ACT 25











「・・・七星は、そういうの昔から嫌いだったよね」

テーブルの上に腰掛けた麗が、片膝の上に肘をついて小首を傾げるように七星を真っ直ぐに、同じ目線で見つめている

「え・・・?いや、別にそういうわけじゃ・・・」

ハッと視線を上げた七星の瞳と、麗の真っ直ぐな青い瞳がまともにぶつかった

その青い瞳は、どこか・・・あのアルと似通った、心を見透かすような輝きが宿っている

なんとなく・・・居たたまれなくて視線を外そうとした七星に、それをさせじと麗が畳み掛けるように問いかける

「いろいろあったって、何があったの?」

「・・・・今までもあったことだ・・たいしたことじゃない」

視線を外すタイミングを逃した七星が、あきらめ顔でそう言って、無意識に唇を噛み締める

こんな時の麗に嘘を並べ立てた所で、無駄なのだ

「・・・ふう・・ん、大したことじゃないんだ?」

麗が見つめる瞳に力を込める

七星の表情といい、態度といい・・・麗が今まで見た事がないほど苦しそうなのに?

だいたい・・七星が北斗絡みの兄弟の誘いを断る事自体、充分「大したこと」なのだ

ス・・ッと麗の指先が七星の口元に伸びる

「・・・そんなに噛み締めると、切れちゃうよ?」

「え?あ、ああ・・・」

無意識にきつく噛み締めていた口元をなぞられ、七星が慌てて麗の指先から逃れて口元を覆うように自分の手をあてがう

その七星の指先を、麗がスルリと絡め取って自分の口元へと移動させた

「・・・麗?」

その麗の不可解な行動に、七星が眉根を寄せる

そんな不審そうな七星の視線を無視して、麗が絡め取った七星の手を両手で包んで自分の口元に押し当てた

「・・七星、覚えてる?小さい頃さ、怪我して血が出た時、必ず七星が舐めてくれたよね?」

「・・・そう、だったっけ・・・?」

更に眉根を寄せた七星だったが、確かに遠い記憶を辿るとそんな覚えがある

だがそれは、麗に限らず兄弟皆にしていた事だ

北斗と共に各地を公演して廻っていたあの頃は、幼い男の子らしく小さなケガは絶えなかったし、その程度なら舐めて消毒代わり・・・にしていたからだった気がする

「そうだよ・・・。だからさ、今度は俺が七星の血・・・舐めてあげるよ。どんな傷の物でもね・・・」

そう言って蠢く麗の唇の動きが、七星の指先に伝わってくる

その感触と、艶然と微笑む麗の・・・どこか意味ありげな視線に、カ・・ッと七星の体温が上がる

「・・っば、ばかっ!そんな事、しなくていい!!もう子供じゃないんだから自分で出来るだろ!」

赤くなった顔を隠すように、七星が麗の指先を振りほどき、勢い良く立ち上がった

「そう・・・?結構七星って、痛みに鈍感だからね。でも覚えておいて、俺はいつでも七星の痛みを癒してあげたいと思ってるから」

「・・・・え?」

思わず振り返った七星に、麗がからかうような口調で言った

「唇噛み締める癖、治しとかないと・・・いつか俺に舐められちゃうよ?」

「・・・なっ何言ってんだ!?そんなとこ怪我したって普通舐めないだろ・・!」

「まだまだ甘いなぁ、七星。俺、普通じゃないもん」

そう言って笑う麗は、赤くなって焦っている七星をからかって楽しんでいるようにしか見えない

「っ!!ああ、もう!嘘ついて悪かったよ!もう遅いから寝る!おやすみ!!」

「おやすみ、嫌な事なんて一晩寝たら忘れられるよ・・・」

その言葉に、背を向けてリビングを出て行こうとしていた七星の足が一瞬止まり、けれど振り返らずに2階の自室へと上がっていく

「・・・・嘘吐きはお互い様ってとこだね。ホントはもう、舐めちゃったし・・?」

フフ・・と薄く笑った麗が、おもむろにポケットからさっき突っ込んだ紙くずを引っ張り出す

「・・・ほんと、覚えておいた方がいいよ・・七星?七星の痛みは、俺の痛みでもあるんだから・・・ね」

意味ありげに呟いた麗が、その紙くずをビリビリ・・と引き裂いていく

作業を終えた麗の指先が、再びその引き裂かれた紙くずを握りつぶして無造作にゴミ箱の中へと落とし込んでいた









「・・・舵先生?」

すっかり暗くなった屋上に、押し開けられたドアから一筋の光が差し込んだ

屋上の手すりに背中を預け、放心したように座り込んでいた舵が、光の方へ眩しげに顔を向けた

「・・・・あ、林さん・・・」

「どうなさったんですか?今日は部活があるとはお聞きしていませんが・・・?」

手にしていた懐中電灯を、舵が眩しくないように下に向けながら、林が舵の前に屈みこんだ

