ACT 27
昴と七星が一通りの稽古を終えた頃
林が道場の窓から中の様子を伺っている白石の姿に気が付いた
「白石君?どうかしたんですか?」
昴も七星も他の門下生達と一緒に更衣室で着替え中で、道場内には林しか居ない
「あの・・・ちょっと、舵先生の事で・・・」
「舵先生の・・・?」
少し蒼ざめた顔つきの白石に、林が眉根を寄せて近寄った
「今日、舵の奴、急に休みで・・・それで・・なんか妙に気になって・・事務の人に詳しく聞いてみたら、舵、怪我して病院に居るって・・・!」
「っ!?怪我・・!?」
舵とは昨夜会ったばかりの林である
怪我をしたとなると、林と別れたあの後・・という事だ
「あいつ・・・あのパパラッチになんか脅されてたっぽいし、浅倉は浅倉で舵から何も聞いてないみたいだし・・。どうしようかと思って・・・」
「・・・・・」
いつもの柔和な笑顔からは想像も付かない厳しい顔つきになった林が、白石に向かって諭すような口調で言った
「白石君、浅倉君に写真の事を正直に言う勇気がありますか?」
「え・・・!?」
「舵先生は、あの写真の事で浅倉君に誤解されてしまってるんです。あなたが言わない限り、浅倉君の誤解はとけない」
「あ・・・!それで浅倉の奴、様子がおかしかったんだ・・!」
七星はいつもと変わらぬ雰囲気で過ごしたつもりだったのだろうが、いつもと様子が違う事ぐらい、付き合いの長い白石からすれば一目瞭然だ
特に今日の七星の沈んだ瞳の色は、以前、家政婦の写真絡みの時に見た色とよく似ている気がしていた・・・
「舵先生は今までの先生と違います。浅倉君の事を本当に守ろうとしてくれている・・・私は浅倉君には舵先生が必要だという気がしてならないんです。
白石君はどう思いますか?」
「‥・・舵の奴、誤解されても俺との約束・・・?」
「ええ。自分よりもあなたの方が浅倉君に必要な大事な友人だと・・・そして誤解をといても傷つくのは浅倉君の方だと・・・そう言っていました」
「・・・っ」
白石が大きく目を見開いて絶句する
「白石!?何してんだ?そんな所で?」
着替えて出て来た七星が、驚いたように歩み寄ってきた
林が窓越しにポンポン・・と白石の肩を叩いて、七星を振り返る
「白石君が、話があるそうですよ?」
そう言い残して、ちょうど更衣室から出て来た昴を連れて、道場の裏手にある住居部分の方へと連れ立っていった
「・・・話って、なんだ?」
その昴の後姿を見送った七星が白石に振り返って、問いかける
「・・・舵・・のことなんだけど」
「舵」という言葉に、たちまち七星の瞳の中に沈んだ色が蓄積されていく
「・・・それで?」
少し掠れてしまった自分の声音に、七星が一瞬眉根を寄せる
「・・・舵、お前がピンで写ってる写真、持ってただろ?」
その言葉に、七星の瞳が大きく見開かれた
「・・・な・・んで、それ・・・?」
その七星の表情に、白石が意を決したように窓枠を掴んで言い放った
「それ・・っ俺が撮った写真なんだ・・!ゴメン!ほら、俺一回、足を捻挫して体育見学した時があっただろ?そん時に、お前がすげぇいい表情してたから・・・つい、カメラ向けちゃって・・・ほんとにゴメン!!浅倉一人きりの写真は撮らないって言ってたのにさ・・!」
「ッお前が!?でも、なんでそれをあいつが持ってるんだよ!?」
その問いに、白石がグ・・ッと一瞬唇を噛み締める
「・・・それ現像する時に部の先輩に見られて・・・売ってくれってしつこく言われて・・それで・・仕方なく・・・。あ、でも、売ってないからなっ!そん時に舵に現場見つかって、写真取り上げられたんだ。おかげでそのしつこい先輩にも売れない理由が出来て、凄い助かったんだよ」
白石がソッと七星の表情を伺うと、案の定、傷ついた色を浮かべて白石を凝視している
「ゴメン。俺・・・結構こずかい稼ぎに撮った写真、売ったりしてるんだ。浅倉が他の皆と一緒に写った奴も・・・お前、写真嫌いで皆と撮らないから・・・」
「・・・・知ってた」
「え!?」
七星の低い声音に、今度は白石が目を見開いた
「お前から買ったって言う写真持ってる奴の話、聞いたことあるし・・・お前に隠し撮りしてもらった好きな奴の写真、大事に手帳に入れてる奴知ってるし」
「うそ・・・まじで!?」
「お前が写真売り始めたのだって、金取るって言ったら写真くれって言って来る奴が減ると思ったからなんだろ?伊原の奴が言ってたよ・・・」
「・・・伊原が!?あいつ・・!」
バツが悪そうに俯いた白石だったが、ハッと顔を上げて七星に言い募る
「そうだ!浅倉、お前、舵からほんとに何にも聞いてないの!?」
「・・・何を?」
眉間にシワを寄せた七星に、「マジかよ・・・」と呟いた白石があの日に見聞きした一部始終を七星に説明する
「・・・な・・んだよ?それ?じゃ、なんであいつ・・!?」
「写真の事は、俺と約束したからだよ・・・俺が撮ったって誰にも言わない・・って約束したから・・・」
七星が思わずこぼれそうになった笑みを隠すように、手で口元を覆う
(・・・・・よ・・かった!)
