北斗に向かって問いかける
笑いを噛み殺しながら頷き返す北斗に、昴が改めてマジマジとハサンを見つめ返した
そこに立っているのは、普通のジーパンにジップアップのシャツとジージャン姿のハサン
以前見た、白い長袖長衣の民族衣装の時とは全く印象が違う
もっとも、以前見た時はまだ幼い少年の頃のハサンだったのだけれど・・・
「そういうわけで、昴にはハサン王子のボディーガード兼、案内役をやってもらいたいんだけど?」
「ボディーガード!?案内役!?」
「そ。ハサン王子は日本の学校が見てみたいそうなんだ。だから学校で用事を済ませるまでの間、ハサン王子に学校を案内してあげてほしい。どうかな?」
「なんだ!うん、いいよ!今の時間ならまだ麗と流も部活やってるからあっちで会えるしね!」
昴がこの上ない無邪気な笑顔を浮かべ、ハサンに向かって笑み返す
その笑みに・・・ムッとした表情のまま北斗と昴の会話を聞いていたハサンが、いきなり昴の分からない言語・・アラビア語で北斗に向かって言った
「北斗!案内役はいいとして、こんな奴にボディーガードなんて勤まるのか?!それに俺は流に会いたいと言っただけだぞ!」
「だからこれから学校に会いに行くんじゃないですか。それに、こう見えて昴は合気道の有段者ですよ?私なんかよりよほど頼りになリます。ご心配なく!」
「有段者!?こんな小さい奴が!?」
北斗とハサンが交わす理解できないアラビア語での会話を、昴がキョトンとした可愛らしい表情で聞いている
中学に入って、ようやく身長が150センチ台に乗ったばかりの昴である
その小柄な身体をハサンが胡散臭そうに、眺め回す
とてもじゃないが何かの武道の有段者・・・というイメージからはかけ離れている
おまけに超がつくほどに可愛らしく成長したその容姿に、ハサンの中で更に苛立ちが募っていた
幼い頃の思い出の中で、この昴が一番流と仲が良かった
二人でいつも子猫がじゃれ合うかのように触れ合って、遊んでいた
ハサンには決して向けない笑顔を、流は惜しげもなく昴に注いでいたのだ
それは、今でもハサンの中で不快な思い出として根付いている
その上この、自分には決してない、可愛らしさ全開の容姿と無邪気な笑顔を伴って成長した姿・・・
それは、ハサンがどんなに望んでも、決して手に入れられないもの
おまけに・・・ムッとした表情のまま相変わらず見下ろすような視線を向けているにもかかわらず、昴はニコニコと笑いかけてくる
「話は終わった?じゃ、早く行こう!部活が終わっちゃうよ!」
北斗の腕を取った昴が、とろける様な甘えた表情で北斗を見上げている
北斗もその昴を可愛くて仕方がない・・・という顔つきでその髪を撫で付けた
ハサンには決して出来ない行動
見つめるハサンの眉間に、知らず、深いシワが刻み込まれていた
「えーーーーと・・・・あっ!居たっ!るーいー!!!」
用事があるという北斗と校舎の前で別れ、ハサンを連れた昴が運動場に入って部活中の流を見つけて叫んだ
だが
ちょうど模擬練習試合中の流は、試合に夢中で昴に気づく気配は一向にない
「・・・流はどこだ?」
腰に手を当てたハサンが、砂漠に舞う鷹が獲物を探すかのような鋭い瞳でグラウンドを見つめている
「えーーと、あれ!あの赤茶の髪で肩ぐらいまで長く伸ばしてる・・・あ!今だ!シュートだ!流!!」
「あれが・・?!」
ハサンが驚いたようにその鋭かった瞳を見開く
そこに居た流は、ハサンの記憶の中にいる流より、予想以上に凛々しく男らしくなっていた
ちょうどゴール前の小競り合いから抜き出た流が、ゴール前のベストポジションに走り出た・・!