「・・・ちょうど良かった。林さんにお聞きしたい事があったんです」

屈みこんだ林に視線を合わせ、舵が少し固い口調でそう言った

「・・・なんでしょう?」

舵の口調とは裏腹に、林はニコニコといつもと変わらぬ人好きのする笑顔を浮かべている

「私を・・試したんですか?」

「・・・試す?」

問い返した林の顔には、揺るがぬ笑顔・・・

「とぼけないで下さい。私が浅倉に付きまとうから、その真意を試すつもりだったんでしょう?あんなテープを見せて、わざわざそれを一任したのも・・私を信用したからじゃない、それを金にする奴かどうか見たかったからだ!」

「・・・でも、あなたはそれをしなかった」

フ・・ッと笑みをかき消して言う林は、もう、ただの人のいい警備員とは思えない気配を滲ませている

「あなたは・・いったい何者なんです?」

「あなたと同じですよ、舵先生。私も、ただ、浅倉君を見守っている・・・それだけの人間です」

自分と同じ?浅倉を見守る?

舵がその言葉に、思わず自嘲気味な苦笑を浮かべた

「・・・はは・・見守るなんて・・・お笑い種だ。守るどころか、私は・・・!」

舵が手に持っていた写真を、ギュ・・ッと握り締める

いつでも眺められるように・・そう思って常に持ち歩いていた、白石から取り上げたその写真

それが七星にどんな疑惑や誤解を抱かせることになるか・・・そんな事に気づかなかった自分

そして、湧き上がった嫉妬心を、つい、七星にぶつけてしまった自分

七星より大人で、教師でもあるはずなのに、これではまるっきり自分の方が子供だ

舵が握り締めている写真を見つめていた林の表情に、再び笑みが宿る

「浅倉君はその写真を誤解したんですね。それ・・白石君が撮った写真でしょう?あなたはその白石君との約束も守り通した・・・違いますか?」

「・・っ!?どうして、それを・・!?」

「相談されていたんですよ。その写真を売れと言われて困っていると・・・。あなたがその写真を取り上げた日も、嬉しそうに売らずに済んだ・・と報告しに来てくれましたから」

「・・そう・・だん?」

ああ、そうだ・・!と、舵が納得したように目を見開いた

林は、その人柄の良さから先生や生徒からも慕われ、林が座っている時の警備員室には、絶えず誰かが出入りしている

林が浅倉を売ろうとしている人間にいち早く気が付く・・・というのは、そういう意味で誰よりもこの学園の内情や情報に精通しているからにほかならない

「それから、一つ訂正させてください。私があなたにあのテープをお見せしたのは、本当にあなたにお任せしたかったからです。あの浅倉君が、あなたの事を話す時だけ歳相応の表情になっていた・・・。舵先生、あなたなら浅倉君に思い出させてやれるかもしれない」

「思い出させる・・?」

「ええ。まだ17歳で、もっと自分を大事にして、わがままを言っても良い存在なんだという事を・・・」

・・・ああ、そうだった・・と舵がうなだれる

本当に、それを七星に気づかせたかった

それなのに、さっき自分が七星に言った言葉はどうだろう?

自分を大事に?その逆だ

七星に更に自棄な言葉を吐かせてしまった

・・・・・『誰も俺なんて見てやしない・・!』

そう言い放った七星の、苦しげな表情

望んでいたはずの七星の笑顔とは程遠い・・・絶対させたくないと思っていたはずの表情・・・

きっと七星は舵の顔を見るたびに、その時の痛みと苦しさを思い出してしまうだろう

フゥ・・・と深いため息を吐いた舵が、ゆっくりと立ち上がった

「・・・林さん、その役目・・私ではもう無理です。明日にでも辞職願いを出してこようと思います・・浅倉のこと、これからも見守っていて上げてください」

「・・・誤解したままでいいとおっしゃるんですか?」

「ええ、いいんです。誤解を解こうと思ったら、白石との約束を破る事になる。そうなったら、一番傷つくのは結局浅倉です・・・。私はほんの通りすがりの他人で済みますが、白石はこれからも浅倉にとって必要な友達でしょうから・・・」

・・・呈のいい言い訳

本当はそうじゃない

舵が、七星の顔を見るのが辛いのだ

あの・・・全然知らない奴を見る、冷たい視線・・・あんな瞳で七星に見られる事が、耐えられない

「・・・舵先生、私にはそうは思えないんですが」

屋上のドアに手をかけて、出て行こうとしている舵の背中に、林の凛とした声が投げられる

だが

もう、その言葉に返って来る舵の返事はなかった



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