一気に身体が軽くなっていく
舵は自分を売るために近づいたんじゃない
自分が見たパパラッチとのツーショットは、自分を売るためじゃなく、守るため・・!
その事実が、今まで感じた事のない感情で七星を満たしていく
(・・・・嬉しい・・舵を失わなくて済む・・!)
そう思うだけで体の芯が暖かくなる
今まで、冷たくなることはあっても、暖かくなることなんて・・・一度もなかったことだ
けれど
次に聞こえた白石の言葉に、七星の身体が固まった
「それで、舵の奴今日休みだったろ?それ、怪我して病院にいるせいらしいんだ。俺の思い違いだったらいいんだけど、ひょっとして、あのパパラッチの野郎が舵に何か仕掛けたんじゃないかと思って・・・・」
「・・・っ!?な・・んだって!?」
「舵の奴、またあの野郎が浅倉に手を出せないように、証拠のビデオとメモリー持ってるって・・・」
白石の言葉を最後まで言わせずに、七星が窓枠越しに白石の腕を掴み上げた
「・・どこだ!?」
「えっ!?」
「病院・・!どこだ!?」
「た、確か・・市立病院・・・って・・・」
「・・・・っ!」
掴み上げていた白石の腕を解き放ったかと思うと、七星がきびすを返して道場の玄関から外へと飛び出していく
「・・・ぅわ・・・」
その七星の後姿を、白石が唖然とした表情で見送る
「・・・初めて見たな・・・あんな浅倉の顔」
いつも無表情で感情を滅多に出さない七星だったが、それでもずっとファインダー越しに七星を見てきた自負はある
その白石でさえ目を剥くほど、七星の顔は真剣で切羽詰っていた
「・・・あんな顔にさせたのは・・・舵だから・・なんだよな・・・」
ハハ・・・と力なく笑って俯いた白石の唇が、小さく「・・・・かなわねー」と声なき声を落としていた
「・・・あれ?」
校内の教師用の駐車場に停めた車の所まで来た舵が、いつもと違う違和感を感じて眉根を寄せる
明るい街灯のおかげで、暗くなったとはいえ車の様子はよく見ることが出来た
身を屈めて車の様子を見渡した舵が、「・・・まじかよ?」と、ガックリと座り込む
恐らくは悪戯だろう・・・
車のタイヤが全てパンクさせられていた
「・・・踏んだり蹴ったりとはこのことだな・・!」
苦々しく呟いた舵が、ハァ・・ッと盛大にため息をつきながら立ちあがった
ただでさえ、先ほどの浅倉との出来事で地の底まで落ち込んでいるというのに・・!
「・・・・仕方ない、歩くか」
力なく呟いた舵が駐車場を抜け、正門への近道である人気のない築山の方へと歩いていく
そこは校内の憩いの公園・・のような場所で、小高い丘のように整備され、四季折々の木々や草花などと共にベンチなども置かれている
その中を突っ切ろうとしていた舵に、不意に声が掛けられた
「・・・舵先生?」
「え・・!?」
街灯の明かりもあまり当てにならない、生い茂った木々の間から、一人の男がゆっくりとした足取りで舵の方へ近寄ってくる
「・・・どなたですか?」
こんな時間に学園内に残っているといえば、警備員くらいなものだ
だが、その警備員である林とは、さっき屋上で別れてきたばかり・・・
舵が背筋に冷たい汗を感じながら、後ずさる
「・・・名乗るほどの者じゃないんですがね」
黒いサングラスに抑揚のないドスの利いた声音
その辺のゴロツキとは思えない、きっちりと着こなしたダークスーツが、より一層不気味さを煽る
「・・・何か御用ですか?」
舵が落ち着き払った声音で問いかける
恐らく、車のパンクはこの男の仕業だろう
その上でこんな場所で声をかけてくるとなれば・・・あのパパラッチが雇ったスジ者であることは疑いようがない
来るだろう・・・とは思っていたがまさかこんなに早く来るとは・・!
