ACT 24













『ブルルルル・・・・』

鞄の中で振動する携帯に、七星がようやく気づいてフラップを開けた

「・・・・あ・・昴の奴に連絡入れるの忘れてた・・・」

昴の名前の着信表示が何件も続いている

昴に連絡を入れるのを忘れるなど、七星にとって初めてのことだ

それだけ、他の事に頭が廻らなかった

舵に会うまでは、舵への疑惑を否定したくて・・・

舵に会ってからは、どうやっても冷え切っていく自分の身体をどうすればいいか分からなくて・・・

ギュッと携帯を握る七星の指先に力がこもる

未だその指先は半分以上感覚がなくて、冷たいままだ

「・・・どうして」

七星がその指先を見つめたまま、うなだれた

(なんで・・こんなに胸が痛いんだ?今までと同じじゃないか!)

そう心の中で叫ぶのに、突き刺さったままの矢・・・傷心という名の痛みが一向に治まらない

舵に背を向けて屋上のドアを出て行く瞬間も

舵が引き止めてくれるのを

舵が追いかけて来てくれるのを

どこかで期待している自分が・・・居た

「・・なにが、誤解だ・・!」

本当に誤解だと言うのなら、なぜ追いかけてこない?

なぜ言い訳しない?

舵の追いかけてくる気配も、声も聞こえない・・・

その、静まり返った夕暮れに染まる校舎から・・・そして学校から・・・どうやって出て来たのかすら、七星は覚えていない

ようやく我に返ったのが、家のすぐ近くのこの道で先ほど鳴った携帯のバイブモードの音でだった

ようやく開いて見た昴からのメールは、北斗と一緒に皆でWホテルで食事をするから七星も早くおいで・・・という内容だった

その誘いの文字に、七星がため息を吐く

・・・出来れば、今は誰とも会いたくない

ましてや、ホテルで食事など・・・到底気が進まなかった

ハァ・・・と深いため息を吐いて、七星の指先が『風邪を引いたようなので先に休む。大したことはないから皆で楽しんでおいで。』と、メールを送信する

そのまま携帯の電源を落とし、誰一人として待つ者の居ない家に七星が向かう

明かりの付いていない家

誰の気配もない、静かで空虚な空間

明かりも付けないままリビングのソファーの上に身を投げた七星が、シ・・ンと静まり返って誰もいないその場所で、目を閉じる

「・・・・つかれた」

ふと口をついて出た言葉に、七星が苦笑を浮かべた

他に誰もいないからこそ、言えた言葉・・・

物心ついた頃から、既に七星はマジシャン・北斗の公演仲間であった者達の子供の世話を焼くのが日課になっていた

・・・・『一番お兄ちゃんなんだから、頼んだよ!』
・・・・『七星は頼りになるね!さすが北斗の子供だけのことはあるね!』
・・・・『その年でエライね、七星は賢いなぁ!』