だが、流に向かって放たれたパスが相手側にカットされ、流が悔しげに地面を蹴りつけて再びボールを追って走っていく
「くそー!もう少しで流にボールが行ったのに!惜しいっ!!」
拳を握り締めた昴の横で、ハサンがフン・・ッといかにも小バカにしたような態度で言い放つ
「どこが惜しいんだ?あのパスを放った奴が下手クソなんだ。あれではどのみち流がシュート出来ない・・流にパスを出すならあの位置よりもっと前に出さないとダメだ」
「えっ!?ハサンって、サッカー出来るの!?」
驚いたように叫んだ昴に、ハサンが眉間にシワを寄せて言い募る
「俺はお前に敬称無しで名前を呼ぶ事を許してないぞ!」
「へ?そんなのに許しとかいるの!?日本じゃ名前に敬称なんて付けないのが普通だよ?せっかく日本に来たんだから日本式で行こうよ!俺は昴って呼んでくれたら嬉しいし・・だめ?」
昴がハサンの険しい視線を物ともせずに、真っ直ぐにニコニコとした笑顔で聞いてくる
そのあまりに無邪気な笑みに、ハサンが「う・・・ッ」と言葉に詰まって黙り込む
それを肯定とみなした昴が、おもむろにハサンの手を取ってグラウンドのゴール横に向かって駆け出した
「行こうっ!ハサン!流に気が付いてもらわなきゃ!」
「お、おいっ!いつ俺に触れて良いと言った!?」
慌てて昴の手を振り払おうとしたハサンだったが、昴はスルリとしなやかに手首を返してハサンのその抵抗の動きをかわし、再びその手を取った
「・・っ!?お・・まえ!?」
その今まで見たこともない鮮やかな動きに、ハサンが目を見張る
「だから、ここは日本だってば!それに北斗が言ってたよ、ここに居る間はハサンは王子じゃなくて友達だって!」
「北斗が・・!?ぅわ、ちょ・・・っ!」
その小柄な身体に似合わぬ力強さと素早さで、昴がハサンをゴール横へと連れ出した
だが既にその周辺は流目当ての女子生徒たちで溢れかえっていた
「はいはーい、ちょっとごめんねー!」
既にそんな光景にも慣れっこの昴が、ハサンの手を引いてその女の子達の輪の中に割って入る
途端に
昴とハサンの周りに空間が空き、女生徒たちの黄色い歓声が上がった
「ちょっと!あの子誰!?かっこいい!!」
「昴君、その隣の子、お友達!?紹介して・・!」
「キャアッ!こっち向いたわ!!」
今まで流に向かって注がれていた熱い視線が、突然乱入してきた昴と、その隣に居た見慣れぬ褐色の肌と精悍で美形な顔立ちのハサンに集中する
その一種異様な雰囲気に、さしもの流も昴とその横に立って居る、見慣れぬ青年の存在に気がついた
「・・・・昴!?・・と、あいつ、誰だ!?」
思わず流が呟いた時、
「流っ!行ったぞ!!」
という声と共に、流の目の前にボールが落ちてきた
反射的に身体を反転して撃ち込んだボールが、過たずゴールに吸い込まれていく
いつもなら、その瞬間に一斉に黄色い女生徒たちの歓声が上がるはず・・なのに、それがスルーされ、違う対象・・・褐色の肌の男の方にその関心が向けられていた
自分よりも、明らかに目立ってその存在を嫌でも主張してくるその青年に、流がわけの分からないライバル心を燃えあがらせていた
「・・・のやろー・・!俺より目立ちやがって・・・!」
来る者拒まず・・・が信条で、4兄弟の中で一番の女たらしで名を馳せている流である
自分とは正反対のタイプである昴が目立つのは何となく許せるのだが、自分と似た系統と思われる男が、自分以上に目立って女達の注目を集めている・・・というのが、気に入らないのだ
その上
その男がジ・・ッと自分を何かの意志を持って見つめていた
その猛禽類を思わせる鋭い視線
黒曜石の輝きを放つ瞳と髪
ブロンズ像のような褐色の肌・・・
どこかで
確かにどこかで同じ物を感じた事があるような・・・
そんなデジャヴを感じていると
「・・・触れるなっ!無礼者が!!」
いきなりこだました、その青年の凛と澄んだ高貴な声音
その声に、流の記憶が走馬灯のように甦った・・・!