「忘れ物を受け取りに来ただけなんですよ・・。心当たり、あるでしょう?」
ゆっくりと、確実に男が舵との距離を詰めてくる
「残念でしたね。大事なものは持ち歩かない主義なんですよ」
舵もそれ以上距離を詰められないように、ゆっくりと後ずさりながら答えを返す
「嘘はいけませんねぇ、先生?家も、車の中も、ぜーんぶ調べさせてもらったんですよ?」
「・・っ!!」
舵がその男の答えと共に正門の方へと駆け出した・・!
だが、その舵の行く手を阻むように、バラバラ・・と数人の男達がどこからともなく現れたかと思うと、駆け抜けようとした舵の身体を地面の上に転がして、押さえ込んだ
「・・っ!くそっ!!離せっ」
叫んだ舵の背中に、腹に・・・数人分の容赦のない足蹴りが降り注ぐ
「・・グハッ・・ックゥ・・ッ!!」
したたかに打ち据えられた舵がぐったりと無抵抗になると、舵の衣服をそのうちの一人がまさぐり、内ポケットに隠し持っていた小さな鍵を取り出した
その鍵を、スーツ姿の男に手渡す
「なるほど・・どこの鍵でしょうね?先生?」
「・・・ッ誰が・・言うか・・!」
倒れこんだまま、それでも気丈に睨み返す舵に、男が薄笑いを浮かべて言った
「いいんですよ、別に言わなくても。実はこんな物よりもっと面白そうな話がありましてね・・。先生にはあの浅倉七星とかいうガキを誘い出す餌になっていただこうかと・・・」
「な・・・!?」
目を見開いた舵がスーツ姿の男をマジマジと見つめ返す
そのスーツ姿の男の影から、あのパパラッチがヒョイッと顔を出して舵に言い募った
「言っただろ?先生?後は本人に喋ってもらうしか調べようがない・・ってね。その話が、どうやら本物臭くってねぇ。とんでもない大スクープに化けてくれそうなんですよ。あの口の堅いクソ生意気なガキも、自分のせいで先生がいたぶられたら・・・ねぇ?貝の口も開くってもんじゃないですか?」
「お前・・っ!!」
「連れて行け・・!」
スーツの男の一声に、舵が激しく抵抗を始めた
所詮多勢に無勢・・・分かってはいても大人しく連れて行かれる気は毛頭ない
それに
七星にあんな視線を向けられて・・・舵だとてそのどうしようもない苛立ちを何かにぶつけたかったのだ
特に・・!
あのパパラッチだけは、一発殴らないと気が済まない
倒れこんでいた舵が、目の前にあった散々蹴り倒してくれた男達の足を何本かなぎ払ったかと思うと、なぎ払えなかった男達に体当たりしてパパラッチ男の方へと向かっていく
だが、その手前にいたスーツの男が一瞬身を屈めたかと思うと、次の瞬間、舵の腹部に深々と拳を叩きつけていた
「グゥッ・・!」
内臓が一気にせり上がってきたかのような強烈な衝撃
腹を抱えこんだままドサリ・・と崩れ落ちた舵の視界が朦朧として暗くなっていく
「おい、さっさと・・・・!?」
スーツの男が再び男達に命令口調で言い放とうとして、不意にその言葉を切った
途切れた原因・・・・
舵になぎ倒されて起き上がりつつあった男達の背後に、長身の男のシルエットが浮かび上がっていたのだ
口元に咥えていたタバコの火が明滅し、吐き出された紫煙の煙と共にその存在を主張した
「・・・日本は平和な国だと思っていたが、そうでもないらしいな・・・」
舵が、唯一はっきりと働く聴覚から届けられた男の声に、暗くなりつつある視界を必死に凝らす
薄っすらとおぼろげに見えたその視界に映りこんだもの
(・・・き・・んいろ・・?)
逆光の月明かりに照らし出され・・暗くなりかけた視界でもはっきりと認識出来る、黄金色の・・髪・・!
(・・・あ!浅倉と・・一緒に居た・・・あの・・・男・・・?!)
忘れたくても忘れらない、はっきりと脳裏に焼きついている、あの金色の髪の男!
「なんだ!?おま・・・・」
気色ばんだ男達の声が不意に途切れたかと思うと、何かが次々に地面に叩きつけられる地響きだけが舵の身体に伝わってくる
もう視界は閉ざされて、舵は途切れ途切れに聞こえてくる物音だけを追っていた
自分のすぐ近くで何かが倒れた振動が伝わる
「・・・ひっ・・!」
パパラッチ男の掠れた悲鳴
「・・・忠告しておくぞ。これ以上深入りすると・・・これぐらいじゃ済まない」
何かがへし折られたような鈍い音と、くぐもって声にさせてもらえない・・・空気音だけの・・・絶叫
意識がフェードアウトする間際、舵は自分の身体が抱え上げられたような・・・そんな記憶と、あまり嗅いだ事のない、独特なタバコの香りを嗅いだ気がした