・・・大人たちは例外なくそう言って、七星を誉め、七星が弱音を吐くことの出来ない状態を・・・知らずに作り出してしまっていた

母親である宙を亡くしてからというもの、それはもう、七星にとって当たり前な事になってしまったのだ

「・・・・らしくねぇ」

先ほどの弱音をなかった事のするように、七星が鼻で笑って溢れた言葉に蓋をする

そんな行為が日常になってしまっている七星には、それがどんなに不自然なことなのか分かるはずもなく、教えてくれる者もまた・・・居なかった







・・・・・「カチャン・・・」

玄関のドアが引き開けられる

入ってきたのは、学生服姿にテニス用具一式の入ったバッグを肩に掛けた、麗だった

時刻は既に日付が変わろうとしている直前だ

「・・・・ふむ。風邪・・っていうのは嘘でも、どこかおかしいのは確かだね・・・」

真っ暗な玄関に明かりを付けた麗が、玄関先で脱ぎっぱなしで乱れた状態で脱いである七星の靴を見つめつつ、そんな事を呟く

いつもはきちんと几帳面に靴を揃えて脱ぐのが、七星の癖だ

「・・・・北斗とハサン王子に感謝だな」

フ・・・ッと口元に薄い笑みを浮かべた麗が2階の自室へと入り、荷物と学生服の上着を脱ぎ捨てると、隣の七星の部屋のドアをソッと押し開けた

「・・・七星?・・・どこに・・・?」

誰もいない、真っ暗な部屋を後にした麗が、階段を降りてリビングへと向かう

パチン・・と淡い間接照明をつけた麗の視界に、ソファーの上で眠っている七星の姿が飛び込んできた

「・・・風邪引いてる人間は、普通こんな所で寝ないんじゃない?七星?」

まるで猫の様に足音を忍ばせた麗が、ソッとソファーの背もたれの背後から、七星の寝顔を覗き込む

顔を上向けて、その顔を覆い隠すように、片腕が額から目の部分にかけて乗せられている

その腕の先が・・・まるで何かを握り締めていたかのような不自然さで、指先が半開きになっていた

「・・・なんだ?これ・・・?」

その不自然な指先を追っていた麗が、その指が握り締めていたと思われるグチャグチャに丸められた何かのメモ用紙・・?が落ちている事に気が付いた

ソッと屈みこんで拾い上げたその紙くずを、麗が用心深く開いていく

そのメモ用紙はいったん破り捨てようとしたらしく、二つに裂きかけて・・・思い留まったように途中で裂け目が終わっていた

それは、以前舵が七星のポケットに忍び込ませたメッセージ・・・

その内容と、書かれた携帯番号に・・・麗がグシャ・・っと再びメモ紙をゴミくずへと変化させる

「・・・・これが、原因ってとこか・・・」

麗の青い瞳がスゥ・・ッと細くなる

・・・天文部の部活、以前車で送ってきていた教師、携帯番号・・・・

新学期になってから七星の様子が変わってきている事に、いち早く麗は気が付いていた

だがそれも微々たるもの・・・この七星がそう簡単に他人に警戒心を解くはずがない・・!

そう、麗は高をくくっていた

だが、現実は・・・

「・・・そうだよな。七星だって子供から大人になる・・・」

つい、忘れがちだが七星だってまだ17歳・・・ずっと今までと同じで居るはずがない

麗や流や昴がそうであるように

握りつぶした紙くずを見つめていた麗が、それを自分のズボンのポケットにしまいこむ

そして七星の寝顔を、間近に覗き込んだ

いくら家の中であるとはいえ、ここまで無防備な状態の七星を見るのは麗にとっても初めてのことだ

幼い頃から兄弟で一緒に枕を並べて眠る時も、七星はいつも必ず兄弟全員が寝付くまで眠らず、そして誰よりも一番早く目覚めていた

その上、人の気配にも誰よりも敏感なのだ

なのにどういうわけか、今は麗がこんなに至近距離に居るというのに、七星は一向に目を覚ます気配がない

それだけ、舵との出来事が七星の精神を怒りと困惑と悲しみと・・・疲労で参らせてしまっていたのだ

「珍しく無防備・・・。千載一遇とはこのことだね・・・」

クスリ・・と笑った麗が七星の薄く開きかけの唇に唇を重ねる

一瞬、明確に意志を持って麗の唇が七星を探る

「・・・・ん」

その感触に、ようやく意識を浮上させた七星が目を開けた時には、既に麗の唇は離れ、真上から七星の顔を見下ろしていた

「・・・れ・・い?」

「おはよう・・と言いたいところなんだけど、こんな所で寝てたら本当に風邪引くよ?七星?」

「・・・え?あ・・・!」

麗の言葉に、一瞬にして自分の状況を思い出した七星が、弾かれたように身体を起こして麗に問いかける

「流と昴・・それに父さんは?」

「昴は北斗にくっ付いてホテルにお泊り。流もハサン王子に捕まって帰って来れそうになかったし、お邪魔虫になるつもりもサラサラないんでね、風邪だって言う七星の事を心配して帰って来たんだけど?」

麗が「風邪」という言葉に、意味ありげにアクセントを強める

「・・・・悪かった、謝るよ。でも、今日はいろいろあって・・・外に出たい気分じゃなかったから・・・」

麗のあからさまな非難めいた語気に、七星が視線を落とす

落とした視線の先にあった自分の指先を見つめた瞬間、ハッと七星が舵からのメモを掴んだままだった事を思い出して・・・フローリングの床の上に視線を泳がせた

「・・・なに?何か探し物?」

その七星の不自然な動きに、麗がすかさず問いかける

「あ・・いや、その辺に・・・・いや、いい、何でもない。それより、麗、お邪魔虫って・・?」

後でじっくり探せばいいや・・・と思いなおした七星が、話題を変えて気になったことを問いかけた

「七星も鈍いなぁ・・・ハサン王子が何だってわざわざ日本に来たと思ってるの?」

「え・・・?美月さんとの取引のためじゃないのか?」

「だから、何でわざわざ美月さんとか・・・ってことだよ。Wホテルの買収って言ったら、華山グループ以外にも引く手数多の大企業が参画したがってるし、華山よりも有利な条件が揃ってる企業も多かったっていうのに・・!」

以前、ネット検索で調べた経緯のある麗の明確な言葉に、七星がハッとしたように目を見開いた

「ま・・さか、流に会うため・・・!?」

「あの王子様も一途だね・・・。流が羨ましいよ」

「羨ましい・・って、麗、ハサン王子も流も・・・」

男だろ?・・・と言いかけた言葉を七星が呑み込む

美月がWホテルのロビーで『今更でしょ?もう慣れちゃったわよ』と言ったその意味が、今頃になって真実味を帯びてくる

考えてみれば、父親だってあのアルと・・・

アルの顔が浮かんだ途端、七星の眉間にシワが寄る

思えば、今日の舵との事もアルが絡んでなければもっと・・・何かが違っていたかもしれない・・・

あからさまに舵の・・自分の・・吐いた言葉が甦ってきて、七星の表情が重く沈みこんで唇を噛み締める

その七星の表情を見下ろしていた麗が、ストン・・とローテーブルの上に腰をかけて七星と同じ目線に降りてきた



トップ

モドル

ススム