「ま・・さか!?ハサ・・ン!?あの、俺様王子かっ!?」
その予想を的中させるに充分な騒ぎ・・・ハサンが一部分だけを伸ばしていた細くたなびく後髪に一人の女が触れたらしく、いきなりその女に怒鳴りつけた所だった
「な、何なの!?髪に触ったぐらいで!!」
「黙れっ!この髪に触れていいのは一人だけだ!お前のような下賎な者が触れることは許さない!」
「ちょっと・・!下賎な者ってどういう意味よ!?」
羞恥と怒りで顔を真っ赤にした女がハサンに言い募り、周囲の女たちもそれに同調し、一発触発の雰囲気だ
「う、うわっ!ちょっとまってよ・・・!」
一応北斗にハサンのボディーガードも頼まれたスバルが、大慌てでハサンと女達の間に仲介に入る
だが、そんな程度の仲介ではどうにもならないほど、ハサンの態度は尊大で、女達の怒りは収まりがつきそうになかった
「・・・・はいはいはい、可愛い女の子がそんな顔してちゃ、せっかくの美貌が台無しだぜ?そんな奴なんて放っておいて、今度俺とデートしようぜ!」
ス・・ッと、昴の目の前に夕日に照らされて燃える様に真っ赤に染まった長い髪が現れて、その髪をかき上げながら流が言い放つ
「きぁあ!流!ほんと!?じゃ、今度の・・・」
突然割って入った流とその言葉に、怒り心頭だったはずの女がいきなり上機嫌になって流に向かって手を伸ばす
その刹那
「流に触れるな!女!!」
尊大で高飛車な、凛とした声音が響き渡ったかと思うと、伸ばされた手をパシンッ!とハサンが弾き返した
「な・・!?なにすんのよ!?」
「流は私のものだ!お前ごときが気安く触れるな!」
「なん・・・」
言い返そうとした女を遮るように、流がズイッと一歩前に出たかと思うとハサンの腕を取ってきびすを返し、女のほうを振り返る
「ごめんごめん!こいつ、常識ってものを知らないし、日本語もまだよく分かってない外国人なんだ。今から良ーーく言い聞かせておくから、許してやって!」
流の必殺の笑顔とウィンクのサービスつきで、女達から嬌声があがる
昴もすかさずその可愛らしさに物を言わせて、女達のご機嫌取りに笑顔を振り巻き、言葉巧みに懐柔する
その隙に流がハサンを女達の群れから引き剥がし「今日の練習はこれで終了〜!後片付け頼むな!」と、他の部員達に声をかけながら人の居ない方へと、強引に引っ張っていった
「離せ!流!何であんな奴らに許しを請わねばならないのだ!?」
「ああ、もう!いいから、とにかくこっち来い!!」
ハサンの方を振り返りもせずに、流がズンズンとハサンを引っ張り、運動場の隅にあるベンチまで連行し、有無を言わせずにハサンを座らせる
「・・・ったく!お前ちっとも変わってねーな!!あんな所で騒ぎ起こされたら、大めーわくなんだよ!それに!」
ハサンを上から見下ろし、流が言い募る
「一体いつ、俺がお前のものになったんだよ!?ええ!?人を物みたいに扱うなっつーの!」
「・・・・流」
先ほどとは打って変わった、ハサンの静かな声音と流を見上げる視線・・・
言い返してくるものとばかりに身構えていた流が、気勢をそがれて思わずハサンをマジマジと凝視する
女達が一目見て大騒ぎするのが頷ける、エキゾチックで精悍な整った容貌
この5年の間に、まるで別人かと思えるほどに大人びて、妖艶さすら漂わせている
(こ・・いつ!確か俺とおない年だったはずだよな!?それでこの雰囲気って、ありかよ!?)
流にしても、母親がイタリア人だっただけに、その容貌と雰囲気は同級生に較べればかなり大人びていて体格もいい
だが、ハサンはその流と引けをとらない背格好な上、その身にまとう雰囲気は一般人が持つ大人な感じとは一線を画するもの
思わず膝まづきたくなるような・・・そんな高貴な凄烈さが滲み出ている
そんなハサンが、上目遣いに意志を持った強い眼差しで流をジッと見つめてくるのだ・・・思わず流が一歩後ずさってしまったとしても、それは仕方のないことだといえた
「・・・な・・んだよ?」
「・・・会いたかった」
そう言った瞬間浮かんだ、ハサンの・・・初めて会った頃の面影を湛えたままの、嬉しそうな笑顔・・!
「・・・っ!」
思わず目を見開いた流が、慌てて視線をそらしてきびすを返した
「と、とにかく!そこで大人しく片付け終わるまで待ってろ!いいな!」
あからさまに動揺を押し隠した声音
髪をかき上げた拍子に垣間見えた耳朶が、明らかに赤い
(これだ・・!この落差!だからこいつは昔から扱いにくくて嫌なんだよ・・!)
心の中で舌打ちしつつ片づけに向かう流を見つめ、ハサンが呟いていた
「・・・流、可愛い・・・」
そう言った時のハサンの顔つきは、昴に負けない・・とろけそうに幸せな表情になっていたのだ