ACT 26









次の日の早朝、上機嫌の昴とどこか浮かない表情の流が帰宅した

昴は早速、その時間珍しくまだ部屋で寝ていた七星を心配し、七星の部屋へバタバタとにぎやかに入り込んでいった

その昴と入れ違いにリビングに降りてきた麗が、昨夜七星が寝ていたソファーの上に身体を投げ、睨みつけるように天井を見上げている流に声を掛けた

「・・・おかえり。ずい分早いじゃないか・・ハサン王子がよく素直に帰したもんだね?」

「・・・よく言うぜ、この裏切り者が。冗談じゃねぇ・・帰ってくるのにどれだけ苦労したと思ってるんだよ・・・」

チラ・・ッと麗を睨み返した流だったが、すぐに元の浮かない表情になってため息を吐きながら言った

「・・・で?北斗が学校に来たって事はあっちの話は順調に進んでるってことか?」

「うん?おかげさまでね」

「そっか・・・・」

なにか含みを持たせた流の言い方に、麗がソファーの背もたれの上からその顔を覗き込んだ

「なに・・?今更辞める・・なんて言わないよね?」

「違う。そーじゃねーよ。ただ、あいつが・・・」

言葉を濁すように黙り込んだ流に、麗がフ・・ッと意味深に笑いかける

「・・・ハサン王子?」

「・・・・・・」

麗の言葉に一瞬、流の眉がピクリと上がる

「・・・確か、彼もファハド国王と同じく国外で学ぶ事になるはずだよね?」

どこか楽しそうにそう言った麗に、流の眉間に深いシワが刻まれた

「麗・・・全部知っててやったのか?」

「まさか!偶然だよ」

フフ・・と更に麗の笑みが深くなる

その笑みに、流が盛大なため息を吐いた

「・・・麗の考えてる事って、やっぱよくわかんねーけど・・・でも、七星に対する気持ちだけは、少し分かった気がする」

近すぎて、手に入れられないもの

遠すぎて、手に入れることが許されないもの

分かっていて、それでも側に居続ける事はどんなに苦痛だろう・・・?

「・・・そんなの、知るもんじゃないよ、流」

笑いながらそう言った麗が、身支度を整えるのだろう・・・流の視界から消え去った

「・・・麗って、絶対・・マゾだよな・・・」

ポツリと、流が呟いていた









「おーーい!次、自習だってさ!」

教室移動にために立ち上がりかけていた七星と伊原の耳に、日直の白石の声が響き渡る

「え?まじで!?ラッキー!!って言いたいところだけど、舵の授業って結構面白いから
なぁ・・・残念!そう思わねぇ?浅倉?」

「・・・え?あ、ああ・・・そうだな」

自習・・・と聞いて、一気に緊張の糸が緩んだ七星がホッと胸を撫で下ろす

と、同時に、どうして?という疑念も湧き起こる

今日、舵の授業があることは分かっていたから、本当は仮病を使ってでも学校を休んでしまいたい・・そう七星は思っていた

だが、麗に嘘はばれていたし、帰ってくるなり真顔で心配する昴に部屋に飛び込まれては、仮病を使うわけにもいかなかったのだ

だから顔をあわせなくて済むのは歓迎すべき事なのだが・・・

「白石・・!」

自分の席に戻りかけた白石に、七星が声をかける

「なに?」

「あ・・いや、なんで急に自習になったのかと思って・・・」

「ああ、体調不良で休みらしいぜ」

「ふう・・ん」

眉根を寄せた七星の後で、伊原が「うわっ絶対飲みすぎで二日酔いパターンだぜ!それ!」などと叫んで笑いを取っている

伊原が後の席の方へ振り返ってバカ話をしている隙に、白石がス・・ッと七星に近寄って囁きかけた

「浅倉って、舵と仲良かったよな?なんか・・聞いてない?」

「え・・!?いや、別に・・・。なんで?」

「いや・・・聞いてないならいい。俺の取り越し苦労だろうから・・・」

そういった白石の顔が、何か言いたげだ

「白石・・・?」

問いかけようとした七星を遮るように、伊原が白石を捕まえて笑えない冗談を落とす

その伊原の方へ向き直ってしまった白石に、七星はそれ以上問う機会を失った

結局その日、七星は表面上いつもと変わらぬ雰囲気で一日の授業を終えた

帰り際、警備員室を覗くと、林の姿はなく、別の警備員が座っていた

「林さん、今日はお休みか。あ、じゃあ・・!」

呟いた七星が、足早に家へと向かう

玄関を開けると、いつものように昴が元気いっぱいに走り出てきた

「おかえりー!七星!!」

「ただいま。昴、今から林先生の所に行かないか?健一郎君がお前に会いたがってるってさ。俺も久しぶりに体動かしたいし」

「・・ああ、健一郎・・か。七星が行くならいいよ!俺も行く!!」

一瞬の逡巡を見せた昴だったが、すぐにいつもの満面の笑みを浮かべてそう言った

七星が林先生と呼ぶ林の家は、合気道の道場を開いていて、その道ではかなり知られた人物でもある

電車で30分ほど行った所にあるその道場に、七星達4兄弟は小学生の頃からずっと通っていた

昴に至っては、幼稚園の頃からになる

きっかけは、七星の家に通っていた家政婦が七星たちのネタを金にしようとした出来事だった

その出来事以来、浅倉家では家族以外の他人を家に入れることをしなくなった

必然的に自分たちの面倒は自分たちで見ることになり・・・

その時から、ずっと七星が家事全般、小さかった昴の幼稚園への送り迎え・・・全てをこなすようになったのだ

そして自分達の身は自分達で守らなければ・・!

という考えと、まだまだ余力に溢れた子供独特の持て余すエネルギーを、道場で発散させていたといっていい

だがそれも、それぞれが中等部に入る頃から足が遠のいていった

部活や勉強で忙殺される時間・・・ある程度身に着いた技量・・・それらが原因だ

「・・・そういえば、昴、お前・・急に行かなくなったよな?どうしてだ?」

中学に上がる寸前まで昴は一人でよく道場へ通っていたのに、急に行かなくなった経緯があった

七星は、それは何かやりたい部活でもあるんだろう・・・と思っていたのだが、昴は一向に部活をやる気配をみせなかったのだ

「・・・別に理由なんてないよ。俺、皆と違って勉強あんまり出来ないし・・少し、がんばろうかな・・て」

「・・・のわりに、ゲームの音がよく響いてないか?」

「・・・う。そ、それは・・その・・・」

返事に窮した昴が、天の助け・・!とばかりにちょうど道場の入り口を掃き掃除していた林を見つけ、駆け寄った

「林先生!!お久しぶりです!!」

「・・・おや、昴君!?ああ、浅倉くんも・・!いらっしゃい」

変わらぬ人好きのする笑顔を浮かべ、林がニコニコと二人を中へと招き入れる

道場内では既に何人かの門下生が、稽古を始めていた

昴と七星が胴着である袴姿で現れた時には、かなり人数も増えにぎやかになっていた

「・・昴っ!」

七星と共に道場主である林に稽古前の挨拶をしていた昴に、林の孫に当たる中学一年生、健一郎が駆け寄ってきた

「・・・・」

挨拶の途中だった昴は、チラッと一瞥しただけで林の方に視線を向けたままだ

ジロリと林にも目でたしなめられ、健一郎が慌てて昴の後に正座する

同じ中学一年生とはいえ、この健一郎は体格が良く、背も高いのでたまに高校生に見間違えられるほどだ

昴と並ぶと、15センチくらいの身長差なのだが、座っている時の座高の高さが目立って違わないということは、それだけスタイルが良いということを裏付けていた

「じゃ、今日は浅倉君のお相手は私が・・。昴君のお相手は健一郎にお願いしましょうか」

その言葉に、七星が驚いたように顔を上げた

「・・・え!?先生と・・ですか?」

林は指導はしても滅多に相手を務めることはない

相手が出来るほどの実力があるものが居ないということもあるが、林の合気道が実戦派で、確実に受け身が出来る相手でないとケガをさせてしまう可能性が高かったからだ

「ええ。遠慮なくやりますから、しっかり受けてくださいね」

「・・・・っはい!」

七星の顔が途端に引き締まる

七星がここへ来る理由・・・それは誰にも言えなくて、吐き出す事が出来ない思いを紛らわすため・・・林もまたそれは心得ているのだ

林と七星が対峙し始めた頃、昴と健一郎もようやく向かい合い、膝をつき合わせていた

「・・・久しぶり。元気だったか?」

健一郎が、林譲りの人好きのする笑顔を浮かべて昴を見つめている

若い頃の林にそっくりだと言われる健一郎は、精悍で角ばった男らしい顔つきの中で、その瞳だけが穏やかに輝いている

「・・・おかげさまで。今日は外で木刀の受け返しがしたいんだけど・・・いいかな?」

「え・・?いい・・けど、なんで?」

「しばらくやってないから、基本の動きの確認」

健一郎と会話を交わす昴が、いつもと違って笑顔のない硬い表情で外へと出て行く

木刀を持っての受け返しは、相手の動きを受けてその力の流れを崩して落とす・・・という基本動作が一番確認しやすい練習だ

だが

昴は既にこの道場内でも相手を出来るのが何人いるか・・・というほどの腕前

しばらくやっていないとはいえ、わざわざ基本動作の確認などする必要はないはずなのだ

それにこの健一郎も林の孫だけあって、昴の相手が出来るその数人のうちの一人であり、ライバルでもある

健一郎からしてみれば、すぐにでも試合形式で練習したかったのに

「・・・・そんなに、嫌かよ?」

昴の後姿を見つめたまま、健一郎が唇を噛み締めていた



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